本屋の店員がダンジョンになんて入るもんじゃない

しめさば

プロローグ  本を読んで過ごしたい


 最初にはっきりと言っておきたい。

 僕、アシタ・ユーリアスは、寂れた本屋の店員である。


 本屋の店員と言えば、ピンとこない人はほとんどいないように思う。


 仕事内容は、そう。

 ちょっとかび臭くて静かな店内をゆっくりと歩き回って、棚の本が綺麗にそろっているかを確認して回ったり。

 やることがなくなれば本を読みふけりながら店番をしたり。

 誰もが想像するような、それである。


 ……少し。

 いや、だいぶ。

 だいぶ、嘘をついてしまった。謝ります。

 今のは僕の理想の仕事内容であって、実状はまったく違う。


 どう違うかということについては、今僕を全力で追い回しているゴブリンをいてから説明するので、ちょっと待ってほしい。

 と、いうより。

 切実に。



「助けてほしい!!!」



 洞窟にこだまする自分の声がキンキンと鼓膜に刺さる。

 荒くなった呼吸、全身から噴き出す汗、すべてが不快だった。

 全力で走る足は止めずに、後ろを振り返ると、緑色をした90cmほどの体長の気持ち悪い生き物が、ヨダレやらなにやらをまき散らしながら追いかけてきている。

 距離はつかず離れず。

 全力で逃げる僕を、全力で追いかけてきていた。


「この……ゴブリンのくせに……ッ!」


 僕を二足歩行、もとい二足全力走行で追いかけてきている生物は『ゴブリン』と呼ばれている、ダンジョン内に生息する比較的低級の魔物だ。

 駆け出し冒険者が戦闘の訓練として戦闘を行うのにちょうどよいというのは、よく聞く話だ。

 足もあまり速い方ではなく、知能も二足歩行する生物の中では圧倒的に低い。


 そんな生物に僕がなぜ追い立てられているのか。

 理由は単純、僕の運動神経が“絶望的”だからである。

 当然だ。

 僕は冒険者でもなんでもない。

 本屋の店員なのだから。

 本屋の店員に運動神経は必要ない。ゴブリンに追い立てられることなど想定して生きていないのだ。


 と、言い訳じみたことをぐるぐると考えている間に、じりじりとゴブリンが僕との距離を詰めてきている。

 そう、まさに今、僕はダンジョン内のヒエラルキーで最も低い位置にいる魔物に追い詰められようとしているのだ。

 今行われているこの全力かけっこは、いわばダンジョン内クソザコ決定戦と言っても過言ではない。

 ここで負ければ僕は命を落として天国に行くどころか、天国でゴブリンの幽霊に「おい、焼きそばパン買って来いよ」なんて言われたとしても素直に従うしかない存在になってしまうのである。


「ま……負けるかぁーーーーッ!」


 大声を上げたところで足が速くなるわけではないと分かっていても、僕は構わず雄たけびを上げて、最後の力を振り絞る。

 振り絞られた力は胴体を下り、股関節を通り、脚の中でみなぎった。

 力強く地面を蹴って、僕は。


 小石につまづいた。


「ごっふ!!」


 間抜けな声を上げて、慣性の働くままに前方向に吹き飛んでゆく僕の身体。

 ごろごろと転がる間にいろいろな部分を地面にぶつけて、痛いのか痒いのかくすぐったいのか、僕の脳みそではもう判断ができない。

 身体の回転が止まったと同時に、僕はどうしようもないほどに理解した。


「…………終わった」


 短い人生だった。よわい21して、僕はその人生を終える。

 すべてに諦めがついて、僕は手足を広げて大の字になった。

 そのまま頭だけ横に向けると、ゴブリンは走るのをやめ、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながらじわじわと僕に向かって歩いてきていた。


