第7話 サザンカ6
─5月22日 15:03 ???─
「う、……ぁ?」
サザンカは目を覚ました。
いや、別に今まで眠っていたというわけではないけれど。
見えていた景色が一瞬にして暗転し、それに気づくより先に全てが現実に還る……。このもう慣れ親しんだ感覚は夢から醒めるそれに酷似していたから。
その後のどこか当て所ない虚しさまでそっくりだ。
サザンカは常々この
楽しい夢を見て、夢だったと知る。
溢れ出る途方も無さは、何度噛み締めても慣れないものだ。
まあ、今日見た夢とやらは存外酷いものだったけど。
だから今は、正直どこかでホッとしている。それもまごうことなく事実なのだ。
サザンカはそうやって息をつく。
……つこうとした。
しかし、どうにもうまく肺が膨らまない。
まだおぼろげだった意識が急速に覚醒する。
金縛りにあったような確かな圧迫感。それがサザンカの呼吸を妨げている。
呼吸ができない、この異常事態にサッと血の気が引いた。
そんなサザンカに追い討ちをかけるように、次は喉に詰まった空気が変に絡まってうまく吐き出せなくなる。
思わずサザンカは咳き込んだ。
「ゲホッゴホッ……っ────!」
咳をするのに楽な姿勢を取ろうとして、それすら阻まれている事に気付く。
胸の上の変な圧迫感。何かを上に乗せられているような、そいつがサザンカを苦しめていた。
乾いた咳を繰り返しながら、サザンカ薄眼を開けた。
はやく、この原因となるものを押しのけねばならない。理性ではなく本能がそう言っていた。
サザンカのつけているドリームスコープ。
その半透明なパネルの向こうに、見えるもの。
サザンカはパネルに溶け込むような黒褐色に、目を見開いた。
それは……、
「おっはよーサザンカ!」
「うげっ、おまトー……ゴボゴボッ、トトとトトーゴ⁉︎」
咳き込みながらもその名を呼ぶ。
そう、簡易ベッドの上寝転がるサザンカの胸の上にのしかかっていたのは、黒褐色の肌をもつ少年、トーゴだ。
トーゴはニカッと笑ってみせた。
「おう、オレだ!」
「ケホケホッ、……ゔぁ、えっと。そうだな?」
「おうっ!」
要領も得ず、ワケも分からないまま頷いたサザンカにトーゴは満面の笑みで白い歯を見せた。
酸欠ですっかり動きを止めた脳みそが活動し出すまで数秒間。サザンカはただその浮かび上がるような色を呆然と見つめていた。
そうしてようやくやってきた覚醒の後。こぼれ落ちたのはため息にも似た深い吐息だ。
──びっくりするなあホント。
まさかゲーム中もこうしていたのだろうか?
そんな憶測が一瞬頭をよぎる。しかし、サザンカはすぐにその考えを否定した。
いや、それはない。サザンカはゲーム中に苦しさを感じなかったから。
ゲームの中でも現実は切り離せないのだ。
「今日もいっぱいケガしてたな、大丈夫か?」
トーゴは変わらずうつ伏せの状態でサザンカの胸の上から肺を押しつぶしながら話しかけてくる。
……心配をするならするでもう少し気遣ってもらいたいものだが。
サザンカは曖昧に笑った。
「ああ、うん大丈夫だよ」
「そうか、ならよかったぜ! ちょっと心配してたんだ!」
「ぐえっ、あ、ありがとうトーゴ……。その、できれば早く降りてくれないかな? 息しづらいんだ」
ぱあっと表情を輝かせるのと同時にうつ伏せのまま軽く体を跳ねさせたトーゴ。
