第1章

第1話  本屋から出たくない


 今日は休日である。

 僕が決めた。


 昨日は散々な目に遭ったので、今日は店を完全に閉め切って、一日中読書にふけって過ごすのだ。

 外で受けたストレスは読書で発散するほかない。


 僕はウキウキとした気持ちで店前の看板をたたみ、店のドアに二重の鍵を閉め、店内を明るく照らす電灯をすべて消した。

 そして、カウンターの上に置いてあるお気に入りの小型ランタンにのみ灯りを灯す。

 完璧だ。


 ここまですれば誰にでも、今日この本屋が営業していないことは理解できるだろう。

 あとは日が暮れるまで、いや、夜が明けるまで本を読み漁るのみだ。

 僕の読書を邪魔する者はいなくなった。


「よし、じゃあ途中だったルーベル刺繍文化史を……」


 店長の愛用していたふかふかのチェアに深く座り、硬くずっしりとした、片手で持ち上げるにはあまりに重い文化史書を膝の上にのせて、すぐにそれを読みださんと僕がページに指をかけた瞬間。


 コンコンコン……


 店のドアをノックする音がした。


 出鼻を挫かれ、僕はムッとした表情を隠しもしない。

 誰だよ。どう見ても閉まってるだろ。


「本日は閉店でーす……」


 独り言のように、小さな声でそう呟いて、僕は再び膝の上の本に目を落とす。

 反応がなければすぐに諦めて帰るだろう。


 ドン、ドンドン!


 ……そう思ったのは間違いだった。

 先ほどよりも強い力で、ドアがノックされる。


「もしもーーーーし!!」


 続いて、外から大声が聞こえてきて、僕はすぐにその声の主を理解した。


「エルシィか……」


 先日僕の護衛をあまりに適当にこなし、ひどい目に遭わせた張本人である。

 正直今は声も聞きたくない。


「無視だ、無視」


 決意して、僕は三たび、本に目を落と……


 ドンドンドンドンドンドンドンドン!!!!!


「いるのは分かってるんだからなーーーーーッ!!!」


 うるさい。

 借金の取り立てか。


 ここまで来ると、こん負けしたほうの敗北である。

 僕は居留守を決め込むぞ。

 永遠にそこでノックしていろ。


 ガン!

 ドンドンドン!!

 ガッ! ガッ!

 ズドン!


「キックとタックルはやめろ!! 扉が壊れるだろ!!」

「あ、やっぱりいたじゃん」


 一瞬で根負けしてしまった。

 さすがに店長から任された店を破壊されてはひとたまりもない。

 慌てて開けてしまった扉の前には、予想通りの人物が立っていた。


「何の用だよエルシィ」

「ちょっと見てほしいものがあってさ。入っていい?」

「ダメだ。今日は休業だ」

「お邪魔しまーす」


 この人話が通じません!