「煮るなり焼くなり好きにしろーーーーッ!」


 自棄やけになって叫ぶと、ゴブリンは一瞬歩みを止めて、不思議そうに首を傾げた。

 そうだ、奴らは“煮たり”“焼いたり”を知らない生物だ。捕まえた動物をそのまま丸かじりにしちゃうような野蛮な生物なのだ。


かじるなりほじくるなり好きにしろーーーーッ!」


 言い直してやると、意味を理解したようで満足げにうなずきながらこちらへ歩いてくる。


 思いのほか、死ぬことに対する恐怖はない。

 身体が極限まで疲れているからか、もう生きることに対する執着よりも、生を諦めてしまう甘美な怠慢の方を望んでしまっていた。


 ああ、しかし。

 心残りならたくさんある。

 我が本屋の蔵書のすべてを3周は読んだけれど、4周目がもうすぐ終わりそうだったのだ。せめて4周目が終わってから死にたかった。

 それと同時に、月末に新しい本を20冊ほど入荷する予定だったことを思い出す。客が買うよりも先に、すべて読みつくしてしまおうと思っていたのに。


 そう、僕は身体から魂までの何もかもが、『本屋の店員』なのだ。

 やはりダンジョンになど来るべきではなかった。

 ダンジョンになど来なければ、みすみす命を落とすこともなかったし、ダンジョンのヒエラルキーの最底辺に属することもなかった。


 気付くと、手の届く距離までゴブリンが迫って来ていた。

 ゴブリンは勝利を確信し、にまにまと笑いながら自分の長く鋭い爪の生えた手を振り上げた。

 ゴブリンの爪は信じられないほど鋭利だ。

 無抵抗で心臓を一突きされれば、人間も一撃で命を奪われてしまう。

 ただし、低級魔物であるゴブリンが冒険者を追い詰めて、心臓を一突きして殺してしまった、などという話は一度も聞いたことがない。

 つまり、僕がゴブリンの爪で命を奪われた第一号ということになる。

 ここまでくれば自棄である。

 僕がゴブリンに殺された逸話によって、この後冒険者を始める新米がさらに慎重にダンジョンで立ち回るようになれば僕の死んだ意味もあったというものだ。

 さぁ、一突きでやってしまってくれ!


