第29話

  黒い船に乗り込んでから、おそらく四半日ほどが経過した。

 体内感覚で時間を計ればいいのだと気付いたのは、乗り込んでからしばらく経ってから。なので、この「四半日」というのも、あくまでも計測を開始してからの時間でしかなく、出立からの正確な時間はわからないままである。

 まんじりともできない時間、無音にも似た空疎な空間。かろうじて、静かに規則正しく駆動を刻む船の音だけが聞こえている。

 航行中、船の周囲に何度も「ひずみ」を感じた。おそらく空間転移の余波、つまり、体感しているよりもに連れて来られていると予測がつく。

 その認識に、まるで戻る道を断たれていくような不安を覚え始めたころ。

「……音が……」

 呟いたのはどちらだったか。ともあれ、聞こえる音が、それまでとは何か違っていこるとに、ふたりは気づいた。

 そばだてるように聴覚を澄ます。音は、そのまま徐々にトーンを落とし、やがて底を突くような低音へ変わっていく。

 やがて。

 ゴウン、と腹の底にまで響くような、ひときわ大きな振動と音。それを境に、聞こえ続けていた駆動音がついに沈黙する。

 完全な静寂の落ちる空間で、フィニットとノーティは、どちらともなく顔を上げ、どちらともなく顔を見合わせた。

 何が、と視線で問い合うふたりの聴覚が、今度は船内の何処かから、さっきまでの駆動音とは全く違う種類の音を捉える。

 小さくふたつ拍子を刻むような、微かな音。それが僅かずつ音量を増しているのは、おそらく、こちらに近付いているからだろうと予測する。

 音が止まった。この部屋の前だ。ふたりは、さっきの予測が正確だったことを確信した。

 シュィ、と軽く鳴った圧搾音と同時に、ふたりのいる船室の扉が開く。

 立っていたのはシンだった。注視を向けるふたりを、黒眼鏡越しにっと見やり、内心の窺えない無機の無言のまま、こくりと頷く。

 その仕種の意味するものは、すぐに理解できた。

 船が「目的地どこか」に着いた、のだ。

 慌てて腰を上げ、船室を出る。少しばかりもたつきながら、ふたりは入ったときと同じように、シンに先導される形で船を降りた。

「……な、んだ此処……?」

「え、地下……?」

 船の乗降口から出た瞬間、ふたりはそれぞれに呆然と声を発した。

 深く長くり抜かれた穴のような、薄暗い円筒状の空間のどんづまりに、今の今まで自分たちが乗っていた船が、船首を突っ込むような形で接岸されている。

 人工的な構造物であることは一目でわかる。辺りは、暗くはない。が、明るいとも言い難い。

 此処は何処なのか、どういう場所なのか。

 ふたりは何の見当もつかないまま、ぐるぐると視線を巡らせる。

「ようこそ、獅子たることを試される輝石のぐし子たち。これはしかし、随分と縮こまって可愛らしいことだ。」

「どっちも腑抜けた面構えだ。何を試したところでモノになるとも思えんがな。」

 出し抜けに、声が響いた。

 よく似た音域の、しかし違う調子の声がふたつ。

 ぎょっとした心地で辺りを見回す。自分たち以外の「誰か」がこの場にいる気配など、それまで微塵もなかったのに。

 驚きの表情を浮かべて辺りを見回せば、はたしては、いつの間にかふたりの視界に存在しているではないか。

 黒錆色の髪、底光りするような青の点睛を有する人型の、ふたつの影。

 長身痩躯、魁偉巨躯。そのどちらもが、明らかに格下のものを見るように、ふたりを見ていた。

「何だぁアイツら……?」

 無遠慮にして亡状極まりないを目の前に、ノーティが、不機嫌を尖らせたような声で呟いた。言葉こそ出してはいないが、フィニットも然程変わりない心持ちである。

 けれど、ふたりの前にあるシンには、警戒や敵意のような気配は全くない。正体も得体も知れない相手だが、これを見る限り、少なくとも敵対するような関係にはないらしい、ということは理解できた。

