第47話
「ひッでェことしやがって……!」
低く重く、うなるように声が出る。強く吊り上がる眉、爛々と剥くように
其処にあるのは怒り。それも「発露」というより最早「体現」とでもいえる形相である。
船から出て眼下に見た光景は、それほどまでにノーティの怒りを刺激した。
表情こそ気丈を保ってはいるが、ひかりは正真正銘、ただの地球人だ。精神力で保てたとしても、身体の傷や痛み自体をどうにかできるわけではない。下手に時間が経てば、負った傷が悪化する可能性すらある。
「だからこそ、一刻も早く助けなきゃ。」
その思いは、横のフィニットも同じだった。
平らかで静かな同意の声は、けれど、ともすればノーティ以上に怒りの色をまとっている。形良い眉根は常より深く寄せ刻まれ、噛みしめるように結ぶ口は、決意の強さを示すように
ひかりにこれ以上の仕打ちがあってはならない。帰ってきた自分たちを信じ、懸命に気丈を保っているのが、手に取るようにわかるからこそ。
どうあっても助け出さねばならない。ふたりの決意は、内にも外にもみちみちと強まった。
「ザコはどんだけ集まったところでザコ、ってのは前にも言ったけど、未だにそれがわからないなら、キミたちはやっぱりザコ以上にはなれないってことだね。ま、今回は十分な観客もいるわけだし、無様な負けをしっかり見届けてもらうには申し分ないシチュエーションかな。」
「そうだな。そりゃもう目にも見事な負けっぷりを堪能できるだろうぜ、……テメェの、よ?」
アンティアヴィラタの吐く嫌味たらしい煽り言葉に、けれどノーティは、口端をニンマリと吊り上げながら煽り返す。
「ナメた口を……!」
ふてぶてしいノーティの態度に、アンティアヴィラタは一瞬、わなつくように腕を振るわせた。目深気味に被った白のボルサリーノを頭上に引き上げながら、上空の毀裂にも似る暗い赤の両眼で、ノーティをギロリと睨み上げる。
殺意の塊のようなその視線を真っ向から受け取って、ノーティの口許に浮かぶニンマリは、よりくっきりと刻まれた。
「ヘッ。ナメてんのはどっちかって話だ。けどまァ、この際ハッキリさせとこうじゃねェの!」
言いざま、ノーティが飛び降りるように落下する。もっともそれは、落下どころか、まるで重量をかけて全力で打ち下ろす槌のような速度で行われた。
空を裂くような音、直後の、衝突の圧と音。落下の挙動と不意以上に、その速度を避けきることができなかったアンティアヴィラタが、ノーティに蹴落とされる状態で遙か真下へと追い落とされる。
「ザコ風情が……上等だ!」
蹴落とされながらも発された怒声、それと同時に、ノーティの足先にあった押し込む感触が、即座に反発に変わる。
いっそ地上まで墜とすくらいのつもりは当然あった。が、たかだかこの程度の攻撃でどうこうできる相手ではないことも、無論わかりきっている。
地上に墜ちきるまであと少しというところで、アンティアヴィラタの落下が鈍った。此方の勢いを止め、踏み留まることに成功した、ということだろう。
そう簡単にいくはずがないことはわかっていたが、悔しいものはやはり悔しい。ちぇッと不満の舌打ちを鳴らしたノーティは、改めてアンティアヴィラタと対峙した。
「初手は……まァ上々、か。」
真正面、やや見下ろす位置に陣取ったノーティは、小さく口の中だけで呟く。
とりあえず、ひかりが囚われている柱から、
初っ端にアンティアヴィラタを蹴落としたのは、先手からのイニシアチブを取るのは当然として、こちらの「優位」を確保する目的がある。更に言えば「上」に陣取るのは、射線の把握と操作という点においても有効だ。
「多少は頭を使ってるようだけど、所詮は多少だよ。そういう意味では、……まぁ最初だけでも花を持たせてあげるものも悪くはないかな。」
