願い
彼は絶望に打ちひしがれていた。
生きることに疲れ果て最期の時を教会で迎えようとしていた。
三日間飲まず食わずで祈りを捧げ命の終りが近づいたのを感じた。
突然目の前に天から光が降り注ぐと、白い衣を纏った老人が降り立った。
「ああ……ついにお迎えにいらしたのですね。私は天国へ逝けるのでしょうか」
彼は跪き見上げると涙を流した。
“そうではありません 貴方の敬虔な祈りに胸を打たれここに降りたのです”
老人は優しい瞳で彼を見下ろすとこう言った。
“ひとつだけ願いを叶えてあげましょう”
彼は驚きのあまり言葉も出なかった。
“ただし誰ひとり苦しまない願いでなければいけません もしその結果苦しむ者がいたなら願いは叶いません”
彼は少し考えるとこう言った。
「では……私に大金をください。使いきれないほどのお金を」
老人は願いを叶えると消えた。
彼の足元には通帳が落ちていた。
そこには見たこともないような金額が入っていた。
彼は狂喜乱舞すると早速街へ繰り出し、その日から贅の限りを尽くした。
十日目だった。
食事をしていたはずなのに気が付くと教会に立っていた。
あの日のままの姿、そして目の前にはあの老人がいた。
「ああ……神様、これはどうしたことでしょう?」
老人は言った。
“貴方が素通りした浮浪者が苦しんで死にました 故に願いは取り消されました”
そして続けた。
“誰も苦しまない別の願いにしてください”
彼は失望に肩を落した。
「では……恋人をください。素敵な恋人を」
老人は願いを叶えると消えた。
彼は教会の外に出ると驚くほど美しい女性に出会った。
ふたりは瞬く間に恋におち、それからの日々を共にした。
一ヶ月が経ち幸せを手に入れたと信じた頃だった。
ベッドで彼女を抱いていたはずなのに気が付くと教会に立っていた。
あの日のままの姿だった。
「神様なぜですか? 私は困っている人を見過ごしたりはしませんでした」
老人は言った。
“あの女性に想いをよせた人がいました その男の苦しみで願いは取り消されました”
彼は喪失感に膝をついた。
「それでは私は幸せになれないではありませんか……」
自分の幸せは常に他人の羨みを生む事を悟り頭を抱えた。
そして彼は欲望を捨てた。
「……ならば病気をなくしてください。人々が幸せになればそれでいい」
老人は願いを叶えると消えた。
だがすぐに時間は戻ってしまった。
「神様……これはどういうことですか?」
老人は言った。
“医者が職を失い多くの葬儀屋も路頭に迷いました 故に願いは取り消されました”
彼は苦悩した。
「では戦争をなくしてください。この世から争いを消してください!」
今度こそはとの思いも虚しく、またしてもすぐに時間は戻ってしまった。
「神様……なぜですか!?」
老人は言った。
“権力者たちの中には戦争を必要とする者がいます また軍隊や戦いを生業とする者たちも失業しました”
彼は頭を抱えて蹲った。
「では……ではこの世から悪意を消してください! これなら誰も苦しまないはずです!」
しかし無駄に終ってしまった。
“分らないのですか 警察や裁判所や弁護士の多くが職を失ったのです”
彼はとうとう絶望した。
「ではもうありません。私には誰も苦しまない願いなど考えられない……」
老人はとても穏やかに言った。
“貴方の願いは尊い ならば一番簡単な願いがあるではありませんか”
見上げる彼に頷いた。
“貴方はそれに気付いていないのです”
その言葉を聞いて彼はついに理解した。
「そうか……こんな簡単なことで良かったんだ……」
彼の表情は安らぎに満ち、彼の瞳には愛が溢れていた。
感謝をこめて老人を仰ぐと、辿り着いたその願いを口にした。
「この世から苦しみを消してください」
老人は微笑むと彼の願いを叶えた―――。
世界から全ての命が消滅した。
老人の顔が醜く歪む。
「くっくっく…… はははははははははは……!」
老人は天を仰ぎながらゲラゲラと笑い続けた。
「神よ……私の勝ちだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます