第55話

「貴様は奴を絶望させるための、最高の屍骸みせものだ。まずは砕けぬ程度に切り刻み、奴に無為と無惨を思い知らせ、そのあとで今さっき受けた屈辱ごと、粉微塵になるまで砕いてくれる。」

 バラトシャーデから発された声は、優位者の言だった。互いに読み合い、読ませ合う戦闘の、その顛末として至ったひとつの現実を示すものだった。

 斬断によってふたつに分かたれた身体から、物的証明のように奔る激甚の痛み。それをおして、フィニットはただ一本残る腕で、仰向けだった身体をぐるりとひっくり返し、どさり伏せた。

 砂礫の上に突っ伏した身体を、再び腕に力を入れて起き上がらせる。その位置で巡らせた視界に入るのは、斬断された自分の下肢だ。

 何だよ、真に二つまっぷたつじゃないか。

 自分の状況を検分し、駄目出しをするように声なく叱咤した。ずるりと這いずりながら、分かたれた下肢へ寄りいざる。

 此処ぞという機会チャンスの競り合いを、完全には制しきれなかったこと。いかに強度のない身体といえ、こうも見事に裂かれてしまったこと。

 フィニットの中で、それについての強烈な悔しさが滔滔とうとうと満ちていく。

 下肢、足先に、手が届いた。引き寄せる。無様なるそれは、けれど未だ身体としての形質をしっかりと保っていた。

 微かな呻きを洩らして、フィニットは自分の足先を掴み、握りしめる。一緒に握り込んだ砂礫が、悔しさを示すようにキシキシと鳴った。

 フィニットの頭上から、バラトシャーデが悠々と見下ろしている。突き刺さる如き視線に沿うように、巨大な刃を備える長腕の切っ先が向く。

 兇悪な刃鳴りが響き、構えは真っ直ぐ、フィニットの頭上。

 今の状況の全てが、フィニットの置かれる状況の「最悪」を裏打ちしていた。

 それは認めざるを得ないだろう。けれど、この状態となってなおフィニットは、自分の最悪をはしても、最善をてはいなかった。

 腕を張り、支えの限界まで身体を起こす。他の感覚まで覆い尽くしかねないほど痛みが奔ったが、真っ直ぐ顔を上げてバラトシャーデを睨み据える。 

「ほう、自らの無様を悔いる性根はない、と。」

 フィニットの態度の意味を、バラトシャーデは正確に汲み取った。そして、だからこそ、という顔で言葉を続けた。

「ならば、その気概を買って、貴様の生命鉱石も俺が有意義に使ってやろう。先に喰われた奴共々、無力のきわを永劫に味わいながら存分に俺の糧となるがいい!」

 バラトシャーデが、優越をあふれさせるように放笑する。長腕の切っ先が、貫く先を定めて止まる。

 それでも、フィニットに怖じ気はない。ただ真っ直ぐ、ただ強く、相手を睨み据えることを選択する。

 仇敵の同胞を蹂躙するという行為への期待からだろう。バラトシャーデの挙動は、何処までも迅速で円滑だった。

 狙いのは、フィニットの顔の真正面。鼻梁の根に、ガキン、と石を砕くような音がたつ。

 切っ先を突き立てられた衝撃から、眼窩への、眉間への、頬への、細かくいびつなひびが奔る。が、バラトシャーデの動きは、切っ先を突き立てるだけに終わらなかった。

 ズリ、ズジ、と、フィニットの身体組織を擂り潰すような音をたて、更に深く突き刺される長腕。それはむしろ、あえて大きく破壊しないための慎重さを以て、フィニットを貫いていった。

