五話 一つの関係の変わり方
「マジかよ……」
魔法が存在し魔物が跋扈する、想像もつかない世界での出来事だ。
その上、人間から吸血鬼という全く別の種族になっている。
だから、理屈の上では不思議ではないのかもしれないが……。
俺は目を見開いてただそう呟くことしかできなかった。
だが、すぐにハッとなる。
「だ、大丈夫なのか……?」
俺が心配しているのは、吸血鬼に変えられたのとはまた別の部分。
そんな変態野郎の手で、女の姿にされたのだとしたら――。
「親友の、僕を見る目がいやらしい……」
「お前なぁ……」
すると、わざとらしく
もっとも、すぐに破顔して
「そのあたりは心配いらないって! 言ったでしょ。勝てなかったけど負けてもないって。要するに、相討ちだよ、相討ち。吸血鬼にはされちゃったけど、『真祖』の封印自体は成功したんだ」
と明るく言い放つ。
「そうか……」
「まあ、すっごく気持ち悪かったんだけど……っ!」
一転して、続く言葉は苦々しげに。
……気持ちはわかる。
俺が頭に浮かべたのは、昔プレイした格闘ゲームのキャラクター。
そいつは全身タイツもマッチョ吸血鬼で、男の血を吸いたくないから、対象を女に変えるようなやつだった。
そんなの相手に組み敷かれ、血を吸われるとなれば……。
あまり想像したくはない光景だ。
「ってことで、あんまり心配しないでよ! 少なくとも身体に不都合はないからさ」
それだけ言って、光理はくるくると踊る。
軽い足取りに誘われるように、コートのように羽織られていたボロ布がふわりと広がった。
……もしかしたら、強がりなのかもしれない。
だとしても、明るく振舞うその姿は、俺にとっては救いだった。
そうして、ほっと胸をなで下ろした瞬間――。
「うわぁ!」
甲高い少女の悲鳴が、公園に響く。
ずるり。
なんと、黒衣の裾を踏んづけ、足を縺れさせたらしい。
「危ない!」
慌ててベンチから立ち上がり、手を伸ばす。
幸い、俺の手があいつに触れるのは、芝生に身体を打ち付けるよりは早かった。
だが――
「痛っ……!」
左のふくらはぎが訴えるのは、肉を引き裂かれるような鋭い痛み。
それが断続的に、じくじくと何度も襲ってくる。
立っているのも困難で、俺は左足に手をやってしゃがみ込む羽目となった。
「あ、ありがと、ヨースケ。でも、大丈夫!?」
「あ、ああ……平気だ」
光理はぱっと離れ、口元を抑えて俺を覗き込む。
一方、俺はといえば、言動とは正反対に、片目を瞑り顔を顰めてしまう。
脂汗が額を伝う。
……普段より痛みがひどいのは、蓄積した疲労のせいなのかもしれない。
「少し休めば平気になるはずだ。……悪い、お前の方が大変だったのに、俺が心配かけちまって」
「……ううん。僕を助けてくれたんだし。それに――」
――それに?
疑問を口にする暇もなく、光理は跪くと、俺の左足へと手を伸ばす。
そのままジーンズを捲りあげると、傷跡へと、暗闇でも目立つほど真っ白な指先を添わせた。
「な、何を……?」
「しっ。静かに」
ほっそりとした指先の感触に思わずびくりとすると、口元に手を当てる仕草で諌められる。
何がしたいのかは読めないが、きっと意味はあるんだろう。
俺はとりあえずそれに従って、少しだけ待った。
「すぅ――」
光理が目を瞑り、深く息を吸う。
次に口から漏れ出るのは、聞きなれない異国の――いや、異世界の言葉。
すると、触れられている部分が熱を帯び始めた。
熱はそのまま光へと。
暗闇を照らすのは、陽だまりのような、安らぎを覚える温もりだった。
光は、じわじわと俺の足に染み込む様にして消えていく。
そうして、それが完全に収まると――。
「……どう?」
「どうって……?」
問い返して気づく。
痛みが、ない。
いや、それどころか――
「……傷が、消えてる?」
「これが回復魔法だよ。今度こそ、これで信じたでしょ!」
「あ、ああ」
返事もそこそこに、立ち上がっていた。
一歩、二歩。
驚くほど快調に、俺の足は前に進んでいく。
「向こうの世界で回復魔法を見たとき、『これならヨースケの足の怪我を治せるはずだ!』ってぴんときたんだよね。走ってみて?」
言われるがままに、加速する。
いつもなら俺を苛むはずの痛みは、いつまで経ってもやっては来なかった。
「凄いな、これは……!」
心行くまで堪能すると、自然と感嘆の声が漏れ出ていた。
すぐに光理の方を見る。
――礼を言わなければ。
そんな衝動に駆られて。
すると、あいつは満足げに微笑んで
「うん。成功したみたいだね。……じゃあ、これで心残りもなくなったかな」
と、呟いた。
◆
――心残り。
その表現はこの状況には不適当で、俺の心をざわつかせる。
「……どういう意味だ?」
「言葉通りだよ。もうヨースケの怪我も治しちゃったし、ここにいる意味はないな-……って」
「もしかして、また向こうの世界に戻るのか?」
だが、光理は首をふるふると。
曰く、世界を転移するには様々な条件が必要で、今の自分一人では不可能らしい。
「じゃあ、何処へ行くっていうんだよ」
「少なくとも、ここじゃないどこか……かなあ?」
続く返事は遠い目をしながら。
最後は疑問形で、これといった目的地は定まっていないのだと暗にこちらに伝えていた。
余計に理解できない。
なら、この町で一年前と同じように暮らすんじゃいけないのか。
すると、そんな考えを読み取ったかのようにぼそり。