「うわ、暗っ!」


 ずかずかと店内に入って来て、きょろきょろと首を動かすエルシィ。

 首の動きと同時に、ミディアムショートの金髪が揺れた。


「文句があるなら帰れ」

「べつに文句は言ってないでしょ。感想だよ、感想」


 依然、帰る素振りを見せないエルシィに、僕もさすがに観念する。

 店内のいくつかのランタンに火を入れ、あたりが見える程度の明るさを作ってやる。

 エルシィはその間、目をぐっと細めて、本棚に並ぶ本を凝視していた。


「アシタってさ、ここに毎日住んでるんだよね」

「そうだけど、それがどうかしたのか」


 エルシィは何かおかしなものでも見るような目で僕を見て、言った。


「頭おかしくならない?」

「ならねえよ! むしろ天国だろうが!」

「いや無理無理! あたしなら数日で発狂するね、こんな本だらけの部屋にいたら!」


 両手をぶんぶんと振って、エルシィは苦悶の表情を見せた。

 なんて失礼なやつだ……そんなにこの空間が気に入らないならさっさと帰れ。

 と、言いたいところだが、そう言って帰る人物でないのはさすがに理解している。


「で、見せたいものって?」


 さっさと用件を済ませてもらおう。


 僕はカウンターの中に入り、ソファに深々と腰をかけた。

 今日に限ってはこいつを客として扱う気はない。どんな態度で接しようが文句を言われる筋合いはない。

 エルシィも僕の態度をさして気にする様子もなく、カウンターにたったと走り寄って来る。

 そして、なぜか自分のシャツの胸元のボタンを一つはずした。


「おい」

「ん?」


 何をしているんだ、と問おうとするのと同時に、エルシィは自分の胸元に手をぶすりと突っ込み、すぐに抜いた。


「ほら」


 そして、手の中に握った何かを、掌を広げて僕に見せてくる。


「ほら、じゃねえよ! なんでそっから出した!」


 突っ込まずにはいられなかった。

 胸元から物を取り出すやつがあるか。戦時の女スパイでもあるまいし。


「え、だってここが一番安全だし」

「安全って……」

「誰もここに手とか入れないでしょ」

「……まあ、確かに」


 納得してしまった。


「そんなことより、これ」


 そんなこと、と片付けられても困るが、僕の興味はすぐにエルシィの胸元から、エルシィが差し出した物品に移り替わった。

 エルシィの手の上にのっていたのは、小石ほどの大きさの、金色に輝く金属のようなものだった。


「へえ……」


 僕は意識もせずに、自然とルーペを取り出していた。

 目の前にある物体に対する知識欲を満たさずにはいられない。


「触っていいか?」

「もちろん」


 エルシィから金属のような物体を手渡され、受け取る。


「……生温かい」

「スケベ」


 反射的に感想を口にしてしまったのもどうかと思うが、どう考えてもそんなところにしまっていたエルシィが悪いと思う。


 冗談もほどほどに、ルーペで表面を拡大して見てみる。

 表面に彫刻が施されている様子はない。

 装飾的な意味よりも、何か実用的な意味を持っていた物体なのだろうか。


「今日の朝イチにダンジョン潜って、これ見つけたんだけどさ」


 手持無沙汰な様子でカウンターで頬杖をつきながら、エルシィが言う。


「どっからどう見ても『金』じゃん。だから鑑定士のところに行って値段つけてもらおうと思ったのに」


 エルシィはその時のことを思い出したように、しかめ面を作った。


「これは金じゃない、の一点張りでさ。値段はつけられないって言うの。でもどう見ても金ぴかじゃん! 価値がないわけないと思って!」


 それで僕のところに来たわけか。

 エルシィが突然店に押し入ってきた理由が分かったところで、ちょうどこの金属の性質も見えてきた。


「今回に限っては、その鑑定士の言うことに賛同だな」

「え、そうなの?」


 エルシィは僕の言葉が予想外だったようで、目をまんまるに見開いた。

 僕はソファから背中を離して少し前のめりになり、エルシィにも金属がよく見えるようにする。


「いいか。確かに金ぴかで価値がありそうに見えるが、よーく見てみろ」


 ルーペをエルシィに手渡して、金属の表面のある一部分を指さす。


「あ、なんか、なんだこれ。ここだけ黒い」

「だろ? あと、裏にも同じようにいくつか黒い部分がある」


 僕はエルシィからルーペを回収して、言葉を続けた。


「よく見ると、これは外側から削れてるんだよ。金色の部分が削れて、黒色が露出してる。つまり」

「外側から何か塗ってあったってこと?」

「その通り。金がとれなかった昔の文明では、金色の塗料で王家の家財を飾っていたっていう記録もある。おそらくその名残かなにかだ」


 僕の言葉を聞き終えると、エルシィは露骨にがっかりとした様子で肩を落とした。


「なぁんだ……じゃあほんとにただの石ころか」

「そうなる。僕に見せたところで結果は一緒だったな」


 今回のこれに関しては、僕の知識が役に立った、というわけでもない。

 表面が少し削れていることからその正体を推測することくらい、ある程度注意深い人間ならば誰でもできることだ。

 彼女はその注意深さがなかったが故に、わざわざこんなところまでやってきて、とんだ無駄足を食ったというわけだ。

 休日を邪魔されたということもあって、少し気分が良くなった。我ながらにひどい性格をしていると思う。


「まあ、そういうことなら仕方ないか。じゃあ……はい」


 エルシィは唐突に、衣服のポケットから一枚金貨を取り出して、僕の方にスッと差し出した。

 意味がわからず、硬直していると、エルシィは首を傾げた。


「ん?」

「いや、ん? ではなくて」


 僕は眉を寄せてエルシィに訊ねる。


「なんだこの金貨は」

「え、いらないの?」

「いや、何、何金貨だよこれは! なんで僕に差し出してるの!」


 新手の詐欺か何かか。

 これを手に取ったら突然ダンジョンに連れていかれるとかそういうことなんでしょう!

