七話 一年遅れの悼み方

「ふぅ~、食べた、食べた!」


 大きく息を吐くと、光理みことは腹のあたりをぽんぽんと抑えながら。


 服装は俺が中学の時使っていたブルーのジャージで、丈が合わないので、裾を幾重にも折っている。

 その上でもわかるほど、光理の腹はぽっこりと膨れ上がっていた。

 

「……いや、三杯は食べすぎだろう」


 思わず、呆れ顔になる。


 当然のことながら、光理が帰って来るなんて思ってもみなかった。

 なので、今日の夕食は豪華なものじゃない。

 殆どが昼の余りものだ。


 だというのに、あいつは驚くほどモリモリと、茶碗山盛りの白米を平らげてしまった。


 一年前と比べ、身長は同じでも全体的に小柄になった体躯。

 一体、それの何処に容量があるというのか、誰かに調べ上げてほしいほどだった。


「だって、おばさんの料理相変わらず美味しいんだもん。和食も久しぶりだったし」

「ふふっ、ありがとう、光理君」

 

 まあ、食べてもらう側からすれば、残されるよりはありがたい話か。

 母さんは柔らかく光理の頭を撫で、一方、あいつは心地よさそうに目を細めた。


 それから食後のお茶を飲んでいる間、穏やかな空気が流れる。

 幾分と久しぶりに思える、心から落ち着ける懐かしい雰囲気。


 だが、それを破ったのは他でもない母さんだった。


「食べてすぐで悪いんだけど、光理君に見てもらいたいものがあるの」

「……見てもらいたいもの?」

「ええ」


 突然真剣なまなざしで見つめられ、光理の頭には疑問符が浮かんでいた。

 しかし、母さんには説明するつもりはないらしい。


 ついて来いと言わんばかりに席を立つ。


「じゃ、行くか」

「え? ヨースケもついてくの? っていうか、何処か知ってるの?」

「まあ、な」


 もっとも、俺も見当がついてはいる。

 俺の家で光理が関係ある場所といえば、まだそれほど数は多くないからだ。


 そのうちの一つである光理の部屋は、今のジャージに着替えさせるときに案内を済ませておいたし。


「あっやしいなあ。まさか、丸々肥えさせた僕を食べる気じゃ……」

「……種族的に、食べられるとしたら俺たちの方だろ」

「……それもそっか」


 それでも光理はどうにも釈然としない様子。

 俺はそれを宥めると、共に母さんの後を追った。





「これって……」


 俺たち三人が向かった場所。

 それは、玄関から奥まった位置にある、畳敷きの部屋だった。


 呆然と呟く光理の先には仏壇がある。

 正確には、そこに置かれた二枚の写真――遺影だ。


「お父さんとお母さん……? どうして、ヨースケの家に……」


 目を大きく見開いた光理の口から、問いかけがこぼれ出る。

 それに答えたのは母さんだった。


「……光理君がいなくなってから、お二人の葬儀が行われたんだけど。そのとき、無理を言って遺影を預からせてもらうことにしたの。勿論、非常識だとはわかってたんだけど、庸介が『あいつが帰ってきたときのため、どうしても』って」

「そう、だったんだ……」


 揺れる赤い瞳が俺を向いて、ただ無言で頷く。


 ……一年前、光理が失踪した以上、その両親の葬儀は親戚の家が執り行うこととなった。


 そのとき俺は、偶然、喪主である光理の叔父の言葉を聞いてしまったのだ。 


『消えた息子のことも含め、死んでまで恥知らずな兄だ』

『それでも仕方なく、形だけでも葬儀を開かねばならない』


 と。


 ……次の瞬間には、カッと頭に血が上っていた。


 ただそれだけの話だった。


「もしかして、これも……?」


 次にあいつの視線が捉えたのは、端に置かれた小さな小物類。

 琥珀色のブローチや、黒縁の眼鏡なんかが置かれている。


「光理君のマンションの管理人さんに申し出てね。処分してしまうなら、ぜひ預からせて欲しい……って。幸い、うちにはお父さんの仕事柄、荷物置き場が沢山あるから」


 とはいえ、流石にあるもの全てというわけにもいかず、失ったものの方が多かったのだが……。

 それでも光理は、十分だと思ってくれたらしい。


「ありがと、ヨースケ……。向こうの家にあるのか、処分されちゃってるのかと思ってた……」

「いや、大したことじゃない。でも、光理が帰ってきたときを考えれば、それが一番だと思ってな」

「うん……」


 小さく返事をするのが精一杯といった様子で、光理の目は改めて二枚の遺影へと。

 唇はぐっと強くへの字に絞められていて、拳は膝の上で固く握られていた。


「……じゃあ、私たちは少し席を外しましょうか。後がつかえてるし、庸介は今のうちにお風呂入ってきちゃいなさい」

「……わかった」


 こうして母さんに促され、俺たちは光理を残して部屋を出る。


 ……多分、扉を閉めたのと殆ど同時だったと思う。


「お父さん、お母さん……っ! ごめん……! 最後にも話も出来なくて……お葬式も出来なくて……っ!」 


 堰を切ったように、すすり泣く声。


「もう、遅すぎるかもしれないけど……産んでもらった身体じゃなくなっちゃったけど……!」


 か細いそれは扉越しなこともあって、微かに聞こえる程度ではあったけど。

 酷く、胸が締め付けられて。


「でも、還ってきた……還っていたんだよ……っ。う、うぁあああぁ……っ」


 慟哭が、いつまでも俺の耳に響いていた……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る