三話 変わる姿の認め方

 俺は公園のベンチにどっしりと腰かけると、腕組みして銀髪の少女をぎろりと睨みつけた。


「どういうことだか話してもらおうか。なんで俺の名前を――そして、光理のことを知ってる?」


 だが、肝心の彼女に怯えた様子はない。

 立ったまま、手をひらひらとさせ、


「知ってるに決まってるよ。だって、何度も言っているように僕がその光理なんだもん」


 と甘えるようにニヤニヤと笑うだけだった。


 先ほどの幻想的な雰囲気は何処へやら。

 俗っぽい、子供のような仕草。


 言動も相まってカチンと来た。


「いい加減にしろよ、お前……! 誰だか知らないけど、悪戯にしてもやっていいことと悪いことがあるってわからないのか?」


 彼女の姿はどう見ても俺の知る光理じゃない。


 顔は勿論、髪や瞳、肌の色――。

 極め付けには性別さえも異なっていて、共通しているのは精々背の高さぐらい。


 だから、俺には彼女の言動全てが、失踪した親友を冒涜する、不謹慎な悪戯にしか思えなかった。


「まあまあ。さっき約束したでしょ。僕の話を最後まで聞いてくれるって。だから、一度落ち着こう?」


 そんな俺を、少女は表情一つ変えずに宥める。

 まるで、俺がどんな反応をするか、そしてどう対応すればいいか、事前に全てがわかっているかのように。


 ……ちなみに、約束というのは本当だ。


 彼女に押し倒された後、俺は死にもの狂いで逃れようとした。

 タックルされた途端、痺れは消え、身体は自由を取り戻していたのだ。


 もしかしたら、美少女に抱きつかれて羨ましい――なんて思うやつもいるかもしれないが……。

 得体のしれない冒涜的な存在にマウントポジションを取られ、平然としていられる人間がどれほどいるんだろう?


