第6話 赤坂の洋館〜其の参〜


 京都府警察署

 九重月美はクイゾウから突然携帯に入った知らせに驚いた。


「つまり祭ちゃんは洋館で行方不明になったと思ったら過去にいたと」


「そうなんすよ! だからお嬢が大変なんす! 助けてほしいっす!」


 ふーむ、にわかには信じ難い。からかってるのかしら。

 月美は顎に手をやって考えた。考え事をするとつい顎に手をやるのよね。そういえば祭ちゃんも私の真似をして癖ついてたわねえ。

 その時のことを思い出してクスッと笑った。


「ええわかったわ、正直まだ半信半疑だけど祭ちゃんがピンチなのは事実なのよね?」


「そっす。鳥山の情報だとお嬢の飛ばされた日付の日に洋館で大量殺人がおきるそうなんす。だから尚更警察官の月美さんの協力が必要なんす」


 通話口から聞こえるクイゾウの声は必死そのものだった。嘘をついてるようにはみえない。


「祭ちゃん、いい友達を持ったみたいね。OK祭ちゃんのピンチはお姉ちゃんが何とかするわ」


「助かるっす!」


 通話を切る。

 さてまずは資料室で過去の事件の洗い直しね、大量殺人が起きたとなればそれなりの量の資料が残ってるはずだ。


――――――――――――――――――――


 過去 赤坂の洋館

 祭は動揺していた。胸の奥から込み上げる吐き気をグッと堪え目の前で起きた惨状を理解しようと努めた。

 約束していた定時連絡の時間はゆうに過ぎている。そしてパーティ会場は阿鼻叫喚の地獄絵図だった。今も九重の目の前で人が一人苦悶の表情で死んだ。

 それはテレビや漫画やゲームでしか見たことのない世界、九重祭が気楽に冗談で望んでいた世界。殺人現場だ。


――――――――――――――――――――


 時は少し遡る。


「ルンタッタールンタッタークルクルクルチョーイテエ」


 祭が散策に出て四十分、早くも靴擦れを起こして悶えていた。陽気な歌を歌えば少しは痛くなくなるかもと考えて実践したが、全くそんなことは無かった。


「どうかされましたか?」


 祭が廊下で蹲っているのを見て心配してくれたのだろうか、若い男性の声が祭の背後から掛けられた。


「あはは、ちょっと靴擦れおこしただけよ……だけです。心配してくれてありがとう……ございます」


 やばい最近敬語使ってなかったせいか年上にタメ口で話してしまいそうになる。反省。


 祭はゆっくり振り返った。

 男性は長身で、すらりと伸びた手足は一見細く見えるが、盛り上がったスーツジャケットを見る限り筋肉質なのだと伺える。


(ちょっとスーツ小さいんじゃないかしら)


 髪は短くワックスで固めていた。顔立ちは端正でまるでモデルのよう。ホストとかでモテそうよねと祭は思った。


「靴擦れですか、それでしたらこちらの絆創膏をお使い下さい。靴擦れしそうなところに貼っておけば少しはましですよ」


 ホストっぽい男性は最後に軽く微笑んだ。


「あ、ありがとう」


 やばいちょっとときめいた。ちゃらいけど。

 祭は頬を染めつつ目を合わせないようにしながら差し出された絆創膏を受け取った。


「名乗るのが遅れましたね、僕は波島広なみしまこうと言います。参議院議員の父の秘書をしております」


「あたしは九重祭といいます。よろしく」


「九重……ひょっとして九重グループのご息女様ですか?」


「え、ええまあ知って……ご存知なんですね」


「もちろんですよ、高度経済成長期に建築会社として名乗りを上げ、更に現在の好景気を利用して全国に事業拡大することで一大財閥になり、今や四代財閥に並ぶとか。噂では色彩戦争終結の立役者とも言われてますね」


 へ~家ってお金持ちだとは思ってはいたけどそこまで凄いんだ。初めて知った。

 こんなこと言ったら鳥山に怒られそうだから決して口にはしない。


 その後、波島と二つ三つ話をして分かれた祭は三階に移動した。

 この館は真ん中のパーティホールを囲むような形で作られている。上から見るとカタカナの「ロ」の形だ。

 三階建てで、一階は厨房やボイラー室、倉庫などの館を運営するための施設と従業員の休憩室等がある。

 二階と三階は客間で、ほとんどの部屋が空き部屋となっている。


 なんというか無駄な造りだ。


「三階は空き部屋ばっかだなあ……うん? あれは新山さん?」


 三階廊下北東にある部屋の前に執事長の新山がいた。丁度ドアをノックするとこらしい。


「おやこれは祭様、どうされましたか? もうじきパーティが始まる時間ですよ」


 そいやパーティ始まるんだっけ、すっかり忘れていた。でも何のパーティか具体的な事はわからないな。少し突っ込んで聞いてみようかしら。


「おおっとあたしとしたことがすっかり忘れていたわ、忘れついでにこのパーティの主旨って何でしたっけ? あたしあんましよくわかってないんですよ」


 少々強引だっただろうか。あまり喋るのは得意な方ではないためうまい切り口が分からない。怪しまれなきゃいいけど。


 そんな祭の不安は杞憂に終わった。新山は柔らかい笑みを称えてにこやかに返す。


「そうでしたか、若い祭様には分かりづらいでしょうが、今回のパーティの主旨は来週の国会で可決する『普通選挙法』の改正に反対する議員や大企業の社長が集まって結束を固めるとともに対案を出すというのが目的です」


 なるほど全然わからないわ、政治的な事はチンプンカンプン。適当に話を合わせよう。


「そういえばそうだったわね、改正って具体的に何が変わるんでしたっけ?」


「大まかには、『怪人に選挙権を与える』事と『怪人の政界入りを認める』事。ようするに怪人に我々人間と同じ権利を与えるということです」


「いい話じゃないの、何が不満なのかしら」


「祭様は賛成なのですか?」


 新山が驚いた表情を浮かべたのを見て祭はしまったと思った。この館には改正法に反対の人間が集まっているのだ、それなのに賛成などしてしまったら不自然極まりない。むしろ汚物だ。


「ああええっと今のはその何かの間違いと言うか言葉の綾というか」


 必死で取り繕うも最早遅しである。だが新山はそんな祭を怪しむことはせずむしろ微笑みかけた。


「大丈夫ですよ祭様、私もこの改正法には賛成ですので」


「そ、そうなんだ」


 祭ホッと胸をなで下ろした。


「ええ、昔私にも怪人の友人がいました。ですが当時怪人は色彩戦争を引き起こした無色の組織の尖兵、悪の権化等と呼ばれておりましたゆえ、彼女は何かと後ろ指を指される人生を送っていました。彼女自身何もしていないのですがね」


「その人は今どうしているんですか?」


「入社した会社で会社ぐるみの苛めにあい、それを苦に自殺しました」


「ごめんなさい、嫌なこと聞いて」


「構いませんよ、さてパーティが始まりますので祭様は一階ホールまで向かって下さい。私はこちらの部屋で寝ておられる蒲生田がもうだ様を起こしてから向かいますので」


 祭は「わかったわ」とだけ返して一階に降りる階段に向かおうとした。だが蒲生田と呼ばれる人間の部屋を通り過ぎた時異臭を鼻に感じて足を止めた。

 何かしらこの匂い、機械的な……そうオイルのような、いやガソリン等の石油燃料が燃焼して気化した匂い。一酸化炭素だ!


「まさか!?」


 祭は慌てて蒲生田の部屋のドアノブを捻った。だが当然のように鍵がかかっていて開かない。


「新山さん! この部屋の鍵は?」


「ここにあります」


「早く開けて! ガスの臭いが漏れ出てる! この部屋ガスで充満しているわ、中にいる人が一酸化炭素中毒を引き起こしてるかも!」


 新山は祭の言葉を受けて慌てて鍵をドアに挿した。カチリと音がすると同時にドアを開ける。開けた瞬間むわあと熱気とガスの臭いがあふれ出てきた。


 祭は右手の袖を口に当ててガスをなるべく吸わないようにして中に入った。新山も九重の真似をして中に入る。


「まず窓を開けて換気するわよ」


 祭は部屋の窓を全開にしていく、新山は一旦外に出て廊下側の窓を開けた。次に祭は部屋の隅に設置されている暖房器具に近付いた。案の定付けっぱなしだったので電源を切る。裏を調べてみると給気口のパイプに穴が開いている。そこからガスが漏れ出たのだろう。


 続いて祭と新山はベッドに近付いた。そこには五十代半ばと思われる男性が寝ている。

 祭が恐る恐る近付いて首元に手を当てると、やっぱり脈は無かった。


「死んでるわ、一旦出ましょう」


 換気をしているとは言ってもまだこの部屋の一酸化炭素濃度は高い、祭は既に中毒を起こしかけていて頭痛と吐き気を催していた。


「大丈夫ですか?」


 廊下に出てすぐ床に手を付いた祭を新山が心配した。


「大丈夫よ、一旦ドアを閉めて鍵を掛けましょう。その後で他の人に知らせなきゃ」


「かしこまりました」


 新山がドアを閉めて鍵を掛ける。

 その様子を見ながら祭はさっき自分が死体を触った事、そして死体だと認識した時に感じたえも言えぬ恐怖を思い出して体を震わせた。


「さあ行きましょう」


 新山がそう言うのと同時、下から歓声が聞こえた。パーティが始まったらしい


「始まりましたね、まずは館の主で主催者である様に報告致しましょう」


「ええわかったわ」


 そして二人は一階に降りる階段を目指すが、数歩歩いて再び足を止める事になった。


 下から、パーティ会場から悲鳴が聞こえてきたのだ。


「何なのよもう!」


 二人は駆け足でホールを目指した。若さゆえ祭の方が走るのが早い、新山を置いて先に一階に降りると五名の男女がホールを飛び出してそのまま外に出た。すれ違い様に彼らは「逃げろ」と叫んでいた。


 彼らを追いかけようかと逡巡したがすぐにホールの中を確認するのが先と判断して祭は中に入った。


「な、何よこれ」


 祭の目に飛び込んできたのは豪華な食事に舌鼓をうつ人々の姿ではなく、口から血痰を吐き、目を見開いて苦悶の内に床に沈む人々の姿だった。


「ちょっと! あんた大丈夫!? ……ひっ」


 祭は直ぐ近くで倒れていた男性に駆け寄って体を抱き起す。その男性は目に涙を浮かべて掠れそうな声で「たすけて」と呟き、そして血痰を吐いて絶命した。


 祭の腕の中で一人死んだ。まだ死んだ直後なのにその死体は冷たく人形のように感じられた。途端祭の喉の奥を酸っぱい物が駆けあがる。


 祭は口を押えながらホールを走って出てそのまま廊下を移動して端にあるトイレに駆け込み、便器に胃の中身をぶちまけた。

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