 分かってるんだからな。


 僕の質問に対して、エルシィは質問の意図が分からない、と言ったような顔でさらに首を傾げた。

 そして、当たり前のように、言った。


「え、だってこれがお金にならないってこと教えてくれたじゃん」


 その発言に、再び僕の思考はフリーズする。

 そして、すぐに高速で回転しだした。


「いやいや、金にならないってわかったんだろ? それなのに僕にこんなの渡したらお前が損するだろうが」

「でも、教えてくれなかったらあたし納得できなかったし」


 エルシィは僕の反論に対しても、あっけらかんとして答えた。


「それに、これからはちゃんと表面見て、傷がついてるかとか確認すればさ、自分で価値を判断できるでしょ。だから」


 エルシィは再び、僕に力強く金貨を差し出してきた。


「これは情報代」

「お、おう……」


 納得できたわけではないが、エルシィは言い出すと聞かないタイプなのはもう知っている。

 今回は、ありがたく受け取っておくことにした。


「今日の晩御飯は贅沢したら?」

「貯めて本を買う」

「うわ……」


 露骨にドン引きされるとさすがの僕も傷ついちゃう。

 美味しい飯よりも新しい本の方が欲しいんだもの。仕方ないじゃないか。


 とはいえ、エルシィの用件も思っていたよりさっさと片付いてしまった。

 後はこいつを追い払って再び読書に打ち込むだけだ。


「用は済んだろ? 帰った帰った」


 僕が言うと、エルシィはそこでスッと動きを止めた。

 そして、横目で僕を見る。

 嫌な、予感がする。


「もう一つ、あるんだけどさ」


 そら来た!

 大体こいつがこういう切り出し方をするときは、そのあとの展開は読めている。


「ダンジョンには行かないぞ」

「まあまあ、聞いて聞いて」

「絶対に嫌だ!!」


 もう二度とダンジョンには行かない!

 何度目かも分からない誓いを昨日、立てたのだ。

 今度こそこの誓いを守り抜いてみせる。


「あのね、洞窟の六層に、突然大穴が開いてさ」

「聞きたくない!!」

「その中に、明らかに前時代の遺物っぽいものがごろごろ転がってたんだけど」

「へー! そりゃすごい!」

「一つ一つが大きすぎてさ、持って帰ってくることができなくてね」

「大変だなぁ」

「それが何かが分かって、価値のあるものだと証明されれば、商人たちが魔車ましゃを使って運びだしてくれるって言うんだけど」


 最後まで言われなくとも、文脈から言いたいことはとっくに読み取れている。

 しかし、僕の気持ちは変わらない。


「お願い! 一緒に来てほしいの」

「嫌だ」

「アシタしか頼れる人がいないんだよぉ」

「ご愁傷様」


 聞く耳持たぬとはこのこと。

 一瞬でも甘さを見せればそこに取りつかれるのだ。

 もうこいつの口車には乗らない、絶対にだ。


 僕の頑固な態度を見てか、エルシィもついにぐっと黙り込んでしまった。

 よし、そのまま諦めてしまえ。

 僕でなくても、適当な考古学者を連れて行って、いい感じに鑑定してもらえばいいのだ。


 エルシィは神妙な面持ちで、腰に付けた布のポーチをまさぐった。

 分かるぞ。追加で金をちらつかせようって魂胆だろう。

 ちょっと情報が売れなくなってきてる頃にそれをやられて、僕はダンジョンに連れ出されたことがある。もう同じ手は食わない。


「来てくれたらこれあげよっかなって思ってたんだけど……」


 ポーチから出てきた物品を見て、僕はソファから飛び跳ねるように立ち上がった。


「古代エルフ文明史書!?」


 実物は初めて見た。実在するかも怪しいと言われていた非常に貴重な文献だ。


「ちょ、ちょっと見せくれないか……」


 僕が手を伸ばすと、エルシィは本をスッと自分の後ろに隠す。

 そして、いたずらっぽい笑顔で、言った。


「ヤダ♡」


 この女……!