 その慎重さは、このあとに行われるであろう終焉とどめが何なのか、あえて予測させるために残された余地、与える恐怖を弥増すための反転された脅嚇きょうかくだ。

 それを以ても、フィニットの視線は臆することなく強くバラトシャーデを睨み据える。

 悔しさがあった。意地があった。だが何より、この状況であってもはっきりとことができた。

 自分の身体が砕けるというのは、既に経験した。そして今度は、身体を真っ二つに斬断されるという経験をした。

 監獄星で指摘された、自分の身体が砕けることへの「恐怖心」を否応なくを理解して、それを経て、ならばあとは何がのか。

 今のこの状況は、「受動なった」ものではない。「能動した」という結果だ。そして、全てがられたからこそ、自分はやっと「できる」のだ。

 だが、真に此処へ届くために、あとひとつ、生半なまなかならぬ試練がある。

 無論、フィニットはそれを超えることを躊躇ためらわなかった。

 強い意志を以て見開く眼瞼それが、不意に、だしぬけに、でたらめに、ひくひくと震えだす。

 無論、これはフィニットの自発的動作ではない。

 震えたのは。

「あ、ぁ、ぐ……ぁあ!」

 震えに乗るように洩れ出る、不規則な、断続的な叫び。

 それはついに始まった。

 突き立てられただけであれば、そんな震えなど起こりようはずがない。それは他動による現象、つまり、バラトシャーデが長腕から送り込んだ超音波の振動によって引き起こされたものだ。

 振動の毎に、罅が波及的に拡がる。滑石なめいしにも似た膚面はだえが、石礫いしくれとなり、礫片つぶてとなり、微塵つぶと化す。

 バラトシャーデは、其処に現れる変化を愉しむように、そしてより内部から破砕するために、長腕の侵入を深めた。

 長腕をつたう振動が破砕を及ぼす。突き入れられた鼻根を基点に、フィニットの顔、頭、そしてついに、首から下に。

 低く重くれ鳴っていた振動音が、唐突に途切れた。瞬間、シャーン、と全ての物質の抵抗が抜け落ちたような、ひときわ高い音に切り替わる。

 それは、フィニットの身体の稜線が崩れた音。

 完全に。身体の全て、頭部のあるも、フィニットの手が掴んだも、の身体の稜線がざらざらと崩れきっていく。

「ハッ、ハ……ハハハ……ハハハハハ!」

 その瞬間に響いたのは、まさに「あふれ出る」という表現がふさわしいほどの喜喜たる笑いだった。

 押し出されたような一音を皮切りに、同じ音が延々と連続し、渦動かどうするが如き拡がりを以て響き渡る。

「どうだ、これでもまだ勝ちをほざくか? ほざける口どころか、身体すら崩れ去ったこの様で!」

 形を無くし、砂礫の上に大小の微塵としてまき散らされてなお、きらぎらしく輝いている「残骸」に向け、バラトシャーデは高らかに宣した。無為にして無惨なる塵塊と成り果てたそれを、バラトシャーデは幾度も突き崩し、踏みつけ、にじる。

 其処に得るの感触は、己の怨敵が抱くであろう至大なる絶望とその様を、バラトシャーデに存分に想起させていた。その絶望を、より色濃く、より確固とする仕上げとして、節くれた腕肢をきらつく塵芥の中に差し入れ、ざりざりと掻き散らすように無遠慮に探り始める。

「……これか。」

 喜悦を含んで短く吐かれた言葉は、探りの手が目当てのものをほどなく見つけ出したことを示していた。

 そのままそれを掴み、引きずり出すように持ち上げ──ようとして。 

「! ……な、んだ……?」

 手中にあるが、塵芥の中から今しも姿を現すという瞬間、狼狽のような疑問、疑問のような狼狽が、バラトシャーデの口をついて出た。

 持ち上げようとした手に、あり得ないはずの抵抗、或いは摩擦のような「重み」。慮外をもたらされる感覚に、満面に浮かんでいた喜悦が、見る間に疑問の色に取って代わられる。

 そんな僅かな変化の間にさえ、重みは増す。しかも、粘体の如き挙動でバラトシャーデの腕肢に張り付き、ざわざわと這い上がり、まといつく面積を拡げていく。

 得体の知れぬ挙動。バラトシャーデにとっては、全く予期せぬことだったに違いない。

 まといつくそれを振り払おうと腕肢を振り、拭い取ろうと外殻をこそぐ。だが塵塊は、否、粘塊は、まるでその動きを読んだかのように、器用にそのかわして迅速に拡がり続け、ついにはバラトシャーデの「頭部」以外の体表を、くまなく覆い尽くす。

