第2話

にぎ、わしの和や。そちは本当に愛いのぅ」


 日も暮れだしたころ、電気をつけた自らの部屋で。ハイリッヒはナゴミを愛でようと、ころりと布団の上に放り出された四肢に覆いかぶさる。


 ナゴミが反抗しないことをいいことに、顔の横に手をつきもう片方の手でさらりとそのストロベリープラチナブロンドを男にしては細い指にからめる。しゅるんと指の間を通っていく感覚が気持ちよくて、何回も何回も髪を梳いた。


 世界には2人きりしかいない心地がなんとも悦楽をそそる。


 が。


「ゴートル様、失礼しますよ・・・何をしておられるのですか?」


 言葉と共に開いた障子と怪訝そうな声を出した仲間、ハルカ・コトブキにそちらを向けば。白い短髪に深緑と緋色のオッドアイ、身体つきを隠した白い服装にやわらかい雰囲気。甘く端整な顔立ち。


 どこかの掲示板では「ハル母ちゃん」と言われる青年が、障子を開けたままの体勢で眉をひそめながらハイリッヒを見ていた。


 ちっと内心舌打ちを漏らしたことをおくびにも出さず、ハイリッヒは笑顔をつくった。


「おぉ、ハルカか。わしの嫁のナゴミじゃ。ちと撫でようと思ってのぅ」


 嬉しそうにナゴミの上にのしかかったまま声を弾ませるハイリッヒに。頭が痛くなったとでもいうように額を押さえるハルカ。そのオッドアイも閉ざして、頬をひくりとひきつらせた。


「その、体勢でですか?」

「これが一番多く和にふれていられるでの」


 視線をハルカからナゴミに戻せば、ナゴミはそのとろけたような灰色の目でじっとハイリッヒを見つめていた。そのことに高揚感を抱きながらも。


 そのまろい頬を撫で上げれば目を気持ちよさそうに撫でる様子は、ハイリッヒという紋章に肉体を捧げた巫の記憶にある「猫」という生き物にそっくりだった。愛玩動物としても知られると知識が告げるままに、やはり和は自分に愛でられるべき運命なのだと感銘した。そんなハイリッヒを呆れたように見ていたハルカ。


「そうですか。というか嫁? 男の子おのこですよね」

「和に性別など関係ない」


 ハルカの疑問に満ちた問いはハイリッヒに一蹴された。

 そのことにまた大きく顔を引きつらせて、ハルカは2人きりの空気を作り出そうとしているハイリッヒに、小さな声で呟く。


「ま、まぁ。昔は衆道も普通でしたしね、えぇ」


 1人でぶつぶつと己を納得させているハルカは、障子のところから一歩も中に入ってきていない。なぜか入りづらくて。


 やがて納得したのか、深呼吸をするといつの間にかうつむいていた顔をあげ、にっこりと笑った。その顔を見て、ハイリッヒはさらなる爆弾を落とす。


「主殿からもろうたのじゃ」

「主殿から、ですか」

「うむ」

「・・・きっとここからゴートル様を出さぬこと、気に病んでおいでなんですよ。心優しい方なんです」


 ぱあああとその整った容貌を輝かせ、ここぞとばかりに少々主不審のきらいがあるハイリッヒに主のいいところを伝えようと言い募るハルカ。しかしそんなハルカに、にっこりと笑みを向けるハイリッヒ。わかってくれたかとさらに顔をきらめかせるハルカだったが、それは違った。


「いや、持て余していると言うておったのぅ」


 きっぱりとハイリッヒがそれを否定すると、かくんと頭を下げ落ち込んだ。かと思うとばっと顔をあげ、ハルカはどこか憐憫の滲んだ表情と難題を出された子供のような情けない色を混ぜた、形容しがたい表情でナゴミを見た。


 この心優しい仲間は和に対して哀れんでいるんだろうなぁと思いつつ、ハイリッヒは下からすくうように頬を撫で続け時折「んっ」とナゴミが低い声をあげるのが可愛かった。


「そう、ですか」

「まぁ、わしの者じゃ。手を出してあったら主殿と言えども許さんが」

「ゴートル様!」


 口の端に凍る微笑を浮かべたハイリッヒに、ハルカがあわててきょろきょろと廊下を見回した。幸い誰もいなかったが、下手をすれば・・・いや、下手をしなくても主への謀反の可能性ありともとれる発言に。ハルカは気が気じゃなくて顔をうっすら青ざめさせた。


