傘と長靴と不思議な雨
ぱら ぱら ぱら
男の子は空を見上げていました。
たくさんの絵の具をまぜすぎた色。
怒った綿菓子のような空から次々と、
次々と、
だれかが泣いているみたいに雨が落ちてきます。
男の子は小さな柔らかい手でちゃんと鍵をかけて、
お気に入りの黄色い傘をパッと広げると、
お気に入りの黄色い長靴で小さな水たまりに降りました。
ほわん ほわん 広がる波。
大好きな雨と傘がおしゃべりを始めました。
『ぱら ぱら ぱら どこいくの?』
男の子はうれしそうに答えます。
「うんとね、おとうさんをむかえにいくの。」
雨と傘はすこしひそひそ話して言いました。
『それなら気をつけてね。いいヒトと、わるいヒトが、キミを待っているかもしれないから。』
うんっと元気よく返事をすると、男の子はお気に入りの長靴で水の上を歩きだしました。
きれいな一軒家がならんでいる路を、男の子はちゃぷちゃぷ歩いていました。
電信柱と電信柱のあいだにおっきな水たまり。
でも黄色い長靴が守ってくれるから男の子にはこわいものなんてありません。
わざと蹴飛ばすように歩くと、透明な花火がちいさく咲いてきれいです。
男の子は嬉しくなってきました。
するととつぜん、頭の上から声がしました。
『ぼうや、どこにいくんだい?』
高い電線の上から、まっ黒いカラスが男の子を見ていました。
「うんとね、おとうさんをむかえにいくの。」
カラスは空に向かって悲しそうにさけぶと、大きく羽をひろげました。
それからあっという間に男の子の目の前まで降りてきて、羽をそっととじました。
『この路をまっすぐいっちゃいけないよ。』
その声は湿った空気よりも冷たい感じがしました。
男の子はすこしこわくなりながら言いかえします。
「いつもこのみちだったもん。うそつき。」
カラスはもう一度悲しそうにさけびました。
『ぼうや、おれを信じるんだ。このまま進むとこわいことが待っている。』
雨がすこし小降りになります。
カラスは左の羽をひろげました。それは濡れてつやつやと光っています。
『こっちの路から遠回りしていくんだぞ。』
そして右の羽もひろげると、あっという間に灰色の空へ飛んでいきました。
まっすぐ続く路と右にすすむ路。
男の子はすこし悩んでから、カラスの言うとおりにしました。
しばらく歩いたころ、どこか遠くで大きな音がしました。
硬いなにかが硬いなにかにぶつかった音です。
きょろきょろ見回すと、さっき向かっていた方向でもわもわと湯気のようなものがあがっていました。
『ぱら ぱら ぱら どうして彼を信じたの?』
傘がたずねてきます。
「くろい羽がきれいだなっておもったの。」
男の子はにっこりして答えました。
大きな公園のなかに入りました。
レンガ色の道はすこし黒っぽく濡れています。
周りの花壇にはあふれるようなたくさんのお花が咲いています。
飛び跳ねる雨が銀色にけむってとても涼しそうです。
男の子はときどき傘を半分分けてあげながら、赤や黄色の花びらを撫でました。
『ぼうやは優しい子だね。』
ふいに声が聴こえて、男の子はあたりを見回します。
『ふふふ、目の前だよ。』
いつの間にか、おっきな葉っぱの上に緑色のカエルが乗っていました。
目を丸くする男の子にケロケロと笑います。
『ところでどこにいくんだい?』
「うんとね、おとうさんをむかえにいくの。」
カエルはとつぜん、とっても高く跳びはねました。
そして右側に着地しました。
『それならこっちについておいで。出口の近道だよ!』
カエルは振りむくとちろりと舌で呼びます。
男の子の目の前には、花壇を大きくよける右回りの道と左回りの道。
カエルがぴょんぴょんと先に進む右の道は、とちゅうで大好きなアスレチックも通ります。
左の道は木がたくさん集まった小さな森へ入っていきます。
『ほら、ぼうやはアスレチックが上手なはずだね? ぼくとちょっと遊んでいこうよ!』
雨がすこし強くなりました。
男の子はカエルの背中について行こうとしましたが、やっぱり左の道に変えました。