 ただし、それは勿論、今の状況に対するふたりの疑問の解ではない。むしろ、疑問はひたすら膨れ上がっていくばかりだ。

 シンにそれを問うていいものかどうか、迷うふたりの逡巡を察したのだろう。

「彼等が、きみたちの特訓相手だ。」

 ふたりを振り返ることなく、シンが解のひとつを告げた。

「はァ? こんなオッサンたちが?」

「ノーティ声大きいってば……!」

 思わず声が出たノーティを、フィニットが隣から慌ててたしなめる。が、時既に遅し。

「…意気がるガキが、随分と侮ってくれるじゃないか。」

「躾もままならぬ幼児おさなごとなれば、或いは無分別も仕方ないだろう。無論、それならそれで、こちらとしても相応の待遇を用意することになるがね。」

 この時点ではまだ、ノーティも煽りのつもりはなかった。単に、思ったことを口走ってしまっただけ、だった。

 だが、相手はそう受け取らなかったらしい。

 巨躯は尊大に、痩躯は慇懃に。同じ色彩をまといながら、けれど発した言葉や態度も含め、まるで違う印象をかもすふたつの影が、ふたりをそれぞれに睥睨する。

 口調こそ抑えられているが、青く底光る点睛には、先刻まで浮かんでいたような見下す好奇はなく、不穏な気配に満ちた剣呑が湧出していた。

「……もう十分に痛い目見てんだ、オレたちは。あんなオッサン相手に、侮るも何もねェ。」

「だからってわざわざ喧嘩売るようなこと言わない!」

 けッ、と吐き捨てるように言うノーティの肩を引いて、フィニットが叱りつけるような強い語勢でたしなめる。まだ何か言いたげに口を開きかけたノーティだったが、今のところは口をつぐんだ。

 ひとまず静かになって、ほっと胸をなで下ろす。ただ、フィニット自身も、この状況に当惑していることは間違いない。

「……あの……僕たち本当に、あのひとたちを相手に特訓……するんですか?」

 シンに向け、小声で恐る恐る問いかけたのは、そんな心境の現れだ。

 ややの間をおいて、その問いに答えが返る。

「……時間がないんだ。」

 ゆっくりと縦に振られる首。重く溜息ためいくように開かれた口から洩れ出るのは、それ以外の選択はない、と示すだけの声。

 告げた顔に浮かぶものも、やはり何処までも曖昧で、何処までも読みとれないままだった。

 シンの内側にある真意は、未だにわからない。ただ、ひどく頑ななものを抱えているらしいことだけは、何となく感じ取れる。

「おい。ガキどもへの言い含めはまだ終わらないのか?」

 話の腰を折られたことが気にくわなかったのか、巨躯がこちらの様子に苛つくように声をあげた。

「今済ませた。」

「では、改めて確認させて頂こう。」

 短く返したシンの言葉を受け、痩躯が引き継ぐように話を続ける。

「君たちに切られた刻限に間に合うよう、我々がこのふたりにを施す。その報酬として、我々がこのふたりに使った時間と同等分の時間を、君が我々に提供する。これが今回の契約内容だ。」

「その内容で相違ない。」

「無論、君が約をたがえようはずがないことは、我々としても理解している。ただ念のため、其処の彼等を証人として、今一度約定を頂戴したいと思ってね。まぁ単なる形式としてのことだよ。」

「……約束しよう。」

 気鬱げなシンの答えに、痩躯は満足げな頷きを返した。薄ら笑うように細まった青の点睛が、シンと、シンの背越しにたたずむフィニットとノーティへと向けられる。

 底深い闇から這い出す冷気にも似る、酷薄な青の視線。さも愉快げに、さながら舌なめずるように。

「あとは、この腑抜けたガキどもがどうなるか、せいぜい楽しみにしておくがいい。もっとも、無事かどうかの保証はしない。まぁ、生かしておくようにはしてやるがな。」

 巨躯もまた、獰猛に口端をつり上げた。暴横に尊大に、そしてあからさまに、ふたりを嗤笑する。

 どうやらシンは、自分たちの特訓をさせるため、何やら穏やかでない条件と引き換えでこの契約を取り付けた──ということらしい。

「さて、時間がないのだろう? すぐに始めても構わないかね?」

 場を取り仕切るような物言いで、痩躯が言う。シンからは、ただ無言の頷きが返される。

 自分たちばかり、話に置いてけぼりをくらっている気はしてしまうが、疑問や反論を向ける余地は既にない。

 だから、フィニットとノーティは互いに全く同じことを考えて、こっそりと顔を見合わせた。

 どうやら、自分たちはこれから、相当な目に遭うことになりそうだ、と。



  船の接岸場所から、更に「中」へと向かうという。

 無論、歩いて、だ。

 シンはずっと無言のまま、その場でふたりを見送った。

 表情は相変わらず読み解けないが、ふたりの身柄をに任せてしまった以上、ただ黙って待つよりない、というだけだったのかもしれない。

 中へ向かう道は、ひたすら細い通路が続いていた。ただし、進めば進むほど奇妙な感覚に見舞われる道だった。前へ向かって進んでいるのに、何故か、下に向かって降りるような、或いは落ちていくような。

