第13話  見間違いじゃない


「おかしい」


 一日の野営を経て、山内ダンジョンを散策して数時間ほどした頃、エルシィがそう口にした。


「前に来たときは、このダンジョン、魔物だらけだったよ。なのに、今日は一匹も遭遇しないなんて」


 エルシィは目を細めて、前髪の毛先を指で弄んだ。


「しかも、どこかに潜んでるって感じでもない。気配も感じないし、足跡すら見当たらない。なんか、変だよ」


 エルシィの言葉に、ラッセルも神妙に頷いた。


「確かに。これだけの時間探索して一度も魔物に会わないっていうのもおかしな話だ。お前の言う通り、この山は魔物の活動が活発なダンジョンだったはずだ」

「魔物がいないと、何か困るのか?」


 僕が訊ねると、エルシィとラッセルは目を丸くして僕を見たが、すぐに首を傾げた。


「いや、別に困るわけじゃないけど……」


 エルシィは口ごもって、頭をぽりぽりと掻いた。そして、目線を宙に彷徨わせながら言う。


「困らないけど……自然じゃない。っていうか」

「よく分からないな」

「アシタが本を読まずにお外で身体を動かして遊んでる、みたいな感じだよ」

「この世の終わりかよ」


 エルシィの例えに、僕も合点が行った。

 困るわけではないが、不気味なほどの“不自然”だということなのだろう。


「誰かが殺して回った?」


 ウーナが首を傾げたが、ラッセルはその言葉をすぐに否定した。


「そんなことが起こってたとしたら、もっと血の匂いが立ち込めてるだろうよ」

「血の匂いは、しない」


 ウーナも頷いて、スンと鼻を鳴らす。

 魔物がダンジョンからいなくなる理由があるとしたら。


「なにか、魔物が怖がるようなことがダンジョンの中で起こっているとか」


 僕が当てずっぽうに言ってみると、意外なことに、他の三人もそれに同意した。


「その可能性は高い。俺たちが足を踏み入れるよりも前に、このダンジョンの外に魔物が逃げたか、もしくは」

「ダンジョンの奥に逃げ込んだか」


 ラッセルの言葉を追うように、エルシィが言う。

 僕はううん、と唸って、顎に手をやった。どちらにしても、難儀な状態なのは変わらない。魔物がダンジョン外に逃げていたとしても、ダンジョンの中には、魔物を怯えさせるような『何か』が潜んでいるということだ。そして、ダンジョンがこれよりも奥へ逃げて行ったのだとすれば、この後の冒険でまとめてそれを相手することになる。


「まあ、どのみち」


 数秒の皆の沈黙を破るように、ラッセルは肩をすくめた。


「進むしかないんだけどな」


 その言葉に、思わず失笑した。


「違いない」


 僕が頷くと、エルシィも鼻を鳴らした。


「でも、気を付けたほうがいいのは確か」


 ウーナはそう釘を刺してから、腿にとりつけたホルスターから魔装銃を取り出した。


「何が起こっても、おかしくない」


 彼女の言葉に皆頷いて、さらに緊張感を高めて、探索を再開した。





 結局、その後数時間探索を続けても、一度も魔物に出会うことはなかった。

 これは明らかに異常だと感じた冒険者3人は緊張の色を濃くしたが、不気味なほどに何も起こらないまま、探索は続いた。

 そして、目の前にある、これだ。


「こんなもんは、前までなかったな」


 ラッセルが、背中に括っていた大剣を引き抜いて、言った。

 大きな、穴だ。

 壁に、明らかに『崩れ落ちたのだ』と分かる穴がぼこりと開いていた。奥は暗くなっており、入口からでは何も見えなかった。


「私がエルフを見た時に立ち入った穴も、こんな様子だった」


 ウーナが静かに言った。


「この奥に、いるかもしれない」


 誰も、『何が』とは問わない。

 訊くまでもないことだった。


「……行くぞ」


 ラッセルが小さく、しかし力強い強制力を持った声でそう言った。

 冒険者3人は武器を構え、僕はランタンを肩の高さまで上げて持ち、後に続いた。


 壁に開いた穴に足を踏み入れた途端に気付いたのは、地面の土の質が明らかに変わったことだ。

 つい先ほどまでは岩を削ったような、ごつごつとした感触のある地面だったが、穴に踏み込んだ瞬間、地面が急に平らになり、ランタンの光を当てると、白く細かい砂が敷き詰められたような地面だった。

 冒険に慣れていない僕でも、ここまで急激な地盤の変化には違和感を覚えた。少し前を歩くウーナをちらりと見ても、やはり彼女も地面にちらちらと視線を落としていた。


「止まれ」


 少し進んだところで、ラッセルが後ろの全員に制止をかけた。言われたとおりに、ピタリと足を止める。


「アシタ、ランタン貸せ」


 ラッセルが左手をこちらに伸ばしてくるので、持っていたランタンを渡してやると、彼はそれを受け取って前に掲げた。

 前方が照らされて、光の延長線上に、何か四角い物がぼんやりと浮かび上がった。

 目を細めると、ぼんやりとしていたものがはっきりと見えてきた。

 隣のウーナが息を吸い込んだ音が、はっきりと耳に響いた。


「私が見たのと同じ」


 ウーナが零すようにそう言うのを聞きながら、僕の目は穴の奥の『四角い物』に釘付けだった。

 そこにあったのは、『檻』だった。

 そして、中には確かに、人のようなシルエットがぼんやりと浮かんでいる。


「近付こう、ラッセル」


 気付けば、僕は急かすようにそう言っていた。僕の声で、ラッセルは我に返ったようにはっと息を吸い込んで、頷いた。

 ラッセルがランタンを持って慎重にその『檻』に近づいてゆく。僕たちも、それに続いてゆっくりと進んだ。

 いよいよ檻の目の前までやってきた時、僕たちは再び息を飲んだ。


 檻の中にいたのは、絶世の美女だった。

 金色の、すとんと落ちた美しい長髪。絹のような肌。切れ長の目に、すっとした鼻、そして、薄桃色の唇。

 白く、薄い生地のドレスのような服を着て、その美女は感情の籠らない表情で僕たちに視線をやっていた。目はしっかりと開いている。しかし、言葉を発さない。

 その浮世離れした美しさと、静かすぎる様子に、彼女が本当に生きているのか分からなくなった。

 そして、僕の視線はある一点に釘付けになった。

 耳だ。

 彼女の、耳。


「……本物だ」


 僕は思わず、そう呟いていた。ウーナが僕の横顔をじっと見るのを感じた。


 檻の中の女性の耳は、尖っていた。

 針葉樹の葉のような、鳥の羽のような、細く鋭く、美しい形だった。

 普通の人間の耳は、あんな形をしていない。

 紛れもなく、あれは。


「エルフだ。ウーナの見間違いなんかじゃない」


 僕は、少し上ずり、震える声で、そう言った。

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