第38話

  伽藍の船、その一画。

 船内で最も広さを取られた個別船室コンパートメントは、いわゆる船長室にあたる。

 目下のところ、此処は待機者シンの「引きこもり先」となっていた。

 地球人の訪星にあたってシンが承けた「新人組の監督役」という任務は、一連の「失態」を経てなお、未だ解かれていない。

 お前にとってはそれが一番の処罰になる。此処へ来る直前、己の身の振り方を問うシンにそう言ったのは、ゾハールだった。

 今は何もせず、おとなしく頭を冷やせ。そういうことだ。そしてそれは、全く正しい判断だった。

 もし任を解かれていたなら、自責から独断で行動を起こしていただろう。ともすれば、それが更なる禍乱を招きかねない行為だと理解していても、だ。

 だからこそ、こうして役に縛られ、雁字がんじがらめの立場で見守り続けるよりない、という状態に置かれることは、シンにとって大いに「罰」たりえるものだった。

 そんな沈思にひたる静謐が、唐突に、荒しく騒騒しい気配に破られる。

「あれは案外モノになるかもしれん。」

 船室の扉が開くなり、ごうとうなり上げるような声が響く。

 フェレスだ。

 シンを見つけざま、手に持っていた何かを投げ寄越す。それを受け取ると同時、シンの柳眉が、吃驚を浮かべてはね上がるように動いた。

「見ろ! あの、自分で宣言したとおり、俺の腕を持っていきやがった!」

 シンの浮かべた表情に構うことなく、大きく口端を吊り上げ、驚喜するような声と表情で、自身のをこれ見よがしに突き出す。

 投げ寄越され受け取ったもの。それこそまさに欠けた部分、青い体血にまみれ、其処此処に黒錆色の金属状鱗片の生える太い「腕」だった。

 アモンメレス人の「体血」は鮮やかな青色。そしてそれが巡る筋組織もまた、同じ色みを持っている。

 つまり、この「腕」は紛れもなく、投げ寄越したフェレス自身のものである、ということだ。

「喜んで言うようなことなのか、それは。」

「当然だろうが。」

「……あぁ。そうだな、おまえならそうなるか。」

 何を言っている、という顔で返された言葉に、シンは溜息くように呟いた。

 力と強さを至上とするフェレスにしてみれば、ようやく楽しめるようになってきた「玩具」を喜ばないわけがない。自分の腕を落とした相手をあえて「クソガキ」と呼ぶのも、フェレスなりの賛辞だろう。

 呆れにほとほとと柳眉を下げながら、シンはフェレスへと歩み寄った。

 指先に淡い白光をまとわせ、手にした「腕」の切れ口を、拭うようにひと撫でする。固まりかけてこびりつく体血を、白光で洗うように掃い去れば、体血よりもひといろ暗みのある青黒い肉の断面が現れた。

 次いで、もうひとつの切れ口である二の腕上部にも同じ処置をする。どちらも肉のちぎれた様相を呈してはいたものの、よほど上手くもぎ取られたものだろう、それ以上の大きな損壊は特に見当たらない。

 流れるような手際で、きれいにすすがれた腕の両の切れ口を、慎重に接ぎ合わせる。

 合わせ目を、指先にまとう白で覆い尽くすこと暫し、やがてゆっくりと白が消える。すれば其処には、最早何の瑕疵かしも繋ぎ目もない「完全な腕」があった。

「あとは自己回復で十分だろう。」

 継ぎ目のあった場所を確認するようにさらりと撫で、指先を離す。シンの言葉に、フェレスは繋ぎ直された腕を、縦横捻るように眺めた。

 そのままじっくりと曲げ伸ばす仕種を幾幾度。それに合わせ、手掌を握り、開き、握る。

 指先の挙動の一本一本までを入念に確かめた後、フェレスは軽く満悦した顔で頷いた。

「全く便利なこった、ナマートリュってのはよ。」

 シンに向けられる揶揄含みの声は、シンの、ひいてはナマートリュの善性そのものを皮肉ったものだ。

「治療することに問題がないなら、傷ついたものを放っておく理由もない。」

「相変わらず頭をしてやがるな、お前は。」

 ナマートリュが他種族に対してこの能力を使うことは、特段珍しくはない。それなりの訓練さえ受けていれば、活動員でなくとも使えるものであり、戦闘に用いる光波の類に比べれば格段に地味な能力だろう。

 だが、瑕疵損傷を分子レベルで「修復」するとなれば話は別だ。まして、星外で行動する活動員ともなれば、其処に求められる精度は格段に跳ね上がる。

 その中にあって、シンはこの能力の行使に深い適性と経験を備えていた。武闘に突出しなくとも、為すべきことを為し得ることが可能だという、ひとつの例示ケースでもある。

 加えて、フェレスが過去にシンと対峙しており、その身体特性を十分に知悉するであったことも大きい。この手際のよさは、つまり、そういう因縁を経た上にあるからこそのものなのだ。