 行き先の知れぬ道、おぼつかなく戸惑う感覚。ともすれば、ふたりの進みを鈍らせてしまいかねないそれを、思考から払いのけながらひたすら歩く。

「それで、君たちの名は?」

 通路を幾許か歩いたところで、ふたりは唐突に、痩躯から名を尋ねられた。そういえば、彼等の名前も知らないままだった、とフィニットが思ったその矢先。

「人に名前訊くンなら、まずそっちが名乗れよ。」

 不機嫌を隠しもせず、突っかかるような声で、ノーティが反論した。

「おやおや。こういう場合は、教えを請う立場の君たちが先に名乗るべきではないかね?」

「は? テメェ何様のつも」

「ノーティ!」

 揶揄にも似る声が、すげなくにべなく正論を告げる。自分の反論をあっさりと一蹴されたノーティが、気色ばんで声を上げようとしたところを、フィニットが腕を掴んで引き戻すように制止した。

 ぐ、と握る手に力を込めて、首を横に振ってみせる。でもよォ、と、なお言い募りたげに口を尖らせたノーティだったが、フィニットの再度の首振りに、不承不承ながらもそれに従った。

「……ノーティだ。」

「フィニット……です。」

 しぶしぶと、おずおずと、ふたりはそれぞれに名乗って、相手の出方を窺う。

「つまらん奴等だ。もう少し活き良く反抗してくれれば、そのまま叩きのめしてやったものを。」

 反抗の意思を抑えた様子を見て、巨躯が嗤った。挑発にのることを期待していた、とあからさまに示しながら。

 始まりもしないうちから、そんな目に遭わされるなど、ふたりとしては絶対に願い下げである。悔しさに歯噛みを覚えながらも、けれどこれで、ふたりも彼等の名前を聞き出す「権利」を得た。

「では改めて、我々も名乗っておこう。」

 痩躯は「フォレス」と名乗った。彫りの深い穏和そうな造作に、すらりと高い上背、黒の司祭服をまとう姿は如何にも聖職者然とした印象がある。

 ただし、それはあくまでも外見のみを言えば、にすぎない。

 整いきった顔貌ながら、其処に浮かぶのは酷情の笑み。弄する言葉と態度は慇懃無礼で、薄ら寒い得体の知れなさとも相俟って、見た目の印象が全く当てにならないことを痛感させる。

 曰く、「ナマートリュの活躍によって地球から追い出されたのひとり」であり、現在は罪科で獄に服する「罪人」である、と自らを説明した。

 そして、もうひとりの巨躯は「フェレス」と名乗った。

 フォレスよりも更に高い上背にまとうのは、襤褸ぼろとも見紛う古びた披風マントの、暗彩色の黒。さながら黒の巨岩の如き圧を発するその容姿は、整然と身繕われたフォレスとまるで逆の印象がある。

 厳ついた顔貌には、獣じみた凶悪さ。更に、それを確信させるあららいだ態度や言動まで、端々に渡る全てが蛮骨にして尊大不遜。

 こちらはむしろ、内面がそのまま外見に出ている感がある。

 曰く、「あちこちの星を荒らして渡る凶賊」だという。地球に直接関わったことはないらしいが、悪党どものでは相応に知られる「お尋ね者」であり、フォレス同様「悪い宇宙人」であるらしい。

 この彼等、どちらも黒錆色の髪に毛羽けば立つ鋭角の耳、眼窩に鋭く底光る青の点睛、両眼の眼窩下に存在するもう一双の閉じた瞼という、共通の特徴を備えていた。

 体格や雰囲気には差こそあれ、この両者の備える特徴から推測されるのは、おそらくは同種族であろうということ。更に言うなら、目つきや顔立ちにも相応な近似が見られることから、何らかの血縁もしくは類縁を持つもの──フィニットはそう推測し、過去に該当するものがないか、自身の記憶の中を懸命に探した。

