第1話
ハイリッヒは、四方を白に囲まれたその部屋の中央に座していた。
白い肌に華やかな金糸の髪、目は新緑と藍色のオッドアイで。いま、それは閉じたまぶたの裏に隠されていた。すっと通った鼻梁に薄い唇、異国めいた顔立ちに白皙の美貌。
その鮮やかな容姿が映える白いシャツに黒いスーツ、ネクタイまで黒という徹底ぶりだった。
ただ、その耳にはじゃらじゃらといくつものピアスが連なり、一見するとどこぞの不良かマフィアのようであったが。
そんなハイリッヒは、ゆっくり目を開けると正面に見える障子に太陽の光に濃く映った影を見た。
「・・・ハイリッヒ」
「おぉ、主殿久しいのぅ。この爺に会いに来てくれるとは・・・何かあったか?」
「本部から人形が届いた。よくできているから、見せようと思ってな」
わしを戦場にも出さず人形遊びか、良い趣味をしておるのぅ。
そう心に浮かんだ皮肉を隠して、ハイリッヒは吸い込まれそうに深い瞳を眇めて。障子の外にいるであろう主を見た。
8畳の和室、二方を白い壁に囲まれ、一方は白木でできた便所と風呂の2つの扉。もう一方は現在主の立っている真っ白な障子だ。
戦場や工房の庭に咲いた花を食事の配膳以外に、たまにやってくる仲間たちが床の間に活けてくれる。便所と風呂のある方以外の長押にはられた結界と主の命令で外に出ることも出来ない。それが、それだけがこの工房で受肉されたハイリッヒの世界のすべてだった。
起床してから食事をとる以外、その部屋の中央にただただぼんやりと座すことが。いつ来るかもわからない、戦場を駆け回っているであろう仲間を待つことがハイリッヒの日課だった。
コトリ・アイゼンに並ぶ稀少さで知られるハイリッヒ・ゴートル。その稀少さ故に、彼はこんな小さな世界に閉じ込められているのだった。戦場にも出されずに。
彼の大元である本魂はいくつもの分魂を作るとき、戦争の役に立つなら。自分を作ってくれた者がいた世界を守ることが出来るならと、世界の抑止力対策本部と契約を交わしたはずだった。この身体の本当の持ち主、巫として紋章にその身を捧げ依代となった者も、そういう想いだっただろうに。
それなのに、蓋を開けてみればこの様だ。本当に皮肉、くだらない。
ハイリッヒの整った顔、その唇が歪められる。ふっと息を吐き出す。
その吐息を笑みととったのか、主はハイリッヒに続けた。
「ナゴミというらしい。連れてくるから待っていろ」
「あい、わかった」
待っていろも何も、この部屋から出られぬ障子に触れることも出来ない自分に何を言っているのか。
今度こそその薄い唇を噛みながら、俯いてハイリッヒは足音と共に消えた影に深いため息をついたのだった。
そして、そのままうつむいた顔をあげただぼんやりと障子に再び主が映るのを待った。
「待たせたな」
「ほっほっほ、爺の良いところは気が長いところじゃ。気にしとらんよ」
「そうか、こいつだ」
すっと合図もなく勝手に開いた障子。それにやや目を細めながらも。主がハイリッヒの前の畳に放り出したそれを見て、ハイリッヒは大きく目を見開いた。
主が「人形」と言って抱えてきたのは元服したばかりの細身の
雪のように白い肌、椿じみた色の唇。右目につけた目隠しと左目はとろりときらめく灰色に、肩より下まである長めのストロベリープラチナブロンド。目玉がないのか不自然にへこんだ目隠しには驚いたものの、その全てが小ぶりで美しいパーツのみを詰め込んだような。ハイリッヒに負けず劣らずのその顔に、ハイリッヒは身体中にしびれが走ったのだった。
そう、無造作にその人形とやらを畳に放り出した敬愛すべき主に対し、敵意を秘めるほどには。
そして、おずおずと身を乗り出し、自分に衝撃を与えた「人形」の頬にそっと手を添える。その生きた人間の温かさに、手に当たる呼吸に、ますます目を見開く。
これは人形ではない。生きている、これは、これは。
「の、のぅ。主殿よ」
「・・・なんだ」
「この人形、わしにくれんか」
「は?」
「大切にしよう、だから」
「まぁ、構わないが」
俺も持て余していたところだし。ただし、本部からの預かりものだ大切に扱えよ。
そう言い残し、部屋を出ていった主に。ぴしゃりと閉じられた襖に。遠ざかる影に。
当然だろうと叫びたかった。これは、この者を自分のものにしたいと本能が叫ぶのに、大切に扱わないわけがない。
手首も首も足も、何もかもがハイリッヒが力を籠めたら壊れそうなほどに脆いというのに。
「ナゴミ、といったか」
とろりとした灰色の瞳が、焦点の合わないそれがわずかにハイリッヒの方を見た気がして。心の底から熱くなるような高揚感に、ハイリッヒはぎゅっと黒スーツの胸元を握った。
心臓がどくどくとうるさくて、顔が熱い。それでもそれは不快さなんて到底感じなくて、むしろ心地が良かった。
「ナゴミ、わしのナゴミ」
「・・・」
「仮に
「・・・」
「じゃがそれでは他の者と一緒よ。わしの和にはわしだけの呼び名を与えよう。
答えが返らないことはわかっている。それでもしゃべり続けたのは、ただ単にこの愛しい者の興味を引きたかったからだ。そもそも興味だなんて感情があるかどうかもわからなかったが。そして、あわよくばその声を聞けたらと思って。
また、ハイリッヒが話し相手に飢えていたというのもあるかもしれないが。
「・・・ぎ」
「ん?」
「に、ぎ」
「!!」
ナゴミの紅い唇が開かれ、そこからと行くと似た音量の声がもれる。甘そうな外見にしては低いその声。それは確かに「にぎ」。ハイリッヒがナゴミへとつけたあだ名を繰り返した。そのことに目を見開いて、ハイリッヒは唇を震わせる。
あわててばっと口元を手のひらで覆う。じゃらっと耳にかかったピアスたちが鳴いた。そんなことはどうでもいい。そうしなければ叫びだしてしまいそうだったから。
「・・・
「ん・・・はいりっひ」
「!! 偉い、偉いぞ。さすがわしの和だのぅ」
舌っ足らずにハイリッヒの名を呼んだナゴミが可愛くてたまらなくて。
ハイリッヒは思わず、だらりと畳の上に放り出された格好のまましどけなくも四肢を投げ出しているナゴミの顔、その頬を両手で包み込む。
生きた人の温かさが手から伝わってきて、ハイリッヒはナゴミから伝わる熱にうっとりと目を細めた。
と同時に、畳の上に倒れたままのナゴミにのしかかると右頬に添えていた手をどかし、見目もきめ細かいそこにそっと口づける。
しっとり、もっちりした感触の肌が唇に心地よくて、ハイリッヒは何度もちゅっちゅと音を立ててその白くまろい肌を吸った。
これがハイリッヒとナゴミ、2人の出会い。そしてハイリッヒとの蜜月の始まりだった。
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