「もうひとりのガキの方はどうなってる。」

「あの子なら、」

「ひとまず目は開いたようだが、順当とは言いがたい。」

 フェレスの問いに返そうとシンが声を発したそのとき、言葉にかぶせるような別の声がした。

 全くの唐突に、シンが懍慄りんりつの態で肩越しを振り返る。はたしていつから其処にいたものか、不興然とした表情のフォレスが、シンのすぐ背後に立っていた。

「動きそのものはマシになったが、動くための情報選択があまりに散漫だ。さながら、自分の周りに放り込まれた餌に見境なく食いつく雑魚の如くな。この調子では、大した仕上がりも期待できそうにない。」

 辛辣に、しかしそれ以上のを露わに言い放ったのは、フォレスが「特訓」にあたっているノーティへの評だった。

 もっとも、フォレスにしろフェレスにしろ、特訓対象の強さに興味はあっても、成長そのものに関心があるわけではない。つまり、フォレスの顔にあからさまに表れる不興の理由は、取るに足らないの不出来などではなく。

「生憎だったな。俺にハズレを引かせたつもりだろうが、当たりはこっちの方だったワケだ。」

 ニヤリと佞悪ねいあくな笑いを浮かべたフェレスが、事事ことごとしく大仰に、厭味を当てこするように口を開いた。

 フォレスの表情が露骨に険しくなり、己に相似の色彩と顔貌をめ、倦厭けんえんするように言葉を吐き出す。

「当たり? ハズレのうちのマシだった方を引いただけのことだろうが。」

「さすがにあそこまで純度の高いバカ相手じゃ、テメェ御自慢の知性アタマも意味がなかったか。」

「斯様な無様を晒しながら得意がられたところで、それがどうだという話だ。」

「そうだな、四の五の御託を並べたところで、出た結果以上の事実はないだろうな。」

 反目し、煽り合い、互いに嘲罵の応酬を延延と重ねる彼等の不仲は、何も今に始まったことではない。

 卵生の生態を持つアモンメレス人は、必ず「二卵一対の双子」として生まれる。そのほとんどは穏和で理性的な性質を有しているが、世にあるものにはまた、例外もだ。

 アモンメレスという種の中で、一定周期で生まれ落ちる不穏のおり、「悪性因子」の存在。倫理を欠いた精神性メンタリティと強い攻撃性を備えるその個体は、種の社会に大きな災いをもたらすとして忌避され、排除、処分されるのが常だった。

 だが、フォレスとフェレスはその過酷を生き残り、そして、危惧するとおりの存在となって、種族社会に報復した。

 そんな出自の彼等である。同族どころか血縁たる互いにかける情すら持ち合わせていないのは、あるいは当然のことかもしれない。

 険悪な罵り合いの只中に挟まれる形となったシンは、しかし其処に口を挟むことはなかった。細黒縁の奥で静かに閉じられる糸縒りの細目は、心内に巡らせる思考そのまま、曖昧に暗い船室の虚空を渡る。

 その彷徨いが、ふと止まった。同時に、フォレスとフェレスの罵り合いも止まった。

「またか……!」

 幾許かの間をおき、声を発したのはフェレスだった。険相を露わにし、室内の一画をギッと睨めつける。

 すれば、其処に現れるもの。それはフェレスの言葉どおり、

 黒銀をかんむる稜線、金めく黒の涼眼、瑕疵なき完璧な黒──の虚影。

「おや、これはまた予想外に賑わしい。」

 僅かな間をおいて鳴る玲瓏の平らかさも、先と同様に揺らぎなく。

「……この期に及んで、まだ何か用があるのかね?」

 現れた黒の虚影に対し、フォレスも不承の顔を向けた。問う声が強い剣呑を帯びるのは、悪辣の性状を持つ彼等をしてなお、この黒を「胡乱な存在」として認識しているからだ。

「急を要する事案が生じたため、不躾ながらもう一度連絡させて頂いた次第だ。あれを呼び出してもらうことになるかと思ったが、其処にいるなら話が早い。つい今し方、から〝地球人の処刑時間を繰り上げる〟との通告が来た。」

