第48話

「何でだ……何で当たりやがらねぇ……!」

 ギシギシと奥歯をきしらせ、顔をゆがませ、アンティアヴィラタは怨嗟えんさをうめく。

 見えない弾丸の奔りも、速度も、鳴らす指にも遅れはない。

 だというのに、狙った「標的」は、それをいとも容易く、無造作に避けていく。弾丸は見えていないはずだが、先の折には至るところで見られた動きの無駄が、今は全くと言っていいほど見られない。

 此方の意図を察しているかのように軽快な動きで、飛び来る弾丸を躱し捌いていく標的に、アンティアヴィラタは焦燥をつのらせる。

「オイオイオイ、どうしたよ? ずいぶんと遅ェ弾になってンじゃねェかァ?」

 その焦燥を知っていてこその煽りだろう、笑う標的の声は、明らかに優位者のそれだった。己を僅かに見下ろす位置から、鼻を鳴らすように余裕たっぷりに響く揶揄は、今この場のアンティアヴィラタの劣勢を否応なく突きつけてきた。

 動きの余裕は精神の余裕を生む。逆もまた然り。つまり、こちらよりも標的の方が余裕がある、ということだ。

 何故だ。

 本来なら、アンティアヴィラタこそがその立場にあるはずだ。だが、現実として、「標的を追っている」側ではなく、「標的を追わされる」側になってしまっている。

 繰り出す弾丸をことごとく躱しおおされた挙句、後手に回らざるを得ない現実は、アンティアヴィラタに甚大な疲弊と苛つきを抱かせるに十分すぎた。

 積み上がる苛立ちをそのまま叩きつけるように、アンティアヴィラタは再び指を鳴らす。意図どおりに視界から消え、変化する弾丸の進行方向。

 だが、その直後。

 アンティアヴィラタは、更なる衝撃と驚愕を突きつけられることになった。

 標的が、周囲を窺うように視線を鋭くした。次瞬、軌道を変えた弾丸が、ヴンと低くうなりを上げてその斜め背後に出現する。

 立っていた虚空を強く踏みしめた標的が、そのまま大きく飛んだ。飛んだ先で続けざま、転身するようにもう一度力強く虚空を踏む。

 すれば、その場所を二発目の弾丸がほんのわずかに遅れるタイミングで突き抜けた。

 其処に、標的が弾丸を探して視線を動かすような様子は見られなかった。

 些細な差。だが、確実に「わかっている」からこそできる「些細」であった。

 つまり、標的はアンティアヴィラタがどう仕掛けてくるのか「最初から」読んでいたのだ。あまつさえ、標的は突き抜けた弾丸が再び消える前に、全く狙いすましたように、光波でそれをゆく。

 バァン、と炸裂音。この音と共に、標的に迫っていた弾丸は爆ぜるようにした。

「まずひとつ、ッと。初っ端とか、幸先イイじゃねェの。」

 標的が言った。自信に満ちた声で、得意げに。

 その言葉から察するに、弾丸の質を見分けての命中ではないらしい。が、それが何だと?

