天国のぼたん雪
「ゆきはどうしてふるの?」
あの子がたずねた。
寒くなって雲の中の水分が……私が答えようとした時、母が穏やかな声で先に答えた。
「天国のおはなしをしてあげましょうね」
今もあの日の母を思い出す。
こうして窓の外をはらはら舞う雪を見ていると……。
母……あの子にとってのおばあちゃんは、あの子の黒い瞳を覗きこんで微笑むと静かに話してあげた。
「ひとは良い生き方をすると、天国にいけます。そこは白い雲の上で、いつでもお日様が暖かく照っているんです」
「おばあちゃんは行ったことあるの?」
「いいえ、でもおじいさんがそこで暮らしていて、たまぁにお話しをしに降りてきてくれるんです。たいていは寝ているときとかにね」
わたしも会いたいなぁ、というあの子の鼻を母は優しくつついた。
「いつか会えるかもしれませんね。おじいさんは天国をとてもよいところだと言っていますよ。静かで、空気はきれいで、たまに鳥達が遊びに来て……。毎日毎日いろいろな景色が見えるそうです。昨日は深みどりの森がどこまでも広がっていて、今日はたくさんの人が暮らす町が見えて、明日は真っ青な海が見えるかもしれないんですって」
「いいなぁ~。じゃあおじいちゃんはわたしも見えたのかな?」
「ええ……きっと。そういえば、頑張って学校に通うこどもたちを見るととてもうれしいと言っていましたね。それに天国にも学校があるんですよ? 今まで知らなかった不思議なお勉強を教わったり、とても面白い遊びを教わったりできるんです。おやつも出るのよ」
母が目配せをするとあの子はふわっと顔を輝かせた。
「天国でもひとは齢をとるんです。今度はだんだんと若返って、赤ちゃんへと戻っていくそうです。私達が大人になるのと同じ早さでね。だからおじいさんも少しずつ昔に戻っているのよ」
「せっかく大きくなったのにまたちっちゃくなっちゃうの? わたしより?」
「ええ、最後はお母さんのお腹から生まれたときより小さくなって、天国での人生を終えるんです。だから楽しい天国でいっぱい暮らしたかったら、長生きしないとね。こっちで生きた時間と同じだけ向こうに居られるんですから」
「ふ~ん……でもわたしよりちっちゃくなっちゃったらもう終わり?もっと天国があるの?」
「いいえ。カナちゃんはお空で雷が鳴ったとき、怖いと思う?」
「うん、とってもこわいよ。どきどきする」
母はにこっと笑った。
「雷は天国にいる誰かが怒っているんです。じゃあ雨はなんだと思う?」
「ん~……泣いてる?」
「正解。悲しいことがあったり、嬉しいことがあったりして誰かが泣いているとき、雨が降ります。しくしく泣くときもあればわんわん泣くときもあるわね」
「うれしいと泣かないよ? みんな笑うよ?」
母は、自分の胸とあの子の胸に手のひらを当てた。
「とってもとっても嬉しいことがあるとね、この辺があったかくなることがあるんです。そうするとあったかい涙があふれてくるの。カナちゃんもいつか分かるわよ」
そしてそっと手を離した。
「怒ると雷、泣くと雨、じゃあ雪はどうして降るのかというとね……」
あの子は真剣な眼差しでこっくりとうなずいた。
それを見て、母のことがとても好きなんだとよく分かった。
「カナちゃんよりもっともっと小さくなって人生を終えた人が、最後は灰になって戻ってくるの。天国の人達にお別れをして、みんなに見送られて、ゆっくりゆっくり落ちてくるんです。そしてまた誰かのお腹の中に帰って、この世界に生まれてくるんですよ」
「じゃああのゆきは天国からきたひとたちなの?」
目を大きくしたあの子が外を指さす。ゆらゆらとぼたん雪が舞い降りている。
「ええ、とっても綺麗でしょう?もしかしたらあたしのお祖父ちゃんやお祖母ちゃんかもしれませんね……」
もう何十年も前のこと……。
今では私もあの時の母より齢をとった。
母がかけた他愛もない作り話の魔法は、あの子が大きくなるとすっかり解けてしまった。
何年かして安らかに灰になってしまった母の前で、私もあの子も二度と会えない悲しみに涙を流した。あの子は母の遺影に「嘘つき」とつぶやいた。その意味はいまでも考えてしまう。
こうして窓の外をはらはら舞う雪を見ていると、必ずあの日の母を思い出す。
他愛もない作り話の魔法が時間を超えて甦ってくる。
胸の奥が温かくなってこぼれる涙があること……今はあの子も知っているだろう。
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