第5話 フタツミ3
─5月22日 14:51 ???─
強い爆風がチョコレート色の長い髪を揺らす。
ブワッと空気を低く唸らせた突風は様々なものを宙に浮かせた。
フタツミは捲き上る砂埃から目を守るため腕でそれを遮り、顔をそらす。
そんなことをしなくてもドリームスコープが守ってくれるのだけど。反射的にそうしていた。
暴風の中薄目を開けてみれば、文字通り吹き飛ばされた誰かの影が見える……。
次第に自分の腕に遮られて見えなくなったその影は、どこに落ちていくのだろうか。
なんども言うがこれはゲーム。そもそもバーチャル世界でどんな怪我をしても心配なんてする必要はないのだが。
割れて鋭く突き出した木の幹の上なんかじゃないことを祈ってしまったのは、やっぱり反射的にだった。
体感型ゲームとその名の冠する通り。このゲームに現実を感じざるを得ない故、仕方ないことなのかもしれない。
「っ、……ほんとわけわかんないんだからこのゲームはっ!」
そこまでリアリティに溢れるゲームの盤上でこんなことをするなんて。
血気盛んな能無し男はこれだから嫌なのだ。
フタツミは舌打ちをした。
pvp、そう呼ばれるプレイヤー同士で争うゲームがこの世にゴマンとあるのはフタツミだって知っている。
友達と競い合ったり、対戦したりする趣旨で幅広く愛されている。戦うことをメインとしたゲームには欠かせない重要な機能といえよう。
しかし、このゲームにそれを付けるのはあまりに軽率ではないか?
その後の現実に影響する危険を考えないのだろうか。
このゲームは広く親しまれているのではなかったか? それこそ大人から子供まで広い層に。
サザンカたちの小競り合いが始まる前にみたあのグロテスクな光景もそうだが……、特に子供を持つ女性なんかには槍玉に挙げられそうなものである。
まあ総司郎が自分の持つゲームにだけ変な改造を施した、というならば。それもそれで説得力があるのだけど。
もしそうではなく、これを全てに許可してしまっているならば、製作者側は愚かであるとしか言えない。
まあなんにせよ、その愚かな行為を実際に繰り広げている目の前の奴らが一番愚かと言えよう。
フタツミは息をついた。
「っとに馬鹿よね、やめときゃいいのに」
爆風がやんで、顔を上げたフタツミのその目線の先には。
体制を整え悠然と立つ、イチゴ。
それとは反対に、少し離れた場所で仰向けに倒れたサザンカ。
この二つか存在していた。
むしろこの二つ以外のものはそこにはなかった。
更地のようになったキャンプ場の宿泊施設は元の姿の見る影もない。
この光景だけをパッと見て、そうだと断定できる人は少ないだろう。
突如現れた『キャンサー』に荒らされたキャンプ場が舞台だったのだが……。その『キャンサー』とやらより暴れ回った後よりもはるかに荒れ果てた光景がそこにはあった。
なぜ、こんなことになったのか。
その経緯を頭の中で反芻してフタツミは頭を抱えた。
イチゴがNPCを大虐殺するに始まり、売りことば買いことば。
果てにはこんな殺し合いのようなものに発展してしまった至るわけなのだが……。
何度繰り返したって頭が痛くならない要素はどこにもない。
神経質なイチゴだ。
大方ざわめくキャンプ客たちや、まとわりつく少年や、サザンカ。それらの『音』がただ単に『うるさかった』だけなのであろう。
たったそれ『だけ』。それだけのこと。
だというのにここまで暴れまわるだなんて。癇癪を起こすにも限度があるというものだ。
サザンカがブチ切れるのも分からなくはない。
「めんどくさい奴」
思わずそう口に出して、フタツミは息をつく。
これだから
目に見えていた。どうせこんなことになる事は。
「だってのに」
フタツミは前髪を搔き上げながら、視界の端でゆらゆらと立ち上がるそいつを捉えた。
「よくやるわねえ……」
体力値が大幅に削られたためだろう。ゼイゼイと上がった息でよろめきながらも立ち上がったその人影は、ゲーム世界であるというのに疲労を感じているようだった。
そうやってよろよろと頼りなく、折れ曲がってひしゃげた木の幹を支えにしながらサザンカは身を起こし……。
なんとか二本足で重心を安定させて、ギロリとイチゴの方を睨みつけた。
