第56話

「わざわざに足を運ばれるとは、まさか思いませんでしたよ。」

 いずれに現れようと直立の印象を持つ黒、スピンガス。しかし今、稀なることにその黒は、赤黒の虚空で片膝をついていた。

「俺だってこんなトコまでわざわざ来たかないってーの。」

 くつぐ黒に対峙するのは、スートエース。腕組む姿で仁王立ち、清冽な蒼穹の如き青の眼を以てスピンガスを見据えている。

「舞台が有終の幕引きを迎えるにあたり、貴公の御登場は、いささか無粋な演出かと思われますが。」

「余所様の庭で勝手に芝居小屋おっ建てといて、無粋もへったくれもねーだろが。しかも、ショバ代払うどころか大事な減らしてくれやがってよー。」

 暗澹あんたんこごる赤黒のくらみの中で、スートエースの金の髪が揺れなびく。明朗な面貌にたたえられる表情は笑みのそれ、何処までも軽い言葉にこもる圧は怒りのそれ。

 赤黒い毀裂の内、演じられる予定のなかった即興劇は、スートエースのから始まった。

 おのが「主」の観劇する舞台の幕まで、滞りなく筋立てシナリオを進めること。スピンガスが任されたのは、ただその一点である。

 アクシデントこそ多かったが、そもそも此方は「主役」ではない。である以上、がどう荒れようと大きな問題はない。

 ない、が、「舞台裏」に干渉してくる向きがあるならば、話はまた違ってくる。

 毀裂は異次元勢力のエネルギーの供給孔である。此処に渦巻く莫大なエネルギーをスピンガスが調整し分配することで、理の異なる三次元むこうがわであっても、強大な力の行使が可能となる。

 三次元に在りながらも「異次元の領域」という特殊な空間であり、ゆえに、たとえナマートリュといえども、この毀裂に干渉するのは容易ではない。

 つまり、毀裂は己たちにとってはある種の「安全地帯」なのだ。

 それゆえの油断であった。「容易ではない」とは、翻って「絶対ではない」ということである、とスピンガスは猛省した。

 万事に置いて注意深く慎重なスピンガスが、しかし此処で姿を隠す必要性に思い及ばなかったこと。そして、目の前のこの存在スートエースこそ、「絶対ではない」を確定させてしまう最たるものであること。

 嘗ての過去、「主」に明確な敗北を喫させたこの存在は、その際、偶さかこの毀裂にことで、これを感知、干渉できる能力を身に着けてしまった。そして此処でのを知るからこそ、スートエースは単身突破による侵入という「奇襲」を果たし得たのだ。

「ホント、在るだけでカンに障んだよなー毀裂コイツ。でも今この瞬間に関してだけは、ちょいとラッキーって気分かもしんねー。」

 当人としては不本意な過去であろう。が、常どおりの軽い言葉でうそぶく顔は、そんなことなどとうに超えたと言わんばかりの余裕に満ちている。

 成程、先の対峙の折、「毀裂の外側」で隠れていたスピンガスをいぶり出す連携ができたのも、つまりはこのスートエースの特異な能力あればこそ、ということだ。

 これらを踏まえ、スピンガスは現在の状況を、歓迎すべからざるもの、と判断する。

 シンの「ニセモノ」の折にそうであったように、スピンガス自身の力は、特段強いわけではない。ましてや、ナマートリュの中でも抜きんでて出力の高いスートエースを相手取るなどとなれば、こちらに分のあろうはずもない。

「確かに、我々の舞台仕立てが不本意ではありますでしょう。……ですが。」

 されど。それをしてなお「主」の命に従うために反論をあげるのが、スピンガスの役目である。

 スートエースの言葉を肯定するように頷きながら、スピンガスはゆっくりと立ち上がった。赤黒の虚ろの空の只中、一本の黒が刷かれるように直立し、改めてスートエースと対峙する。

 最後に付け足す反論の語。屹然きつぜんたる態度で示すのは、抵抗の意思というより、最初から相手の意を介するつもりなどない、という「姿勢」そのものであった。

「あー、まぁうん、になるだろうってのは……わかってたけどよー。」

 スートエースが、溜息に似る仕種で頭を振りながら、大きな渋面を浮かべる。説得めいた言葉を募らせたのは、ナマートリュという種の、極まった善性のためだ。たとえ相容れないものとわかっていようと、一縷の望みに縋り、融和を試みずにはいられない、そういう性質ゆえだ。