白のボルサリーノを傾けたアンティアヴィラタが、吊り上げた片目を覗かせる。言動こそあっさりとしたものだが、赤暗く尖るように
だが、これはこれで厄介な状況であることも、今のノーティには理解できている。
出鼻をくじきこそしたが、ヤツの言ったとおり、それこそ「多少」のことだ。奇襲を使っての不意の一撃、それを以ても蹴落としきれなかったということは、今はまだ相手を完全に凌駕できているわけではない、ということでもある。
そもそも、この程度のことでアンティアヴィラタが自身の優勢を疑うことはないだろう。むしろ、怒りを煽られたことで、こちらに対する容赦は不要と判断したはずだ。
「ま、オレの本気も試されてるってこッたな。」
それでも、ノーティは今の状況をひとまず歓迎する。どのみち、自分がやるべきは決まっているのだ。
「……ああいう先手必勝は、僕には無理だなぁ。」
眼下で対峙するノーティとアンティアヴィラタをちらりと見遣ったフィニットは、しみじみと感心するような呟きを洩らす。
言いながら、こちらも隙なくバラトシャーデを見据えた。
「安心しろ。貴様は先手を打つどころか、何もできないまま砕かれ屑石になるだけだ。」
「たとえ砕かれたって、要は最後に勝てばいい。僕はそう学んだよ。」
脅しのように迫るバラトシャーデに、フィニットは堂堂と胸を張って答えた。自分の返した言葉の意味を、反芻するように深く噛みしめながら。
「勝てばいい、か。だが、勝つべき己の存在が砕けて消え失せて、何が勝ちになるというのだ? いや、或いはその威勢自体がただの自暴自棄か。」
バラトシャーデが、フィニットの言葉を嘲笑う。侮りこそ含まれていないものの、愚かな無謀を口走る弱者を睥睨するような、強者の態度がありありと現れていた。
「お前には理解できないだろうね。だからといって、それを説明する気は僕もないけど。」
向けられる威圧や恫喝に屈することなく、まして跳ね返すでもなく、ただ整然と
「説明など不要だ……! 微塵になるまで砕けて、今度こそ死ね!」
予想外の態度を向けられ、バラトシャーデは大いに苛立ちを煽られたようだった。赤褐色の巨体をぐなぐなと揺らしての叫びざま、長の腕節を伸ばして鋭く振るう。
過去の戦闘において、彼我の絶対的な力の差を思い知らせたはずの相手の、揺らぎのない水面のような態度。其処にあって然るべき、恐怖や惑いすら浮かんでいないことに、バラトシャーデは更なる苛立ちを沸き立たせたようだ。
先ほど太郎が向けられたものと同じ、けれどより明らかな殺意の乗る矛先がフィニットを狙う。
大きく飛びすさってそれを躱したが、バラトシャーデとておめおめ逃がすつもりはないだろう。
現に、それを追って振るわれた腕節が、返す刀の如き動きでぐなりとフィニットに迫った。
続けざまに二撃三撃、更に
先の戦闘のとき、フィニットが完全に捕らえたと確信した網を破って届いた、あの不意打ち。脳裏によぎる記憶のそれは、当然今この瞬間にも喰らう恐れがある。
だがフィニットは、あえてひたすらに避け続けた。今は、そうすることに重要な意味があるからだ。
「相も変わらずこせついた動きを……鬱陶しい!」
苛つきもあらわに吐き捨てたバラトシャーデが、腕節の生えた側と逆の肩から、もう一本の腕節をずるりと生やした。見る間に長さを増して伸びていく長い腕節の先には、同じく鋭い爪刃の存在が見て取れる。
ヂッ、と鈍く響いたのは、その爪刃が、質量のあるものを掠めた摩擦の音だった。
「そうかな、お前ほどじゃないと思うよ。」
自分の右肩上部に刻まれた、指二本分ほどの太さの抉り傷。それを左の手で握るように押さえ、治癒光波を当てながら、フィニットは言った。
早速喰らっちゃったな。容易に埋まる力量差ではないことはわかっているが、やはりまだ、自分の方が後れを取らざるを得ないようだ。
だが、あるいはそれでこそ、今の時点では功を奏する。
──よし!
