第2話 反吐が出るぜ
肩を叩かれて、驚いて振り返ると、笑顔の男がいた。
青木という、数年前に役所を定年退職した男だった。
確か最後の役職は納税課長だったか。
今は地方の公民館の運営団体の長をやっているはずだ。
一件温厚そうだが、酒飲みで、酔うとくだを撒く。
そして過去の自慢話が多い。
あまり好きではないタイプだ。
俺は、一応笑顔を作って頭を下げた。
「あ、お久しぶりです」
「ホント、久しぶりだね」
男の後ろには、ずんぐりとした中年の男がいた。
そちらにも見覚えがあった。
確か、祭りの実行委員会の幹部で、商店街のプロパン屋の店主だったか。
いつも無愛想な男だ。
確か、他の議員の応援をしていた。
恐らく、仕事の便宜を図ってもらったとか、そんな何かがあると噂をされていたはずだ。
それぐらい不自然な応援のやり方をしている男だった。
男が口を開いた。
「良いご身分ですね。夕方にはもう喫茶店でご休憩ですか」
俺はむっとして答えた。
「いやいや、たまたまここで仕事をしているだけですよ。ノートパソコンで一般質問の原稿を打っていたんです」
「へぇ~」
男がいやらしい笑みを浮かべる。
「ま、給料分働いてくださいや」
「もちろんですよ」
そこで、青木が言葉をつないだ。
「ところで、ちょっと相談がありまして」
「相談、ですか?」
「ええ。ここじゃなんですから、あとで一杯飲みに行きませんか?」
返答に困った。
市民からのこういう誘いは幾多ある。
市民の声を聴いて行政に届けるのは重要な仕事だし、酒席に誘われて断ると、お高くとまっているという批判を流されることもある。
だが、いささか気が進まなかった。
青木は今は一般市民であるとはいえ、もともとは役人だ。
何かしら頼みごとか下心があるのだろう。
ややこしいことにまきっ込まれる可能性もある。
とはいえ……。
俺は二人を見る。
断れば断るで、何かしら嫌味を言うだろう。
仕方がない。
ある程度の揉め事はこれまでも体験済みだ。
「わかりました。何時にどこに伺えばよろしいですか?」
青木は、住宅街にある小さな中華料理店を指定してきた。
※※※
約束の時間に中華料理屋に向かうと、すでに青木は出来上がっていた。
紹興酒をロックで飲んでいるらしかった。
店内は狭い。
カウンターが5席、あとはテーブルが二つあるだけだ。
薄汚い店だ。
「まぁ、先生も飲んでくださいや」
頼んでもいないのに、勝手に紹興酒を差し出される。
そんな強いものを飲みたくなかった。
首を振ると、
「わがままだな」
と言いながら、瓶ビールを差し出してきた。
わがままはどっちだと言いたくなったが、黙ってビールを飲んだ。
蒸し鶏の葱ソース和えと搾菜をあてにビールを4,5杯飲まされると、今度こそ紹興酒を差し出された。
断りきれなかった。
口に含むと、甘ったるさと苦さがまじりあった、嫌らしい味がした。
一気に酔いが回る。
気がつくと、店内に幾人かの男が集まってきていた。
どいつもこいつも、祭りの実行委員会の男だ。
俺は、マズイ、と思った。
青木が据わった眼で問いかけてきた。
「先生さぁ、公民館の再編事業、反対したよねぇ?」
それは、一年ほど前のことだ。
行政が公民館の統廃合を提案したことがあった。
かなり唐突だった。
機能を集約するというが、要するに、運営維持費の削減が目的だった。
公民館集会所は、地域住民の重要な憩いの場だ。
ことさらに、高年齢者の使用頻度が高く、彼らにとっては、身近な小さな集会所こそが必要だ。
小さな集会所をいくつも潰して、大きな集会所を一つ建てるなんてのは、ニーズからずれている。
それで俺は反対した。
「私はねぇ、中央地区の集会所の運営協議会長に選出される約束だったんですわ。それが、先生方ガタガタ言ったんで、おじゃんです。こんな小さな地区の公民館運営協議会会長に収まっちまいましたわ。どうしてくれるんです?」
馬鹿馬鹿しいことこの上なかった。
「どこの集会所でも同じでしょうが。給料が変わるわけでなし」
だが、そんな理論が通用しないのはわかりきっていた。
要するに、この男は、名誉が欲しいのだ。
ちっぽけな名誉。
俺からしたら限りなくどうでもいいことだが、中央地区公民館運営協議会長という定年後の肩書がよほど欲しかったのだろう。
俺は舌打ちした。
反吐が出そうだった。
すると、いつの間にか店内で飲んでいた祭りの連絡協議会の連中の一人が、声を荒げた。
「よお、我ぇ! なんじゃその態度!! おぉ?」
ガラの悪い、髭の男だった。
どこかの工務店の社員だったか。
祭りに出て、大声で騒ぐ輩の一人だ。
俺には大体の関係性が読めた。
祭りの連絡協議会は、各地区の公民館ごとに選出される。
補助金などもそうだ。
地区単位で下される。
そのあたりで何か、甘い汁を吸おうと思っていたところが、再編計画が滞って、ありつけられなかった連中がいるのだろう。
こいつらはそういった連中というわけだ。
大方、青木が、「自分が公民館の運営協議会長になったら、お前らにいろいろと便宜を図ってやる」とでも豪語していたのだろう。
俺はため息をついた。
すべてが馬鹿馬鹿しかった。
時間の無駄だった。
蛆虫以下の連中につきあわされ、夜の時間を浪費した。
飲みたくもない酒も飲まされた。
俺は立ち上がった。
一万円札をカウンターに置き、
「これでいいでしょう」
と言った。
酔いが回っていた。
その塀で多少、横柄な仕草をしたのかもしれない。
「なんじゃ、その言いぐさは!! ああん?」
祭り関係の男が因縁をつけるようにねっとりと言った。
俺は舌打ちした。
「知るかよ」
言った瞬間。
後頭部に、強い刺激を感じた。
振り向く間もなく。
俺は気を失った。
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