第8話

「おぉ、ここが大広間か。ハルカ、ここは何するところなんじゃ?」

「ここは、話し合いをしたりご飯を食べたりするところです・・・」

「そうかそうか」


 ひたひたと木目も美しい廊下を歩き、両開きの障子の前にたどり着く。

 満足そうに頷くハイリッヒとは反対に、ぐったりとした様子のハルカ。

 

 ナゴミを横抱きしている分身体的にハイリッヒの方が疲れやすいと思いきや、初めての外に「あれは何じゃ?」「これは?」と質問を連発して、いちいち丁寧に答えるハルカを消耗させていた。


 さすがに疲れてきたハルカが障子の片方を開けると、そこには9人の紋章たちがずらりと下座におかれた長テーブルの上の菓子を開けたり、コップを傾けたりしていた。


 その18の瞳、視線が一気にハイリッヒとひいてはナゴミにも突き刺さり、びくっとハイリッヒの腕の中でナゴミは震えた。

 それを愛おしく思い頬を緩めながら、ハイリッヒは広間の中に入りハルカに案内されるまま、障子に一番近い下座の端に腰かけた。


 ざわざわとざわめく仲間たちをちらりと見て、にっこりと笑う。その笑顔のまま。


にぎが怖がるから、静かにしてくれんかのぅ」


 と言い放った。


「にぎ? だれだ?」

「噂の嫁のことだろうよ」

「ああ、なるほど愛称か」

「あれか、確かにお綺麗だな」

「ナゴミ様、きれいですよね」


 など小さいざわめきが波紋が起きるがごとく大広間に広がった。

 これは静かになることはないかとハイリッヒがため息をついたとき、両方の障子を開けて主が入ってきた。


 黒い短髪に新緑の着物に深い青の羽織、顔にはいつもつけている面布。紋章たちにさえ面布をとらない主の素顔を、誰も見たことはないのだろうなとハイリッヒは思っていた。


「皆、そろったか」


 一瞬にして静まり返る大広間。

 次にわっと明るい声が溢れた。主へと笑顔を向ける紋章たちに。ハイリッヒにとっては若干不審な男であっても、他の紋章からは随分慕われているらしいと分かる光景だった。


 その中でもひと際明るい声を出していたカミーナが、うずうずとその身体を揺らしたかと思うと、主に向かって駆けだした。


「主殿、今日はどうされたんですか?」

「あぁ、皆に頼みたいことがあってな」

「主殿の願いなら大歓迎です。なんでも仰ってください!」

「そうか? じゃあ」


 主がするりと面布をとる。いままでかたくなに外さなかったその面布の下の顔は、紋章たちには劣るもののなかなかの美丈夫で、初めて主の顔を見た紋章たちは色めきだった。


 とうとう、主に面布を外させるまでの信頼を勝ち取ったのかと。ごそごそと羽織の裾を探りながら、にっこりと主が笑うとさらに歓声が上がる。


 ただ1人、すでに嫁を持つハイリッヒ以外あのハルカでさえ感動したように目を潤ませていた。

 しかしハイリッヒはその妙に張りつけたような笑顔に訝し気に目を細める。


 そして。




「死んでくれ」



「え」



 カミーナの左腕に黒い柄が生えた。


 いや、そう見えただけだ。

 実際には主が羽織の中から出したナイフをカミーナの腕に突き立てたのだ。仮にも、気が緩んでいたとしても普段は戦場に身を置く紋章たちの目をくぐり抜けて。



 し・・・ん



 静まり返る広間に、ふらふらと主から離れたところで畳にぺたんと座ったカミーナの音がやけに大きく聞こえた。やがて、そのことを、自分にナイフが突き刺さっていることをカミーナが認識するまで1分はあった。


「あ・・・ああああああああああ!!」

「カ、カミーナ! 主殿、何を!」


 いち早くカミーナのもとへと駆けつけたハルカが、その身を抱き起こしながら主を泣きそうな目で見上げる。苦悶の声をあげるカミーナの声につられるように、呆然としていた紋章たちは即座に主を取り囲む。


 その顔は仲間を傷つけられた怒りというよりも、主がなぜ? といった混乱と疑問にあふれていたが。


「最初っからダメだったんだよなぁ。俺のところに降りてくる分魂はいっつも暗示効果の薄いやつばっかでさ。ハイリッヒなんか特にそう。だから閉じ込めといたんだけど、まぁ」



 最後だし?



 にたぁ。主の口が大きく笑みの形に変わる。いやらしいそれが満面と言ってもいいほどに、その顔に乗ると同時に。



 どおおおおおおおおおおおおん!!



