第4話 イチゴ3


 ─5月22日 15:10 ???─




 サザンカが大きく踏み込んで、間合いを詰めた。


「っとにッ!」


 一瞬で数10mもの距離を詰め、サザンカはイチゴの懐へと潜り込む。

 イチゴは反射的に半歩後ずさった。

 そうすることでサザンカの撃ち込みやすい位置になることはわかっていたが、なんとなくそのまま足を止める。


 サザンカはその隙を持ち前の鳶色で目ざとく捉え、怒号した。


「ッザケんじゃねえっ!」


 言葉とともに振り下ろされる拳。

 ヒーローの剛力だけに依存して乱雑に繰り出されるそれは、この場所に溢れる湿った空気を切り裂いて。


 イチゴの目の前へと真っ直ぐに突き刺さった。


 鼻の頭をしっかり捉えて向かってくるそれをイチゴは軽く首を寝かせて回避する。

 しかし、サザンカはそのまま失敗で終わらせるようなことはしない。


「お、まえのッ、せいで!」

「……、」

「全部台無し、ッだ!」


 息をつく暇さえなく、繰り出される鉄拳。

 その殺傷能力だけは異様に高い凶器が連続してイチゴを襲う。

 さすが廃人ゲーマーだとでもいうべきだろうか。その動きの一つ一つに、隙がない。


「なるほど動くだけなら馬鹿でもできるんです、ね」


 戦闘技術、と呼ぶにはまた大分お粗末ではあるが、なんらかのそういった技術を習得しているらしい。

 この無駄の少ない動きはそれに起因しているのだろう。

 しかしこの男が、そんなものを趣味でも始めるだろうか。

 このゲームが趣味であるとの話だが、まさかそのために……?