どこへ行くんだよ、とカエルが怒って跳びはねています。
男の子はにげるように走って森を目指しました。
『ぱら ぱら ぱら どうして彼についていかなかったの?』
傘がたずねてきます。
「あかいベロがこわかったんだ。」
男の子は眉をひそめて言いました。
ちょうどそのとき、公園のスピーカーから声がきこえてきました。
アスレチックで子供がけがをしたというお話でしたが、すこし難しい言い方だったので男の子にはよく分かりませんでした。
森のなかは男の子にとっては大きな木がたくさん立っています。
おいしげった緑の葉っぱは重なり合って大きな大きな傘をつくっていました。
雨はあんまり入ってこないので、レンガ色の道もあんまり濡れていません。
でもときどき大粒の水が落ちてきて、パシャッパシャッと地面にはじけます。たまに水たまりに入って銀色の王冠をつくりました。
ゆっくり曲がっていく暗い道を、男の子はちょっとドキドキしながら歩いていきます。
大粒の水が傘のうえにボタリと落ちてくるたび、びっくりして思わず跳びはねてしまいます。
しばらくすると、分かれ道があらわれました。
右の道が出口にちかい方。左はすこし遠くなります。
『あぶないよ。』
分かれ道のまんなかにある大きな木の上から声がしました。
おどろいて見上げると、白いネコがするすると降りてきました。
『そっちにいくならあぶないよ。』
すこし濡れてきらきらときれいなネコは、右の道を見ていいました。
「でも前はこっちをとおったもん。うそつき。」
男の子がそう言うと、ネコはさみしそうに鳴きました。
『そっちは池のそばを通るよ。今日はあぶないからこっちにしておきなさい。』
ネコは左の道をじっと見つめました。木の影が濃い道です。
男の子はすこし考えてから、ネコの言うとおりに左へ歩きだしました。
急に雨がとても強くなり、森じゅうが恐ろしい声でざわざわとさわぎました。
『急いだ方がいいよ!』
ネコに言われて振りかえります。
うん、と言おうとしたのですが、ネコを見たとたん男の子は右の道に向かって走りだしました。
『そっちはだめだよ!』
うしろから叱るような声がきこえました。
それでも必死で走りつづけると、やがて森が終わって大きな池が現れました。
水面が滝のような雨にたたかれて暴れています。まるでトゲだらけのガラスのようです。
池を見ながら走っていた男の子はなにかにつまずいて転びそうになりました。
でもがんばってバランスを取りなおすと、そのまま出口まで走りつづけました。
『ぱら ぱら ぱら どうして彼女を信じなかったの?』
公園の出口のそとでハァハァと深呼吸をしている男の子に、傘がたずねました。
「おっきな目がきんいろに光っていたんだ。」
そのとき、また公園のスピーカーから声がきこえました。
お巡りさんみたいなかっこうの大人がひとり走ってきました。
変な男に会わなかった?と聞かれたけれど、男の子はううんと首をふりました。
お巡りさんみたいなかっこうの大人は、さっきネコがすすめた奥の森へと走っていきました。ぜったい入らないようにと男の子に注意しながら。
公園から出た先にはきれいな商店街がまっすぐのびていました。
そのひろい道の右と左にはいろんなお店がならんでいます。
お店のなかでは雨宿りの人たちが飲みものや食べものを持ちながら外を眺めていますし、すれちがう人たちはみんな早足で通りすぎていきます。
男の子は楽しい気持ちで歩いていました。
ざん ざん ざん
神さまのシャワーみたいな雨のなかを、黄色い傘と黄色い長靴でかきわけながら。
『ねぇぼうや、お願いがあるんだ。』
とつぜん話しかけられて、男の子はきょろきょろと周りを見ました。
すると、一軒のお店の屋根のしたで、こげ茶色の犬が雨宿りをしていました。
『この路の奥に連れていってほしいんだ。雨がひどくてうごけないんだ。』
犬が鼻を向けた方には、わき道がありました。
建物のあいだを通る、とても暗くてせまい道です。