「ウッ!」


 ぎゅっと目をつむり、心臓への一突きを待っていると、これがなかなかその痛みが訪れない。

 そうか、本で読んだことがある。

 人間の脳は生命の危機に瀕すると普段の数十倍までにも思考の回転数が上昇し、世界がスローモーションに見えるほどにその能力を高めるという。

 きっと今目を開ければ、まさに心臓に爪を突き立てんとするゴブリンの姿が僕の目に映るのだろう。


 おそるおそる目を開けると、目の前にいたはずのゴブリンが視界から消えていた。


「え?」


 慌てて身体を起こすと、隣に水色の液体の水たまりができていた。

 その中心には、ついさっきまで僕を追い立てていたゴブリンが横たわっている。


「し、死んでる……」


 呟いて、すぐに僕はハッとする。

 慌てて自分の胸に手を当てて、穴が開いていないか確認した。


「い、生きてる……」

「ぶっ」


 茫然として言うと、遠くから息を噴き出すような音が聞こえた。

 声の主を確認しなくとも、僕にはすぐわかった。


「ふふっ……ゴブリンに……殺されそうになってる人なんて……んふっ……初めて見たんですけど……!」


 全身をぶるぶると震わせながら笑いをこらえている女冒険者を見て、僕の中に二つの感情が浮かび上がる。


 一つは、安堵。

 隣に横たわるゴブリンは、あの女の放った矢で心臓を貫かれたようだ。もう命の危険はない。


 もう一つは、怒り。

 考えるよりも先に、怒鳴り声を上げていた。


「僕を全力で守るって話だったよなァ!?」

「ヒーッ! お腹痛い! ごめん、ごめんって」


 僕が怒鳴ったにも関わらず女はげらげらと笑っている。


「笑ってる場合か! 契約違反だろうが!!」

「だって、気付いたらいなくなってたんだもん。あたしの後ろにいてって言ったじゃん」

「後ろにいたけどさらに後ろからゴブリンが追いかけてきたんだよ!」

「やばかったら大声上げてって言ったじゃん」

「上げました! 助けてくれ! ってすぐに叫びました」

「ご、ゴブリンに追いかけられて『助けて!』って叫んだの……んふっ……!」

「笑ってるんじゃない!!」


 目の前で目に涙を浮かべるほどに捧腹絶倒している女。

 この女はエルシィ・ミンクスという冒険者だ。

 エルシィは数日前にふらりと本屋に現れて、嫌がる僕をとある事情でダンジョンへと連れだした。


「死ぬかと思ったぞ!」

「いやぁごめんごめん、運動神経がダメとは聞いてたけど、まさかここまでとは思ってなくてさぁ」


 目尻に溜まった涙を人差し指ですくいながら、エルシィは言う。


「急にいなくなったと思って慌てて探しに来たら、足の遅いゴブリンとデッドヒートしてるもんだから……ぷっ……面白くてついつい見入っちゃってさ」

「すぐに助けろよ!!!」

「『齧るなりほじくるなり好きにしろーーーッ!』でもうダメ」


 再びけらけらと笑いだすエルシィを、僕は大変冷ややかな目で見つめていた。

 こいつ、俺の生死が関わっていた大激闘を面白半分で遠目から覗いていやがった。

 しかも、ゴブリン以外誰もいないと思って好き放題叫んでいたのをばっちり聞いていやがった。

 二度とこいつとダンジョンに潜ってなどやるものか。

 決意を固め、「もう帰る!」と言い出さんと息を吸い込んだタイミングで、


「ほら、これ」


 エルシィが僕の目の前に何か小さな球体を差し出した。


「この前言ったやつ。案外すぐ見つかったからさ」


 手渡された球体をまじまじと見つめる。

 掌で転がすと、そのサイズに見合わない重量感を感じた。

 すぐに、ズボンの尻ポケットにしまっていた小型の“ルーペ”を取り出す。

 良かった、転んだ時にレンズが割れていたらどうしようかと思ったが、こいつは無事だったらしい。

 球体の表面をルーペで見ると、何やら細かい紋様がびっしりと表面を埋め尽くしていた。


「これは……前時代のネブルシュカ象形文字。いや……」


 まだ断定はできない。ネブルシュカ象形文字と非常によく似た象形文字は同じ時代に数種類存在していたはず。

 しかし、どのみちこれが前時代の遺物であることは間違いない。


 球体から視線を上げ、エルシィを見ると、彼女はワクワクした様子でこちらをじっと見ていた。


「どう?」

「……今ここで確実なことは言えないけれど、これが前時代の遺物なのは確かだ」


 僕が言った途端に、エルシィの表情がパッと明るくなってゆく。

 彼女は小さくガッツポーズをした。


「よっしゃ! やっぱ連れてきてよかった」


 エルシィは僕の肩をぽんぽんと叩いて、にっこりと笑った。


「ありがと。そのへんのエセ考古学者に訊いてもみんな曖昧なことしか言わなくてさ」


 心底嬉しそうに笑っている彼女の表情を見て、僕の先刻までの怒りはやり場を失ってしまった。


「ま、まあ……役に立ったなら良かったけど」


 僕は小さな球体をエルシィに返し、踵を返す。


「とりあえず、さっさと帰ろう。死にたくない」

「ぷっ……大丈夫、帰りはつきっきりで守ってあげるから」


 エルシィがけらけらと笑って、ダンジョンの出口の方面へと一歩踏み出す。

 僕もそれに続いて、ダンジョンの出口を目指す。





 僕の務める小さな本屋は、多くの冒険者が訪れる洞窟ダンジョンのすぐ近くに建っていた。

 それは、今は旅に出てしまって留守にしている店長が決めた立地で、どうやら彼は冒険者が立ち寄って本を買ってゆくことを期待していたようだ。

 僕に留守を任せて彼が旅に出てしまってから、数年一人で本屋を営んできたが、その間に分かったことは一つ。


 冒険者は、ほとんど本を買って行かない。


 奴らは、本を読むよりも冒険に出かけて、獣を狩り、美味い飯や酒を飲むことの方が好きなのだ。

 ダンジョンの近くに本屋があったところで、ちょっと覗いて、すぐに店を出てしまう。

 本が売れなければ、当然金は入らない。

 金が入らないということは、僕の生活にかかる費用はこの仕事では賄えないということになる。

 それは困る。非常に困る。

 僕は毎日、毎時間、毎分、毎秒本を読んで過ごしたい。

 本屋を出て労働することなどに割く時間は一秒もない。


 そこで、僕は考えた。

 本が売れないのであれば、“本で得た知識”を売ってやろうと。


 僕は読書においては雑食を極めている。

 物語や歴史書、論文はさることながら、冒険に行く気などさらさらないくせに冒険者の執筆したダンジョン冒険記や、魔物の生態図鑑など、字の記してあるものならばなんでも読んだ。