「そも、我々には脇役を振る舞う以外の筋立てシナリオはありません。どうぞまで、きっちりお付き合い下さるよう、重ねてお願いしましょう。」

「仕舞いのタイミングを役者に任せるって度量は……確かにお前等の舞台監督あるじにゃなさそうだなー。」

「その点については、貴公とてよく御存知でしょう。」

 スートエースの顔に浮かんだ渋面は、己の言を聞き入れるはずなどがないとわかっていて、無為を確認する形になってしまうやり取りになると理解していて、そしてことへの、やるせなさの表れだった。

 どれほど律儀で真摯な精神を持ち、誠実で丁寧な態度であろうと、スピンガスは、あくまでも「主」のためだけに動く。

 スートエースが、そして彼等がであるように、スピンガスは、自分たちはなのだ。

 スピンガスの何処までも変わらぬ態度に、スートエースは、それ以上を重ねなかった。「仕方ない」という表情で、 眼瞳まなこの清冽と同じ青を両手にまとわせ、臨戦態勢に入る。

 スピンガスは、にぎり持った黒杖こくじょうを自身と正対するように胸まで上げた。

 自らを脇役と称するのは、「主」が「そう命じたから」である。意図せぬ形の即興劇が始まってしまったとしても、「主」の意向に沿うためには、予定外の「出番」も、或いはこなさねばなるまい。

 赤黒の虚ろいだ空間に、スートエースの手にまとわれる青輝せいきが裂くように輝く。高エネルギーの顕現が優雅な弧を描きだすと同時に、キィンと澄み切った高音が響いていく。

 さて、己の力でこれにどれほど対抗できるものであろうか。スピンガスがそう思案を巡らせた直後のことだった。

 ギィンと、音がした。これもまた高音ではあったが、スートエースの澄み切ったそれとは相反する、不協和音の如きものだった。

 音と共に、青輝の弧が。生半には砕けるなどないはずのそれは、しかし、同じ形の同じ大きさの、赤光る黒い弧によって、いた。

 スートエースが、青の眼を剥くように見開く。

「……は? いや今になってが出てくるとか……さすがにそいつはどうなんだよ……!」

 呟きとも叫びとも聞こえるような声があがった。何が起こったのかは理解していても、その理由がわからない、そういう響きの声だった。

 対峙するスピンガスとスートエースの間を隔てるように、黒い影が現れ出る。スートエースと同じ背格好、同じ輪郭を持ちながら、くっきりと相反する煤けた黒髪と、青を濁らせたような暗緑の眼という色彩をまとうもの。

「ジョーカー。何故お前がいるのです?」

 スピンガスは、そのの名を、低く呼んだ。状況としては庇われた形になるが、其処にこめたのは厳然たるであった。

「……。……主が命じた。を回収しろと。」

 黒い形、ジョーカーと呼ばれたそれがスピンガスの問いに答えるまで、幾らか長い間があった。ただしそれは、答えに窮したわけではなく、ただギッと、憎しみに憎しみを積み上げるような表情で、スートエースに視線と意識を向けていたためである。

 答えを聞いて、スピンガスは悟った。つまり、この状況もまた「主」の気まぐれから出たものである、と。

 ジョーカーは、嘗ての過去において、スートエースの能力をコピーして作られた「自律型殺戮兵器」だ。

 だが、幾度の対峙を経てなお、「スートエースを越えるもの」としての作られたはずのジョーカーが勝利することはついになく、それどころか、敗北の度に「自身のオリジン」たるスートエースへの劣等感を植え付けられ、ついには憎悪という負の自律感情を獲得してしまった。

 殺意と憎悪とで歪みゆく、愚かで哀れな人形。この出自ゆえに、ジョーカーはスートエースと対峙する機を焦がれ待っていた。スピンガスを回収するためという理由を付けて差し向けられたのも、大方、それを見て幕間を楽しもうという「主」の魂胆であるのだろう。

「成程、主の命であれば仕方ありません。アンティアヴィラタあれは捨て置くつもりでしたが、回収しましょう。」

「おいおい、そっちの都合だけで話進めんなよー!」

 こちらの会話を遮って、スートエースが言った。この状況が自身にとってあまりいい案配ではない、と即座に察した様子だ。

「では、わたくしがを回収するまでの暫し、彼のお相手を任せます。ただし、お前も主に命ぜられた以上のことはしないよう。」

「……わかって、いる……!」

 言い含めるようなスピンガスの言葉に、ジョーカーが苛立ったような声で返す。気配として噴き出すほどの憎悪を、しかしくれぐれも制せよと、釘を刺されたためなのは明白だ。だが、もまた「主」の忠実な僕であることも、スピンガスは知っている。

 ゆえに、言葉どおりこの場を任せ、スピンガスは己の役目を全うすることにした。

「こっちのの都合もあるんでな、しゃーねー、さっさと終わらせてやるよ。」

 赤黒の虚ろの中、にじむように姿を消すスピンガスの聴覚に、スートエースの言葉が聞こえた。力持つ者なればこその、大変に心地好い傲慢な言葉である、とスピンガスは心から褒め讃える。

