第4話 急転 ~グリモアと次元を貫く光~


「誰も俺の邪魔はできねぇのさ!」

 哄笑と共にモラーリアを脇に抱えて、エルダートは夜の森を疾走する。

 野生の猛獣によって人間の進入を拒みつづける森は、まさに手つかずの自然だ。

 地表のあちこちに太い根がせりだし、積もった腐葉土で隠された穴や沼がそこここで天然の罠となって侵入者を待ちかまえている。

 しかし、落ち目とはいえ、エルダートもトレジャーハンターなのだ。

(この本を手に入れたときの苦労に比べれば……)

 懐にしまいこんだままの魔術書に目をやって、彼はひとつの可能性に気がつく。

(そういえば――)

 今回は盗み聞きの為に使ったが、そもそもこの本には様々な魔法が納められている。

 ――ならば、この窮地を一挙に解決するような魔法があっても良いのではないか。

「何か、魔法を……」

 脇にモラーリアを抱えたまま器用にページをめくるエルダート。

 その期待に満ちた目に、一つの魔法が留まった。

『海を渡りし神を召還せし法』

「海を渡るってことは、船か何かか?……これだ!これでこの島からおさらばできるぞ!」

 現状を打開するのにぴったりな魔法の発動方法を、急いで斜め読みしていく。

 基本は、大体の魔法と同じく、魔法陣がかかれたページを開いて呪文を唱えるもののようだ。

『――なお、この方法には贄が必要となる。注意せよ』

「贄……生け贄か・・・」

 ニヤリ、と口の端をつり上げたエルダートの目が水棲人の少女を捉える。

 腕越しに伝わってくる胸の動きからすると、どうやらまだ息はあるようだ。

(ま、死んでなければ問題ないだろう)