「なんでこんなくだらないことに体張れるのかしら、……わかんないわ」
よく考えなくたってどうでもいい事だと明らかだろうに。
ゲームオーバー? 知ったことか。
たかがゲームの世界で何が起きようと、後でどうとでもできるだろう。
腹がたつのはわかるが、津波や雷や大地震に文句を言ったってどうにもならないように……。
諦めた方が早いことは沢山ある。それに怒り喚くよりは次に備えて行動した方がよっぽど有意義だ。
しかし、サザンカにそれをわかれとなだめることも容易ではなさそうだ。
それを証明するようにその『行動』に出たサザンカを見て、思わずフタツミは表情をひきつらせる。
まだ戦う気か……。
フタツミは呆れてため息さえ出てこない。
そう、立ち上がったサザンカはなんのつもりか、グッと拳を握りしめ再び構えの姿勢をとったのだ。
イチゴを、銃口の標準を合わせるように睨みつけたままで。
イチゴはやはり不愉快そうにそれを一瞥して。
ゾワリと身の毛がよだつような殺気をそちらに投げた。
それに皮膚の下を電流が走る錯覚を覚えて、フタツミは表情を歪める。
しかし、相対するサザンカはニヤリと強気に笑みを作った。
「……やってくれんじゃねえか。次はこっちの番だぜ、覚悟はできてんだろうなあ!」
「言ってろ、すぐ終わらせてやりますよ。お前に付き合ってやるのも飽きてきたんでね」
睨み合う両者。
馬鹿馬鹿しくって見ていられなくなってフタツミは目をそらすが、この二人に踏み荒らされ荒廃したキャンプ場にはもはや目の当てられる場所などどこにもなかった。
NPCの哀れな死体など空気に消えてしまっているからいいものの……。
なぎ倒された木々や、ひっくり返ったり割れてしまったりと危なげに突き出した石のタイル。
捲き上る砂塵の向こうで、倒れかけていた赤い屋根のコテージはもう完全に潰されてしまっている。
ヒーローが活躍するはずの、ゲーム。
これはヒーローが何もかもを守り抜くストーリーを描いているはずの、ゲームだった。
ああ、でも。
──この世界に『ヒーロー』なんて存在するのだろうか?
フタツミの目前で睨み合うこいつらのことをそう呼ぶとしたら『ヒーロー』なんて厄介者、現実に存在してくれと祈る人はいなくなることだろう。
フタツミは大きく息をついた。
面倒だ。面倒ではあるが……。
そろそろ頃合いと言えば頃合いだろう。
「耳障りだ」
イチゴはそう低く呻いて、片腕を前に伸ばし構える。
サザンカにまっすぐ向かった指先。
それが、絡まったもう一つを弾けばまた、あの爆発が生まれるのだ。
フタツミはこれ以上、無駄な時間を費やすのはゴメンだった。
だから……、
ふらつく足に力を込めてまた飛びかかっていく、サザンカ。
それに狙いを定めて、指に力を込めるイチゴ。
その二つが交差する──、その空間に。
……一つの影が割り込んだ。
なんの動物なのかわからないが、手の形をした大きな黒い手。
それに阻まれて、双方が動きを止める。
「……っ! てめっフタツミ!!」
飛びかかって行った先で突然目の前に広げられた黒い影。
それを避けようともんどりうって、サザンカは大きくよろめいた。
パチクリと不思議そうにそれを眺めていたが、見覚えのあるその形に、すぐに当たりをつけたのだろう。この影の手を操る主犯者に向けてサザンカが声を上げる。
「お前何して…………うぉっ⁉︎」
「ちょっと黙っててくれる? 邪魔くさいの」
しかし、続けざまに文句を言おうとしたその声は黒い手に包まれ持ち上げられてしまい、遮られる形となった。
唐突にふわりりと体が宙に浮き、サザンカは目を白黒させている。
その間にフタツミは影の手ごとそいつを引き寄せ、自分の後ろに控えさせた。
指を弾く寸前のところで止まったイチゴが、眉を寄せる。
「なんのつもりですかねえ、クソメガネ」
「別に」
さらりとそう返して、フタツミは先ほどまでにらみ合っていたサザンカの代わりにイチゴに相対した。
しかしサザンカとは正反対に。フタツミは冷静に気丈にイチゴの方に短く言葉を返す。
その声に呆れたような色まで含ませて。
「なんの意味もないわよ」
この喧嘩だってそうでしょう?
