END OF THE WORLD
この街はつまらない。
青年は悩んでいた。
繰り返す日々。
何も変わらない生活。
ここは自分の居場所じゃないと思った。
自分にも何か才能があるはず。
何かきっかけが欲しかった。
怠惰な日常を抜け出すきっかけが。
気がつくと海辺に来ていた。
延々と続くアートの上に肘をのせ海風を浴びる。
ビーチではお気楽そうなカップルたちが疎らにイチャついている。
防波堤の上でのんきに釣りをしている人間もいる。
横を見やればただ海を眺めている老人。
みんな人生をこうやって浪費していくのだろうか。
水平線を眺めながら青年は次第に心を決めた。
旅に出よう。
それしか今を変える方法はない。
今の仕事も何もかもスッパリと放り出して船に乗るのだ。
行き先なんて何処でもいい。
この街以外なら何処に行っても輝ける気がした。
世界中を廻るのだ。
見たこともない景色。
活気あふれる街や人々。
新しい土地が自分を待っている。
想像するだけでも胸が高鳴った。
眼前に映る人間たちのなんと下らないことか。
今の生活に満足してこの街に閉じ篭っているのか?
不満を抱えながらも惰性で過ごしているのか?
だが自分は違う。
常に変えたいと思っていたし変える決心もした。
急に未来が拓けた気がした。
ふと、横の老人の元に子供が駆け寄るのが見えた。
離れていてよく判らないがお菓子か何かを子供が渡しているように見えた。
老人は子供の頭を撫でる。
子供は嬉しそうに駆けて行く。
微笑ましい光景だ。
この街の見納めに少し老人と話してみたくなった。
青年はゆっくり隣に歩み寄ると声をかけた。
「こんにちは。いつもここに来ているんですか?」
老人は静かに振り向くと、深いシワの刻まれた顔で優しく微笑む。
「はい。毎日ここで海と街を眺めています。これが私の楽しみですじゃ」
青年は内心で少し哀れんだ。
もうあまり動き回れる体でもない男の晩年がそこにあった。
「私はこれから旅に出ようと思っています」
ほぉ、と老人は小さく感嘆を漏らす。
「それはそれは。私も若い頃は世界中を旅しました。旅は良いもんです」
「そうなんですか。それでこの街に流れ着いたのですか?」
老人は少し笑った。
「いえいえ、私は元々この町の出です。生まれた時からここで暮らしておりましたよ」
青年は驚いた。
「せっかく世界に出たのに戻って来てしまったのですか!? こう言ってはなんですがこの街など何も良いところは無いでしょう」
老人は笑みを湛えたまま青年に問いかける。
「あなたはどうして旅に出るのですか?」
青年は水平線に向き直った。
「毎日に飽き飽きしているからです。この街はくだらない。お気楽な人間と怠惰な人間ばかり……。きっと他の土地には希望が溢れています。だから私はこの街を出るんです」
「世界の果てを知っていますかな?」
「え……?」
唐突な一言に青年は聞き返した。
「世界の果てが何処にあるか、知っていますかな?」
老人はもう一度ゆっくりと言った。
「い、いえ。何処かの南の小さな島でしょうか? それとも北極か南極のことですか?」
老人は指差す。
水平線……ではなく、町を向いて。
「ここが、世界の果てですじゃ」
青年は振り返った。
いつもの街並み。
「ここって……この街のことですか?」
老人は頷いた。
「あなたにとっての世界の果てとはここです」
青年は怪訝な顔で街と老人を代わる代わる見つめた。
「そしてあなたの行く土地の全てが世界の果てになるでしょう」
青年はなんとなく自分の夢を穢された気がして腹が立った。
「どういう意味ですか。私はそれをこれから探しに行くんです。広い世界を旅してたくさんの希望に出会いに行くんです。こんな土地に戻ってきてしまったあなたとは違います。そうだ、きっと私には果てなんかないはずだ」
老人は穏やかな瞳で青年を見つめる
そしてゆっくりと右手を彼の前に開いて見せた。
「これがあれば私には世界の果てなどありません」
