カノン

 兆候はあった。

 例えば、君は猫が好きだった。単身ふらりと何処かへ行ってしまっては、いつの間にか傍にいる。行方を心配する君の表情には、心配と羨望とが混在していた。

 例えば、君は鳥に妬いていた。両翼を羽ばたかせては、青に溶けてゆく。その自由を君は羨み、欲していた。

 例えば、君はよく海へ行った。何も言わずじっとそれを眺める君は、そのまま泡になって消えて行ってしまうような、そんな儚さを帯びていた。

 例えば、君は僕を愛していた。こんな偏屈者を好きだなんて、君は変わっているよ。口癖のようにそう言う僕。その度君は切なそうに微笑んで、僕にそっと口付けをした。

 少し広い部屋に一人。もしこの部屋が僕の心情風景を写し出す鏡だったなら、もっと過ごしやすい狭さになってくれたろうに。でもそうなってしまったら、君は僕を「心の狭い男」と茶化し笑うのだろう。そう独り想起しては、部屋の隅で丸まる。

 脈絡など無く、ただ、ふと思い立って押入れの奥のギターを手に取ってみる。チューニングは狂い、弦は錆びているそれを数年ぶりに掻き鳴らすと、僅か五度目のピッキングで弦が切れてしまった。

 一音抜けの和音が真白な部屋に木霊する。耳障りの悪いカノンコードを、誰も聴いてはいないのだけれど。

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