フタツミが冷めた視線で応えて、腰に手を当てた。
そしてめんどくさそうに相対するイチゴに向けて一つ提案をする。
「だからもうここで切り上げない? あんただって楽しいわけじゃないでしょ」
単刀直入に切り出したその言葉は、誰の為でもない。
己の望みをそのまま舌に乗せた、ただそれだけの裏表のない要求だった。
そんなフタツミの言葉に息を飲んだのはイチゴではない。
後ろでまだ黒い手に囚われている男。サザンカの方だ。
「おいこらッフタツミ! 勝手に話進めてんじゃ……」
「ここらで終わらせて、さっさとお望み通りにしたらいいわ。ここにいたってお互いに不愉快になるだけよ」
ジタバタと暴れ出すサザンカを無視してフタツミは言葉を続ける。
影の手で握りつぶしてしまってもいいのだが、今フタツミの中ではそれよりもこの面倒ごとを片付けることが優先されてた。
これをどうにかした後だって……遅くはないはずなのだから。
フタツミはひらひらと片手を振った。
「誰もあんたの邪魔しない。少なくとも私は、ね」
イチゴは黙ってフタツミのその演説を聞いていた。
これだけ利点を上げれば、伝わるはずなのだけど……。
しばし無音になるイチゴに、フタツミは全身に神経を巡らせた。
このあとどんな反応を見せても、対応できるようにと身構える。足に力を込めてその時を待つ。
そうやって緊張する空気。
その中でイチゴはなにを思ったか、唐突にはあっと息をついた。
「……ハッ、へったくそな馴れ合いごっこですねえ。俺には関係無いんで構やしませんけど」
「馴れ合いだなんてとんでもないわ、ただ面倒なだけ。よく考えて、ゲームはもう終わってるのよ?」
わざとらしく吐き出されたため息に、フタツミはしれっとそう返す。
なにを勘違いしてるのか知らないがフタツミはサザンカを助けたわけではない。
そこには善意などカケラも存在しなかった。まあ悪意があったわけでもないのだけど。
……これを見て楽しそうにしている変人の顔が頭に浮かんだからだ。
ここで争い続けることは無益であるだけではない、あの男を楽しませている不愉快な行為なのだ。
その横面を蹴飛ばしてやりたいと思ったことを悪意というならば、フタツミは否定しないが。
とりあえず、フタツミの案に従うことがどれだけ最善策か。
それだけが伝わればいいのだ。フタツミは黙ってイチゴのその回答を待った。
「チッ、仕方ねえ今回だけは見逃してやりますよ」
「はあ! まだ決着ついてねえだろっ! 逃げんなこの腰抜けやろっ!」
「うっせえ、決着なんてついたも同然でしょうが。自分の力量ぐらい見極めて欲しいもんですね」
ギャンギャンと吠え出すサザンカの方をチラリともせず、イチゴは体制を緩めた。
そんなイチゴが構えていた指から力を抜いた事実にフタツミは内心でホッと胸をなでおろす。
気丈に振舞えていただろうか……。やっぱりフタツミだって人間なのだ。猛獣と対峙して平然としていられるほど肝は座っていない。
そのどこか強張っていた表情の中にひそかに安堵を浮かべるフタツミを横目にイチゴは鼻を鳴らした。
「ったく。八つ当たりにもなりゃしねえ」
「それはどうもご愁傷様ですこと。さっさと戻って好きにして頂戴」
フタツミの視界の端で、そう悪態をついてイチゴはおもむろに何もない空間に手を伸ばす。