 事此処に至り、バラトシャーデとて明確に察したはずだ。「これ」が何の脈絡もなく起こった現象ではなく、の確固たる意図によって起こされたものであることを。

 そしてそれが「なにもの」であるかなど、最早問うまでもない。

「何だ! ……何のだ!」

 故に、問うのはその意図だった。狂乱めいてあがる叫喚わめきには、それまでならば決して存在しなかった、たじろぎの気配がある。

 或いはこれは、問いですらなかったのかも知れない。

「くたばり損ったか……! ならば今度こそ、完全に雲散霧消するまで砕ききってくれる!」 

 激昂と殺意に満ちた叫びが上がった。

 今度こそ一片ひとかけの残骸すら滅さでおくべきか。兇然たる叫びから、バラトシャーデがそう考えたのだろうことは、想像に易い。

 ヴォンッ、と異形のたけぶような音。再び、極限まで出力を上げた超音波を体内から発生させ、己に張りつく粘塊へと叩きつける。

「そのまま微塵に消し飛べ……!」

 対象への絶対の必殺を期した、甚大な振動と衝撃、圧と熱。周囲の空気をもさつかせるそれを喰らい、粘塊は一瞬で「流体」と化す。激しく震えて沸き立つように波立つ様は、さながら苦痛にのたうつ下等動物のようですらあった。

 だが、それこそが「起点」だった。

 波立つ流体の「下」で、何かが、カタ、と鳴る。ひとつのようで、ひとつではない鳴りそれらは、カタカタとざわめくように重なりながら、バラトシャーデの身体のから鳴り響いていた。

 其処に、ギ、と何かがたわむ音が混じる。それが、ギギギッ、と不規則に連なり、やがて、バギッ、と甲高く裂ける音に取って代わるまでには、然程の時間も要せず。

 バラトシャーデの外殻に、見紛いようなく奔ったひとつの亀裂。その亀裂を端緒にして、連鎖反応のように無数の亀裂が奔り、亀裂同士の隙間を、更に裂くように新たな亀裂が奔って、たちまち外殻表面を埋め尽くしていく。

 その間も、カタカタと鳴り騒ぐ音は止まなかった。むしろそれまで以上に容赦なく外殻を叩きつけ、やがてついに、外殻を無数の破片となさしめる。

──残念だけど、悪あがきじゃないんだ。

 鳴り響く音と共に、「声」が届く。

 ささやくようなそれは、先の音と共に、バラトシャーデにまとわりつくが発したものだった。

「……ぎィ、ザま、ああ、アァァ──!」

 その瞬間にあがったのは、絶叫。砕け散る赤褐色の中から聞こえるそれは、此処へ至るまでに繰り広げられた戦闘において、初めてバラトシャーデからあがる、怒号と恐怖を示す叫びであった。

 超音波によって発生する振動は、ときに強固な物質をも破壊する。だが、ある条件下においては、その「振動」が「振動を発生させている」それ自体を破壊することがある。

 たとえば──たとえば、振動の発生源がに存在するとき。

 振動の発生源の周囲に微細な気泡が生じ、強く圧縮され、最終的に圧し潰される。その際、気泡を圧し潰した圧力が、消滅した気泡中央で衝突することで、「圧力波」が発生する。

 むろん、それ自体はごく微細だ。だが、これが「膨大に」、それも「至近に」生じたならば、話は別である。

 外殻が砕ければ、残るはそれよりな部分。肉といわず器官といわず、バラトシャーデの身体を構築する組織の全てが、鳴り止まぬ振動を叩きつけられ、ぶちぶちとはじけ、引きつぶれ、根こそぎに破壊されていく。

 自分の身体そのものを仕掛けに、相手の発した超音波の威力を取り込んで、ダメージとして倍加累乗に変換、輻射。これが、対バラトシャーデとしてフィニットが組み上げた「特攻こたえ」だった。