その本来ならば軽いはずの衝撃をうけて、サザンカはうめき声をあげた。
あ、悪い……。小さくそうこぼしたトーゴはそそくさとサザンカからだけでなくベッドからも飛び降りる。
颯爽とした動きではあったが、今度はちゃんと気をつけてくれたのだろう。サザンカの体に大きな負担はかからなかった。
サザンカは、ようやく解放された……とのそのそ上体を起こす。
気だるげに頭をかくその姿を確認して、ベッドの横に降り立ったトーゴはまたニコニコと黒褐色の唇を開いた。
「サザンカッ、でもかっこよかったぞ! ドカドカドカバゴーンってこうっ、こんな感じ!」
「ははは、そう言ってくれんのはトーゴだけだよ」
嬉々として拳を突き出したり、空間を蹴り上げたりしてみせるトーゴにサザンカは苦笑いを返した。
あんな無様な醜態をカッコいいだなんて。サザンカには到底思えなかったのだ。
普段なら余裕で倒せる怪物に手こずって……。
チームメイトと仲間割れなんて、ヒーローにあるまじき行為だ。
ああ、そういえば。
「……あいつは?」
「フタツミか? フタツミならそこにいるぞ」
ふと思いついたようにそう問うサザンカに、トーゴは首を傾げて。
お目当の人物とはまた違う……、しかしともに渦中にいたその人を指差した。
「……」
「……」
チョコレート色の髪をツンツンと好きに遊ばせているその女は、サザンカとは少し離れた位置にいて、壁に寄りかかるようにしてそこに立っていた。
トーゴの口からその名前を呼ばれたことに気づいたのだろう。女はこちらに視線をよこす。
だが、ほんの数秒視線をよこしただけで何を発するわけでもなくすいっと逸らした。
それではサザンカの方も何も言えない。
だから気まずそうに眉間にしわを寄せるに終わる。
「フタツミもよくがんばったな! サザンカもちゃんとおれいするんだぞ? フタツミがいなかったら大変だったんだから」
その空気を破るように笑ったのはやっぱりトーゴだ。
腰に手を当て叱るような口調で大人ぶってみせる。
サザンカは適当な相槌を返した。
「……そうだな」
「イチゴすごくおこってたもんなあー、あいつはおこるとすごく怖いんだ」
トーゴは確かめるように、うんうんと何度もうなずいてみせる。
しかし何かに気づいたのかハッとしたような表情になって、サザンカとフタツミを交互に見つめた。
「あ、内緒だぞ? イチゴにはぜったいに内緒だからな?」
慌ててそう口止めをするトーゴに、つい数時間前までは柔らかい笑みを返してやれたのだけど……。
今のサザンカは下手くそな笑みを返すことしかできない。
何か言ってやれば、いいのだろうが。何を言ってやればいいものやら。
結局サザンカは思い至ることができず口を閉ざしたまま、ヘラヘラと笑い声を鳴らした。
だから次にちゃんとした言葉らしきものを吐き出したのは、フタツミだ。
「イチゴなら起きてすぐどっか行ったわよ」
「……」
「あいつに何か用事でもあったのかしら? まあ言いたいことは山ほどあるんでしょうけど」
不機嫌そうにそう言って腕を組むその女。
どこを見ているのか、視線はサザンカのそれと交わらない。……もしかしたら何を見るでもなく空間に視線を逃しているだけなのかもしれないけど。
サザンカを視界に入れないために?
