第3話

「しかし、椿。・・・うむ」


 ハルカにナゴミを紹介した翌日。朝餉も食べ終わったハイリッヒとナゴミは今日も今日とて出られぬ部屋の中でのんびりと過ごしていた。


 朝からナゴミ用にと敷きっぱなしの布団の上にナゴミを寝かせて、1人床の間の前に正座していた。別に誰に強要されたわけでもないが、ナゴミがいなかった頃は日がな一日部屋の中央で座布団もなく正座していたハイリッヒである。異国めいた顔立ちな外見に似合わず正座は得意だった。それはさておき。


 すっと手を伸ばして、昨日ハルカが床の間に活けた二輪咲く椿の花、そこから下の一輪をぷつんと枝の根元から千切る。それを大事そうに両手で持ち、立ち上がって和が四肢を放り出している布団。その頭元まで来るとそっとそれを枕元に置く。


にぎや」

「ん・・・ん?」

「起きれるか?」

「ん」

「あいわかった、起こすぞ」


 人形のように一人では起きれず、姿勢を維持するだけで精一杯なナゴミは移動、食事に風呂などにはハイリッヒの手を借りている。なぜか便所は行かないのだが。

 そしていまも壁にもたれかかるようにして、ハイリッヒがナゴミの身体を起こさせる。ぐにゃぐにゃとした身体は男の割には柔らかくて、いつまでも触っていたいとハイリッヒは常々考えている。


 ついでにいえば、毎日ハイリッヒが風呂に入れているおかげでいい匂いだ。石鹸の清潔な香りが眩しい。ともかく。


 身体を起こさせたハイリッヒはつぶさないようにと枕元に置いておいた椿を、起き上がったナゴミの口元に持っていく。


「和よ、これをくわえてはくれんかのぅ」

「ん・・・」


 応えるみたいにわずかに開いた唇。そこにそっと椿の花柄を差し込む。そして前にかかってきてしまった髪を耳にかけてやる。さらさらとした手触りが気持ちのいい髪に離れがたさを感じながら身を引く。と。


「おぉ、なんと美しい。愛らしいぞ、わしの和!」


 雪のように白い肌、小づくりな顔には深紅の椿がよく映える。とろりとした灰色の瞳は夢見る少女のようで、ストロベリープラチナブロンドと黒い目隠しがどこか退廃的な雰囲気を醸し出す。だらんと四肢を投げ出すように壁にもたれかかっていることもそれを加速させていた。


 大喜びでナゴミの頬に手を当てながら「美しい」「美しい」とご機嫌に繰り返すハイリッヒはいままでで最高の笑顔だった。


 しかし、その喜びも束の間。ぽろりとナゴミの口から椿の花が落ちる。その時の表情を見て。


「!!」


 うっすら薔薇色に染まった白くてまろい頬、わずかに弧を描く紅唇。細められた目は少し笑むように垂れ下がっていて。つまり、ナゴミはほんのかすかに。でもしっかりと笑っていたのだ。照れるようにはにかんでいた。


 先ほどまでは様々な言葉を並べてナゴミの美しさを褒めていたハイリッヒ。しかしいまは、その笑顔を身を乗り出さんばかりに、食い入るように見つめていた。


 正直、元の顔がいい分だけ真顔で両目を見開きぽかんと口を開ける様子は恐ろしく凄みがあった。一周回って間抜けのようでもあった。


 さすがにまじまじと見られて嫌だったのかナゴミも表情を元の無に返す。

 一方ハイリッヒは、ナゴミ初めて出会った時のようなしびれを全身に感じていた。


 どくどくと心臓がうるさくて顔が熱い。ごくりと口の中に溜まった唾液を飲み干す音すらナゴミに聞こえてしまいそうで。高鳴る胸をぎゅっとスーツの上からいつの間にか押さえていた。


 正直、ドストライクだった。その笑顔。


 それがもう一度見たくて、震える声で胸元を押さえるハイリッヒをとろりと見上げる灰色の瞳に、その持ち主に。ハイリッヒは懇願した。


「に、和や。もう一度、笑ってはくれんかのぅ」

「?」

「わからんか? こうじゃ」


 自らの両人差し指で頬をむにっとしたから持ち上げるハイリッヒ。俗に言うにこちゃんマークと同じ顔である。ただしこちらはだいぶイケメンだったが。


「ん・・・ん?」


 それでもわからなそうに、とろけた瞳にいまだ頬を持ち上げるハイリッヒを映すナゴミ。正直言って、二十歳を過ぎた外見ヤンキーのお兄ちゃんがするには十二分に痛いポーズだ。それでもハイリッヒが止めなかったのは、ひとえにまたナゴミのあの笑顔を見たいがためだった。


 何回か言ってはみたものの、わからないといわんばかりに「ん?」を繰り返すナゴミに。ハイリッヒは程なくしてあきらめた。ナゴミの返事がだんだん面倒くさそうになっていったためだ。


 笑顔はみたいが、そのためにナゴミに嫌われてしまっては元も子もない。そんなあきらめた矢先の出来事だった。


「ん」

「和?」

「ん!」


 ナゴミがぐっと首を伸ばして、ハイリッヒの方に顔を差し出したのは。自分ではわからないからどうぞとでもいうように差し出されたその顔に、自分よりも小さくて綺麗なその顔が近づいてきたことにまたとくんと胸を鳴らしながら。ハイリッヒは近づいてきたナゴミの顔に自らも顔を近づける。


 ちゅ。


 軽いリップ音を立てて、ナゴミの紅い唇に吸い付くと。柔らかくて少し乾いた甘い唇の感触が気持ちよくて。何回もちゅっちゅと口づけるハイリッヒ。


 ナゴミの片方しかない目がかすかに見開かれるのを見ながらも、柔い感触は離れがたく。何回も吸っては、舌の潤いをわけるように唇をなめあげれば。あっという間にナゴミの口唇は色づきを増した。


「ん・・・、んー! はいりっひ、やぁ!」

「ん。おぉ? すまんな、愛してるが故、ついな」

「むー」

「すまんのぅ、愛しい和や。反省しておるから、どうかこの爺を許しておくれ」


 まろい頬に両手を添え、ナゴミの顔を上目にのぞき込みながら言う。それにむーむーうなっていたナゴミは、う・・・と黙り込む。それ今だとばかりに反省していると言葉を重ねるハイリッヒには、ナゴミがあと少しで許してくれそうだと分かっていた。ぱちっとゆっくり瞬いた灰色の瞳で、ナゴミがじっとハイリッヒを見つめる。


「ん・・・はいりっひ、にぎ、あいしてる?」

「もちろんだとも。愛しているぞ」

「はんせー?」

「しておるよ、だから許しておくれ可愛い和や」


 ついでとハイリッヒが頬ずりをすれば、こっくりとナゴミが頷く。許してくれたらしい。

 くいくいとそのままスーツをひかれ、和にどうかしたのかとナゴミの顔をのぞき込み微笑みかけたハイリッヒは一瞬で硬直した。なぜか。


 ちゅ


 かすかに聞き取れる音を立てながら、ナゴミがハイリッヒにキスしたためである。ご丁寧にもあむあむと唇を食んでから離したナゴミに。やっと硬直のとけたハイリッヒは、ふるふるとうつむいて身体をふるわせると。

 それを心配そうに見ていたナゴミの唇に、再びむしゃぶりついたのだった。

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