 そんなことをぼやぼやと思考するイチゴの視界の端で、サザンカがカッと目を見開くのが見えた。


「そこっ!」


 深く、踏み込んだ足。

 これではもう振るう拳に力が込められないであろうに、サザンカはイチゴに至近距離まで詰め寄る。

 また次に拳を撃ち込むつもりならば、これは悪策でしかない。

 こんな距離で殴っても、威力が最大限になる前に対象にぶつかってしまう。


 だというのに。

 サザンカはさも当然のように手を固く握りこんだではないか。

 そして大きく振りかぶる。


 ……空いているもう片方の手で、イチゴの肩を強く押しながら。


 踏み込みの勢いをそのまま載せた衝撃が、ドンッと強くイチゴの体を揺らせた。

 なすすべもなくグラリ傾く細身の体。

 そのまま倒れていくイチゴを見て、サザンカはニヤリ笑みを作る。

 そのまま自分も雪崩れ込む様にイチゴと共に体を傾けた。


「もらった!」


 どうやら地面と拳でイチゴを挟み撃ちし、逃げ道を塞ぐ作戦らしい。

 ゴッと風を唸らせた腕が、岩をも砕く弾丸のような一撃を放つ。


 それは地面に倒れ伏したイチゴに容赦なく襲いかかり。

 イチゴは当然避けることもできずにその拳を……、


 ──片手で包み込んだ。


「!!!」

「っと、……それもそうですね、馬鹿でもできなきゃ売れねえんだから」


 渾身の力を込めて振り下ろされた、決して軽すぎない打撃。

 イチゴはその衝撃を片腕で受け止めた。

 サザンカのそれよりは幾分か細い腕であったが、この打撃を受け止めることなどから。


 当たり前だ。

 だって、イチゴも今はヒーローなのだ。


 基本ステータスだと、そう言ったようにヒーロー全てにこの身体能力は与えられる。

 つまりイチゴもスキルのほかにサザンカと同じぐらいの身体能力を保有しているわけだ。

 だから、同じく片手で放たれた攻撃など、受け止められないはずがない。


 まあしかし、やはり振りかぶった分は大きかったらしい。

 ビリビリと強く痺れるような感覚が腕から肩にかけてに伝わってきた。


 まぁ、あまり余裕ぶっこいてもいられないか。

 イチゴはちいさく息をつく。


 このまま腕を拘束されることでも恐れたのか、サザンカが急遽体制を整え、大きく飛びのいた。

 途中、イチゴの手を振り払うように大げさに手を引いて。

 イチゴはその手に弾かれるより先に握り込んでいた拳を手放す。


「……っ!」


 その行動に虚をつかれたためかサザンカはバランスを崩して空中でぐらりとよろめいた。


「のやろ……、」


 なんの抵抗もなく離れた手。

 イチゴと少し離れた場所にどうにか着地を果たしたサザンカは懐疑の目でイチゴを睨む。

 ……なぜイチゴが距離を取ることをこんなにも簡単にのか。その真意を探っているのだろう。


 イチゴはふぅとひとつ息をついて体を起こす。

 現実世界ではないから、地面に倒れていても土ぼこりなどが体を汚すことはない。

 先ほどの大虐殺のせいで、まだ消えきれてない死体が赤い水たまりを作っているが……。

 それもまた同じくイチゴの白い服を汚すことはなかった。

 もし、服についたとしても数秒もすれば跡形もなく消えていることだろう。


 しかし、立ち上がってすぐにイチゴは肩口を払い服に汚れが無いかを確認する。

 イチゴは汚れも雑音と同じぐらい嫌いだったから。


 一通り身なりを整え終えて、サザンカの方に視線をやった。

 軽く身構えてはいるものの、こちらを警戒しているのか。

 まだイチゴを睨みつけたままのサザンカがそこには立っていた。


 グッと握り込んだ拳。

 前後左右どこにでも動けるように肩幅に開いた脚。

 多少強張った肩……。


 その姿を見てイチゴの中にもひとつ疑問が浮かんだ。

 なんてことはない、素朴な疑問。

 ──なぜに固執する必要がある? 何を隠している?

 それだけのこと。


 ふと思いついたその疑問に今までを思い返してみても。そうどうにもおかしいのだ。

 イチゴがそうであるように、こいつだってヒーローのはずなのに、どうして……


「お前、そればっかですね」

「……?」


 イチゴは思ったままを口にしてサザンカに投げやった。

 それは唐突に脈絡もなく放たれた言葉で。

 サザンカは意図の掴めぬままかるく首をひねった。


 イチゴは続ける。


「殴るだけ殴って、それだけなんですか?」

「っ‼︎」


 この発言の意味することとは?

 今度はきちんとそれを理解できたのだろう。サザンカは息を呑んで固まった。


 先程も説明したように、ヒーローは皆平均した身体能力を与えられる。

 だから、ヒーローの力を左右するのは、単純にヒーローのLvレベルであったり、プレイヤー自身の経験値。

 そして最後に。


 スキルの強さなどに依存するわけだ。


 イチゴの能力スキルは先程の爆発。

 とは言ってもただの爆発とは違うのだけど。今その説明はいいだろう。


 さて、ではサザンカは?

 一体どんなスキルを持っていて、隠している?

 イチゴはそれが気になるのだ。

 殴る蹴るだけの単調な攻撃。それを続ける訳とは? なぜ能力スキルを使わない? 

 不利になれば、或いは最後の一撃に使うつもりなのか。


 考えれば考えるほどにわからなくなる。

 サザンカのその心理とはいかに……、


「ああ、そうか。そうでしたね」


 イチゴはふと何か思いついたように手を打った。

 突然のその行動にサザンカはビクリ肩を震わせた。何を言われるか、悟ったのだろう。


 なるほどなるほど。そういうことだったのだ。

 疑問が晴れ、頭の中がスッキリとする。

 イチゴは馬鹿にするようにサザンカを嘲笑った。


「お前の能力スキルは、役立たずでしたもんね」

「……っ!」


 そう、サザンカがこの戦いでスキルを使わなかった理由は……、いや使理由とはこれのことなのだ。

 スキルとはこのゲームに置いてバトルの華。

 こいつが派手であれば派手であるほどオタクどもは食いついてくる。故にその手の輩にとっては最大の面白みと言っても過言ではないのだろう。


 それが役に立たない、とくれば。このその手の輩があわれに思えてくる。


 イチゴは記憶の糸をたぐりよせた。

 なんだったか、コル……? レニ? まあ名前はどうでもいい。

 確か一度だけ蘇る能力。能力値もそのままに、再びチャンスを得ることができる能力だったはず。

 勝てる相手に使うのならば、効果がないとは言い切れない。ギリギリ勝てそうなときにゲームオーバーしても、蘇るのだから起き上がってぶん殴ればいい。


 でも……、戦闘で役立たないスキルなのだ。その『勝てる』範囲は驚くほど狭い。


「だから、あのチビが死んだんだった」


 こいつがもう少し役立てば。

 気弱な少女があんな暴挙に出ることはなかった。

 もう少しまともな能力で、この男がもっと戦うことができたなら……。


 何気なく放ったその、言葉。

 それはサザンカの瞳を凍りつかせるのに十分すぎる力を持っていた。


「っ──────‼︎‼︎」

「さっきから使わねえからなんか隠してんのかと思いましたけど……、考えすぎでしたね」


 イチゴは小さく肩をすくめた。

 なんだなんだ。蓋を開けてみればどうもこうもない。

 全くつまらない答えだった。


 初心者とは全く違う立ち回り。戦闘技術。

 そして前々から聞いていた経験年数の長さ。

 それらを過剰に計算に入れて、警戒しすぎていただけのようだ。


 これまでの戦闘を通して、イチゴの見解では勝てない相手ではないと判断できる。

 しかし、だ。

 これでスキルが強力ならば?