「ここに来る前にさ、僕の家も見てきたよ。もっとも、もう
「……見たのか」
「うん……。誰だか知らない人が、もう入居しちゃってた。ちらりと見たら、とても幸せそうな一家だったよ」
……事実だった。
あいつの住んでいたマンションの管理人は、半年ほどで家財の一切合財を処分し、部屋を売りに出してしまっていた。
勿論、向こうとしても商売である以上、仕方のないことなのかもしれないが……。
光理からすれば、折角帰ってきたというのに、家族と過ごした場所を上書きされていたようなもの。
その心境は想像に難くない。
「それで実感したんだ。この世界じゃすでに『日野 光理』は死んだ人間で、何処にも居場所なんてないんだって。……まあ、実際、今となっては人間じゃないんだけどね」
「でも、お前は俺に会いに来て、一年前の出来事を話してくれたじゃないか。最初から立ち去るつもりなら、なんでそんなこと」
「……ヨースケはさ、ずっと僕を探しててくれたんだよね? だから、僕の身に何が起きたのか、伝えておきたかったんだ。そして、『もう探さなくていいよ』……って」
その言葉を咎める暇もない。
あいつは俺へと背を向け、
「最後に会えてよかったよ。……じゃ」
と言い切って走り去ろうとした。
――だが、俺があいつの細い手首を掴んだのは、それよりも早くのことで。
「……ヨースケ?」
振り向いた少女の、ルビーのような瞳が揺れていた。
もっとも、それも少しの間だけ。
「離してよ……!」
「お前が足を治してくれてよかったよ。あのままじゃ、間違いなく出遅れてたからな」
キッと睨み付けられてしまうのだが、俺は飄々としてその視線を取り合わない。
それでも腕は固く握ったままで、強引にこちらを向きなおさせた。
「……居場所がないなら、俺の家に来ないか? 母さんも、お前が光理だってわかれば納得してくれると思う。例え、そうじゃなくても絶対に説得して見せる」
元々、親友を引き取る件については同意していてくれたんだ。
だから、一年前経っても有効に違いない。
簡単な話だった。
「……ありがと、ヨースケ」
しかし、光理はふっと鼻で笑う。
俺のことを馬鹿にしているというより、諦めの入り混じった、自分に向けてのそれ。
「でも、それじゃ問題があるよ。僕は吸血鬼だもん。血を吸わなきゃ、生きていけない。――そんなバケモノが、向こうなら兎も角、こっちの世界で暮らせると思う?」
「ああ」
「……へ?」
そんなあいつへの返事は即答で、きょとんと呆けた表情に、ついニヤリとしてしまう。
……まさか、そのぐらい考えていないと思ったのか。
だとしたら、俺のことを馬鹿にしすぎだった。
「なら、俺の血をやるよ。好きなときに、好きなだけ飲め。まあ、男の血なんて気持ち悪いかもしれないけど……。それさえ我慢できれば、この世界で人として生きていけるだろ?」
話しを聞く限り、あいつにとって男に血を吸われるというのはトラウマで、逆の立場だとしても嫌悪感は拭えないのかもしれないが。
せめて気心の知れた相手であれば、まだマシなのではないか。
そんな考え。
「……本気? 吸血鬼相手にずっと血をあげ続けるって意味、ちゃんとわかってる?」
「勿論。というか、多分、お前をこのまま行かせた方が、俺は後悔すると思う」
呆れと驚き。
その両方が綯交ぜになった質問に、俺は堂々と答えてやる。
……もし、光理が自分の意思で、何か目的があってこの町を出たいというのなら、俺は止めはしなかった。
応援していたと思う。
だが、明らかにそうじゃない。
それに、本当に立ち去りたいのなら俺の腕なんて強引に振り払えばいい。
光理には、それだけの力があるはずだった。
しばしの逡巡。
そして――
「……わかったよ。でも、最初に言い出したのはヨースケだからね? 責任とって、絶対に後悔しないよう、覚悟しておいてよね!」
何故だか耳まで真っ赤にして、『ふんっ』とそっぽを向く光理に、俺は大きく頷いた。
幸い、体力には自信がある。
どれぐらい血を抜くのかはわからないが、必要なら一日三食レバーでも食ってやる。
少なくとも、その程度の覚悟は兼ね備えていた。
「あと、僕以外の吸血鬼に、絶対に
……他の吸血鬼に出会うなんてシチュエーション、この現代日本であり得るはずがないと思うんだが。
そんな無用な心配は兎も角、こうして満月の夜、俺と光理との間に新しい関係が生まれたのだ。
◆
「じゃ、行くか」
これ以上、公園にいても仕方ない。
あまり帰りが遅くても、母さんが心配するだろうし。
そう考えて声をかけたのだが、光理からの返事は
「へくしっ……!」
という、小さなくしゃみだった。
「……風邪か?」
「うー……寒いかも」
声をかけてみれば、光理は自分の身体を抱くようにして黒衣の端をひしっと掴む。
正直、過剰な反応に思えた。
完全に日が落ちた時間帯とはいえ、悪寒を覚えるほどの涼しさじゃない。
その上、あいつは外套を纏っている。
むしろ暑いぐらいだと思うのだが。
それとも、異世界帰りには堪えるんだろうか。
向こうは常夏の世界だった――とか。
すると、光理はばつの悪い顔をして言う。
「あー……いや、そういうわけじゃないんだよね。……だって、この下、何も着ていない裸なんだもん」
……聞かなかったことにしよう。
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