 しかし、どれだけ死力を尽くしても、少女の華奢な腕はピクリとも動かない。

 性別――それに伴う体格差を考えれば、押し返せて当たり前のはずなのに。


 それでも諦めない俺に、ため息とともに出されたのがこの条件だった。 


話を最後まで・・・・・・聞いてくれれば・・・・・・・素直に立ち去る・・・・・・・


 ……選択権なんでまるでない。

 もし、逃げ出したとしてもこの足では追い付かれるだろうし。


 仕方なく、俺はそれを呑んだ。

 その後は、


『足、辛いなら座った方がいいんじゃないの?』


 とご丁寧に気遣われ・・・・・・・、今の状況になったというわけだ。


「なら、とっとと話してくれ」


 不快感を露わにして、言い放つ。


 適当に聞き流してさっさと忘れよう。

 そんな考えだった。


「うーん……信じてる様子、全然ないよねえ。どうしたら、僕が光理だって納得してくれるかなあ……」


 すると、くてっと首を傾げながらぼそり。

 その姿は、なんとなく小動物を思わせた。


「……証拠もなしに、そんな馬鹿げたこと信じられるわけないだろ」


 ……誰に向けての言葉でもないのだろうが、ついツッコミを入れてしまう。


 認めるつもりはないから早く諦めろ。

 そんなニュアンスも籠めて。


「そっか! それだよね! さっすがヨースケ!」


 だというのに、それが活力剤になってしまったようで、少女はぐぐっとガッツポーズ。

 不敵にこちらを見つめてくる。


 ……なんだか、背筋に悪寒がした。


「な、なんだよ……」

「ふふふ……。幼馴染である以上、僕は君のこと、色々と知ってるわけだからね……! 二人しか知らないことを言われたら、信じずにはいられないでしょ」

「……言っておくが、俺にすっぱ抜かれて困るような秘密なんて殆どないぞ」


 なので、文字通り・・・・目と鼻の先まで顔を近づけてくる少女にきっぱりと断言しておく。


 今のように、気心の知れた間柄のような発言をしたり。

 異性とは思えないほど無防備に密着してきたり。


 二重の意味で彼女との距離感がつかめない以上、先手を打とうという腹だった。


 だが


「そっかそっか。……ヨースケって、子供の頃、ガキ大将みたいな雰囲気醸し出してた癖に、お化けが大の苦手で、隠れて泣きそうになってたよねえ」

「ぐ、ぐぅ……!」


 ノータイムで繰り出されたのはボディブロー。

 笑みを深めての一撃が、俺の心を抉ってくる。


 ……何故ならば、反論のしようのない事実である。


 幼いころの俺は、


「誰もいない夜、得体のしれない何かが追いかけてきてるのではないか」

「ベッドの下など、隠れた隙間に害をなす化け物が潜んでいるのではないか」


 などと考えだしたら眠れなくなる子供だった。


 暗闇から湧き出るような恐怖に囚われ、トイレに行くために親を呼び出したのは一度や二度じゃない。

 あとは、泊りに行ったときにも親友を無理やり起こしたり。


 とはいえ、それは小さいころ。

 誰もが似たような経験がある、本当に小さいころの話だ――


「……本当かなあ? だって、小学校六年生の修学旅行のとき、肝試しで恥ずかしい思いしてたよね。『助けてくれ、光理ー!』って」

「ぐぐぐぐっ!」


 なんて誤魔化しは許されず、容赦のない追撃が襲いかかってくる。


 仰け反ったまま、反論できない俺。

 そんな姿に満足したのか、少女はふふふんと鼻を鳴らし、ドヤ顔になっていた。


 この年になっても、暗がりを一人で歩いていると少しだけ不安になるんだから、情けないことこの上ないとは自分でも思うんだが。

 なんだか、目の前の相手に馬鹿にされると釈然としないものがある。


 まさか、本当に――?


 ……と一瞬だけ思考が持っていかれて。


「……って待て。それって肝試しで同じ班だった男子なら、みんな知ってる話だろ。決して光理に限った話じゃないはずだ」


 所詮は田舎町の小学校と中学校。 

 生徒数は一学年につき百人以下と知れていて――今では疎遠になっているが――継続してつるんでいる相手も多かった。


 だから、口の軽い奴ならべらべらと喋っていてもおかしくない。


 危うく乗せられそうになったと踏みとどまり、俺はかぶりを振る。


「ちぇ……」

「そのことを知ってるってことは、あいつらの妹か何かか? 素直に話しとけ。今なら許してやるから」


 かつての同級生にハーフがいた記憶はないが……。

 中には都会の高校を受験したものもいて、その伝手なのかもしれない。


 結局なところ、どうとでも解釈できる話で、俺は先ほどの秘密とやらをばっさりと切り捨てた。


「……そっか。そこまで信じてくれないんだね」


 すると、少女は俯いてしまい、ぼそぼそと。


 暗がりということもあって、角度の付いた表情は見えなかった。

 だから、少し言い過ぎたのではないかと、途端に不安になってくる。


「僕はただ、ヨースケに謝りたかっただけなのにな」

「……何の話だよ」


 そんな俺にぶつけられたのは唐突な懺悔。


「その、上手く動かない左足のこと」


 意味がわからない。


 初対面の少女と俺の左足。

 その二つに一体何の関係があるというのか。


 問いただそうとして、ふと思い至る。


 彼女は、さっきも俺の足について言及していた。

 俺は警戒から痛みをひた隠しにして、そんな素振りは見せていなかったのに。


「関係あるよ? だって、ヨースケの怪我は、全部僕のせいだもん。あの日、あのとき、僕があんなことをしなかったら――。ヨースケが、二度とボールに触れられなくなんてならなかったんだ」


 放たれた言葉は、まるで膨れ上がる違和感を突き刺すようで。


「……違う。あれはただの事故だ。お前のせいじゃないって、あのとき何度も言っただろ」

 

 気がつけば、反射的に否定してしまっていた。


 ――そして、ハッとなる。


「な、なんでお前がそのことを……?」


 ……俺の足を不自由にした事故。

 俺は両親にすら不注意の結果だと告げていて、その真実は、現場にいた当事者以外誰も知らないものだった。


 数は二人――要するに、俺と光理だけ。


 心臓がどくどくと早鐘を打つ。

 少女から視線が外せない。


 少女が面を上げ、互いの視線が交錯する。

 不思議なことに、赤い瞳からは、先ほどのような身の毛のよだつ禍々しさは感じられなかった。


「ねぇ、ヨースケ。君の知る『日野 光理』は、二人だけの秘密を周囲に軽々しく口外するような人間だった――?」


 最後に、少女は目を軽く細め、俺へと問いかけた。

 悪戯好きな子猫を連想させるその笑みは、顔つきこそ別人ではあるが、幼いころからよく知る親友のものにそっくりで――。

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