第34話 -奇病11-


 第34話 -奇病11-


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 僕が電話に出ようとしたら、上田恭子がそれを身振りで制止して受話器を取った。


「はい、上田です」

「…………」

わたくしが用件を承ります」

「…………」

「はい……二箇所で……」

「…………」

「はい……」

「…………」

「分かりました。すぐに対応するよう伝えます」


 恭子は、そう言って受話器を置いた。


「雄一君、またゾンビが出たそうよ」


 僕は、恭子の言葉に驚いた。

 ここのところ、ゾンビの発生は報告されていなかったので、事態は終息したものだと思っていたからだ。


「撲滅しきれていませんでしたか……今度は、何処です?」

「ほぼ同時に二箇所から通報を受けたそうよ。一つは、川崎市の新浜地区、もう一つは、長野県と山梨県の県境けんざかいにある甲武信ヶ岳こぶしがたけの麓あたりらしいわ」


 どちらも意外だった。

 川崎市は、最初にゾンビが発生した大田区のすぐ近くなので、もっと早くに通報があっても良さそうだったし、もう一件も人里離れた山奥で発生したというのがよく分からない。


「川崎市の新浜地区は、中国の内戦で発生した難民が住んでいるところよ」

「確か前の政権が難民を受け入れて、埋め立て地に公営住宅を建設したんだよな」

「へぇ……そうだったんだ……」

「オレたちが高校生のときにあったことだから、知らなくても不思議はないよ」

「長野県のケースは、自動車を運転中に発症したそうよ。交通事故を起こした自動車の中から男性のゾンビが現れたとか……」

「川崎の件との関連は?」

「ええ、その自動車は、川崎ナンバーだったらしいわ」

「川崎で噛まれた男性が車で長野県まで逃げたのか……」

「逃げた?」


 僕は、秀雄の言葉に疑問を持った。


「おそらくその男性は、殺されると思ったんだろう」

「もしかして、通報が遅れたのも?」

「ああ、元々外国人が多く住んでいる地域だからな」

「気持ちは分からなくもないけれど、迷惑な話よね……」

「じゃあ、僕は屋上に行ってくるよ」

「ユウちゃん、時間ができたら連絡してくれ」

「分かった」

「あたしは、この武器を南部課長へ渡しておくわ。雄一君、頼んだわよ」

「ええ」


 僕は、秀雄と一緒に部屋を出た――。


 ◇ ◇ ◇


『密談部屋3』


 屋上に着いた僕は、周囲から目につかないところに『密談部屋3』の扉を出した。


【インビジブル】


 そして、【インビジブル】の魔術を起動して姿を消す。


 ――ガチャ


『密談部屋3』の扉を開いて中へ入った。


『ルート・ドライアード召喚』


「主殿」

「ドライアードたちを召喚して」

「御意」


『密談部屋3』の中が白い光で溢れかえった。

 250人以上のドライアードが召喚されたのだ。


「まず、【インビジブル】と【マニューバ】を起動して。そして、ここを出たら、富士山に向かって飛行してくれ。目的地は後でルート・ドライアードに連絡する」

「畏まりました」

「「はいっ」」


 ――ガチャ


 扉を開けて、ドライアードたちを外に出した。

 ドライアードたちが空中へ舞い上がる。

 僕は、ドライアードたちを見送った後、『密談部屋3』に戻った。


『ルート・ニンフ召喚』


「あっ、旦那さま」

「ニンフたちを召喚して」

「分かった」


『密談部屋3』の中に250人以上のニンフが召喚された。


「ここから南のほうへ向かうとゾンビの群れが居ると思うから、いつものように処理してくれ」

「「いいわよ」」


 ニンフがハモった。


「じゃあ、【インビジブル】と【マニューバ】を起動してここから出るんだ」


 ――ガチャ


 僕は、『密談部屋3』の扉を開いてニンフたちに出るよう促した。


 そして、空中へ舞い上がるニンフたちを見送った後、オフィスへ戻った――。


 ◇ ◇ ◇


「お帰りなさい。早かったわね」

「使い魔を召喚して指示を与えただけですからね」

「あの武器は、南部課長に渡しておいたわよ」

「取りに来られたのですか?」

「ええ、電話したらすぐに取りに来たわ」


 僕は、ノートパソコンの前に座ってブラウザを起動した。

 そして、サーチエンジンでキーワードに「こぶしがたけ」と入力してから検索ボタンをクリックする。


「へぇ、漢字で書くとこうなのか……」

「どうしたの?」

「いえ、こっちの話です」


 地図アプリで場所を調べると富士山よりは北にあるようだ。


「恭子さん、長野県で発生した件の正確な場所は、分からないのですか?」

