第32話 -奇病9-
第32話 -奇病9-
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僕は、内線電話に出た。
「はい、伊藤です」
「そちらに南部課長は、いらっしゃいますか?」
電話を掛けて来たのは、事務の女性だった。
南部課長の秘書紛いの仕事もしていると言っていた上田恭子ではない。
そういえば、この一週間は、恭子と話をする機会が無かった。
たまに顔を合わせるが、挨拶程度で僕が忙しいことを知っているためか、時間を取らせないように遠慮していたのかもしれない。
「少々、お待ちください」
僕は、受話器の送話口を押さえて南部課長に差し出した。
「お電話です」
「ありがとう」
そう言って受話器を受け取った南部課長は、電話に出る。
「南部だ」
「…………」
「分かった、直ぐに部屋に戻る……。武田にもオレの部屋に来るよう伝えておいてくれ」
用件はすぐに終わったようで、電話を終えた南部課長は、受話器を電話機に戻した。
「伊藤君もオレの部屋へ来てくれるかな?」
「分かりました」
僕は、ノートパソコンをサスペンドモードにして席から立ち上がる。
それを見た南部課長は、部屋の扉を開けて廊下に出た。
僕も後に続いて部屋から出る。
そして、廊下を歩いて南部課長の部屋へ向かった――。
◇ ◇ ◇
南部課長の部屋の前には、秀雄が立っていた。
先ほどの電話で呼び出されたからだろう。
「おう、待たせたな」
「いえ……」
秀雄と逢うのは、四日ぶりだった。
南部課長は、秀雄には情報収集やインターネットを使った情報操作を命じていたようだ。
そういった地味な仕事が内調の本来の仕事らしい。
そうやって集めた情報を最終的に内調のトップが総理へ報告するのだろう。
「久しぶり、ユウちゃん」
「うん、ヒデちゃんはどうしてたの?」
「主にネットで情報集めさ……。それより、涼子のご両親が亡くなられたらしい……」
「えっ!? 何で!?」
「涼子を心配してこっちに出てきたそうなんだ……」
「でも、外出禁止だよね?」
「拘束力があるわけじゃないからね……」
「そんな……」
僕は、水谷の両親に会ったことはないが、姉のように慕っていた同級生の両親が亡くなったと聞いて動揺した。
「でも、涼子に会わせずに済んだから……」
「本気で言ってるの?」
「仕方ないだろ」
「両親が亡くなったら、相続とか発生するんじゃ?」
「すぐに手続きしないといけないわけじゃないし、涼子は一人っ子だったからね」
もし、水谷に兄弟や姉妹が居たら、面倒なことになったかもしれない。
その場合は、このまま行方不明ということにしただろう。
「でも、親戚とかには……?」
「うん。そのあたりをどうするか、後で相談しよう」
「分かった」
部屋の中から、南部課長に呼ばれる。
「中に入ってくれ」
「「失礼します」」
僕たちは、立ち話を止めて部屋の中に入った。
「伊藤君は、そこに掛けてくれ」
「いえ、臨時とはいえ僕も今は内調の職員ですから……」
「そうか……じゃあ、まず武田。報告してくれ」
「はい」
秀雄が返事をして話し始める。
「懸案事項は、いくつかあるのですが、集団自殺事件が発生しました」
「噛まれた者たちがゾンビになる前に集まって自殺したということか?」
「いえ、それなら良かったのですが、積極的にゾンビに噛まれようとインターネットを通じて呼びかけていた者が居ます」
南部課長が言ったようなケースは、秀雄が良かったと表現したようにゾンビ化して他に被害を広げないので良いのだが、わざとゾンビに噛まれる者は、ゾンビ化して感染を広げてしまう。
ただ、苦痛無く死ぬ方法としては、確かに良い方法かもしれない。厳密に言えば、ゾンビ化した時点では死んではいないのだが、意識や記憶が消滅するようなので、個人としては死んだも同然だろう。
「何だそれは!?」
「苦痛無く死ねるという点では自殺方法として優れていますが、感染を拡大するので迷惑ですね。しかし、どうやってゾンビに噛まれに行くつもりなんだろう?」
「ネットでゾンビに噛まれた者を呼び出しているんだよ。実際にその呼びかけに応じた感染者が居たらしい」
「阻止できなかったのか?」
「はい。警察に通報しましたが、間に合わなかったようです」
「それで、どうなったんだ?」
「伊藤にも場所を連絡するよう手配しておきましたので、ゾンビ化した者たちは対処済みです」
派遣したドライアードやニンフたちには、ゾンビを発見して倒した場合、その周囲を4時間ほどパトロールするように命じてあるし、噛まれた人間を発見した場合には、応援を呼んでその人間をマークするようにも命じてあるので、よほど運が悪くない限り二次被害は出ないと思う。
「ゾンビ化のプロセスを詳しく解説しすぎたかもしれんな。もっと悲惨なイメージになるよう情報を操作すべきだった」
報道などでは、噛まれた感染者は、発熱があったり、体調がおかしくなったりするわけでもなく、数時間後に突然ゾンビ化して周囲の人間に襲いかかるという風に報道されていた。
