薔薇の聖餐 -4-
『薔薇の聖餐』
舞台は十六世紀、ギリシャ。
村に住む娘、キネフは神からの啓示により奇跡の力に目覚める。
神の祝福を受けた両手で様々な奇跡を起こす彼女を手に入れようと、時の権力者たちが争いを始める。
「前半は極めて牧歌的な雰囲気の中で話が進みますが、後半は四人の権力者たちが彼女を手にいれるため、ありとあらゆる手段を講じます。それにより人々が苦しみ、最終的には村人たちに彼女は殺されてしまう」
長い黒髪を無造作に束ね、化粧もしていないその若い女は、流れるような口調で述べた。イオより二つ年下、十八歳の新人であり研修中の身の上である。口紅の一つでも使えば映える顔立ちをしているのだが、本人はそれを望んでいない。
「不十分だな」
「は?」
イオの指摘に浦田ミズチは首を傾げた。
「あらすじを書くならそれで十分だ。我々にとって大事なのは、その本の「テーマ」。何故『薔薇の聖餐』という題名なのか、今の話では全く伝わらない」
「あぁ」
ミズチは細い指で乱暴に髪を掻く。真面目で優秀な後輩であるが、自分が女だと認識していないようで、その行動には時々イオも驚かされる。
「すみません、そこの準備は」
「次から気を付ければいいことだ。別に新人にそこまでの技量は求めてない」
イオは優しく言うと、そのまま続けた。
「主人公の女は薔薇の花を愛していた。権力者たちは貢物として彼女に様々な薔薇を送った。最後に村人に殺されるとき、彼女は薔薇の中に逃げ込み、そこから引きずり出されて殺される。権力を嫌っていた彼女が皮肉にもその象徴たる薔薇の中で殺され、その死すら彼らに利用された。まぁ平たく言えば食い物にされたわけだ。だからそういう題名がついている」
「なるほど。言わばこの話の主軸ですよね、薔薇は」
「あぁ」
「なのにどうして薔薇が……」
ミズチは眉間に皺を寄せて顔を上げた。
彼らが立っているのは、五分前までいた図書館の無機質な白い床ではなく、青々とした芝生が広がる平原だった。
第一章の舞台でもあり、最終章への幕引きともなる「夕闇平原」は、本来なら薔薇園が広がっているはずだった。
しかし、二人の目の前にあるのは、見渡す限りの木綿の波。地平線を真似るかのように真っ直ぐに張られた麻紐。等間隔に並べられた杭。そしてそこに翻る無数の木綿の布は、風が吹くたびに軽やかに揺れた。
「全部布になってしまったのか。……それが今回の問題ですね」
「その通り。まぁ影響範囲は狭いようだ。最終章の前に、少女はここから遠くの戦火を見つめ、薔薇が風に吹かれて舞う…となっているが、このシーンだけ木綿が舞っている」
「全部木綿だったらと思うとゾッとしますね。『異常』の中でも最上位になりかねません」
「それはそうだな。題名が木綿の聖餐になってしまうし。しかし解せないな。別に木綿に関する特別な描写はなかったはずなのに」
異常が発生する原因は様々だが、その大部分を占めるのは「印象」である。
別のシーンで強烈な印象を放っていたものが、使用者の脳裏に焼き付いて別のシーンまで影響する。
例えば食事のシーンで、ステーキの描写が細かく丁寧であり、それが使用者に強く印象として残ったとする。すると別のシーンでも、そのステーキの匂いや音が邪魔をする。
大抵は個人のレベルで修復出来るが、多くの使用者が同じ印象を受けていた場合は、修復不可能な異常へと変化する。このバグもそれと同様の現象であると思われたが、事前に本を読んでいた二人には「木綿」の印象は残っていなかった。
「まぁ時代が時代なので、麻布や木綿はわかりますが……」
「主人公が着ているのも木綿の質素な服だったが、それに特別拘っているわけではない」
「となると、直前のシーンが原因でしょうか」
「その可能性は高いな。これだけの視野面積の広い異常が発生しているにも関わらず、それ以外の夕闇平原のシーンに影響はない。直前に、何かこの異常を引き起こす原因があって、此処にだけ強い影響をもたらしたのだろう」
「このシーンは区分としてG-21です。20を展開しますか?」
「頼む」
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