第15話  知らない方がいいかもしれない


「思っていたよりも興味深い展開になったので、質問を許しましょう」


 オクタヴィアが言った。

 彼女は先ほどまで放っていた高圧的な態度が薄れ、少しこの状況を楽しんでいるように見えた。


「ここ数百年で、『エルフのようなもの』を『偶然見かけた』人間はいても、『エルフ』と『会話をした』人間はそうそういません。こんな貴重な機会を逃すほど愚かしいこともないでしょう」


 オクタヴィアは目を細めて僕をじっと見た。

 その様子は、まるで僕が次に何を言うか、何をするかを興味深く観察しているかのようで、少し居心地が悪くなる。

 しかし、ここで彼女の機嫌を損ねては訊けることも訊けなくなる。少なくとも、彼女はいま僕に『質問をすること』を求めている。それだけは間違いないのだ。


「気になることがある」


 僕が口を開くと、オクタヴィアは口角を少しだけ上げて、首を傾げた。


「あんたは何百年もずっと生きていたんだろ。それで、どういう理由かは知らないけど人間から隠れて暮らしていた。なのに、どうしてここ数週間で何度も姿を見せているんだ?」


 僕の言葉に、オクタヴィアの眉がぴくりと動いた。それから、彼女は僕から目を逸らしつつ苦笑いを浮かべた。


「良い質問ですね。……しかし、それについてはむしろ私が訊きたいくらいなのです」


 オクタヴィアはそう言って、視線を宙に泳がせる。


「エルフという種族は、産まれた時から死にゆく時まで、常に自然と共にあるものです。ですから、すべからく、ダンジョンのことは人間よりもずっと詳細に把握しています」


 彼女はゆっくりとした口調で語った。


「その上で、私はダンジョン内で『人間の入り込む余地のない領域』に身を隠し続けました。何百年もです。しかし、ここ数週間はどうも様子がおかしい」


 目を細め、そう続けたオクタヴィアの口調は、苦い虫を噛み潰したような、不快感の滲み出たものだった。


「大規模な地殻変動や地震でも起こらない限り崩れるはずもない壁が崩れ落ちたり、不自然に大穴が開いたりして、私の隠れ場所がどんどんと暴かれています。偶然と言うには出来すぎている」

「誰かがあえてそうしていると?」

「そうとしか考えられません。しかし……」


 そこまで言って、オクタヴィアは悔しそうな表情を浮かべた。会話してみると分かるが、彼女は感情が思い切り表情に出るタイプのようだった。


「その工作を行っている人物、もしくは人ならざる何か……どちらでも構いませんが、とにかくそれが分からない。それに、壁を崩したり穴をあけたりしている方法も、おおかた予測はついていますが、はっきりとは分からないのです。遊ばれているような気分がして、非常に不快です」


 オクタヴィアはそう言ってから、無言で僕をじっと見つめた。

 明らかな意図を含んだその視線と沈黙に、僕は慌てて、首を横に振った。


「ぼ、僕じゃないぞ! こんな細い身体で壁に大穴を開けたりできるもんか!」


 僕の答えに、彼女はくすくすと肩を揺らして笑う。


「もちろん、分かっていましたが」

「真顔でからかうのはやめてくれ」

「からかったわけではありません。視線に籠もる意味を理解できるかどうか、試しただけです」


 オクタヴィアは鼻を鳴らして、僕から視線をはずした。

 そしておもむろに彼女が指を鳴らすと、突如僕の真横に灰色の岩石で形成された粗削りの柱が出現した。


「なっ……」


 彼女がこの空間に木の切り株を出現させたときにも思ったが、これは一体どういう仕組みになっているのだろうか。あまりにも突飛な出来事に口が自然と開いてしまう。


「身体が細かったとしても、岩壁などに大穴をあけることは容易です」


 オクタヴィアはそう言ってから、再び指をぱちんと鳴らした。その瞬間に、僕の隣の岩柱がはじけ飛ぶ。


「ひぇっ……」


 岩の破片が飛んでくるかと思い咄嗟に顔を腕で隠したが、腕に何かが当たった感触はない。おそるおそる腕を顔の前からどかして辺りを見ると、岩の柱は跡形もなく消え去り、破片などもきれいさっぱり消え去っていた。

 困惑する僕を差し置いて、オクタヴィアは言葉を続ける。


「ただし、それは魔力を有する人間に限っての話です。あなたからは、驚くほどに、微塵も魔力が感じられない。人間が生まれながらに持っている魔力の最低値をも下回っているのではないかと懸念するほどです」