これだと、一瞬で苦痛無く死ねると考える人間が居てもおかしくはない。
また、寝たきりだった人間が起きて歩き回っているというような報道もあった。
ゾンビに噛まれると刻印を刻まれて新たな体を得るので、これは真実なのだが、世間では眉唾な情報として受け止められているようだ。
感染のメカニズムを研究しようと遺体を解剖したり分析したりしている研究機関もあった。
しかし、今のところ何の変哲もない死体としか報告されていないそうだ。
女性の魔力系魔術師が【刻印付与】を用いて刻印したわけではなく、ゾンビが噛みついて何らかのポーションのようなものを注射することによって【大刻印】を刻んでいるわけなので、元の死体にもその痕跡が残っていないか興味があったのだが、今のところ何も見つかっていないようだ。
そもそも、魔力というものが検査機器などで発見できるとは思えない。
――コンコン……
ドアがノックされた。
「入ってくれ」
――ガラッ……
「失礼します」
入り口の引き戸を開けて上田恭子が入ってきた。
「雄一君!? お久しぶり!」
「ええ、お久しぶりです。恭子さん」
「上田。頼んでいた件は、どうなった?」
「はい。書類は揃えておきました。あと、不動産もいくつか候補を探しておきましたよ」
そう言って、恭子は手に持っていた二つの書類袋を南部課長に渡した。
南部課長は、そのうちの一つを開けて、中身を机の上に出した。
書類袋の中には、クリップで挟んだ極秘という判が押された分厚い書類の束と外部メモリが入っているようだ。
南部課長は、外部メモリをパソコンのソケットに差し込みマウスを操作する。
「これは、伊藤君から聞いた情報を元にスーパーコンピューターでシミュレーションした異世界のモデルについての報告書なんだ」
「――――!?」
僕は、南部課長の言葉に驚いた。
まさか、そこまで異世界について研究しているとは思ってもいなかったからだ。
現実に脅威となっているゾンビについて研究するのは分かるが、異世界のことなど荒唐無稽な話としてスルーされると思っていた。
「伊藤君の話によれば、時折、この世界と異世界を繋ぐ門……『ゲート』が開くのではないかということだったね」
「はい」
「そして、気圧差によりこの世界のものを異世界が吸い込む形になっている。伊藤君も近くで開いた『ゲート』に吸い込まれて異世界へ移動した」
「そうです」
「君が失踪した場所や周辺での聞き込み調査も行ってみたが、確かに田んぼの中に強い光が発生していたという目撃情報や円形に稲が薙ぎ倒されていたという情報が見つかった」
もしかすると、ミステリーサークルの中には『ゲート』が開いたときに出来たものもあるのかもしれない。
「つまり、異世界は常にこの世界よりも気圧が低い状態が保たれているというわけだ」
「推測ですから、確証はありません……」
「また、異世界の気候も特殊だったという話だね。地軸が傾いているのか、太陽が南東から昇り、南西へ沈み、季節も一年中、ほぼ変わらないと……」
「僕が居たのは、3ヶ月ほどなので、実際に体験したわけではありませんが、現地の人の話ではそうらしいです。気温は一定というわけではなく、寒い日や暖かい日が続くこともあるとか」
「伊藤君の推測では、南半球では太陽が一日中出ている地域があり、そこでは巨大な低気圧が発生しているのではないかということだったね?」
「単なる想像ですが……」
「だから、もし地球の地軸が傾いていて、インド洋の辺りが常に太陽の方向に向いていたらどうなるかというシミュレーションをしてもらったのだよ」
「どうして、インド洋なのですか?」
「君の話を元に仮定するとインド洋の辺りに南極の地軸が移動しているのではないかと推測されるそうだ。そして、その地軸の先の20度以内に常に太陽があるのではないかということだ」
つまり、南半球の多くの地域が日の沈まない地域ということになる。
「なるほど。それで結果は?」
「うむ。複数のパターンでシミュレーションした結果、最も君の話に合致したものでは、異世界地球の日本の東京都付近だと気圧が900hPa前後の可能性が高いそうだ」
「一般的な台風よりも気圧が低いですね」
「ああ、しかし、それ以上に低い気圧の台風が接近しているときに『ゲート』が開けばこちら側に向こうの人間が吸い込まれてくる可能性もある」
しかし、その可能性は極めて低いだろう。
900hPa以下の台風なんて滅多にないし、海上ならともかく上陸してからその気圧が維持されることはまずないので、『ゲート』の開く確率とも相まって、あり得ないと言ってもいいと思う。
「しかし、そんな偶然が重なることはあり得ないと思いますが?」
「確かにな……。しかし、ゾンビは現れた。君の話では、ゾンビ以外にも危険な怪物が異世界には居るのだろう?」
「ええ……。ただ、ゾンビが危険なのは、人間に噛みついて増殖するからです。他のモンスターなら、その暴れているモンスターを駆除すれば済みます」
「ゾンビほどの脅威はないというわけだな」