 そんな些末事より、「標的が弾丸に追い立てられることを恐れていない」という事実の方が、アンティアヴィラタにとっては大きな問題だった。

「いや、ならばさっさとブチ当ててやればいい……そうだ、それだけのことだ……!」

 腹底から湧く動揺と怒気を抑え付けようと、冷静ぶった言葉を吐き出す。が、一度傾いた趨勢を取り戻すまでには至らない。

 標的はそんなアンティアヴィラタを見透かすように、更なるな動きに出た。

 虚空を強く踏み込み、脚を蹴上けあげる。しなる身体が、脚に続いて虚空へと跳ね上がり、アンティアヴィラタの視界から、標的の姿が消え失せた。

 ゴッ、と鈍くも明確な打撃音。遅れて、疾風が吹き捲くような風切り音。

 まさか。

 起こったけはいより早く、自分の身体が鳴らした音を聞くなど、ある得るはずもない。

 だが、事実それは起こった。起こったからこそ、この「現象」が意味するところを、アンティアヴィラタは思い知る。

 強烈な打撃だった。腹部を抉り込むような衝撃により、アンティアヴィラタの口から、ぐが、と吐き出されるうめき声。

 そのうめきも途切れないうちに、二打目が入った。

 喰らったのは顎。真下からの鋭い突き上げで、仰け反りながら打ち上がるように吹き飛ぶ。

 突き上げを喰らう直前、稲妻の閃く如き銀髪と、金色の爛光放つ双玉が視界をよぎっていた。

 何が、という問いは既にするだけ無駄。眼前至近の距離に現れたそれは間違いなく、自分が「ザコ」と見下していた標的、否、はずの相手の姿、その顔貌だった。

「……こんな……こんなクソザコにオレが……オレがあぁっ!」

 思わず口をいて出た言葉は、動揺と憤激に凝り固まる思考そのままの。

 吹き飛んだ身体を、それでも無理矢理にも押し留めて体勢を立て直す。「まさか」と「よもや」の反芻が、アンティアヴィラタに状況の否定と焦燥を渦巻かせる。

 打開を急くように手を挙げた。新たな弾丸の射出は、また三発。

 ヤツらの飛び道具では消えない弾丸。であればそれは、いくら撃とうが無駄でしかない行為だ。

 だが、先刻と同じく、相手はそれを撃ち続ける。消せる弾丸にそれが命中し、消滅してもなお、やめる様子はない。

 いったい何だというのか。そんな無駄を何故繰り返すのか。

 常なら、単なる闇雲や自棄と、嗤うこともできただろう。だが、疑念と苛立ちに囚われる今のアンティアヴィラタに、其処へ立ち戻る余裕は既にない。

 焦燥から鳴らす指は、最早幾度とも知れぬ数。そしてついに、その音が瞬間がきた。

「よっしゃァ! だ!」

 高らかに張り上げられた声。

 アンティアヴィラタの疑念がこれ以上なく膨れ上がる。いったい何が「当たり」だというのか。

 求める「解」は、即座に

 相手が、ぐんっと背を反らす。虚空に立つ足裏を基点に真下へぐるりと回転し姿をとる。

 すれば、ほんの今まで標的の身体があった位置へ、水平軸に真向かうの弾丸が同時に出現した。アンティアヴィラタを見据える逆さまの顔が、得意満面の表情を浮かべた瞬間。

 弾丸の正面衝突。甚大な衝撃の圧。僅か遅れて轟く炸裂音。吹き捲く爆風が囂囂ごうごうと荒れ騒ぎ、周囲の空気を一気に巻き込んで渦巻く。

 衝撃と爆風に激しく揺さぶられ、平衡感覚が喪失する。視界が暗転する。

 先の炸裂とも違う衝圧。叩きつけられるような感覚に目を剥くアンティアヴィラタだが、しかしその目を真に剥かせたのは、其処に起こった「どれ」でもなかった。

 地上の砂が、柱のように高く捲き上がる。ゴッ、と鈍い音がし、ぐげェッ、と潰れた声があがった。

 アンティアヴィラタの顔面に、鋭く重く強烈な蹴りが入っている。めり込むほどに込められた力に、グギ、と首の芯が軋む音が響いた。

「あ、が、ガがあグォあああァあああああああッ!」

 奔る激痛に吐き出される、音の潰れた叫喚さけび

 今度こそ、アンティアヴィラタは地に墜ちていた。

 落下の衝撃で高くそびえた砂柱が、撒き上げられた頂点に達して折り返すように崩れる。アンティアヴィラタの顔面を蹴り込んだ相手の足が、駄目押しするようにもうひと蹴りを入れて、そのまま軽やかに空中へ飛び上がる。

 何だこれは、この惨めは、この醜態は。オレが後れを、こんなザコに、何故だ。

 の文字どおりに落ち来る土塊や砂礫をかぶりながら、見る間にその中へ埋もれていくアンティアヴィラタが、打ちのめされたようにうめきを繰り返す。

「こないだのだ、陰険ヤロウが!」

 意気揚々の声がした。晴れがましいほどに響き渡るその声こそ、今この場の「優位」がどちらにあるのかをアンティアヴィラタに突き付けるものだった。



  眼下には、うずたかくきらつく砂塵の山。

 渾身の蹴りをアンティアヴィラタに喰らわせたノーティは、これでひとまず、はらの底に溜まり続けた留飲を下げることができた。

 それでも。

「……この程度で、あのがくたばるワケねェよな。」

 絶対に勝てる、その自信はある。だが、ノーティは警戒した。

 ちらりと上空を見上げる。すがしい空を抉るように忌々しく開いた毀裂は、今も不気味に赤黒くうごめいている。

 アンティアヴィラタの操る「弾丸」は、この毀裂から供給されるエネルギーを物質化したものだ。そして、この弾丸の「上限」は「三発」で、うち一発は必ず「消える」ものとして現れる。

