一話 苦い記憶の辿り方

 それは一年前の、何の変哲もないある夏の日。

 中学校最後の球技大会を控えている、体育の授業でのことだった。


「やっほー、ヨースケ」


 俺がグラウンドの端の日陰で見学をしていると、まだ幼さの残るやんちゃな顔つきの少年が話しかけてくる。

 見慣れた親友――光理みことだった。


「……どうしたんだ、サッカーの練習中だろ?」


 体育の教師は俺たちのクラスの担任でもあるのだが、クラスの内外問わず、鬼のような教師だと有名である。

 少し授業に遅刻しただけでバンバン罰を出すし、口答えは許さないという態度を取っている。


 その上、仕事柄もあって、クラス対抗球技大会への入れ込みようも人一倍。

 各種目の経験者だけを一まとめにし、他生徒を対戦相手にして練習を行わせるぐらいだった。


 まさか、その授業で堂々とサボりでもあるまいし。

 突如現れた親友に首を捻っていると、あいつはある方角を指し示す。


 視線をやれば、そこには何やら教頭と話し合う体育教師の姿があった。


「なんか数分前、いきなり教頭センセーがやってきてさ。大事な話があるからほんの少しの間、自習だって。で、サッカーはやる気しないし、暇だからこっちに来たんだよ」

「大事な話?」

「うん。何かまでは教えてくれなかったけど。……ね、なんかこういうのってワクワクしない?」


 幼馴染の瞳はきらきらと輝いていて、好奇心を隠しきれていない。


 曰く、テロリストが特殊な才能を秘めた生徒を狙って学校を襲撃してくるだの。

 地下にはロボットがあって宇宙人と戦うだの。


 あまりの妄想の逞しさに、ついつい嘆息してしまう。


「なんでこんな田舎町にそんな連中がやってくるんだ……。来るとしたら腹を減らした猿ぐらいだろ。小学校の頃、たった一匹が山から来ただけで大騒ぎになったの忘れたのか?」

「む、ヨースケは夢がないなあ」

「いや、中学三年生がする様な妄想じゃないし、光理の反応がおかしいだけだ。まあ、お前は永遠の小学生男子だもんな……」

「……なんか、かつてないほどに馬鹿にされてる気がするんだけど!?」


 さて。

 そんないつも通りの取り留めのない会話を続けていると、どうやら大事な話とやらは終わっていたらしい。

 何時の間にやら体育教師がこちらにやってきていた。


 むすっと一文字に結ばれた口元が視界に入って、ぎくりとする。

 

 ……そんなに長い間、無駄話をしていただろうか。


「まあ、最近だと学園ものより、ファンタジーがマイブームでさ。エルフとかドワーフとか――ああいう異種族って、よくない?」


 だというのに、光理は全く気付いていないようで、お喋りに熱を上げ続ける。


「……お、おい。光理」


 ――後ろ、後ろ。


 一昔前のギャグ染みた台詞は、言葉にならなかった。


 何故なら、それよりも早く、体育教師を口を開いたからだ。


「おい」


 竦み上がってしまいそうなほど、低い重圧を持った声色。 

 それが余程怖かったのか、あいつは


「ひえっ!」


 と叫ぶと、俺の後ろにぴゅっと隠れてしまう。


「ち、違うんです、先生! サボってたわけじゃないです! これは仁田君が僕のことを呼び止めて!」

「お前なっ!」


 こ、こいつ、俺のことを売りやがった。


 いや、この先生は厳しいなりに公明正大であり、嘘なんかは簡単に見抜いてしまう。

 だから、光理なりに冗談でしかないんだろうが……。


 それでも万が一で冤罪になってはかなわないと、釈明のため慌てて口を開いて。


 俺は、体育教師の視線が自分を向いていないのだと気が付いた。


「日野」

「な、なんですか?」


 冷や汗たらたらの幼馴染に告げられたのは、決して罰則ではなく


「今すぐ早退しろ。……お前のご両親が、交通事故に巻き込まれたらしい」

「え……?」


 ――冗談としか思えない、不吉な知らせだった。





 早退した親友と会えたのは、放課後になってからのこと。

 俺としては、一緒に病院へと向かいたいぐらいだったのだが……。


 生憎と、幼馴染というだけでは授業を抜けるのは許されなかったのだ。


「……先生から聞いた」

「……そっか」


 今、俺たちがいるのは二人の家のすぐ近くにある公園で、幼いころ、よく一緒に遊んだ思い出の場所。

 色褪せた遊具に囲まれたベンチに腰かけながら、お互いに視線を合わせずに、横並びになって話している。


「……本当、なんだな」

「……うん」

「おじさんも、おばさんも、か……」


 ……あの後、何度も職員室に通い詰めて、事故の情報を教えてもらっていた。


 事故の現場は隣町の人通りの多い交差点。

 光理の両親が乗った車に、脇見運転の大型トラックがブレーキも踏まずに突撃してきたのだという。


 結果、酷い有様だった。

 傷を考えれば、少しの間息があっただけでも奇跡のようなものらしい。


 しかし、救護の甲斐もなく、病院に搬送されるまでに――。


「…………」


 誤報ではないのだとわかってしまい、俺はうつむいてしまう。

 