「・・・冗談じゃ。ところでわしに何か用かのぅ」


 冷たい微笑をひっこめて、いつもの飄々とした笑みをはりつけたハイリッヒにほっと肩の力を抜くハルカ。


 失礼します、と声をかけてから廊下に置いていた深紅の椿が二輪咲く枝を持ち、部屋の中に入る。そのまま床の間に置いてあった何も入っていない小ぶりの花瓶に枝を活ける。その時になってようやくハイリッヒがナゴミの上から降りたので、様子を目の端に捉えながらはぁとため息をついた。


 紋章として受肉して、いや受肉する以前の巫のころの記憶からもそういう刺激には慣れていないのだ。ナゴミを隠すようにハルカとの間に座ったハイリッヒには呆れた視線を送りつつも、ハルカは口を開く。


「お花を持ってきたのですよ。今年も無事、椿が咲きました」

「そうか、もう春も中ごろか。にしても雅な紅じゃのう、和の唇の色に近いわ」


 ほっほっほとピアスをじゃらじゃら鳴らしながら笑うハイリッヒに、ぽつりとハルカの口から言葉が零れる。


「本当にナゴミ様のこと、お好きなんですね」


 苦笑いと共のしみじみしたその言葉に、ハイリッヒは白皙の美貌を使いにんまりと猫のような笑みを浮かべた。なにを当たり前のことを聞くのかと言わんばかりに。


「当然、愛しいわしの嫁じゃからのぅ」


 どやぁ。言うなればそんな顔だろうか。妙に自慢ったらしいような、優越感のにじみ出た顔をされて。さすがのハルカもイラッとした。


 コトリ・アイゼンと並んで美しいと称されるハイリッヒ・ゴートルのその顔にでこぴんを食らわせたくなったがぐっとこぶしを握って耐えた。


 そして笑顔を取り繕うと、ハルカは無理やり口の端をあげた。


「さて、私はこれ以上当てられぬうちに帰りますか」

「もうちょっと話を聞いてくれてもええんじゃぞ?」

「まさか、もうお腹いっぱいですよ。あ、皆にもナゴミ様のことお伝えしておきますね」


 そのままの微笑みで、ハルカは失礼しますというとそそくさとハイリッヒの部屋をあとにした。首を傾げるハイリッヒ。


「まだ話たりないというのにのぅ、和や」


 なでなでと布団に四肢を放り出しているナゴミの頭を撫でる。残念だと言わんばかりに肩を落としながらのセリフに、ナゴミはとろんとした灰色の目でハイリッヒを見つめた。


 そこに何か感情は見受けられないが、可愛い嫁が自分のことを見てくれたことに満足して。ハイリッヒはそのままさらさらと頭を撫で続けた。しばらく髪を梳くように撫でていると。


 くんくんっとスーツの裾を引っ張られる感触に、ハイリッヒは自分の来ているスーツを辿りそっちを向いた。


「ん? どうしたのじゃ、和よ」


 優しくとろけそうな甘い声で、それに見合う笑顔でナゴミの顔をのぞき込むと。


 スーツの裾を引いていた手が、ハイリッヒの首にまわり木に抱きつくコアラのようにナゴミが抱きついてきた。


 思わず前のめりになりそうになるのを全力で押さえて、抱きついてきたナゴミの体重を受け止める。


「おぉ!?」

「はいりっひ」

「どうかしたのかのぅ」

「はいりっひ」


 ひたすらにハイリッヒの名を呼びながらぎゅうぎゅう抱きついてくるナゴミに、ハイリッヒはその綺麗な顔を崩してにやけるのが止まらなかった。


「ほっほっほ、愛の証か? どれ、わしも」


 きゅっとナゴミが壊れない程度の力をこめて抱き返す。結局、夕餉を持ってきたハルカが注意するまでずっと抱き合っていたのだった。


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