 甘く見ていた。まさか本を餌に僕を釣ってくるとは、こいつにそこまで考えられる頭があるとは思っていなかった。

 しかも、よりによって、あの『古代エルフ文明史書』である。

 今まで多くの文明史書を読んできたが、絶滅したと言われている『エルフ族』について詳しく記してある本は一冊もなかった。

 様々な本から少しずつの情報を得ることはできているが、すべて情報が曖昧で、かつ断片的なのだ。

 つまり僕は『エルフ族』という種族について多くのことを知らない。

 今、エルシィの手元にあるその本が、僕の求めている知識を補完してくれることは間違いなかった。


「ひ、卑怯だぞ……」

「んふふ、交渉ですから」


 エルシィはそう言って、ウィンクして見せた。

 悪魔め……。


「で、どうするの」


 エルシィは僕に時間を与えまいと、決断を迫ってくる。


「来るの、来ないの」


 ダンジョンには行きたくない。

 本屋から出たくない。

 しかし……


「…………分かった、行こう」


 その本は欲しい!!!!!



 惨敗である。

 昨日立てた誓いは、儚くも一日で破られることとなってしまった。


「まいど。じゃあ、明日、昼前にイシス二番街の噴水前に来て」


 エルシィはにこっと笑って、そう言った。

 それを聞いて、即座に疑問が浮かび上がる。


「ん? 洞窟に行くんだろ? なぜわざわざイシスで集合するんだ」


 イシスは洞窟ダンジョンからはかなり離れた、北の土地にある中規模街だ。

 冒険者の集う『ギルド』などがある街で、冒険者の立ち寄りどころとしては有名な街だが、そこに僕が行く必要性が分からない。


 僕の問いに対して、エルシィは呆れたような笑いで返した。


「いや、だって今回行くの、第六層だよ?」


 エルシィの言葉で、僕はハッとした。

 洞窟ダンジョンは、どんどんと地下へと潜ってゆく『階層構造』になっていることが分かっている。それはこのダンジョンがはるか昔に人為的に作られたことを意味しているとも言えるが、現状、ダンジョンの最下層へとたどり着いた者はいないとされている。

 層が地下に下がれば下がるほど、人間の手の届いていない場所となり、必然的にそこは強力な魔物の巣窟となる。

 昨日潜ったのは洞窟ダンジョンの第一層である。比較的下級の魔物のみが生息しており、冒険者の危険度は非常に低い。


「それでさ、第一層で……ふっ……あの様子だったわけじゃん」


 失笑を交えたエルシィの言葉で、僕は彼女の言わんとしていることを理解した。

 その通りだ。僕は第一層ですら安全に歩けないほどの戦闘能力しかないのである。


「ゴブリンに殺されかける人を第六層で守り切れる自信ないよあたし」

「はっきり言い切るなよ! 守れよ!」

「だから……」


 エルシィは人差し指をびしっと立てて、僕に言った。


「明日は防具を作りに行くよ」


 防具……。

 自分とは無縁の存在だと思っていた単語が飛び出して、僕は気持ちがどんどんと萎えてゆくのを感じた。


「僕、冒険者じゃないんだけど」

「死んでもいいなら作らなくてもいいけどさ。死んだらエルフ……うんたらかんたらって本読めなくなっちゃうよね」


 エルシィの言葉で、ぐっと言葉が喉に詰まるのを感じた。

 こいつ、だんだんと僕の急所を理解し始めている……?


「……分かったよ」

「よろしい」


 エルシィは満足げに頷いて、カウンターの前で踵を返した。


「じゃ、明日の昼前ね。ちゃんと来るんだよ」

「おい、待て」


 何を普通に帰ろうとしているのだこの女は。

 エルシィは不思議そうな顔で振り返って、首を傾げた。


「ん?」

「本」


 僕がエルシィに、手を差し出すと、エルシィは「あー」と理解したように頷いた。

 そして、悪魔的な笑みを浮かべて、言った。


「後払いね」



 人間の、目のついている位置からして、自分の表情は見ることができないが。

 おそらくこの時の僕の表情は、この世のすべての悲しみを集めたようなものであっただろうと、思う。

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