 特段、力の信奉者というわけではない。それを讃えるのは、力あればこそ「主」の役に立つことができるから、である

 だから。

 本来であれば、その働きを為せぬものなど、捨ておくつもりであったのだ。

 スピンガスが再度姿を現したのは、砂礫の上。ノーティに倒されたアンティアヴィラタの身柄が、警護員たちによって拘束されている場所の真上である。

 砂礫の上に横たわるアンティアヴィラタの身体は、激しい損壊状態にあった。原型を留めるのは幾許かの輪郭程度、他はひどく崩れ、立ち上がるどころか身動きさえままならない様子で、延々と妄語もうごの如き呪詛だけを吐き続けている。

 最早、息があるだけの生物の残骸、と呼んだとて差し支えないであろう。とはいえ、周囲を取り囲む警護員たちがこれをおろそかに扱う様子は見られなかった。ほんのつい今し方まで繰り広げられていた戦闘でのを目の当たりにして、「万が一」を警戒しないのは愚たることと、彼等も嫌というほど理解しているということだ。

 おそらく彼等は、この「虜囚」を収監する準備が整うまでの間、彼等自身の念動を用いて「取り押さえ」ているものと思われる。

 上空のスピンガスの姿を発見した警護員たちが、ざわめきを以て此方を見上げた。一度は落ち着いた警戒体勢が、再び、最上位まで引き上げられる様子を、スピンガスはやれやれと嘆息を吐く心地で見下ろす。

 レジェンドたちほど突出しているわけではないとはいえ、並ならぬ戦闘訓練を受けたナマートリュを侮るほど、スピンガスは愚かではない。

 リテラへの侵入にしても、それが容易と言えるレベルで可能だったのは、バラトシャーデの宿主を媒介として利用できたからだ。だが、そのバラトシャーデが使い物にならなくなった以上、以降の侵入など望むべくもない。

 早急にアンティアヴィラタの回収を履行すべく、スピンガスは手握り持つ黒杖を、緩やかに掲げる。

 それに誘引されたように、毀裂からアンティアヴィラタへ、直下する赤黒い条線が降った。雷の落ちる様にも似たその光景は、落ちた先に「変化」をもたらす。

 形にならぬ妄語めいた呪詛を吐いていたアンティアヴィラタが、びくりと痙攣ひきつるように身体を揺らした。

 その反応を冷厳に見下ろしたまま、スピンガスは滔滔と声を投げる。

「自らの力量ちからを弁えない道具など、本来ならば不要です。しかし、主はお前にはまだ使い道があると仰せになりました。よって、今回は特別にお前を回収しましょう。」

 その声に、アンティアヴィラタの呪詛が、一瞬途切れた。だが、言われた内容は理解できたのだろう。がくがくと身体の揺れが大きくなり、不規則な身悶えを経て、叫び出す。

「……ア、ぁ、ヤ……ツ、を殺せ……なら……何で……も、する……! ……ころ セるなら、ヤツ……を殺せるなら、何でも……死んででも、ヤツを殺してやる……!」

 半ば屍骸の様相であったアンティアヴィラタの、それは禍禍しい蘇生のような光景だった。呻きのように声を上げた。最初はただの音の羅列でしかなかった呪詛めいた言葉が、不気味な明瞭さ帯びて徐々に音量を増し、鳴り騒ぐような囂囂たる叫びに変わっていく。

 何が起こっているのか、警護員たちには咄嗟には理解できなかったろう。けれど、其処に渦巻くものがであることだけは理解できたらしい。

 極大化した負の感情を無秩序に撒き散らすアンティアヴィラタの身体を抑えようと、彼等が念動を強めた気配があった。だが、それすら介さぬようにのたうつアンティアヴィラタの身体が、毀裂から降る無数の赤黒い条線によって、ぐしゃぐしゃとようにして覆われていく。

 警護員の幾人いくたりかが、その異変を止めるべく光波を放った。が、迎え撃つ光波を超える多量の条線は、なおも毀裂から降り注ぎ、膨れ上がり、さながら悪意と負念のとげしいまゆと化してアンティアヴィラタを完全に覆い尽くし。

 そして突如、膨れ上がる動きが反転するように、フシュッと縮んで、そのまま何も残さず消失した。

 同時に、上空にあった赤黒い毀裂もまた、空から剥がれ落ちるようにバラバラと砕けながら消失。毀裂に引っかかるように停止していた紡錘形のふねが、止まっていた刻を取り戻したように、砂礫の真ん中へと落ちた。

 それだけだった。其処には最早、それ以外の何も、起こってはいなかった。

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