日向ぼっこのベンチ 

 庭に椅子がある。

 木製の一人掛けの椅子。

 いつもおじいさんが座っていた。

 日向ぼっこのベンチ。

 

 遊びに行くと

 ゆっくりと立ち上がって

 冷えた瓶のジュースを持ってきてくれる。

 そしてまた腰を下ろす。

 

 絵本を持っていくと

 ゆっくり捲りながら

 しゃがれた声で読んでくれる。

 優しい椅子。

 

 笑顔で手招きして

 みっつお手玉を取り出して

 座ったままぽんぽんと投げる。

 楽しい椅子。

 

 でもある日おじいさんは僕を忘れてしまった。

 いつもの椅子に座っていたけれど

 元気にあいさつをしても不思議そうに見るだけ。

 ジュースも絵本もお手玉も忘れてしまった。

 

 天気の好い日は椅子に腰掛けて

 ただぼんやりとしている。

 少しずつ色んなことを忘れてしまっても

 そこに座ることは忘れなかった。

 

 蝶々がひらひらと舞って

 蝉がみんみんと鳴いて

 鈴の音が転がって

 葉っぱは紅く色を変える。

 

 おじいさんはもうほとんどのことを忘れてしまった。

 自分の名前も知らなかった。

 雪がふわふわと降りてきて庭と椅子が染まっていくのを

 家の中から眺めていた。

 

 季節の終わりが近づいて

 僕は庭に廻った。

 冬晴れのとても明るい日。

 空気は冷たくて日差しは暖かい午後。

 

 おじいさんは椅子に座っていた。

 僕を見ると立ち上がって

 瓶のジュースを持ってきてくれた。

 それからお手玉をみっつ取り出して

 座ったままぽんぽんと投げた。

 

 驚いている僕ににっこりと笑うと

 ありがとうと言った。

 

 次の日、庭に行くとおじいさんは居なかった。

 

 ずっと時間が過ぎて

 季節が移り変わっても

 晴れた日にはふと思い出す。

 

 一人掛けの椅子がある庭。

 いつもおじいさんが座っていた木製の椅子。

 柔らかな日差しにつつまれた

 日向ぼっこのベンチ。

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