そこには飴玉があった。
「はぁ? それはさっき子供から貰っていたものじゃないですか?」
「私は若い頃、世界の果てを知りたくて旅に出たのです」
老人はその軌跡を静かに語り始めた。
「天を突くような高い塔……」
「夜を拒むようなビル群……」
「世界を分かつように続く壁……」
「権力を誇示する巨大な墓……」
「神々を祭る朽ちた神殿……」
「無機質に動く都市……」
「芸術に溢れる都……」
「戦争に廃れていった遺跡……」
「何処までも広がる砂漠……」
「美しい森……」
「悠然と流れる大河……」
老人は遠く水平線を見つめながら若かりし頃の記憶を反芻する。
「私は漠然とこう考えていました…… “世界の果ては、きっと何もかもが凍え廃れ殺伐とする痩せた土地に違いない”……と」
青年は何故かもう一度街を振り返った。
「やがて金も尽き、私はただの放浪者となっておりました。日雇いで手にした金を力ずくで奪われたことも何度かありました」
陽が傾いてゆく。
少しずつ空が朱を含んでゆく。
「ですがそれ以上に、行く土地土地で私は人の温かみにも触れました」
海鳥たちが歌いながら舞う。
「見ず知らずの私に食事や水や酒を施してくれた人達…… 凍える夜に暖かい寝床を与えてくれた人達……」
潮風がそよぐ。
「暴力に奪われた時、私はそここそが世界の果てだと嘆きました。しかし、そんな私を親切な方が暖炉の前に招き毛布をかけてくれた時、私は世界の果てではなかったのだと安らぎました」
少し言葉を切り、目を閉じる。
過去の光景を思い出しているようだった。
「戦争の傷跡に苦しみ、体の一部を失い貧しい暮らしを強いられている人々を見た時、此処こそが世界の果てだと哀れみました……。しかし彼らは地雷原に臆することもなく水を汲みに行き、僅かな食料を分け合い、とても朗らかに笑った」
老人が夕陽に目を細める。
「……私は、そこも世界の果てではないことを知りました」
彼は青年の瞳を見つめた。
「わかりますかな……」
夕焼けに染まるその顔を見ながら、青年は言葉を見つけられなかった。
だがその瞳から目を逸らしてはいけないと思った。
慈しみ深く、それでいて力強い光を宿した瞳だった。
「あなたが絶望に身を浸すなら、何処に居てもそこは世界の果てになってしまう……。あなたが命に感謝をするなら、この世に果てなど無く……世界は無限に広がってゆくことでしょう」
そう言った彼の深い皺の刻まれた微笑みは、青年が今までに出会った何よりも心に響いた。
「良い旅を……」
老人は青年の手を取ると何かを乗せ、指で包み込ませる。
そしてゆっくり背を向けると静かに去っていった。
短く鳴る杖の音を聴きながら、青年はいつまでもその背中を見送っていた……。
カメモが水平線を踊り
波音が優しく寄せては返す。
恋人達は愛を語らい
釣り人は海と戯れる。
子供たちが駆けてゆく海辺を、潮の香りが穏やかに包む。
その全てを美しい朱に染めながら、太陽はゆっくりと水平線に身を沈めてゆく。
やがて海辺の人々は一人、また一人と家路につく。
東の空へと夜の帳が星の天幕に変わりながら緩やかに昇ってゆく。
青年はただ、空と溶け合う黄昏の海を眺めていた。
惜しむように時間をかけながら右手を開くと、そこにあったのは潮風に錆びたこの土地の銀貨だった。
~
老人が海を眺めている。
その老人は毎日、そして一日中海を眺めている。
今日も潮の香りが鼻をくすぐり、
恋人たちや釣り人を澄んだ陽光が眩く包んでいる。
一人の青年が彼に話しかける。
将来に悩んでいること……
怠惰な日々に飽きていること……
この街を出てみようと考えていること……。
老人は優しく微笑むと、穏やかに問いかけた。
「世界の果てを、知っていますかな……?」
その胸元には、錆び付いた銀貨が揺れていた。
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