その瞬間、ノーティとフィニットの間に、言葉ではない相槌が交わされた。
先走りの態でバラトシャーデに攻撃を仕掛けたノーティ、攻撃に押される態でバラトシャーデに追撃させたフィニット。
ふたりのそれぞれの動きは、ひかりのいる場所から奴等を引き離す、ただそのためにこそ行われた。
身柄は未だ敵の掌中、当然ながら、すぐに助け出せるなどとは思っていない。
それでも、此処にいるのは自分たちだけではないのだ。この場の全てのナマートリュが、自分たちと同じく、ひかりを助けようとしている。
だったら、それを信じる。自分たちを信じて任せてくれる彼等を、自分たちも信じる。
為すべきを為せ。為すを為した先にこそ、成るものがある。
今からが、此処からが、ふたりにとって本当の意味での正念場。
切に祈るように、固く決意するように、ふたりはその眼に越えるべきものを捉えて「前」を向いた。
外の気配は、いよいよ以て張り詰めてきている。
だが、船の中に留まっているシンが、それを直接見ることはない。少なくとも、今のところは。
実際、己が出たところで何ができよう。己の今の
しかし、はたしてそれで
だから、だったのだろう。
「アンタはまだ出ンなよ? ひかりからヤツらの意識をそらすのに、アンタがいたら逆効果になっちまうからな。」
「バラトシャーデがあなたの存在に気付いた場合、奴はひかりの処刑を最優先にするでしょう。あなたも、それは何より避けたいはずです。」
船からふたりを下ろす際、くれぐれもという態でシンに告げていったのは、汲汲とするシンの心内に思い及ぶからこその、行動に先んじての釘差しだった。
辛辣ではあるが、それでもまっすぐに言い放ち、凝っとシンを見つめるふたりの目は、思った以上に冷静だった。
だからシンは、微笑んで頷き返す。
「……この場を君たちに任せること。それはもう、決めている。」
頷きながらに返した言葉の半分は本当で、そしてもう半分は嘘だった。
いや、あえて嘘とは言うまい。
確かにふたりに任せるつもりはあった。が、その「つもり」を確定したのが今この瞬間だった、というだけだ。
ふたりにしても、この状況で逸る気持ちがないはずがない。それでも、自らの希求よりも先に、あえてシンにそう言ったのは、言えるまでになっていたのは、間違いなくふたりの成長の
あの星に行く前と後で、ずいぶんと変わったものだ。
そもそも、フィニットにしても、ノーティにしても、地力がなかったわけでは決してない。ただ、自分の動かし方をきちんと理解できていなかった。
ふたりの先の「負け」の原因は、言ってしまえばそれに尽きる。
いくら周りが教導したとしても、傍目からどれほど見えていたとしても、ふたりが自分自身で理解しない限り、それは真の意味での「理解」へ至ることはない。
自分自身を知った上で、力を理解し、獲得し、発揮できるようになること。
ふたりをあの星に連れて行くことにしたのは、そういう意図も含んでのことだった。
ただ、あの星がいくら特殊な時間の進みをする場所であったとはいえ、特訓にかけた時間が十分だったかと言えばそうではないだろう。それでも、ふたりは懸命に学び、必死に体得した。
心の有りようが変われば、力の使い方もまた、大きく変化する。
ノーティは、「
なればこそ、戦闘の中でその「
フィニットは、自身の持つ「弱さ」を理解したことで、弱さの意味を反転できた。「力」というものが、必ずしも「強さ」のみで「力」たり得るわけではないことを、身を以て体現した。
あとは、「それを発揮できるまで自身をどう持ちこたえさせるか」にかかっている。
どちらにも課題は残っていた。しかも、それを「ぶっつけ本番」でやらねばならない。
其処には当然、懸念もある。戦闘はもとより、この「任務」の最も重要な目的は、「ひかりを取り戻すこと」だ。であるならば、ふたりもそれを前提に動かねばならない。
更に言うなら、重要な「問題」も残っていた。
蝦名について、である。
先の戦闘の折には、その存在と生存についてまだ確認できる範囲にあった。
だが、バラトシャーデの精神寄生の深度によっては、極めて厳しい判断を下さねばならなくなる。
及ぶであろう被害を最小限に抑える、それは勿論重要なことだ。だが、ひかりは勿論のこと、蝦名もまたひとりの「地球人」、ひとつの「命」に違いはない。
まして今、蝦名の置かれる状況は、かつてシンがたどった過去の「再現」ともいえる状態にある。
痛みのようにシンの内懐をよぎるのは、命を選択することの苦渋、
二度と、命を摘むようなことはもう二度と──
ありとあらゆる状況を鑑みれば、楽観などできようはずもないことは明白だ。
それでも、シンはふたりに向けて頷いてみせた。
「……任せると言ったのだから。」
子供は、大人の知らないところで、知らないうちに成長する。
その成長の前には、大人の思惑など何の意味があろう。なればこそ、この非力の徒たる己もまた、信じて待つよりない。
そしてそれは、おそらくシン自身の「為すを為す」ことに繋がるものでもあるのだから。
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