 木々が少なく、広場のようになった場所でたち止まると、少女を地面に横たえ、本に目を落としながらたどたどしくまじないの言葉を紡いでいく。

「遙かな水の底に眠りし大いなる神よ、今ここにある少女を贄とし、我が願いを聞き届けて顕現せよ!オクトゥル・ネクトゥル・エルテス・ナルヴァース!!」

 呪文を唱え終わると同時に、グリモワに描かれた魔法陣から激しい光がほとばしった。

「うお!」

 思わず地面に落とした本からは、途切れる事なく光が天に向かって放たれ続ける。

 まるで、空に刺さった光に操られるように、雲が渦を巻き始める。

 雲の色も、どんどん黒く変わっていき、すぐに豪雨が降ってきてもおかしくないほどの雨雲が形成された。

 エルダートは圧倒的な光景に呑まれ、逃げる事も忘れてその場に立ち尽くしていた。

 やがて、本と天空をつないでいた光の線が途切る。

 すると、それが何かのきっかけだったかのように黒雲の渦が回り始める。

 次の変化は、地面に落ちたままの魔術書の方に起こった。

 ふわりとエルダートの目の高さまで浮かび上がったかと思うと、開かれた頁に描かれた魔法陣から突然、無数の触手が飛び出したのだ。

「な、なんだなんだ!?」

 表面の紫色が見るからにおぞましい触手たちは、生け贄を求め、モラーリアの方へ一直線に向かっていく。

 その表面を覆う粘液が少女の柔肌にふれようとした瞬間。

 じゅっ、という何かが灼けたような音と共に、触手がのたうつ。

 どうしたのかと少女を凝視するエルダートは、彼女の胸元に光り輝く何かがあるのを見てとった。

「あれは……ネックレス?」

 夕暮れの藍色の空へ存在を示すように光を放っているのは、モラーリアが肌身離さずつけているペンダントの宝石だった。

 生け贄を食らおうと、幾度も伸びる触手。

 しかし、その突撃はすべて、宝石の光によって弾かれてしまう。

 どうやら、光に触れた触手は火傷のような状態になるようだった。

「……」

 エルダートは固唾をのんで、その様子をみつめていた。

 魔術が次の段階へ進むために、生け贄の捕獲が必要なのだと考えたためだ。

 しばらく、水棲人の少女を絡めとろうと執拗に周囲を動き回っていた触手だったが、宝石から発する光がそれを阻みつづけていた。

 すると、それまでの激しい突撃はぴたりと止み、何かを考えるように本の頁の上へと戻った触手。

 そして次の瞬間、触手はものすごい速度でもって突進した。

「な、なんだなんだ!?」

 触手の標的は、モラーリアではなくエルダートだった。

 なすすべ無く触手によって絡めとられたエルダートは、そのまま妖しい光を放ち始めた魔法陣へと引っ張られていく。

 まさか、この魔法陣の中に入ると船がでてくるのだろうか――そんな、自分でもわかるくらい都合の良すぎる期待をしていた彼を魔法陣の向こうで待っていたのは、天地の区別すら曖昧な深紅の世界と、そこにうごめく無数の牙だった。

「う、うわあああああ!!」

 視界すべてを埋め尽くす鋭い牙によって、生きたまま全身をむさぼられる。

 万一の為にと持っていたナイフなど何の役にもたたず、哀れなトレジャーハンターは一生を終えたのだった。

 そして、召還者を食らった魔術書は、再び上空へと飛はじめる。

 そして、黒雲がつくる渦の中心へと吸い込まれていった。


「モラーリアちゃん!」

 天へ延びていた光の出所をめざし、樹海の中を走ってきたマーミャは、地面に倒れている水棲人の少女を見つけ、思わず声をあげていた。

 あわてて駆け寄ると、急いで心肺蘇生を始める。

「しっかりして、モラーリアちゃん!」

 祈るような気持ちで胸を押し込む。

 ややあって――

「っぷはあ!はぁ……けほ、けほ……」

 意識を取り戻したモラーリアは、何度も深呼吸や咳を繰り返して新鮮な空気をとりこむ。

「けほっ、けほっ、はぁ……はぁ……あ、マーミャさん……。エルダートさんは……?」

「私が貴女を見つけた時には、いなかったわ。いったいどこに……?」

 人質を放り出して、どうするつもりなのだろうか――周囲を油断なく警戒しつつ、元来た道を戻るマーミャとモラーリアの背後で、巨大な雷鳴が響いた。

「きゃっ!」

「何!?」

 しゃがみこんで耳をふさぐモラーリアをかばうように立ったマーミャの視線は、天空に釘付けにされた。

 ぐるぐると渦を巻く黒雲。その渦の中心から、禍々しさを感じさせる紫色の光が一つ、現れたのだ。

 光は、周囲の雨雲を吸い込んでその大きさを加速度的に増すと、海の方へと飛び去っていった。

「トマスさんたちに知らせなきゃ!モラーリアちゃん、立てる?」

 よろよろとした足取りで立ち上がったモラーリアの手を引いて、マーミャは森の中をできるだけ早く走り始めた。


「何だったんだ、あの光は……」

 そのころ、トマスたち捜索隊も、上空の異様な光に立ち止まっていた。

 彼の周囲には、ツバキ、ナヴァー、シンシア、スタール、そして親方をはじめとした漁師たちが松明を手にして、空を見つめていた。

 一番先に飛び出すナヴァーですら、天を仰いでいる。

「今の光……もしかすると、《次元を貫く炎》かもしれん」

 おもむろに発されたしわがれた声が、全員の視線を集めた。

 漁師たちの輪の中から進み出てきたのは、背中の曲がった老人だった。

「ジャダムのおっちゃん、そりゃ一体なんだ?」

 親方の言葉に村一番の知恵袋のジャダムは、遠い目をしながら語り始めた。

「今は失われた、キャプテン・エメラルドが記した書物に書かれておった言葉じゃよ。《次元を貫く炎》は、呪いのかかった物品が魔術を発動させると現れ、巨大な災厄をもたらすそうじゃ……」

