銀の滴 


 ずっと遠い日。

 善良な人が善良な人を火あぶりにしたり

 美しい馬達の背中で剣戟が響いたり

 書物がなくて吟遊詩人が語り継いだり

 ずっと…

 ずっと遠い日のことでした。

 

 小さな国の

 小さな地方の

 小さな村。

 もうほとんど人に忘れられたそんな村で

 小さな小さな女の子が泣いていました。

 彼女はひとりぼっちだから泣いていたのです。

 優しい人が死んでしまったから。

 意地悪な人が死んでしまったから。

 冷たい人が死んでしまったから。

 怖い人が死んでしまったから。

 愛する人が死んでしまったから。

 みんなのことが好きだったと

 ひとりぼっちになって気づいてしまったから。

 自分ももうすぐ同じようになって

 生まれ育った村が朽ち果ててしまうのが可哀想だったから。

 怖くて

 寂しくて

 絶望感が頬を伝い

 顎先から膝の上に落ちて

 やがて土へと染み込んでいきました。

 

 誰も知らない小さな小さな少女の涙は

 ゆっくりと土の下の川へ混ざり

 岩場を濡らす細い滝に合わさり

 やがて湖に流れ込み

 大きな河へ運ばれ

 いつしか遠い遠い海へ届きました。

 眩しい太陽に吸い上げられては

 風に乗って雲になり

 果てしない空を彼方まで旅し

 零れおちるように降り注ぎ

 また土の下から

 同じ営みを繰り返しました。

 いつしか少女が死んでしまっても

 誰も知らなくても

 何年も何十年も

 何百年も

 ずっと遠い日まで。

 

 

 善良な人が善良な人を閉じ込め

 冷たい乗り物の中から指先で街を焼き払い

 書物も歌もお金がなければ触れられない

 ずっと…

 ずっと遠い日。

 

 ある小さな国の

 ある小さな地方の

 ある小さな村。

 誰も知ろうとしないような貧しい村に

 小さな小さな少女が膝を抱えていました。

 長い

 とても長い灼熱の空の下で

 川も井戸も干上がり

 作物は枯れ

 優しい人も

 意地悪な人も

 冷たい人も

 怖い人も

 みんなうなだれていました。

 ひび割れた土を見つめながら

 もうすぐ何もかも死に絶えてしまうから。

 膝を抱えた小さな少女の祈りも

 その細い息と共に涸れてしまいそうでした。 

 

 ふと

 風の中に湿った香りがしました。

 そして

 ぽつり…と

 少女の手に雫が落ちました。

 彼女はゆっくりと空を見上げました。

 いつの間にかそこには

 もう忘れていた灰色の空が。

 諦めかけていた陽を遮る雲が。

 それはずっとずっと遠くから旅をして

 いま少女のために雨を落とし始めたのでした。

 

 やがて降り注ぐ銀色の輝きに

 村人たちは一人

 また一人

 静かに立ちあがり

 全身でそれを受け止めると

 誰も彼もが強く抱き合いました。

 ただ立ち尽くす少女の黒い瞳に

 涸れていた涙が甦りました。

 肩をたたき合うみんなのことを

 自分がどんなに愛していたのか気づいたから。

 彼女は頬を拭いもせずに

 空を見上げました。

 

 その出逢いを

 誰に知られることはなくとも

 遠い過去に流れた悲しみの滴と

 この日流された喜びの滴は

 きっと手を取り合って

 そしてまた長い旅をするでしょう。


 誰かの世界を銀色に輝かせる

 ずっと…

 ずっと遠い日まで。

 

 

 

 

 

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