「事故現場は、甲府市の北にある国道141号線沿いらしいわ」


【テレフォン】→『ルート・ドライアード』


 僕は、左耳に左手を添えて、【テレフォン】の魔術をルート・ドライアードに向けて起動した。


「もしもし、ルート・ドライアード?」

「主殿?」


『マップの指輪』


 そして、『マップの指輪』を起動してドライアードたちの位置を確認する。

 ここから、30キロメートルくらい移動したようだ。

 やや南寄りの西へ向かっている。


「少し右に方向を変えて」

「御意」


 ドライアードたちが移動する針路がほぼ真西に変わった。


「もう少し右かな」

「御意」


 少し北寄りの針路に変わる。


「とりあえず、そのままの針路で。【ハイ・マニューバ】に切り替えて速度を上げて」

「畏まりました」


 先ほどから【マップ】の魔術により視界に開いたウインドウ上に表示された空白が上空から撮影したような画像に書き換わっている。

 突然、その速度が物凄いスピードになった。

 あれよあれよと言う間に目的地の上空に近づいていった……。


「ストップ!」


 ノートパソコンに甲武信ヶ岳付近の航空写真を表示して【マップ】の画像と見比べていると、かなり現場に近づいたようなので、慌てて止めた。


「ハッ!」


 ドライアードたちの移動が止まった。


「【マニューバ】に切り替えてから、散開してその先にゾンビが居ないか探索して。見つけたらいつものように対処するんだ」

「畏まりました」

「通信終わり」


 僕は、【テレフォン】の魔術をオフにした。


 この一週間でゾンビに関して新たに判明したことがある。

 その一つは、ゾンビは赤ちゃんや5歳までくらいまでの幼児は襲わないということだ。

 ゾンビが人間以外の動物を襲わないことは知っていたが、向こうの世界で子供のゾンビも見かけたので、人間に対しては見境無く襲ってくるものだと思っていた。


 また、ゾンビは建物内に隠れている人間も見つけ出すことが改めて確認できた。

 探知する距離は、よく分かっていないが、数十メートル程度の距離なら立ち所に発見されてしまうようだ。

 視覚で捉えているのではなく、【レーダー】の魔術のような特殊な探知方法があるのではないかと思われた。


「ねぇ、雄一君。この先、どうなると思う?」


 恭子が不安そうな表情で訊いてきた。


「ゾンビの話ですか?」

「ええ、そうよ」

「仮に1体のゾンビが2人の人間に噛みついたとしたら、27世代目にはこの国の人口を超えますからね。時間にして最短で約108時間。でも、現実には物理的な距離が障害になるため、隔離された地域では一定以上増えないと思いますが……」


 恭子は、それには答えず、別の質問をしてくる。


「雄一君って、理系よね?」

「そうですか? 僕は、高校でも理系クラスは選択しませんでしたし、大学も経済学部でしたよ……?」


 家から通える範囲で受かりそうなところを選んだのだ。


「前から疑問だったんだけれど、どうして経済学部は文系なのかしら?」


 また、恭子が話題を変えた。

 どうやら、彼女は疑問に思ったことを口に出さないと気が済まない性格のようだ。


「確かにそうですね。経済学には、数理学を応用した数理経済学という学科もありますからね」

「へぇ、そうなんだ」

「ノーベル経済学賞で有名なブラック-ショールズ方程式なんかを扱っているそうです」


 また、恭子が話題を変える。


「モンティホール問題って、知ってる?」

「……聞いたことがないです」


 今の僕は、過去に知った知識を任意に検索することができるが、「モンティホール問題」というキーワードは、その検索に引っ掛からなかった。


「半世紀以上前のアメリカのテレビ番組で行われたゲームの話だから、知らなくても不思議ではないわ」

「モンティホールというのは、テレビ番組の名前ですか?」

「いいえ、確か司会者の名前だったと思うわ」

「それが何か?」

「あたしは、この話をすぐに理解できる人は理系だと思っているのよね」

「どんな話なんです?」

「確率の問題よ。A、B、Cと書かれた3つの扉があるとイメージしてみて」

「ええ」

「そのうちの一つが当たりの扉なんだけど、雄一君はそれを知らない。そのうちの一つの扉を選べと言われたあなたが仮にAの扉を選んだとするわね」

「はい」

「雄一君が選ばなかった残りの二つの扉のうち、司会者が片方の扉を開けるの。司会者は、どの扉が当たりかを知っていて、残った扉に当たりがあったとしても必ず外れの扉を開くわ。そして、雄一君は、最初に選んだAの扉から司会者が開けなかった扉に変更してもいいのだけれど、最初に選んだAの扉から選択を変えるかしら?」