「呪いの品で魔術を発動……つまり、エルダートが本を使って魔術を使ったという事ですね。一体、何をしたのか……見当もつきませんね」

 考える事をあきらめ、空の変化に注意しつつ、慎重に歩き始める一行。

 直後、侵入を拒むかのような雷鳴が鳴り響いた。

 再び足を止めたトマスたちの目に、雲の中から現れた光が、周囲の雲を吸収していくのがうつる。

「なんだ、あの大きさ……」

 呆然と光を目で追いかける漁師の一人が、ふるえる声をもらす。

 雲をすべて吸収し終え、夜空の中で輝く光は、小型の漁船ならばたやすくのみこんでしまえるほどに巨大な物になっていた。

 そして、光は次の獲物を探すように海の方へと飛んでいった。

「まずい、海の方にいったぞ!」

「オレたちもいそいで海岸に向かおう」

「しかし、それではモラーリアはどうするんだ。エルダートと一緒にいるんだろう?」

「しかし、そこの男が言うには、あの光を生み出したのはエルダートらしいじゃないか。モラーリアがどうなっているか……考えたくはないが――」

「そんな……モラーリアは絶対大丈夫です!」

 大人たちの意見にナヴァーが食ってかかろうとした時、捜し求めた少女の声が耳にとどいた。

「みんな~!」

「トマスさん!あの光――」

 森の奥からでてきたモラーリアとマーミャの姿に、全員がほっと安堵の息をついた。

「モラーリア!」

 突き出た根に足をとられながらも幼なじみの元へ駆けつけたナヴァーは、彼女の存在を確かめるようにしっかりと抱きしめる。

「無事でよかった……本当に……」

 突然の抱擁に最初はびっくりしていたモラーリアだったが、身体に伝わってくるナヴァーの体温にようやく緊張で張りつめていた心が溶け、目から涙が溢れ出す。

「う、うぇ……怖かった、怖かったよぅ……」

「大丈夫だよ、モラーリア。もう安全だから……うん?」

 突然胸のあたりに感じた暖かいモノに、ナヴァーはモラーリアから離れる。

 見ると、彼女の胸元から銀色の光が溢れていた。

「これ……お母さんがくれたお守り……」

 ペンダントの宝石を手の上にのせる。

 透明な宝石からは、銀色にも純白にも見える光が無尽蔵に放たれている。

「おお、その光は!」

 驚嘆の声をあげて近づいてきたジャダムは、頭の中に刻みこんだ本の内容をたどっていく。

「キャプテン・エメラルドは、本の最後にこう結んでおったのじゃ。『次元を貫く炎生まれし時、私の光がこの島を守るだろう。傷つき流れ着いた私をやさしく迎え入れてくれたこの島への、せめてもの恩返しとならんことを』とな」

「キャプテン・エメラルドの光……?」

 海賊の遺した言葉の意味を考える一同を、突然の地鳴りが襲った。

「うわっ!」

「きゃあ!」

「に、逃げるぞ!」

「こんなところにいたら、木につぶされちまう!」

 木々が揺れ、枝葉が奏でる音が、いやでも不安をかき立てる。

 急いで海岸へと逃げてきたトマスたちは、そこでとんでもない光景を目の当たりにすることになった。

 海上をゆらゆらと浮遊する、紫の巨大な光。

 ゆらゆらとたゆたい形の無かった光から、タコの足のような物が一本、飛び出した。

 それが呼び水となったように、膨れ始めた光の中から、幾本もの触手がわきだして、海中へと先端を差し入れていく。

 そして――

 無数に思える触手の向こうにあったモノが、ついに姿をあらわした。

 紫のぬめぬめとしたドーム状の頭とも身体ともつかない部分には、チョウチンアンコウの疑似餌に似た形の器官が二つ飛び出し、その先端には眼球とおぼしき赤い光が一つずつ灯っている。

 半球状の頭の下には円筒形をした部分があり、円周に沿って入れられた切れ込みは、まるで呼吸をしているように規則的に開閉している。切れ込みの奥からは、深紅の口腔内と規則正しく並んだ無数の牙がのぞいている。