 流れるように発された言葉と共に、黒の視線が繊麗な流れを描いて動く。

 たどりつく先にあったのは。

「待ってください、それはどういう……!」

「言ったとおりだ。」

 思わず洩れた、という語勢であがったシンの声は、あるいは悲鳴じみていたかもしれない。

 対して、黒の虚影から返るのは、何の揺らぎもない平静と平坦。両者の乖離する空気は、シンの顔にあからさまな動揺の色を重ねかせるのに十分だった。

「……それで。危急の案件であるから戻れと、彼女たちに命令しにでも来たのかね?」

 割り入ったのはフォレスの声。抑えられてこそいたものの、内に湧く苛つきを微塵も隠さぬ態度であるのは、あるいは当然のことだろう

 リテラの抱える事情など、彼等にとってはどうでもいい。重要なのは、自分たちが受け取る報酬である。

 フォレスとフェレスからすれば、この「契約期間」を全うすることが最優先だ。あの玩具こどもたちを相手にする時間が長いほど、自分たちが受け取る「報酬」は多くなるのだから。

 だが、もしこの通信が彼等の「帰還」を命ずるものであった場合、「特訓」は打ち切られ、得られるはずの報酬も必然的に減ることになる。

 フォレスの言葉は、それを懸念して発されたものだ。

 もっとも、黒の虚影に、それを意に介した様子はない。ただただ、爛然と透徹する金めく黒の視線を、己が部下に向けるばかりである。

 沈黙の中、その透徹の視線に並ぶように、二対の青い睛眼もシンの反応を待つ。

「それなら……わたしだけでも先に、」

「言っておくが、お前の務めは変わらず〝あのふたりの監督〟だ。放棄は許可しない。」

 水火の責苦を受ける如き逡巡の間、やがて意を決するように口を開いたシンを、しかし玲瓏に鳴る声が先んじて制した。

「バラトシャーデの目当てはわたしです。わたしがいなかった場合、奴がどんな行動に出」

「許可しないと言っている。その上で、この連絡をふたりに伝えるか否かの判断は任せる。」

「ですが!」

「──。」

 玲瓏が、打つように響いた。

 短く、強く。ぴしりと断つように、ぞくりと冷ややかに。

 なおも必死に言い募ろうとしていたシンの肩が、わななくように大きく揺れた。そのまま、まるで見えないものに身体を塗り固められてしまったように、一切の動きを停止する。

「為すを為せ。それ以外は不要だ。」

「…………わかりました、フラーテル。」

 長い沈黙をおいたあと、シンが漸う声を発した。がくりとうなだれ、何をかこらえるように口端を強く引き結んでの、かぼそい了解だった。

 怪訝の視線を向け、そのやりとりを注視するフォレスとフェレスに、黒の虚影が視線を戻す。

 今この瞬間まで其処にあった冷ややかさはまるでない。それどころか、いっそ晴朗さすら覚えるほどにぎしい表情で、彼等の顔を等分にべ見た。

「少々のお騒がせ、大変申し訳ない。さて、伝えるべきを伝えれば、私の仕事は終わりだ。あれが世話になっている以上、今の私は君たちに要求できる立場にはない。ただ、何分このとおりの状況ゆえ、もし可能ならば、今しばらく密に連絡が取れるよう手配頂ければありがたいのだが。」

「何が〝要求できる立場にはない〟だ。言った端から随分と図々しく要求してきやがって。」

「まぁ、こちらの邪魔をするつもりがないというのなら、呑めなくもない話だろう。」

 苦苦しく言いながら、フォレスとフェレスが互いに目配せで頷く。黒の恣意的な態度はとことん気にくわないが、先刻シンの行動を制限した言質もあり、こちらの利に障ることはないと踏んでのものだった。

「重ねての御厚意、じつ以て感謝する。では努努ごきげんよう。」

 謝意を述べ、丁寧に一礼を落とした黒の虚影は、現れたときと同じく唐突に消えた。

「……相変わらず、鼻につく上に胡散臭いことこの上ない野郎だ。」

「彼女も相当にしたたかだが、あそこまで図無しではないぞ。」

 通信が完全に途切れたのを確認したフェレスが、口を大きく曲げながら吐き出すように言う。うなだれたまま立ち尽くしているシンを見遣りながら、フォレスもその言を肯首した。

 彼等の中で、あの黒が「慇懃無礼で得体のしれない相手」であるという認識が、これで更に揺るぎないものになったらしい。


 以降、操舵室がシンの「引きこもり先」となった。

 先の通信でゾハールが依頼した旨、リテラからの連絡を直接シンが受け取れるよう、フェレスから船の操作権限を一時的に預かる、という形で。

 予期せぬ事態により、仮初めの「船主」となりはしたが、どのみち今のシンにとって、身の置きどころなど、以外の何処にもない。

 だから。

「……だから、」

 細く紡がれるシンの声は、静かにひそやかに縒られる一縷の糸のあることを示していた。

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