 あまりに馬鹿馬鹿しいことだが、あのときの自分は、そんな、誰でも気付きそうなことすら見えていなかったのだ。

 リテラに戻る船の中、ノーティとフィニットは監獄星で自分たちが得たものを確認すると同時に、自分たちの負け戦についても改めて「おさらい」をした。

 その中で、実は活動員として学ぶ膨大な座学の知識のひとつに「異次元勢ヤツラ」についての情報が存在した、と聞かされたノーティは、過去の自分をブン殴りたくなった。

 知識の詰め込みは、確かに自分の得意分野ではない。それは事実である。

 けれど、不得手だからと学びを投げ放し、なおざりにした。あまつさえ、それを必要とする肝心の場面で、「教わったことがある」ということすら思い出せなかった。

 学びの足りなさは元より、それすら「何とかなるだろう」と放置したこと。そしてその怠惰と惰性が、まさにあの「負け」を招いたのだということ。

 忸怩じくじと後悔にまみれながら、しかし、今度こそ知った。それを覆すためには「実践」あるのみだ。

 自分の力を、おごりも卑下もなく捉え、冷静に見る。自分を正しく見る目を持つ。それができて初めて、対峙した相手を正確に見ることができる。

 今は、自分の自信を保つことも、それを支えるだけの力もつけている。だがそれが、自分の在りよう次第でいつでも「ひっくり返りかねない」ものだということは、肝に銘じておかねばならない。

 アンティアヴィラタの「跳弾」は、確かに「単純」この上ない仕掛けタネである。だが、その「単純」を単純に思わせないように動く、これこそが、アンティアヴィラタの何よりもの「強さ」の理由だ。

 周到な「めくらまし」は、仕掛けさえ悟られなければ、として十分な威力を発揮する。たとえば、あのときの自分のような「周りが見えていない相手」に対してなら、その効果は絶大だ。

 だから何より「見る」ために、まずは「一発」を消すことを専心した。三択が二択になる、それだけで判断の煩雑さが減じ、動きに余裕が出る。

 消えない弾丸に当てるのは、つまり、その「一発」を探し出すための「必要な無駄」だったのだ。

 そしてノーティは、これをする中で、予想外のが生じていることにも気付いた。

 弾丸の速度が、ごく僅かに落ちている。

 先の戦闘で、アンティアヴィラタは言った。これは「こちらの飛び道具では消せない」弾丸なのだ、と。

 喰らえば甚大な被害を喰らうことに変わりはない。けれどこのことで、「たとえ消せないとしても速度にことはできる」ということがわかった。

 だから、延々と当て続けることにした。弾丸の速度を落とし、飛来のタイミングを僅かずつ操作し、交差のタイミングをた結果が、あの「弾丸の正面衝突」だ。

 無論、これを成功させるには、曲芸めいた緻密さと馬鹿馬鹿しくなるような根気が必要になる。けれどノーティは、今度こそそれを怠らなかった。

 一見無駄に見える動きを、こつこつと念入りに繰り返す。こちらの意図が理解できないアンティアヴィラタにしてみれば、全く意味不明な、疑念をかき立てる行動だったに違いない。

