せっけん 


 また少し、カラダがすり減っていく。

 君の手の中に溶けだして、柔らかく泡立っていく。

 歯を食いしばってぐっと堪えているね。

 でも、君の小さな両手は今日も泣いている。


 校舎の陰の、こんな片隅にある水道に、

 僕はくたびれた赤い網の中でずっとずっと、銀の蛇口からぶら下がっている。

 こんなところには誰も来ないと思っていたけれど。

 ある日、君が来た。


 体の大きな男の子と、中くらいの男の子に引っ張られて、君はまるで子猫のように現れた。

 僕にはそれがなんなのか分からなかったけれど。

 君は叩かれたり押しくられたり引っ張られたりして、何度も硬い土の上に転がった。

 二人が居なくなったあとも君はそこにうずくまっていたね。

 それからぎこちなく立ち上がって、初めて、僕のいる水道に来たんだ。

 久しぶりに聴いた蛇口のひねられる音。

 勢いよく吹きだす水のきらめき。

 そして、小さくて柔らかな手のひらの感触。

 僕は君の両手の中でもみくちゃにされながら、君がたくさんの涙をこぼしているのを見ていたんだ。


 あれからたびたび君達はそこに現れるようになった。

 数日ぶりの時もあれば、二日続く時もあって。

 そしていつでも君は一方的に転がされて、彼らが去るとこの水道で汚れを落としていく。

 涙を流したのは最初の日だけだった。

 でも、あのやりとりが君にとって辛いものなんだと、僕はだんだん理解していた。

 だって、僕を握る手のひらからは、いつも君の痛みが伝わってきたんだもの。


 君と出会ってからもうすぐ一年が経つね。

 僕のカラダはずいぶんと小さくなってしまった。

 それはほとんど、君の手に吸い込まれていったんだよ。

 今では君のことをたくさん知っている気がする。

 とっても繊細なのに、けっこう意地っ張りで。

 一度も暴力を返さないのに、いつだって悔しくてたまらない。

 あんな目にあった後なのに、君はこの水道でひょっこり現れた小さなカエルに微笑んだことがあった。

 僕は、君のそんな弱さも優しさも、奥にある柔らかな強さも、大好きだよ。

 ねぇ、君は僕のことをどう思っているの?

 ただすり減っていくだけの置物でしかないのかな。

 きっとそうだろうね。

 それでも、僕は君に出会えて嬉しかった。

 誰の手にも取られない日々。

 校舎の陰のこんな片隅で、本当はずっと淋しかったんだ。


 僕は君の手で小さくなっていく。

 今ではほんのひとかけら。

 もうすぐ消えてしまうね。


 君は気づいているかな?

 小さくなっていく僕を包む君の両手は、

 出会ったあの日から少しずつ、大きく、たくましくなってきたんだよ。

 だから、がんばってね。

 これが最後の泡。

 君の痛みを、連れていくから。

 

 

 

 

 

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