第9話

 ひゅんという音がやけにゆっくりと聞こえたとハイリッヒは思った。風が止まる、音がひどく遠い。一方的殺されるのだと分かっている。知っている。なら、ならば最期まで和と共にありたい。


 ぎゅっと抱きしめたナゴミから、ぱきんと何かが割れるような小さな音がするまでは。それだけを必死に考えていた。


「和?」

「『青に属するもの』・拒絶おさわり禁止


 外見の割に低いナゴミの声が普段からは想像もつかないくらい流暢にしゃべったかと思うと、紋章たちを囲むように薄青いドーム型の結界が展開された。


 ナゴミを振り向く紋章たちを後目に。ナゴミはじっと横抱きにされたままハイリッヒを見た。いままでのとろけたような瞳ではなく、ぎらぎらと光る戦闘に慣れた者特有の瞳で。


 光の矢はすべて結界に吸い込まれるように吸収され。薄青い結界は、受けた攻撃をそのまま打った本人へと返した。

 つまり、世界の抑止力たちは驚きに目を見開く暇もなく、自分たちが放った攻撃で。塵と化した。




「ナゴミ、様?」

「嫁っこ?」


 呆然とそれを見ていたハルカとアイザックがナゴミの名前をつぶやく。


 ハイリッヒに抱えられていたナゴミの方を見れば、動きにくそうにしながらもハイリッヒにおろしてもらい、自分で立っていた。あのぐにゃぐにゃした肢体からは想像も出来ないほどしっかりと。


 ばきんごきんと首や腕をまわすたびにする音がひどく生々しくて、そのまま折れてしまうのではないかと思うほどだった。

 唖然としながらも言う通りにしていたハイリッヒが、はっとする。


にぎ、和や」

「嫁1人守れず何が夫か、だっけ?」

「は・・・」

「結局守ってはもらえなかったけど、守ろうとしてくれた、最期まで共にいようとしてくれた心意気は買うよね」

「に、和・・・」

「だからさ。じゃあ、旦那様ひとり守れずに何が嫁だっつーんだよ」


 ねぇ? にっこりと笑ってナゴミはハイリッヒを見つめる。

 ぽかんと口を開けていたハイリッヒの目が潤みだし、口元をばっと紋の浮いていない方の手で抑える。ふるふると抑えきれないように震え・・・。


「和が、和が旦那様と!」

「いま重要なのってそこじゃないですよね!?」


 感動に打ち震えているハイリッヒにハルカが突っ込んだ。とりあえずの危機も去って余裕が出てきた証だ。



 ナゴミの方はというと。それを気にした風もなく、ハイリッヒから離れるとばきばきとなまってしまった身体をほぐすようにぐるぐると腕をまわしたり、んーっと軽く身体を伸ばしたりしていた。そんな3人をおずおずと見ている他の紋章たち。カオスである。




「な、なんだよこれぇぇぇぇぇ!!」


 反逆者が叫ぶまでは。


 気だるげにそちらを見ながらはぁ、とため息をつくナゴミ。今にもナゴミを抱きしめようと腕を伸ばしてはハルカに止められている自称爺は完全に無視である。


 狂ったように、くっそ、くそ! と土を蹴っては呟いている反逆者に向けるその視線はひどく冷たかった。


「なにが?」

「ふざけんな! お前、何した!? そもそもお前人形のはずじゃあ!」

「人形に見えるように擬態してたんだけど、紋章にはわかっちゃったみたいなんだよねぇ。ってことで。工房№1524、世界の抑止力との連帯疑惑により監視として俺が送り込まれたわけなんだよ。ま、ハイリッヒのところにいかされたのは計算外だったけど」

「っ! 本部の犬が!」

「ざんねーん、俺は女王のいぬだよ。本部のじゃない」


 べっと舌を出して否定をするナゴミに悶えるハイリッヒ。頭を抱えるハルカとそんな3人を遠巻きに見つめる紋章たち。


 しかし、何かに気付いた反逆者はくっと口もとに笑みを浮かべる。


 それを怪訝そうな顔をしながら、和は見た。ちなみにナゴミが反逆者を見た時点でハイリッヒは反逆者を睨んでいた。


「なに?」

「俺の預かった抑止力の数は一万五千。さっきは五千だったから悪かったんだ、そうだ。俺のせいじゃない。だから。倍ならどうだ?」

「いや、俺の力が強いとか考えないのかよ」



 ナゴミの冷静なツッコミも何のその。



 ははははははははと狂った笑い声を響かせる反逆者から、痛まし気に顔を背けるハルカ。いまでは反逆者ではあるものの、元主人ということもあってまだ情が残っているらしい。


 その哄笑とともに、ぐぐうと空の裂け目が倍に大きくなり、そこから先ほどとは比べものにならない数の世界の抑止力たちが次々と出てくる。


 先でさえ勝機はないと思っていたのに、それをはるかに上回る比ではない数に、さすがにふざけている場合ではないと顔色を絶望に変える紋章たち。


 ただ、ハイリッヒだけはほえほえと笑っていた。別に頭がおかしくなったわけではない。ただ和がいるから。守ると言ってくれたから。だから間違いなく大丈夫と思えるだけだ。




「俺さぁ」


 ぽつりとナゴミが呟いた。


「接近戦の方が得意っていうか、接近戦しか出来ないんだよねぇ」


 右手を右耳に当てて‘収束‘小さく言葉を紡ぐ。と、手を当てた耳に小さな青い光が宿りその光がやがてナゴミの耳を飾る奇妙な形のピアスとなった。

 そしてそのまま結界の外へと歩いて出る。


 まるで目を模したかのような形のピアスに、安全な結界の中から平然とでてくる行動に。反逆者は一歩引いた。ナゴミが変な行動をしたからだ。


 そしてナゴミがそのピアスを外し、握った手を振り下ろすと。

 ずるっとナゴミの手からこぼれ落ちるようにかなり幅広な両手剣が現れた。


 ナゴミの身長の倍ほどもあるそれを軽々と片手で持っていたが、柄も含めてすべてが金属でできているから、並大抵のものは持てないはずなのにである。いったいどんな腕力をしているのか。


 刀身には大きな目玉が描かれ、斧のように振り下ろして生贄の首を一撃で骨ごと粉砕することが出来るという儀式用の剣、ラム・ダオである。

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