 だからこそ、これを成功させた「効果」は、アンティアヴィラタにも、自分にも大きなものになった。

 何しろ、これが先のノーティであったなら、仕掛けに気付くどころか「自分がどういう状態にあるか」にさえ思い及べないでいたのだから。

 力が強いことがだけが、「強さ」になるのではない。力を発揮できるように動いてこその「強さ」なのだという至極当たり前のことを、ノーティはつくづくと思い知らされた。

 ──そりゃクソオヤジに勝てねェわけだぜ。

 敵と対峙する真っ最中という場面にありながら、ふとよぎる感慨。

 ノーティが何より目指した、憧れた、自分の父親の「強さ」なるもの。あれもつまり、そういう「研鑽と緻密」に練られたものだからだと、唐突に腑に落ちる心地がした。

 この場の何処かには、その「父親クソオヤジ」もいる。為すべき役目は異なっても、ノーティがどう動くのか、とっくりと見ているはずだ。

 衛星埠頭フィロルで自分に向けられたあの「眼」を思い出す。突き放すようなあの冷厳に対して、けれど今はもう、怖じ気は感じない。

 あんな無様は二度としねェ。自分自身に言い聞かせて宣言するように、腹をくくったとき、見下ろしていた砂塵の山が、下から波打つように動くのが見えた。

「……おッ。」

 洩らしたのは、一音にも満たない声。その微塵ほどの間に、波打ちはざわざわとざらつく気配を増し、やがて噴水ならぬ噴砂ふんさとでも呼べよう様相を呈していく。

 このあとに起こり得ることを予想し、ノーティは身構えた。そうなることはわかっているのだから、心身に怠りはない。

 だが、そのは、予測されながら予測を超えた挙動を見せた。

 ガァンと、あの銃声に似た音が鳴る。同時に、噴砂が「爆発」する。

 其処に現れたのは弾丸ではなく──

「イイィィイイイイ気になるなよぉおおおクソザコがぁああああ……!」

「……そう来ると思ってたぜ!」

 いびつに響く叫びに対し、ンな予想は当たらなくてもいいンだけどよ、と悪態めいたことを思いながら、ノーティは、身体を丸めるようにぐっと縮こまらせた。

 攻守を同時に担うめの挙動。「この時点での避けは効を成さない、ならば真っ向受けるのみ」という判断から、あえてことを選んだからこその態勢。

 衝撃。速度と衝圧のこもる一撃が、身構えるノーティの身体を強烈に揺らす。体当たりのような一撃は当然、ただ一撃で終わるはずがない。

 いびつの叫びをまとうアンティアヴィラタが、近接の間合いに迫る。

 積怨と憎悪に歪む怨形おんぎょうの相を浮かべて繰り出されるのは、殴打蹴撃刺突の入り乱れる多段の迫撃、滅多打ち。そのひとつひとつが、これまで以上に重く、速く、鋭いものであった。

 かろうじて空中に踏み留まるノーティの周囲で、見舞われる衝撃のたび、辺りの空気ごと場が揺れる。打撃の数と勢いが、ノーティの踏ん張る位置を、少しずつ押し込むように下げていく。

 相手を感情に奔らせて隙を突く、という方法は、ときとしてこういったに見舞われることと紙一重だ。見誤れば、隙を突くどころか、相手に巻き返される危険さえある。

 だが、ノーティとしてはこのまましきられるわけにはいかない。ようやく巡った意趣返しリベンジのために、此処は避けて通れないなのだ。

 より強力な一撃を喰らわすため、アンティアヴィラタが腕を大きく振り上げる。

 ソコだ! ノーティが、守りの姿勢で窺い続けていた視界に、大きなが開いた。この隙間が見えるようになったことこそが、何より自分の進歩だということを、ノーティは自覚する。

 先の「負け戦」で、アンティアヴィラタは完全に自分よりも「格上」だった。

 それを、今まさに凌ぐところへきた、のだ。

 挙動は簡潔に、速度は迅疾じんしつに、衝撃は強烈に。

 その機を逃さず、アンティアヴィラタの腕が振り下ろされるより更に速く、ノーティは身体の内側にため込んだものを、外側の一点に集約し、一気に放った。

 重く速く鋭い打撃は、最早相手だけの芸当ではない。これまでに受けた攻撃を、丸ごとぶつけ返すような勢いで拳を繰り出せば、ゴボォッ、と粘質な何かががあふれ出るような、気色の悪い音がした。

 ノーティの拳を腹に喰らったアンティアヴィラタが、赤黒い何かを口から吐き出し、撒き散らしながら再び地へ向けてへ吹っ飛ぶ。

 これまで放ったどの拳より、酷烈な手応えがあった。

 そのまま、血溜まりのような様相で赤黒い粘塊をぶちまけて、アンティアヴィラタが砂の上に叩きつけられる。喰らわせた勢いと速度は、たとえその先が砂であろうと、鋼鉄の塊にぶち当たったような衝撃と威力をもたらしただろう。

 粘塊の中、愕然の表情でうめきをあげるアンティアヴィラタ。決定的な勝敗の趨勢と結果は其処に現れていた──と、おそらくその光景を見るほとんどのものの目には、そう見えたことだろう。

