傘 

 ゆらん。

 ゆらん。

 枝の先。

 

 ぬるい風に煽られて。

 透明な傘が揺れている。

 

 ゆらん。

 ゆらん。

 枝の先。

 

 

 

 それは本屋の傘立ての中。

 雨露を折りたたんで寄り添う幾本の仲間。

 木の柄を艶やかに輝かせる黒張りの傘が、隣に寄りかかる透明なぼくに話しかけてきた。

 

「君は何処にでもいるな。私みたいに大事にされていないだろう?」

 

 僕は言われたことがよく解からなかった。

 だってちょっと前まで誰のものでもなかったから。

 今日初めて雨を知ったから。

 でもそれを答える前に僕の体は引っ張られた。

 

「あれ? 僕を連れてきたのは貴方じゃないよ?」

 

 有無を言わさず開かれた僕は勢いよく遠ざかるお店を振り返る。

 黒い立派な傘に憐みの眼差しで見送られた。

 

 

 灰色が去ると青の中から黄色が降り注ぐ。

 ファーストフードの傘立てでそれを浴びながらボンヤリしていた。

 

「貴方、いつからここにいるの?」

 

 赤くて奇麗な傘が優しい声で話しかけてきた。

 

「雨が止むずっと前からだよ。僕を連れてきた人は出てったけど」

 

 赤い傘は小さなため息をこぼした。

「晴れたから捨てられたのね。可哀そうに」

 そして彼女は女の人に引き抜かれる。

 小さく揺れながら遠ざかる赤い傘は僕を見つめながら言った。

「元気出してね」

 

 それからだんだん影が落ちて、辺りのことが判りにくくなってきた頃。

 雨が降りてきた。

 

 ウトウトしていた僕は急に引っ張られる。

 やっと乾いたと思ったらまたシャワーの中に飛び込まされた。

 パシャパシャという足音に運ばれて、揺れる箱の中に連れ込まれた。

 目の前の人に睨まれる。

 靴を濡らしてしまった。

 規則正しい音を立てながら箱はどこかへ滑っていく。

 黒い窓に自分を杖にする若い男が映っていた。

 

 

 しばらく続いた共同生活。

 見慣れてきたコンビニの傘立ての中。

 僕の隣にビニール傘が着地する。

 

「お邪魔するよ。お、君は俺と似ているね」

 気安い口調で話しかけてきたビニール傘はどことなく嬉しそうだった。

「この辺に住んでいるのかな?」

 

 尋ねられて僕は今までの経緯を伝えた。

 買われた日に2回も持ち主が変わったこと。

 元々はたぶん遠い場所にいたこと。

 

「そっかぁ。俺達は特徴が少ないからな…… おっ出てきた。じゃあな」

 

 ビニール傘を連れてきた中年の女性は足早に出てきた。

 しかし勢いよく引き抜かれたのは僕の方だった。

 

「え、おいおい! 俺はこっちだよご主人! 待て!」

 

 裏返った叫び声が小さくなっていく。

 僕は取り間違えた女性と遠ざかる傘立てを何度も見比べながら、やがて車の助手席に押し込まれた。

 

 

 ……ある日のにわか雨。

 

 包みを解かれたあの日から、一体どれくらいの月日が流れただろう。

 何度も何度も持ち主が替わって、いくつもいくつも景色が変わった。

 雑貨屋から始まって

 本屋

 ファーストフード

 コンビニ

 美容院

 レストラン

 パーキングエリア

 そしてパチンコ店で忘れられた僕を拾ってくれた人が最後の持ち主。

 日暮れ前に降ったにわか雨。

 小さな雨雲が足早に過ぎると、僕は葉の乏しい街路樹の枝に掛け捨てられた。

 

 静かに染まっていく空を見上げながら、僕は自分の旅が終わったことを知る。

 隣では虫の鳴く声。

 ぬるい風が通るたび不安定な体が煽られる。

 ゆらん。

 ゆらん。

 

(君は何処にでもいるな。私みたいに大事にされていないだろう?)

 

 いつか聞いた言葉を思い出す。

 今日までの日々をゆっくり振り返る。

 簡単に忘れられて気軽に手に取られて。

 確かに何処にでもいる存在かもしれない。

 でもこんなにたくさんの掌を知ることができた。

 

「そうでもないよ」

 

 通り過ぎた傘に呟いた。

 

 

 

 さっき見た光景を思い出しながらそんな物語を想像する。

 家に着くと自転車を降りる。

 玄関先で今日お世話になった相棒の水を切る。

 あの傘は今も揺れているんだろうな。

 ゆらん

 ゆらん

 枝の先で。

 

 

 

 

 

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