「はい。しかし、ゾンビと同じように拳銃程度では倒せませんから、人口密集地に現れたら、多くの人が殺されると思います」
「モンスターは人間を襲うのだね?」
「一般的にモンスターと呼ばれている者たちは、人間に敵対的です」
「ふむ。それは、どういうことだい?」
「実は、僕の使い魔のドライアードやニンフも分類すればモンスターと同じ存在なのです」
「そうなのかい?」
「ええ。しかし、彼女たちは人間に対して友好的でした」
「なるほど……人間に友好的なモンスター……いや、妖精と呼ぶべきか? も居るというわけだな」
「はい」
南部課長が秀雄のほうを見た。
「武田」
「はい」
「この件については、当事者である伊藤君は当然として、武田にも機密情報を閲覧する許可が出た」
「私にですか?」
「まぁ、事後承諾のようなものだ。お前は、伊藤君から直接、異世界について聞いているだろう?」
「はい」
「異世界の件は、機密指定されたから、今後は誰にも情報を漏らさないように」
「分かりました」
これは、所謂ニード・トゥ・ノウというやつだろう。
「ニード・トゥ・ノウ」とは、知る必要のある人間にだけ情報を伝えるという意味で、関係ない人間にまで機密情報を伝えていると、どこからその情報が漏れるか分からないので、情報を持った人間を出来る限り限定するという情報漏洩に対する措置だ。
『人の口には戸が立てられないというからな……』
南部課長は、既に機密情報を知ってしまっている秀雄に対して釘を刺したのだろう。
「他に異世界について知っている者はいるかい?」
僕に向かって、南部課長が質問をした。
「此処にいる面子以外ですと、私の家族と、あとは水谷さんですね」
「水谷……? 涼子ちゃんか?」
「ええ」
「そうか、君と彼女は、同じ高校の同級生だったな」
「はい」
「武田。涼子ちゃんはどうしてる?」
「今、ちょっと体調不良で欠席しています……」
「そうか……彼女にも口止めしておいてくれ」
「分かりました」
「伊藤君も家族の方に口止めしておいてくれ」
「ええ。一応、誰にも言わないようには言ってあります」
「そうか……」
南部課長は、一呼吸置いてから話を続けた。
「では、次に……」
そう言って、もう一つの書類袋を開ける。
「伊藤君の警備会社の件だ。ここに会社設立に必要な書類が揃っている」
「え? もう?」
「ああ、早いほうがいいだろう」
「しかし……」
「あたしもその会社に移籍するわ」
上田恭子がそう言った。
「え? どうして?」
「あたしが秘書じゃ嫌?」
「でも、そんな会社作ってもやっていく自信ないですし……」
「心配しなくても分からないところは、人に任せればいいよ」
「作ったところで、何年仕事があるか……」
「ゾンビが駆除された後は、例の武器を作って納品すればいいだろう?」
「ゾンビが居ないのに必要なのですか? ……まさか!?」
――人間同士の戦争で使うつもりなんじゃ?
「伊藤君が心配するようなことはないよ。我が国は、憲法九条が改正されたとはいえ、他国に対する侵略は禁止されているからね。ただ、我が国に対する侵略行為に対しては、防衛する必要がある。それを否定はしないだろう?」
「ええ、勿論です」
流石に僕も兵器は防衛用でも不要というほど、お花畑な平和主義者ではない。
そもそも、そういう軍事力の放棄を唱えている平和主義者は、外国の工作員ということが多いようだ。
日本の軍事力を下げることで、日本に対する影響力を行使したいという外国の工作活動を金で請け負っているのだ。
ロビー活動とは得てしてそういうものなのだが、日本の場合は大手メディアがそういった左翼的な論調をまるで主流であるかのように報道するのが問題だろう。
つまり、報道機関が外国の工作員の巣窟になっているのだ。
しかし、その状況は改善されつつあると言える。
そういった工作を行っていた国が事実上消滅してしまったからだ。
「課長、どういうことですか?」
「ああ、武田にはまだ話していなかったな。伊藤君には、警備会社を作ってもらい、その会社にゾンビ退治を公共事業として行ってもらうことにしたんだよ」
「じゃあ、お……」
「お前は、駄目だぞ」
秀雄が何か言おうとしたところを南部課長が遮った。
「え?」
「武田には、伊藤君とのパイプ役をやってもらわないといけないからな」
「……分かりました」
「――――!?」
そのことで、僕は閃いた。
「あの……? 他に誰か雇ってもいいでしょうか?」
「勿論だよ。君の会社なのだから、好きにしたまえ」
「じゃあ、恭子さんの他に妹と水谷さんを事務員として雇いたいと思います」
「ユウちゃん!?」
秀雄が驚いた声を上げた。
「いいアイディアだと思うけど?」
「……確かにそうかも……」
「じゃあ、警備会社の件は、話を進めてもいいかな?」
「はい」
「では、この書類を持って帰って必要な箇所を記入してくれ」
「分かりました」
僕は、南部課長から書類袋を渡された――。
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