 が。

 出し抜けに、狂騒的な笑いが響いた。

 ゲラゲラと、ときにゲタゲタと、高低の定まらぬ不協和音が、全く一定しない転調を重ね、ひたすら垂れ流される。

「イひ、ヒ、ひハハハ! クソザコが……それでオレに勝ったつもりかあぁ?」

 癲狂てんきようめいた笑い声の隙間に、地這じばうような呟きのような声が捻じ込まれた。

 上空の毀裂が、狂乱を掻き鳴らすような笑い声に共振する。不快と不穏を掻き立てるを発しながら、のたうつように蠢動しゅんどうするその様は、さながら毀裂そのものがゲラゲラと笑い出しているようにすら見えてくる。

「何ンだこれ……?」

 それまでになかった異様の状況に、ノーティが顔をしかめた。空気の密度が、気配が、に濁り、こごっていく。

「おいスピンガス、力を寄越せ! ……ぁア? ンなコト知るか! ……オレは使いッ走りじゃねぇ、ヤツを先にりゃ帳尻は合う! 四の五の言わず寄越しやがれ!」

 亀裂を見上げ、暗い赤にこごる目を、爛爛と凝然ぎょうぜんと見開いて、アンティアヴィラタがに向けて叫んだ。理性の一切をかなぐり捨てたような不快で甲高い叫びだった。

 その叫びが、異様の哄笑を響動どよもす毀裂に届くや否や、あらゆる聴覚を奪いろうするほどの轟音と共に、赤黒い雷光の如き極太の柱が、砂塵の上に転がるアンティアヴィラタのいる場所へと落ちてくる。

 砂塵が津波のように高く割れた。果途はてどない轟音は地鳴りを波及せしめた。

 ビキ、ギギキ、ゴキギギギ……

 その真央しんおうで、赤黒の粘塊にまみれていたアンティアヴィラタの姿が粘塊ごと立ち上がり、見えざる何ものかの手によってぐちゃりと捏ねられるように歪んだ──かと思うと。

「……ブッ死ねぇ! クソザコがああああぁあぁ!」

 まともな音階などまるで伴わぬ、「声」と同じ響きながら声ではない叫びがあがった。それも、上空で哄笑する毀裂から、だ。

 同時に、毀裂が嘔吐するような挙動をした。この状況に唖然としていたノーティだったが、瞬間的判断で、自分の身体を弾き飛ばすように後ろに飛び退く。間をおかず、ノーティの背よりも大きな赤黒い巨大な塊が、寸前までいたその場所に豪速で降ってきた。

 爆発。張ったバリアに、爆発で飛び散った汚猥の如き何かが付着する。一気に焼き剥がして落としはしたが、その量はあまりに膨大だった。

「あ……ンのヤロウ、まだそんな力がありやがったのか……!」

 言葉が出せたのは、更にその数瞬あと。イヤというほど身体に覚え込ませた動きで何とか避けはしたものの、もしこのとき、下手に回避のための思考などしていれば、あれを避けることは叶わなかっただろう。

 それほどにギリギリの回避だった。

 反撃は予想していた。だがその程度は、全く予想以上のものだった。焦りこそないが、張り詰める緊張の度合いが桁外れに増していく。

 そして見た。

 粘塊を焼き落として明瞭になった視界に、ノーティは、ものを見た。

 逆三角状になった甲細板こうぼそいたが、多段多重に重なり合って形成された頭部。頭部の両端に、不定形の線輪コイル状器官が非対象に生え、先端には艶のないどろりとした赤褐色の目玉が、キロキロとせわしなく拡縮しながら動いている。

 頭部に繋がる円柱めいた平樽ひらだる型の胴体。その体側たいそく両側には、奇怪な平襞ひらひだ状の付属肢が幾重もぞろりと生え並び、ぞわぞわと波打っている。そしてその一番上と下に、太い支柱のような態で生える、灰褐色の太い節足がそれぞれ二対。

 それは、アンティアヴィラタの姿、だった。

 最初にまとわれていた白は既に微塵もなく、粘塊の赤黒い色をそのまま染み付かせたような、最早ヒト型ですらない形状をしたもの。

 だが、それ以上にノーティをぎょっとさせたのは、自分に向けられる怨念めいた狂気の感情の発露のような、どす黒い思念による圧迫感だった。

「何ンか……結構ヤベェ感じ……か?」

 口許だけを笑う形に、しかしひりつくような感覚で洩らした声は、自分自身への警告アラートであった。

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