 そして、円筒部分の下には無数の触手が海の中へと入れられ、まるで何かを探すように波打っていた。


「な、なんだよ、あれ……タコか?クラゲか?」

 親方が、現実離れしすぎている光景に立ちすくんだままつぶやいた。

 突然出現した巨大な化け物――海獣は、何かを探すように海中へ入れた触手を絶え間無く動かし続ける。

 そして、ようやく引き上げた触手には、これでもかと言わんばかりに大量の魚がにぎられていた。

 それを大きく開いた口に放り込むと、再び海中を触手で漁り始める。

「……ひょっとして、食事をしているのか?」

 意外と無害そうな海獣の行動に安堵の表情を浮かべる漁師たち。

 しかし、海獣の餌は予想外のモノをも含んでいた。

 再び海中から引き上げられた触手。その先にしっかりと掴まれていたのは――

「あれだ!あれだよ、オレが見たのは!」

 群衆の中から飛び出したポセドが、叫びと同時に指さしたそれへ、全員の視線が集中する。

 触手が絡めとっているのは、黒い楕円形の巨大な艦だった。

「あれが、僕たちの船を沈めた相手ですか……」

 トマスは自身の心の内でふつふつと沸き上がる怒りの感情を自覚する。

 しかし、今の自分にはどうする事もできない現実に、ひたすら船を鋭く睨みつけることしかできなかった。


「あれに、お父さんとお母さんが……」

 一方、モラーリアは黒い船へ複雑な感情の混じりあった視線を向けていた。

 もちろん、拉致された両親が今もあの船の中にいるという確証はどこにもない。

 しかし、彼女は堅く信じているのだ。

 触手に締めあげられているあの細長い船の中に、さらわれた水棲人たちがいるのだと。

「お願い、その船を離して……。お願い……お願いだから……」

 最悪な予想を避けるため、あるいは自分の折れそう心を必死に支えるために、涙混じりの懇願を続ける。

 しかし、海獣に願いが届くはずもなかった。

 一際大きく開かれた口の中へ、ゆっくりと黒く丸い船が運ばれていく。

 そして、金属が破壊される音を断末魔の悲鳴のように響かせながら、黒い船――潜水艦・ジェノマリナーは、海獣によって真っ二つにかみ砕かれ、体内へ吸収されていった。

 その光景が、否応なしに瞳に焼き付けられてしまったモラーリアの口からは、言葉にならない金切り声が終わりを知らないように鳴り続ける。

「モラーリア、モラーリア!」

 幼なじみの声すら届かず、少女は目を大きく見開いたまま、正気を失ったように叫び続ける。

 やがて、声が途切れたモラーリアは、膝から崩れ落ちた。


 海獣は、未だに満腹には遠いのか、餌を探して際限なく触手をのばす。

 やがて、その内の一本が漁師たちが普段使っている漁船をとらえた。

「クソッ!オレの船を!!」

 海獣の傍若無人ぶりに、堪忍袋の尾が切れた一人の漁師が、大魚を捌くための包丁を片手に船の方へと走っていく。

「やめろ!帰ってこい!!」

「ふざけんな、自分の船襲われて、黙ってられるかってんだ!!」

 親方の言葉に耳も貸さず、包丁を振り回しながら停泊している船へ飛び乗った漁師は、その鋭い刃を粘液まみれの触手へ突き立てる。

 しかし、直後に起こった予想外な事態に、彼の口から驚きの声があがった。

「なんだこりゃ……包丁が、溶けてる……」

 魚を骨ごと断ち切る刃は、触手に届く寸前で煙をあげながら溶解していた。

「……」

 言葉なくその場で茫然自失となった彼を、別の触手が躊躇なく捕まえる。

 そして、彼は自分の船と運命を共にしたのだった。

「ちっくしょう……」

 海岸に詰めかけた島民たちは、その一部始終を苦い表情で見つめていた。

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