押し入れのタイムカプセル 


 辛いことがあった。


 押入れの奥にある思い出を確かめたくなった。

 大きめの段ボール箱。

 最後に引っ越したのは高二の春。

 そう思うとずいぶん小さく思えた。

 これが僕の16年……。

 

 ガムテープを慎重にはがしていく。

 綺麗に開けようとしている自分が少し可笑しくなった。

 天辺を横に開いて縦に開くと最初に何が現れるのだろう?

 仕舞った時のことはすっかり忘れている。

 胸の奥に小さな高揚を感じながら段ボールを開いた。

 

 国語の教科書だった。

 大学ノートの上に小学校の国語の教科書が一冊。

 他の教科書類はノートの下の方にありそう。

 なんでこれだけが不自然に上にあるのか気になった。

 表紙を右へ開く。

 一頁ずつ丁寧にめくってみる。

 

 いつの間にか夢中で読んでいた。

 懐かしい、温かい物語。

 忘れていた悲しい物語。

 そういえばそうだった。

 国語だけは大好きだったんだ。

 

 思わず吹きだす。

 作者の写真にひどい落書きがしてあった。

 あの頃の僕はこんないいお話を読んでも作者に敬意のひとつもなかったらしい。

 物語と語り手は関係ないのだろう。

 落書きは傑作だった。

 この才能はすごいと他人事のように思った。

 

 後ろの方になると文中にまで落書きをしている。

 気になる言い回しを見つけては面白い突っ込みを入れている。

 ページをめくる手をふと止めて親指をずらしてみる。

 角に小さく絵が描いてあった。

 よく見ると二頁前の同じところにも。

 さらに二頁後ろにも。

 ペラペラとめくると絵が動く。

 そういえばこんなのも流行ったなと思わず楽しんだ。

 

 気がつくと最後までじっくりと読んでしまった。

 裏表紙を閉じるとそこには小さく神経質な字があった。

 学年とクラスと自分の名前。

 やたら小さく字を書く子だったんだなと苦笑いがこみあげる。

 

 段ボールの中身を次々と引っ張りだす。

 大抵のノートは最初の数ページだけ異常にきめ細やかだ。

 その後持続力が切れた瞬間が見事に分かる。

 最後の方は黒板を取るより絵を描く方が忙しかったらしい。

 瞳ばかりやたらに描いていたり、悪魔の顔を無数のバリエーションで描いていたり。

 心理学者に見せてみたくなる。

 マッチ棒のような人間で漫画まで描いている。

 何の科目のノートだったか思わず表紙を確認してしまった。これが英語なんだ……。

 

 段ボールの端には筒がいくつかあった。

 書道や読書感想文コンクールの賞状。

 小さな勲章。

 可愛いもんだと思う反面、今の自分には出来ないことだと寂しくなる。

 少なくとも何かに本気で取り組んでいたんだな。

 

 一枚、写真が出てきた。

 これは覚えている。

 中学卒業の日、片想いの子に電話をして少しだけ会った。

 去り際に彼女が写真を撮りたがった。

 二人で頬を寄せて、彼女は目一杯手を伸ばしてシャッターを押した。

 かなり幸せそうな顔が並んで写っている。

 思えば片想いはバレバレだったんだな。

 この思い出はこの一枚きり。

 大切に仕舞っておくわけだ。

 

 全部取り出したと思ったら、カセットテープが一つ几帳面に角へ押し込められていた。

 ケースにも外面にも何も書かれていない。

 全く記憶にないけれど聴いてみたくなるのは当然だろう。

 ミニコンポのずっと使っていなかったテープを入れる場所。

 久しぶりすぎて一度逆さに入れそうになった。

 スイッチを入れるとガチャリという懐かしい稼動音。

 サーっというノイズ。

 

 聴こえてきたのはラジオのDJを真似ている自分の声だった。

 けっこう幼い感じ。

 そしていやにノッている。

 曲紹介は当時の流行曲のようだ。

 でも歌っているのは自分だった。

 ひどいアカペラでサビのみ。

 しかも歌詞を間違えていた。

 強引に終わりにしたあとアーティストをお招きして対談している。

 もちろん一人二役だ。

 声色を変えるのが意外と上手い。

 リスナーの手紙も読み上げている。

 しかも答えにつまっている。

 自作自演ならもう少し簡単な質問をすればいいものを全部アドリブらしい。

 

 学校では暗くて極力目立たないように過ごしていた。

 でも本当はこんな風に楽しく過ごしたい気持ちがあったんだと。

 教科書の落書き、ノートの漫画、そしてこんな遊び。

 自分が抑圧していたものがこの段ボールの中に詰まっていたんだ。

 

 最高にカッコ悪くて最高にイカシテたDJが言葉足らずで尻すぼみに番組を終える。

 その瞬間がなんだかすごく自分らしくて、知らないうちに笑顔になっていた。

 サーっというノイズを名残惜しく感じながらスイッチに手を伸ばす。

 するとマイクを繋いだような音が小さく鳴った。

 指が止まる。

 

 少しの沈黙に不思議な緊張感がある。

 

 小さな咳払い。

 そしてさっきより少し声変わりしたような自分が喋り始めた。

 

「……元気ですか? 変わっていませんか? 辛いことがありましたか?」

 

 びっくりした。

 呆然と聞きながら、心臓がばくばくと打っている。

 

「楽しいことを思い出せるように、国語の教科書を一番上にしておきます。元気になったらこれもきっと聴いてくれると思うから、ちょっと吹きこんでおきます」

 

 気付かぬ間に息をつめていた。

 膝頭を鷲掴むように力を込めた両手は少し震えていた。

 

「いろいろあったけれど、あの頃の僕は頑張っていたんだなぁって思いました。いろいろあるけど、いまの僕も頑張っています……」

 

 聴き逃しそうなほど微かな咳払いを一つ。

 

「きっといろいろあると思うけれど、頑張ってください。未来の僕へ」

 

 それだけ。

 それだけでメッセージは終わっていた。

 サーというノイズがあとに残る。短いエールを何度も耳の奥に繰り返させながら。

 

 ……今日、僕は死のうと思っていた。

 積み重ねた苦痛と、最後の大きなきっかけに、とうとう決意を固めた。

 でも気まぐれで思い出を確かめたくなった。

 だから押し入れの奥に手を伸ばした。


 そしていま、段ボールの天辺を閉じて新しいガムテープを真っ直ぐ、丁寧に貼り直す。

 頑張って再び押入れの奥へと仕舞った。

 

 明かりを消して柔らかい布団にもぐりこむと、静かに目を瞑る。

 ありがとう。小さくつぶやき、それから胸の中でそっと祈った。


“明日が来ますように”。

 

 

 

 

 

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