 何か言わなければ。

 そんな想いはあるのだが、言葉と言葉が結びつかず、ただただ黙り込む。


 ……会うまでの間、なんとかして幼馴染を励まさなければならないと考えていたのに。

 実際に会ってみると何を言えばいいかもわからず、気持ちが上滑りするだけだった。


 結局、沈黙を打ち破ったのは光理の方だ。

 あいつは大きく空を仰ぎ見て一息つくと、ぽつぽつと語り出す。


「……病院で、いろんな人に会ったよ。警察の人とか、役所の人とか。……あと、お父さんの、弟さん」

「……おじさんの?」

「うん。向こうにも連絡が行ったみたいでね……。皮肉だよね。絶縁状態だったのに、こんな状況になって初めて会うとかさ」


 ……家族ぐるみの付き合いをしていたため、何度か聞いたことがある。


 光理の父方は古くからある有名な家系で、それ故に異様なほど世間体を気にする気風だったという。

 一方、母親は身寄りがない施設育ち。

 結婚はどうしても認められず、半ば駆け落ちのような形でこの町にやって来たのだとか……。


「言われたよ。『このままだと、うちが君を引き取ることになる。本当に迷惑な話だ』……って」


 ――だとしても、そんな言い草はないだろう。


 無意識に力が籠り、掌に深く爪が食い込んだ。


「あんまり怖い顔しないでよ、ヨースケ」

「……悪い。でも」


 謝りはするものの、憤りは落ち着かない。

 表情を緩めようとはどうしても思えなかった。


 そんな俺を見て、乾いた笑みを浮かべる光理。


「……正直、全然、現実味がないんだよね。なんだか、今にでも二人とも帰ってきそうで、どんなこと言われても怒る気にもならないっていうか。だって、いきなり病院に連れてかれて、これがお父さんとお母さんって言われたんだよ? ……ドッキリか何かとしか思えないよね」

「光理……」


 このときになって初めて視線があって、俺はようやく理解する。


 光理がまだ平静を保っていられるのは、現実を受け止めきれていないからなのだと。


 良く言えば、心を強く保つために。

 悪く言えば、現実逃避。


 夢だと思い込むことで、何とか心を守っている状態だった。


 ……だとしたら、少しずつ時間が経ち、受け入れるしかない状況になればどうなるのだろう。

 そのとき、周囲の環境が、光理を守ろうとしてくれなかったら。


 想像したのは、ぞっとするような未来。


 それをイメージしてしまったとき、俺の中で答えはもう出ていた。


「なんか、疲れちゃったな……。ごめん、ヨースケ、今日はもう家に帰るよ」


 それだけ言ってベンチから立ち上がる光理を、一度だけ引き留める。


「なあ、光理。提案なんだが……」

「……どうしたの?」

「……いや、明日言うことにする」


 だが、まだ口には出来ない。

 理由は、俺一人で決められる事柄じゃないからだ。


 見通しも立たずに口にして、もし駄目だったら……。

 そのときは、親友をより一層傷つけてしまうに違いない。


「……うん、わかった」


 だから、また明日。

 とりあえずの再開を約束して、俺たちはその日、公園を後にした。





 その日の晩。

 夕食の席にて、俺は両親にある頼みごとをした。


「……光理を、俺の家で引き取れないかな?」


 勿論、俺としてもそれだけで親友の心を癒せるとは思っていない。

 却って辛い思いをすることがあるのもわかっていた。


 でも、それでもだ。


 光理を厄介者扱いする親戚の家で暮らすよりは、ずっとマシに違いない。 


 俺はそう考えたのである。


「そうね……。生前、お二人には色々とお世話になってたから、光理君がいいっていうなら何の問題もないわ」

「俺は仕事の都合で家にいないことも多いからな……。部屋は余ってるしいいんじゃないか?」


 すると、ありがたいことに、両親は二つ返事で同意してくれた。

 金銭の心配もどうにかなりそうだとも。


 二人にとっても、光理は幼いころから知っている子供だ。

 その不幸に心を痛めていたらしい。


 ……準備は整った。


 翌朝。

 俺はあいつに連絡を取ろうとした。


「……?」


 しかし、電話が繋がらない。

 ただただ、ツーツーと無機質な電子音が流れるだけ。


 寝ている可能性も考えて、何度か時間をずらしてみても、だ。


 ……どうせ、あいつの家は目と鼻の先。

 住んでいるマンションへ直接行ってみることにした。


 すると、家の鍵がかかっていないことに気づく。


 ――寝ているのに? 不用心すぎるだろ?


 つつっと、背筋を冷たいものが伝う。

 胸騒ぎが止まらなかった。


 それらを押しのけるようにして、ドアを開ける。

 部屋中を探す。


 ……だが、光理の姿は、どこにも見当たらなかった。

 そこに残されていたのは、着信アリなのだと告げる、一台のスマホだけだった。


 結局、どれだけ待っても光理が帰ってくることはなく――。


 それきり、二度と姿を現さなかったのだ。

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