「そ、そんなに……?」

「ええ。ですから、あなたが私の気付かない手口で、あれほどのことをやるような人間ではないことは分かっています」


 会話のペースが完全にオクタヴィアのペースで進められていることに多少の居心地の悪さを感じながらも、彼女の語り口には妙に惹きこまれるものがあった。彼女の声音、話すペース、そしてころころと変わる表情、そのすべてが心地よかった。

 おそらく、これはエルフの持つ特徴なのだとおもう。文献にも、エルフは『森の吟遊詩人』と呼ばれていた時代があったのだと記されている。


「まあ、それは良いでしょう……小賢しい真似をする人間は、私が一人で必ず見つけ出して相応の報いを受けさせます。……それで、他に質問は?」


 オクタヴィアは首を傾げて僕を見つめた。彼女の瞳も、不思議だった。

 見つめていると吸い込まれそうになる、薄い碧色の瞳。知的な輝きを放つその眼は、僕の中のすべてを覗き込んでいるのではないかという錯覚を僕に覚えさせる。


「ん?」


 彼女の瞳をじっと見つめたままになっていた僕に、オクタヴィアはもう一度首を傾げてみせた。僕ははっとして、頭を振る。

 そうだ。最初から、一番気になっていたことがあるじゃないか。


「ここは、どこなんだ。さっきまでいた場所とは明らかに様子が違うだろ。僕たちは今どこにいるんだ。エルシィたちは?」


 僕が訊ねると、オクタヴィアは不思議そうに片眉を上げた。


「ここがどこだか分からないと……?」

「だからそう言ってる」


 僕の返答に、オクタヴィアは眉を寄せて、細い顎に手を当てた。


「あなたは『古代エルフ文化史書』を読んだのでは?」


 彼女の問いに、僕の胸はズキリと痛んだ。彼女の言葉から、簡単に察しがついてしまう。

 つまり、最後まで読んでいれば、この空間についての記述はあった、ということなのだろう。

 冒険者たちに急かされて本屋を出ることがなければ……と若干後悔しかけたが、それを言ってしまうと、急いでここに来なければオクタヴィアと邂逅することもなかったのだ。堂々巡りである。


「……最後まで読み切る前に、ここに来ることになってしまったんだ」


 視線を落としながら僕が正直に言うと、オクタヴィアはくすりと笑って「なるほど」と頷いた。


「では、あなたのために、一つだけ助言を差し上げましょう」


 オクタヴィアは笑顔でそう言ってから、急に、真顔になった。


「忘れなさい」


 その言葉は、妙な迫力を帯びていて、僕はすぐに返事をすることができなかった。


「ここに来たことも、私に会ったことも、そして、『古代エルフ文化史書』のことも。すべて忘れなさい。それが人間のあなたにとって、最も良いことだと私は思います」

「どうして? せっかく目にした新しい事実を忘れるのが良いことだって言うのか?」


 僕が言葉を返すと、オクタヴィアは一瞬眉をぴくりとさせたが、すぐに首を縦に振った。


「その通りです」

「どうして」


 僕がもう一度問い直すと、オクタヴィアは僕の目を見つめたままたっぷりと間をとって、口を開いた。


「知ってしまえば、知らなかったことにはできません。知識とは、そういうものです」


 オクタヴィアの言葉に、僕は息を飲んだ。

 僕は今まで、新たな知識を頭に詰め込むことに喜びを見出していた。それが楽しかったし、素晴らしいことだと思っていた。

 しかし、逆の考え方をしてみたことはなかったのだ。

『一度知ったことは、しらなかったことにはできない』と、そんな発想をしたことは一度もなかった。


「私という存在も、この空間も、そして、この世界そのものも、人間であるあなたには理解の及ばない『理屈』で成り立っているのです。人間よりもずっと長く生きた私ですら、世界の全貌を把握することは不可能に等しいと感じています」


 オクタヴィアは睨みつけるでも、微笑みかけるでもなく、生温かい温度を伴った瞳で、僕を見つめた。


「あなたの知っている『世界』の裏側に踏み込むことは、あなたの今後の人生を狂わせることにつながるかもしれない。それでも、あなたは『知りたい』と思いますか」


 オクタヴィアはゆっくりと首を傾げ、口角を上げた。


「知らない方が良いことも、あるのです」


 僕は、言葉を失う。

 オクタヴィアは僕をじっと見つめている。話を切り上げる、という様子ではなかった。

 明らかに、僕の返答を待っているのだ。

 試されていると思った。


「僕は」


 息を吸って、オクタヴィアの瞳を、見つめ返した。




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