すると、指先の指示した場所に半透明な青いパネルのようなものが表示された。
それをイチゴは適当に操作し始める。
画面の上を叩いたり、横にスワイプしたりしていくつかの作業を終えると、イチゴはため息をついた。
『キャンサー』らや、NPCの死体同様、空気に解けるようになるイチゴの体。
ゲームとの接続を切った。ゲームから退出した。その証だった。
フタツミは何事もなくその選択を選んでくれたことにホッと息をつく。
もう片方のケモノ。赤い方の奴ではこうはいかなかった。
……言葉もなにも伝わらないあっちだともう手がつけられない。
それなりの利益を示してやればそれなりに話の通じる方で助かった。フタツミはがくりと肩を脱力させた。
「それにしても、いいもん持ってますね。便利なスキルじゃないですか」
「?」
ふと、そんなことを言ったのはイチゴの声だ。
それに首を傾げたのはフタツミだったか、サザンカだったか。
唐突に落とされたそれは誰に手渡した言葉か、その矛先が誰に向いているのかわからなかった。
フタツミは視線をあげてみる。
すると、相対する猛獣の蒼い目にはフタツミの姿は映っていないことがわかった。
ならば向けられたのはもう一人の方に違いない。
しかしサザンカはスキルなど使っただろうか?
使わなかったからこそ、イチゴは脆弱だと嘲笑ったのではなかったか?
前を見ているのだから確認しようもないが、フタツミと同じように、後ろでサザンカも訳がわからないと言った表情を浮かべているに違いない。
イチゴから吐き出されたそれは相手を賞賛するような言葉ではあるが……フタツミの背後を見つめる蒼い瞳。
そこには明らかな侮蔑のような色が滲んでいた。
「女に守られんのがお前の必殺技ってか? ……最高にだっせえ」
「っ!」
吐き出されたのはそんな皮肉じみた言葉。
それだけ残して、ふわりとその場からイチゴの姿は『消えた』。
彼が先ほどまで立っていた場所には青白い光の粒子が散らばっているだけ。ゆらゆらと半透明な淡い光が霧散していく。
じきにそれすは消えて無くなってしまうことは明らかだ。
彼が存在していた形跡が完全に消えてから、フタツミはサザンカを大地に下ろしてやった。
少しバツの悪そうな顔は、喧嘩の仲裁に入ってしまったことよりも、イチゴの最後の言葉に起因している。
最後に落とされた言葉。
その言葉の持つ残酷さを知っているのに、フタツミは自分の背後に舞い降りた男に一つの言葉だってかけてやれなかった。
あの男も全く面倒な置き土産をしていってくれたものだ。
フタツミは背後を振り向けないまま歯噛みする。
『女に守られるのが必殺技』? だなんてまるで……。
あのとき、の事を、言っている、みたいじゃ、ないか。
ふとフタツミの中で浮かんだ『あの光景』と同じものがサザンカの中にもあるのだろう。
あるのだろうことはわかってはいたが……。
それ故にフタツミはかける言葉を失っていたのだ。
やっと騒乱を切り抜けた、静かなゲーム世界の中で静寂は続く。
無言は続く。
無音は続く。
フタツミとサザンカ。
二人しか存在しない世界は
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