 ずたずたに裂かれる障子と光の矢がいくつも大広間に飛び込んできては紋章たちをかすめながら柱や時計、机に畳などあちこちに刺さる。

 その矢に見覚えがあったハイリッヒ以外の紋章たちが一気に顔を青くする。その身に緊張が宿る。

 なぜ、なぜあれが。世界の抑止力の武器であるそれが、ここにあるのか。


 まさか。


 おそるおそる、信じたくない思いで主を見れば、にやにやと笑ったまま、声高に叫んだ。



「俺は世界の抑止力協力部隊の、隊長なんだ!」



 そこに、そこにいたのはもはや主などではなく。反逆者と言っていい存在だった。



 なにが嬉しいのか気分よさげに名乗りを上げると、そのまま大広間を出て縁側を飛び越え庭へと走り出る反逆者の背を追って、紋章たちも足袋のまま外に出る。カミーナも気丈に左腕のナイフを抜いて、走り出す。


 ぱらりと走る紋章たちの手から白い花の花弁が舞うと、手のひらに黒で書かれた紋が現れる。


 自分以外の紋章が外にかけていく中、ハイリッヒもぐっと自分の手を握り自分の紋を想像すると、ぱらっと散った何の花かも知らないそれを無視して。ナゴミを抱き上げる。


「んぅ・・・」

にぎや、一大事じゃ。少ぉし我慢しておくれ」


 そのまま仲間たちを追って外に出ると、立ち止まって空を仰ぐ仲間の輪に加わり同じように青空を見る。




 そこには、2mほどもある大きな黒い裂け目が存在していて、そこから次々出てくるのは。


 白い肌にうねる腰までの金髪。頭上には歯車の形で大きさを変えながらまわる光輪、絵に描く天使のようなガウンと背中には純白の6枚の羽。手には金色の大きな弓。

 すべて同じ顔をしたそれらが、空を覆い尽くすばかりの数でこちらを見下ろしていた。


 ハルカはたらりと額から流れる汗を、先ほどの攻撃で傷ついた腕で拭った。


 なんだ、この数は。見たことも聞いたこともない。当番の時にあらわれる世界の抑止力の数だってせいぜい数十人で、こんな、こんな数千人規模の襲撃はみたことがない。知らない。


 周囲を見れば、仲間たちも同じことを考えていたのか、戦場を見たことのないハイリッヒ以外は全員真っ青だった。


「なんですか、この数」

「これが普通ではないのかのぅ」

「異常です! 勝てるはず・・・というかなぜナゴミ様を」

「嫁を守るのは夫の役目よ。嫁1人守れず、何が夫か。それに」

「それに?」

「朽ちる時は共が良い」

「ゴートル様・・・」


 ハルカにはわかってしまった。他の紋章たちにもわかってしまった。


 ハイリッヒは戦場に立ったこともなく、正常を知らない。それでもこの数は異常だと感じていて、自分たちを率いる存在である紋章師のいない自分たちに勝算がないこともわかっているのだと。


 だからせめて、命を散らすなら今まで関われなかった戦場の中で、嫁と共にと考えていることが。


 集まっている紋章たちを見ながら、主だった男は。反逆者は。

 天高く、自分にひかえている世界の抑止力たちに向かって叫んだ。



「攻撃しろ!」



 すっと音もなく構えられる大きな金色の弓、世界の抑止力たちの手からぼぅっと光がもれだし鋭い形をつくり、光の矢へと形を変える。羽ばたきもなく、ただ無表情に矢を構えてはその矛先を紋章たちへと向ける。


 何千という弓の的にされて、息を呑む紋章たちを、反逆者は嘲笑う。


「やれ!」




「α・×××」

「γ・×××!」

「β・×××」


 紋章たちが叫び、紋の描かれた手をかざすと。そこから小さな4つの雷、炎の玉が現れる。それを自分たちに向かって飛んできた矢に向かって投げつける。


 詠唱のうちの1つは敵の攻撃を遅くさせるという効果を持つもので。残念ながら、あの反逆者が受肉させた紋章の中には結界など張れるものは居なかった。こういう事態になることを見越していたからだろうか。



 ゆっくりと飛んでくる幾千もの矢からは逃れられないがせめてもの抵抗に。勝てないと分かっていても! それでも!



 そんな悲痛な覚悟の攻撃は結局、5本の矢ごと5人の世界の抑止力を塵に返すだけで終わった。

 が、すぐにその穴を埋めるように世界の抑止力たちが動きあって。


 その悲痛な覚悟で、あけた空白は消え失せた。

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