「えーっと……つまり、最初に選んだ扉が当たりの確率は3分の1ですよね? でも、残った扉に当たりがある確率は3分の2だから、変えたほうが確率的にはいいのかな?」

「その通りよ。流石ね」

「僕も刻印を刻む前だったら、もっと悩んだかもしれません」

「頭も良くなるの?」

「記憶力は、良くなりました。それに暗算も速くなりましたね。何というか、この体はアンドロイドっぽいんですよね……」

「機械の体ということ?」

「実際、生物の体ではないと思いますよ」

「そうなの!?」

「心臓も動いていないし、呼吸の必要もありません。こうやって会話をするために呼吸に似た動作をしていますが……」

「どうして会話をするために呼吸が必要なの?」

「声を出すためには、空気を振動させる必要がありますからね」

「ひょっとして人間も?」

「そうですよ。息を吐くときに声帯で空気を振動させているわけです」

「へぇ、物知りなのね」


 僕は話題を変えることにした。


「そう言えば、会社設立の件ですが、具体的に何をすれば……?」

「雄一君、実印は持ってる?」

「実印にしようと思って作った印鑑は持ってます。実家に置いたままですけど……」

「そうなの?」

「使うことが無かったので印鑑登録はしていません……今のアパートも契約は父がしてくれました」

「印鑑証明が必要だから、印鑑登録してもらう必要があるわ」

「分かりました」


 就職で東京へ出て来たので、住民票は葛飾区に移してあった。

 そのため、印鑑登録も葛飾区の区役所で行う必要があるだろう。


「印鑑登録したら、印鑑証明書を念のため5通発行してもらってね」

「はい。いつまでに用意すればいいですか?」

「そうねぇ……事務所の物件も契約しないといけないし、できるだけ急いだほうがいいわね。具体的には来週中には用意しておいて」

「実印を実家に取りに行かないといけないので、それまでに時間を取れるかなぁ……?」

「まだ、ゾンビが発生している状況ですものね」

「あと、会社設立に掛かる資金はどうするんですか? 僕は、あまりお金を持っていませんよ?」

「それなら大丈夫よ。今回の件でかなりの報酬が支払われるはずですもの。それにさっき作ってくれた武器も高くで買い取ってくれるわ」

「なるほど……」

「半分くらい税金で持っていかれるから、無駄遣いしちゃ駄目よ?」

「はい……」


 今の僕には、欲しい物や必要な物があるわけではないので、大金を手にしても使い道がないのだ。


「資本金を決めなきゃね」

「資本金の金額は、恭子さんが決めてください」

「経済学部を卒業した雄一君のほうが詳しくない?」

「具体的な会社の設立方法なんて大学じゃ教えてくれませんよ……少なくとも僕が取った学科には無かったです」

「社員は、何人くらい雇うつもり?」

「僕と恭子さんの他には、妹と水谷の二人ですね」

「二人の同意は得ているの?」

「それは、問題ありません」

「じゃあ、あたしが秘書でその二人は事務員ということでいい?」

「はい」

「他にも人を雇う?」

「そんなに人が必要ですかね?」

「本来なら営業をしてくれる人を雇ったほうがいいのだけれど、この会社は政府の下請けみたいなものだから、営業は必要ないかしら」

「ヒデちゃんが手伝ってくれるといいんだけど、南部課長に釘を刺されてたからなぁ……」

「たぶん、武田君が営業の代わりをしてくれるわ」

「どういうことですか?」

「南部課長が言っていたのは、雄一君が作る会社とのパイプ役として武田君に働いてもらうということだから」

「ヒデちゃんが、依頼を持ってきたり、こっちの見積書を取りに来てくれたりするってことですか?」

「そういうこと」

「なんか悪いな……」

「南部課長としては、武田君が完全に雄一君の会社に取り込まれてしまうのは困るってことだと思うわ」


 ――ピリリリリリ、ピリリリリリ……


 背広の内ポケットに入れてあるスマホに電話が着信した。

 表示を見ると母からだ。


「もしもし、母さん?」

「雄一、どうして連絡をくれないのよ?」

「ごめん、忙しかったから……」

「それで、優子はどうしてるの?」

「元気だけど、相変わらず記憶が戻っていなくて……」

「大丈夫なの?」

「うん。実は、こっちで会社を作ることになっちゃって、優子にはそこで働いてもらうことにするよ」

「ちょっと!? なに勝手なことを言ってるのよ?」

「このまま記憶が戻らなかったら、仕事に復帰することもできないでしょ?」

「一度、優子を連れてうちに帰って来なさい」

「でも、時間が無いんだよね……」

「一体、何をやっているの?」

「政府関係の仕事で詳しくは言えないんだよ……今回の事件と関わりがあるとだけ言っておく……」

「そう……じゃあ、お母さんがそっちに行くわ」

「こっちは、危ないよ……」

「どう危ないのよ?」

「ニュース見てないの?」

「伝染病でしょ? もう、だいぶ収まったそうじゃないの」

「それが、そうでもないんだよ。さっき、川崎でも発生したから」

「神奈川県じゃない。あなたのアパートは葛飾区だから大丈夫でしょ?」

「でも、次にどこで発生するか分からないからなぁ……」

「お母さん、雄一が止めても行くわよ」

「仕方ないなぁ……」


『――――!?』


 僕は突然、閃いた。

 実家の僕の部屋には、いざというときのためにフェリスの『密談部屋』の裏口を設置しておいたのだ。

 そこを利用すれば、簡単に行き来が可能となる。

 問題は、その事実を父や母に伝えてもいいものかどうかということだ。


『口止めしておけばいいか……』


「じゃあ、雄一が時間が取れる日を後で伝えて頂戴。忘れちゃ駄目よ?」

「分かった。仕事中だからもう切るよ」

「ええ、気をつけてね」

「うん」


 僕は母との電話を終えた――。


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