 結果、得たものは“膨大な知識”である。


 はっきり言って、冒険者には“学”のない人間が多い。

 冒険者たちに欠けている“知識”を売り物としてやれば、案外稼げるのではなかろうか。

 僕のその考えは、面白いほどに的中した。


 本屋の前に、目立つように大きな文字で『ダンジョン情報、売ります』と看板を立てるだけで、ダンジョン攻略に向かう冒険者がわらわらと立ち寄っていった。

 ダンジョンに関する情報はよく売れたが、中でも“骨董”と“魔物”の知識はよく売れた。

 ダンジョンで拾うことのできる収集物の中でも、高く売れるものとそうでないものがある。それを事前に教えてやることができれば、冒険者も無駄なものを拾ってこずに、高い換金率の物品だけを狙って採集できるというわけだ。


 このような方法で、僕は本屋を私物化しながら、冒険者とWin-Winの関係を築いてきた。


 ……はずだった。


 情報を売り続けているうちに、『一緒にダンジョンに入り、実物を見て判断してほしい』と言い出す冒険者が現れた。

 それは、道を塞いでいる魔物に関することであったり、洞窟の壁と一体化した前時代の遺物であったりと、口頭で特徴を聞いても判断をしにくいものについてだった。

 自分の絶望的な運動能力を考えれば、ダンジョンに一緒に行くなどということは考えたくもないことだったが、ちょうどその頃は売った情報が冒険者の中で広まってしまい、あまり新しく売れなくなってきている頃だった。

 渋々、『自分を危険から全力で守ってくれるなら』という条件付きで、僕はその依頼を飲んだ。

 その時は、一回きりのつもりだったのだ。


 思えば。

 一回きりだから!

 と言って、本当に一回きりで終わる物語は、少ない。








「アーーーーーーーーーーーッ!!!」

「動かない動かない!」

「無理無理無理無理!!!」

「動くとアシタの首も飛ぶよ」


 エルシィの言葉で、じたばたしていた僕はぴたりと動きを止める。


「いい子」


 エルシィが呟くのと同時に、僕の肩に後ろからまとわりついていた何やら触手のような魔物が彼女の放った矢を受けて後ろに吹き飛んでいった。


「うぇっ、ネバネバだよ、クソッ」

「ウケる」

「笑ってるんじゃない!!」


 もうすぐダンジョンの出口にたどり着くぞ! 

 と意気揚々に歩いていた時だった。

 突然背中にヌメリとした何かが絡みついてきて、気付くと背中から肩にかけて謎の触手にはいずり回られていた。


「ダンジョンナメクジの粘液は美容にいいらしいよ」

「それデマだからな!!」


 背中が痒くてしょうがない。

 触手のような見た目をした『ダンジョンナメクジ』は肌が微妙に痒くなる粘液を放出しながら、人間の肌の『汚れ』を餌として群がってくる。

 攻撃は一切してこないが、とにかく這いずり回られると気持ちが悪い。


「ゴブリンに追いかけられるわ、ダンジョンナメクジに背中を這われるわ」


 今日は最悪だ。

 僕は本を読めればそれでいいのだ。

 一生あの本屋に引きこもり、肉体労働をせずに幸せに暮らす予定だったのだ。

 ダンジョンに行くなんて、とんでもない。

 二度と、二度とダンジョンになど入るものか。

 もう何度そう考えたか、数えるのはやめてしまった。


 深いため息をついて、僕は疲れ切った声でつぶやく。



「本屋の店員が、ダンジョンになんて入るもんじゃない」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る