「おとうさんをむかえにいくの。あの駅まであとちょっとなんだよ。」
男の子はひろい道の先をゆびさします。遠くに駅が見えています。
『おとうさんはやさしいぼうやが好きだと思うんだ。ねぇ、すこしだけ遠まわりになるけどたすけてくれない?』
犬は耳をぺたりとたらして言いました。
男の子はちょっとなやんでから、うんっと笑顔でひきうけました。
傘の半分に犬を入れてあげると、暗くてせまいわき道に入っていきます。
雨がすこし弱くなりました。
よごれた高いかべにはさまれて、空気はもっとじめじめしています。
地面には空き缶や食べもののゴミがいくつも落ちています。
長靴の音がぺちゃぺちゃと、犬の足音がひたひたと響きました。
『もどりなさい。』
どこからか声がしました。
男の子は足をとめて、暗やみのなかをじっと見つめました。
すると、いっぴきの小さなネズミが通せんぼしていました。
『その犬はわるいヒトです。はやくさっきのひろい道に戻るのです。』
男の子はおどろいて犬を見ました。
犬はネズミを見つめたままうごきません。
『さぁ、はやく。』
ネズミが大きな声で言ったので、男の子は後ろに向きなおりました。
犬に足がぶつかりましたが、彼はまだ動きません。
わき道に雨がつよく吹きこんできました。
『どうしたんですか。急がないといけないのでしょう?』
戻ろうとしたけれど止まってしまった男の子をネズミが叱ります。
男の子はゆっくりと振りかえりました。
「やっぱりこのままいく。」
そう言うともう一度犬のうえに傘をさしました。
おどろいて見上げた彼に、男の子はにっこりと笑いかけます。
そして歩きだしたとき、いつの間にかネズミはいなくなっていました。
雨はまた弱くなりました。
わき道をぬけると、近くの一軒家の前で犬はお礼を言いました。
『ぼうやはやさしいね。ありがとう。』
別れるまえに、あったかいベロで男の子の小さな手をなめてくれました。
『ぱら ぱら ぱら どうして彼を信じたの?』
線路の方へ歩きはじめた男の子に傘がたずねました。
「うんとね、ぶつかったら震えていたんだ。」
『ぱら ぱら ぱら ぼうやはやさしいね。』
雨と傘がすこしだけ笑ったような感じがしました。
線路にぶつかると、駅に向かって曲がります。
するとそっちの方がなんだかガヤガヤと騒がしくなっていました。
やっと駅についた男の子はいつもの場所でお父さんを待ちました。
電車がはいってくる音と電車が出発する音が何回かして。
ちょっとだけ眠くなったころ、ようやくお父さんが出てきました。
「おとうさん!」
男の子が走っていくと、お父さんは笑顔でしゃがみこみます。
「ただいま。」
「はい、おとうさんの傘!」
男の子が黒い傘を誇らしげにわたします。
「ありがとう。助かったよ。」
嬉しそうに言ったあと、お父さんは立ちあがって目の前のひろい道を見ました。
「なにがあったんだい? お店のガラスが散らばっているじゃないか。」
商店街にはたくさんの人と、お巡りさんがいました。
キラキラ光る地面にケガで倒れている人もいて、遠くから救急車の音が近づいてきました。
「わかんない。」
男の子は首をふります。
お父さんは心配するような顔で見下ろしました。
「来るまでになにか危ない目にあわなかった?」
男の子はすこしだけ考えてから、たっぷりの笑顔で言いました。
「うんっ! ぜんぜん!」
「そっか、良かった。」
お父さんの大きな手が男の子の頭をわしゃわしゃと撫でました。
「じゃあ帰ろう。お母さんがおいしいご飯をつくって待っているからね。」
「うんっ!」
お父さんの黒い傘がパッとひらき、黒い靴が水たまりをよけて歩きだします。
男の子も黄色い傘をパッとひらいて、黄色い長靴で水たまりをパシャッと踏みました。
ぱら ぱら ぱら
絵の具を混ぜすぎたような空の下。
大好きな雨と傘がやさしく笑っていました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます