第5話 赤坂の洋館〜其ノ二〜

 1989年4月29日土曜日 18時


京都出町柳にある鴨川三角州、通称鴨川デルタでは現在警察が森に沿って規制線を張り巡らしている。


「殺人ですって」「子供が殺されたんやって」「まあ怖い」「犯人は怪人やってぇ」「人間がこんな残酷な殺ししいひんわ」「どんな殺され方なん?」「あんな」


 規制線の周辺では事件の匂いを嗅ぎつけた野次馬が群れを成していた。まだ捜査は始まったばかり、警察からの公式見解の発表は無い状態であるにも関わらず人々は事件の考察をしている。なお九割以上が憶測のみの根も葉もない話である。


「すまないがちょっと通してくれ」


 野次馬の群れを掻き分け一人の若い男性が規制線の前に出てきた。

 スーツをピタッと着こなしていかにもエリート然とした男性は、さりげなく進路を塞いだ見張りの警官に内ポケットから警察手帳を横開きにして見せた。


 警官は一目見てからすぐさま敬礼をした。


「お疲れ様です進藤警部。どうぞこちらへ」


 進藤と呼ばれた警官は軽く敬礼を返してから、KEEP OUTと書かれた黄色いテープをくぐって中に入った。


 ポケットからペンライトを出して地面を照らして慎重に進む。一度コーンを蹴倒しかけた時は内心焦った。


「お疲れ様です進藤警部、前置き無しで早速概要を説明します」


「お願いします」


 犯行現場に着いた時、進藤より一回り年を召した中年の男性がこちらに気づいて声をかけた。


 捜査第一課に配属された時からお世話になってる警部補だ。お世話になっているのに階級が上である事に未だ負い目を感じているのは秘密だ。


「被害者の身元は現在確認中、背格好から九歳から十二歳の少女と思われる。死因は胸への一突き、ほぼ即死だろうとの事。それから――」


「……どうしました?」


 進藤はメモを取るのに必死で、警部補の歯切れの悪いとこに少し反応が遅れた。



「いえね、少々口にしづらいのですが、遺体を運ぶときにですね、その少女の膣内からですね、男性の精液が出てきたんですよ」


 警部補が言い終わるや否や進藤の胸の底からえも知れない感情が吹き上がってきた。


「それはつまりホシは少女を強姦してから殺害したという事ですか?」


 進藤は自分の口調が厳しくなっているのに気付いてはいない。姿も知らない残虐な犯人へ怒りを通り越した憎悪をむき出しにしていた。


「落ち着いてください進藤警部、今はその精液をDNA鑑定に回してますので、すぐにホシはあがりますよ」


 流石は進藤の面倒を見てきたことだけはある。警部補はすぐに彼をなだめて冷静にならせた。

 進藤警部は正義感が強すぎるきらいがあった。


「DNA鑑定ですか。あんなのはあまりあてにできませんよ」


 犯罪捜査に実用されてまだ数年のDNA鑑定を、進藤はまだ信用しきれていなかった。


――――――――――――――――――――


 赤坂の洋館 客室


「つまり過去にタイムスリップしたわけですか」


「まるでSFっすね」


 祭のスマホから鳥山とクイゾウの声が聞こえてホッとする。

 一人でこの事態に対処する事にならなくて安心した。


「まあ端的に言うとそうなんだけどね、どうもただのタイムストリップじゃないのよね」


「タイムスリップではない。そう思う理由はなんでしょうか?」


 スマホを耳に当てながら客室のベッドに背中から倒れる。


 あっやばいこれフカフカだ癖になりそう。普段はソファか敷布団だからなあ、しかも布団は煎餅だし。ああでもやっぱりフカフカベッドは落ち着かないなあ、もう少し固くならないかしら。 ってこんなことしてる場合じゃない!


「ええと、理由ね。まず一つはこうやってスマホで通話ができる事。過去と未来で通話ができるなんて変じゃない、それに今あたしのスマホ圏外よ」


「なるほど、実は私のスマホも圏外です。これは何かあるとみて間違いないでしょう。まず一つということはまだあるんですね」


「ええ、もう一つはここに来たとき執事長があたしの名前を知っていたことよ、あたしまだ16歳よ、この時はまだ生まれていないわ。つまりまだ生まれていない人間を知るなんて不可能という事よ」


 とりあえずおかしな点はこんなところだ。あまり難しく考えても思考の海に沈むだけなので、今はただタイムスリップしたという事で話を進めていこう。


「じゃあお嬢、この後どうするっすか? 自分なにしたらいいっすか?」


 祭は「そうねえ」とつぶやきながら寝転がりながら顎に手をやった。実をいうとベッドがフカフカしすぎてうまく腹筋で体を起こせないでいた。


「とりあえず情報収集ね、1989年4月29日前後の社会情勢、それとこの洋館について調べて頂戴。あたしはもしかしたら迷い込んだかもしれない子供を探しながら帰る方法を探すわ。あと月姉にも協力してもらいましょ」


「わかりました。定時連絡は一時間おきにしましょう。お嬢の方から掛けてくれますか?」


「わかった、一応バッテリー節約のために電源切っておくわ」


 鳥山とクイゾウの返事を聞いて通話を終了した。同時、電源ボタンに指をかける。


「そうだメールはどうだろう」


 ふとメール機能は使えないかとアプリを立ち上げてみる。結果は駄目だった。試しにSNSを使ってみたが、立ち上がることすらなかった。


 スマホをポケットにしまってから両手をベッドについて起き上がる。立ち上がって手で乱れたところを軽く直す。少々ドレスに皺がついてしまった。


「気にしない気にしない、だってあたしのじゃないもん!」


 むしろ気にするべきである。


「さてと早速歩き回ってみようかしら、でもちょっとヒール歩きにくいわね、執事長に頼んでもっと歩きやすい靴用意してもらおうかしら」


 祭は意気揚々と扉を開けて廊下に出た。


――――――――――――――――――――


 現在 


九重探偵事務所


「まずいですねえ」


 一人先に事務所に戻った鳥山は早速ネットで赤坂の洋館について調べていた。出てきたのは洋館の成り立ち、坪、建築に携わった人、管理者、そして一枚の新聞記事。


 その新聞にはこんな見出しがついていた。


『一夜で皆殺し!? パーティ参加者と従業員を含めた計48名が死亡』


「これは非常にまずいですねえ」


 定時連絡まであと45分、鳥山は祭がそれまで無事であることを名前も姿も居所も知らない神に祈った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る