いしころ 

 

 小さなつま先に、こつん、と蹴っ飛ばされた。

 ぼくのカラダは、ころんころんと転がって、アスファルトの真ん中で止まった。

 しとしとと降り続けている雨の下で

 地面もぼくも冷たく濡れていた。

 黄色い傘をさして、黒いランドセルを背負った小さな男の子が、ぱしゃぱしゃと長靴を鳴らしながら近づいてくる。

 そしてぼくの前でちょっと止まると、また右足を大きく振った。

 こつん。

 ぼくはさっきより速く、ころころと転がった―――。



 今日もぼくは、小学校の近くの道端で目を覚ました。

 昨日の夜はお星さまがとっても綺麗だった。

 雲は一切れもなくて、お月さまは真っ黒で、それに道の端っこの電気も消えていたから。

 空いっぱいにお星さまが集まっていて、楽しいお喋りをしているみたいに見えた。

 ぼくも一緒にお話しできたらなぁって思った。

 だから一生懸命に話しかけてみたけれど、お星さまは時々キラッと瞬きをするだけで、ぼくのことは仲間に入れてくれなかった。

 でもそれは仕方がないんだ。

 ぼくは道端に転がっている、ただの石ころなんだから。

 ちょっと淋しいけれどぼくはそのまま眠ることにした。


 遠い遠い空の端っこからぼんやりと、白い光が膨らんできていた。

 少しだけ丸っこいその光がだんだんと上にひろがってきて、真っ黒の夜もキラキラのお星さまも反対の空に逃げ始める。

 ああ、朝が来たんだ。

 ぼくは、とっても綺麗でちょっと冷たいお星さまたちにバイバイを言って、それからお日さまの顔がちゃんと見えるまで待って挨拶をした。

 “おはよう。”


 たくさんの足がぼくの側を通り過ぎていく。

 大人の男の人の黒い革靴や、女の人の踵の高い靴。

 赤ちゃんのスニーカーや、若い人のサンダル。

 お爺さんやお婆さんのピカピカの杖や、犬や猫の毛むくじゃらの細い足。

 皆、ぼくの側を通り過ぎていく。

 ぼくはただ皆のことと、空と、お日さまと、そして白い雲の下を自由に飛ぶいろんな鳥たちの姿を眺めていた。


 夏の一番暑い時間になった頃。

 小学校の門から子供がいっぱい出てきた。

 楽しそうにお喋りをしながら、男の子も女の子もランドセルと一緒に帰っていく。

 何をして遊ぼうとか。

 誰の家に行こうとか。

 ぼくは皆のお喋りを聴いていると羨ましくなった。

 誰かぼくのことも仲間に入れてくれないかな。

 ぼくと一緒に遊ぼうよ。

 でもどんなに話しかけても誰も気付いてくれない。

 仕方ないんだね。

 ぼくは道端に転がっている、ただの石ころなんだから。

 そんなとっても淋しい気持ちになったとき、白い靴がぼくの前に立ち止まった。

 一人ぼっちで小学校の門から出てきた、小さな男の子。


 黒のランドセルの右と左の肩掛けを、右と左のちっちゃな手で握って。

 ちょっと茶色の柔らかそうな髪の毛を、黄色い帽子から少しだけはみ出させて。

 白いシャツと、紺色の半ズボンをはいた男の子は、じっとぼくを見つめていた。

 それから少し大きく後ろに振った右足を、ぼくに向かって踏み出した。

 小さなつま先に、こつん、と蹴っ飛ばされた。

 ぼくのカラダは、ころんころんと転がって、アスファルトの真ん中で止まった。

 他の皆は友だちと一緒に帰っているのに、男の子は誰も待たないで歩きだした。

 ぺたんぺたんと足音が鳴る。

 そしてまたぼくの前に来ると、さっきより少し強く蹴っ飛ばした。


 ぼくと男の子は、焼けるように熱い地面の上を一緒に歩き始めた。

 ころんころん。

 ぺたんぺたん。

 ころんころん。

 ぺたんぺたん。

 ぼくは必ず男の子より先に進んで

 男の子は必ずぼくに追いついて来てくれる。

 たくさんの人や、犬や猫や、家や、電柱や、雲やお日さまが、ごろんごろんと回り続けた。

 止まるたびに、そこは初めて見る景色。

 男の子のつま先はぼくを知らない場所にどんどん連れていってくれる。

 それはとっても素敵で、とっても楽しい冒険だった。

 そういえば、ずっと、ずーっと昔に、こんな旅をした気がする。

 あの時も誰かのつま先がぼくを遠くから運んでくれた。

 雨の降る寒い日だった気がする。

 あの子はなんだか寂しそうだった。

 この男の子もなんだか、寂しそうに見える。

 ぼくはだんだん、蹴られて転がる楽しさよりも、男の子がゆっくりと追いついて来ることの方が待ちきれなくなってきた。

 もっと傍に居てほしいと思った。

 もっと傍に居てあげたいと思った。

 でも、男の子はぼくに追いつくとまた蹴っ飛ばしてしまう。

 また離れていく。

 何度も、何度も、ぼくらは近づいて、離れて。

 そしてとうとう、ぼくは道の端っこに乗り上げてしまった。

 草の生える土の上に居るぼくの横まで来ると、男の子は一度立ち止まって、少し残念そうにぼくを見つめて、そのまま前に歩き出した。

 待って。

 ぼくは叫んだ。

 でも、夜の空のお星さまたちと同じで、男の子は何も言わずに遠ざかっていく。

 ああ、仕方ないんだ。

 ぼくはやっぱり、道端に転がるただの石ころなんだから。

 小さな旅の終わり。今日からはこの場所で。

 あの子がくれた新しい思い出を抱えて、またたくさんの夜とたくさんの昼を見ていこう。

 あの子の寂しさがいつか消えるように、そっと祈りながら……。




 今日もぼくは、花の咲く土の上で目を覚ました。

 あったかい春の光の下。

 草むしりをしている、腰の曲がったお爺さんが、ひょいっとぼくを摘まみ上げた。

 ぽいっと転がされたのは、あったかいアスファルトの上。

 何処か遠くで、小学校のチャイムの音が聴こえる。


 ぼくはふと、ずっと、ずーっと昔のことを思い出した。

 それはとっても素敵な、とっても楽しい旅のこと。

 

 

 

 

 

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