彼女の真意はわからない。
しかしもう一度口を開いた時、フタツミはこんなことを言ってみせた。
「謝らないわよ。別に悪いと思ってないもの」
「なんだよ急に」
唐突に切り出された言葉にサザンカはしかめっ面になる。
「俺だって別に謝れなんて言ってねえだろ」
「そんな目してよくもまあ……」
どんな目だよ、とため息をつくとすぐに「そんな目よ」と呆れたような声が返ってくる。
そう指摘されるほどとは……。自分はいったい今どんな顔をしているというのだろう。
まあ、この部屋には鏡がないから、確認のしようがないのだけど。
大体毎度毎度剣呑な目をしているのはそちらのくせに、よくもまあ人のことが言えたものだ。
ハッと鼻を鳴らしたサザンカを見咎めてフタツミは肩をすくめた。
「こっちはむしろ感謝してほしいぐらいだわ」
「……」
「腑に落ちないのはわかるけど、あんなの相手したって無駄じゃないの」
どこか疲れたようにそう言ったフタツミは、その疲労感を背中とともに預けるように深く息をついて壁にもたれかかった。
こんもりと広がっていた髪の毛が壁との間に挟まれて質量を半減させる。
その様をサザンカは面白くなさそうに見つめていた。
そして小さく舌を鳴らす。
「……でも俺たちはチームなんだぜ?」
「そりゃそうだけど」
そうして吐き出したのは問題の根本にそのまま名前をつけたような、そんなセリフ。
言葉だけを聞けばアニメの主人公のようであるが、サザンカの吐いたこれはそれとはまた別の意味を持っていた。
「大会でも組まされる。……あんなのがいたらどうなるか、お前だってわかるじゃんか」
チーム、だからこそ。
こんな大番狂わせな行動は自分たちの身を滅ぼす要因としかなり得ない。
あと、もう少しでゲームクリアだったというのに。
しっちゃかめっちゃかにかき回されて、好き勝手に荒らすだけ荒らして去っていったアイツ。
あんなのがいたら?
百歩譲って今回のようなバーチャルなら、まだいいだろう。
だけど、サザンカたちが立つ舞台はこれとは全く別の……。
そんな、これから先に待つものを思い浮かべただけで怖気が走る。
ザワザワと胸が騒ぎ出してしまう。
ちらりと頭をよぎったあの日の地獄のような光景を思い出して、わずかに震えた指先には気づいていないことにした。
仲間としての絆がどうとか、サザンカとしては大好物の展開ではあるのだが……。そうも気楽なことは言ってられないし、現実でまでそんなものは望んでいない。
あんな邪魔者、とっとと消えてくれればそれで構わないのだ。
「そんなの倉木に言われた時から覚悟してるわ」
少し拗ねたようになったサザンカに向けて、フタツミはため息混じりに空気を揺らす。
彼女は諦めるように、しかしどこか苛立ったようにこう続けた。
「そういうハンデだと思ってる」
じゃなきゃやってらんないわ……、フタツミはそう吐き捨て苦い表情になる。
ペット、その身分をこれまで嫌という程経験してきた故、身についてしまった処世術なんだろうか。
まあ、つまるところ倉木の嫌がらせ、そう捉えれば諦めもつくものだわとかなんとか。
……そう、彼女が続けるつもりなのだろうことはなんとなくわかった。
でも、サザンカはそれでもまだ腑に落ちないままだ。
「お前はまだいいよ、役に立つスキル持ってんだからさ」
「それとこれとは関係ないでしょ」
「あるよ、大アリ。お前はあいつをなんとかする術を持ってる。それに対して俺はどうだ?」
サザンカが持っているのは死んでも蘇る、役立たずのスキルだけ。
パワーもスピードも、なにもかも平均値。……いわば初期設定のままだ。
フタツミは目を伏せる。
「捨て身ぐらいしかできないわね」
「ほらみろ」
そう、サザンカにできることなんて命を顧みずに飛び込む。それぐらいのものだ。
あの、わけのわからない爆発型のスキルを相手に……。
「俺にはあいつの面倒なんて見てる暇ねえんだよ。でもチーム戦ってことは個人戦じゃ難しい。お前に面倒見ててもらうわけにもいかない」
「……そうね」
「だろ? でもほっとくと何にもしない。それどころか厄介ごとになるじゃん」
サザンカは大きく息をついて天井を仰ぐ。
面倒くさい奴だ。ハンデにしたって重すぎる。
サザンカはもうハンデを食らってるようなものなのに。こんなのもう抱えきれない。
そうサザンカがぼやく姿を横目に、フタツミは冷ややかな視線を送った。
「じゃあ何? 『あいつが嫌』だから、どうしろってのよ。そもそもあんたに何ができるの?」
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