 外殻ごと崩れていくバラトシャーデの身体の、かろうじて残る体幹をつたって、流体のフィニットは這いのぼる。狂騒の叫びをあげる頭部へと。

 そして、まるでバラトシャーデから生えるようにしてを形作り、その頭部を包み込むように込んだ。

「  お  レ、ヲは かいす、る  か、」

 フィニットがこれから何をしようとしているのか、悟ったのだろう。バラトシャーデが、でたらめに区切れた低い声で言葉を発した。

「そゥな、  れ、ばコ  のち、きゅう、じ  ンがど、うナ  る、か」

 いびつに途切れるバラトシャーデの声が、蝦名の顔で、蝦名の口から吐き出された。

 不穏を帯びて出るそれは、フィニットの躊躇を思考の陥穽と見て、この不利を覆すべくを盾に吐かれる、脅迫であり恫喝である。

 それまで文字どおりになめらかに流れていたフィニットの動きが、ひたりと止まる。

 僅かな、躊躇のような静止。バラトシャーデの頭部を抱えるフィニットの腕が、かすかにさざなみ立つ。

 精神のが、文字どおりの物理事象として、其処に現れていた。

 動揺が影響して、流体のなめらいが鈍った。バラトシャーデの身体を叩く振動が僅かに弱まったことで、バラトシャーデがほくそ笑む。

 たとえばこれが、フィニットでなくレジェンドたちであったなら、如何なる悲苦を伴おうと、決意した行動を止めることはなかったに違いない。

 未だ拭い去り難い「恐怖心」が、フィニットの中にあった。

 ただし、「自分が砕ける」ことに対してではない。この恐怖心は、「守りたいものを守れないこと」に根差したものだ。それは、自分の身体が砕けるなどということより、はるかに「おそろしく」「こわい」ことなのだと──

──だからこそ、守るんだ

 この空隙くうげきに、あえかな「声」がした。それは自分フィニットのものではない。勿論、バラトシャーデのものでもない。

 しんと静かな、りんと澄んだ、そして、ぴんと諭すようなそれは、或いは声ではなかったかも知れない。けれど、それは確かに響いた。

 フィニットの抱えるバラトシャーデの頭、その首の下から、「声」と共に、淡い青の光が明滅する。その光が、フィニットの腕から流体の身体を透過して、フィニット自身をも仄かに明滅させる。

「……あぁ……!」

 細く絞り出すように、フィニットが「音」を洩らした。それは言葉どころか声ですらないが、極まった感情の発露、その表れを洩らさずにいることなど、できようはずがなかった。

 君だ。僕だ。

 其処に。此処で。

 君は。僕は。

 為すべきを。為すべきは。

「う  ぅルさ、い、ダま  れ、お  ぉオれ  のな、かデさ、わ  グな 、!」

 バラトシャーデがもがく。フィニットと「声」とで交わされるものが何なのかはわからないようだったが、それが自身の体内にりんりんと響きわたるたびに、強烈な不快を引き起こしているようだった。

 砕けた身体の片片へんぺんが、更にもろもろと崩れ落ちる。が、バラトシャーデはそれすら厭わず、青光る咽喉のどを自らの手で掻きむしり、不快の元凶を抉り出そうとしている。

「させないよ。」

 短く言い切って、フィニットは笑顔を浮かべた。

 確かに自分は躊躇した、動きを止めた。けれど、自分がどれほど未熟で、どれほど至らないとしても、まで否定する必要はないのだ。

 青い明滅が、不断に輝く光に変わった。フィニットは、バラトシャーデの「頭部」を、改めてしっかりと流体の身体で抱え込む。

「そうだ、は、なんだ。」

 宣言だった。何よりも、誰よりも、自分へ誓う言葉だった。

 フィニットの発した声に、りんりんと響く「声」が重なる。それは更に、バラトシャーデを砕く振動と重なって、共振し、共鳴し、増幅され。

「ヨ、せ  やメ、 ろ、   ろロォお、ぉオオオお  お    」

 バラトシャーデがする。巨大な身体のあらゆる部分が、外から、内から、りんりんと鳴り響く振動に曝され──

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