 だが。

「敵性存在ならそれなりのデータが残っていておかしくないのに……」

 どれだけ記憶を掘り返しても、該当するものに思い当たらない。

 斯様かように特徴的であり、活動員ナマートリュに対して何らかの関連性を持つと思しき存在であるにも関わらず、「一切該当なし」というのは普通に考えればありえない話である。

「本人たちがいくら偉そうにほざいたところで、所詮って判断される程度のヤツらだってことだろ。」

 困惑を呟いたフィニットに、ノーティは先を往くふたつ影の背を眇め見つつ、鼻で笑うように返す。

 彼等の得体がしれない以上、決して軽んじているわけではないのだが、それでもつい挑発めいた物言いが出るのは、ひとえに「気にくわない」というただ一点からだ。

 途端、周囲の温度が一気に下がるような、冷えつく空気がふたりを囲む。

「……あいつ、本物のクソガキを押しつけやがった。」

「如何に子供好きだろうと、甘やかすだけが育てることではあるまいに。とはいえ、遠慮の必要はないと改めてわかったことは、良しとしておこう。」

 冷えた空気が、冷えた笑いに変わる。その温度は、次にふたりが口を開く機が来るまで変わることはなかった。

 どれくらいの距離を歩いたろう。長くはないはずだが、それでも相応の距離を進んだことはわかる。

 ふたりと彼等は、重厚に閉じられた円形の開閉口がある場所に来た。

 フォレスが、開閉口横の壁面で何かを操作する。しばらくして、壁の向こうから、ゴォンと重たい音が、幾重も重なりながら響き始めた。

 音は徐々に大きくなり、まるで、彼等に向かって近付いてくるようにも聞こえてくる。

 やがて、地響きのような振動を伴いながら、開閉口が放射状に拡散するような態でゆっくりと開いた。

 ぽっかりと口開く向こうに出現したのは、今通ってきた道よりも更に狭く細い通路。

 ふたつ影が、ふたりを振り返る。

「入りたまえ。」

 あっさりと促すように、フォレスが告げた。フェレスもまた、同じ意をこともなげに顎で差し示す。

 僅かの間、ふたりは躊躇した。けれど、此処までのこのこと着いてきておいて、入らないことを選択肢できるはずもない。

 高さはふたりの倍ほど、幅は大人の体格で三人分がやっとくらいの通り道。

 ふたりは、覚悟を決めるように思念で頷き合い、足を踏み出した。フォレスとフェレスは、今度は後ろからふたりを観察するように、やや距離をおいてついてくる。

「……どんだけんだよ……」

 歩きながら、噛みしめるようにノーティが呟いた。その言葉の意味するところは、この通路の長さがそのまま、向かう先まで続く壁の厚みである、ということだ。

「……あんまりいい予想ができないね。」

 呟き返したフィニットもまた、察していた。つまり、自分たちの歩む先に、こんな分厚い壁を必要とする「何か」が待ち受けているだろう、と。

 一歩を進めるごとに、ふたりの緊張は累乗的に増していく。はたして、どんな阿鼻叫喚を見ることになるのか。

 だが、ふたりのそんな緊張の高まりは、唐突に途切れた壁と、周囲に満ちた奇妙な明るさで、簡単に散らされてしまった。

 視界の風景が、やにわに切り替わる。

 其処に広がるのは、ただひたすらに茫洋とした、白い砂漠のような地景。周囲はリテラの昼日中よりも明るく、しかしその明るさをもたらす光源は、視界の何処にも確認できない。

 見上げても、見えるのはただただ明るい空──

 空?

 その認識こそが奇妙だということに、ふたりの思考は程なくたどり着く。

 船を降りてからの道行きは、ずっと、内部へ潜っていく感覚だった。内部へ、底へ、ひたすら降り続けていたはず。なのに何故、たどり着いた此処に、空があるのか。

 その空にしても、また名状し難く奇妙である。

 ありとあらゆる色を伴う光彩が、空の中央に向け放射状の光条となり、目まぐるしい勢いで「地」へ注ぐようにいる。

 周りを取り巻くこの明るさは、この流れ込む光と彩の流れによるものだった。

 自分たちの知るものとはおよそ全く乖離した、あまりにも予想外の光景。

 ふたりは一様に目を剥き、次いで、揃ってハッとした表情で背後を振り返る。すれば、今の今まで通っていたはずの通路が、跡形もなく消えていた。

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