 そのスキルの扱いに秀でていたとしたら?


 油断ならない相手だと……。気を張っていたのだけど。


「魚どころか虫ケラ程度に手こずる奴が、んなことできるはずねえや」


 だから今回のゲームクリアが遅かったわけだ。

 なるほど、フタツミはそもそもやる気があまりないわけだし。

 もう一人がこの体たらくでは頷ける。

 ……だからと言って許せるかといえばまた別なのだけど。


 イチゴはコキコキと首を鳴らした。

 そうと分かればもはや用はない。

 普段からこのゲームに親しんでいるからこそ、熟練者とやらに少なからず興味があったのだけど。どうやらこの様子ではあまり期待できそうにない。


 チラリそちらに視線をやれば先程から一つも動かなくなったサザンカがそこに立っている。

 うつむくようになったサザンカの手が握り締められ、震えているのがイチゴの距離からでもわかった。


 多少キツイことを言った自覚はあるが……、ここまでになるだろうか?

 他人ひとのココロとやらには全然興味がないから、察してやることはどうせ不可能だからいいのだけど。


 ──さっさと、終わらせますかね。


 そうイチゴが鋭利に目を光らせた時。


「……、て」

「?」


 サザンカのかすれた声が、空気を揺らす。

 イチゴは虚をつかれて一歩踏み出すために浮かせた足をそのまま宙で遊ばせたまま、静止する。


 サザンカが、顔を上げた。

 もともと平静など一つも垣間見えなかったが……。先程よりも大きくそれを欠いた鳶色の目が、そこにあった。


 そして──。

 体の中の全ての空気を吐き出すように、サザンカは声をあげた。


「スキルなんてなくたってなぁ!」


 感情のままに吐き出した声は思いのほか大きく鳴り響き、イチゴの鼓膜を不愉快に揺らす。


 サザンカはその理性を失った目でこちらを睨みつけている。

 わなわなと震える唇から硬く噛み締めた歯がのぞく。

 抑えきれずに漏れ出す息は、きっと炎のような熱さのはずだ。


 その唇がまた別の雄叫びをあげる。


「お前をぶっ殺すぐらい簡単なんだよッ!」


 そう叫ぶなりサザンカはこちらに向かってくる。

 大袈裟に振りかぶった拳。

 そこには戦闘術などは何もない。ただ怒りに任せただけの粗末な出来栄え。

 熟練者という名称を殴り捨てた、酷い有様がそこにはあった。


「なめんじゃねえ! この癇癪野郎!」


 無茶苦茶に振り回すだけの拳は、ただそれだけにどう動くか分かったものじゃない……、そういった意味での危険性を秘めている。

 ヒーローの身体能力を持った子供の大暴れなんて……、ヒヤヒヤするだろう。


 主人の指示に従う優秀な犬よりも、野生の犬の方が怖いように。

 自分の力を知っている強者より、身を守るために噛み付いてくる弱者の方が手に負えないように。

 こういう奴の相手は面倒なのだ。


 それは今のサザンカにぴたりと当てはまる。


「……ほざくなザコが」


 ただでさえうるさいやつだというのに、さらに『うるさく』されるだなんて溜まったもんじゃない。

 こういう輩は早く、静かにさせるに限る。

 そして単細胞にはいっぺん痛い目見せてやるのが一番だ。

 イチゴはサザンカの攻撃を巧くいなしながらめんどくさそうに鼻を鳴らした。


 対するサザンカはブンブンと適当に拳を振り回し、それでも捉えられないイチゴに苛立ちを覚えているのだろう。

 仄暗い炎で燃える鳶色が鈍い光をたたえている。


 次の瞬間。

 サザンカは一際大きく振りかぶって……。


 全身の、全ての、力を乗せて。

 渾身の一撃をイチゴへと放った。


「ちったぁ静かにできねえもんですかねえっ」


 はあっ、軽いため息をついたイチゴにバカにならない重さのストレートが伸びてくる。

 全身を使った。ただそれだけにその攻撃に、隙は多い。


 イチゴは後ろにのけぞるようにして、サザンカの拳を退けた。

 そして後ろ手に地面に手をつき……、


 サザンカの顎のあたりを、一直線に蹴り上げる。

 ゴッ────!

 明らかに素人のものではない足技がサザンカを宙に浮かばせた。


 同時に鈍い『音』が鳴る。


 イチゴはそれに意識を集中させた。

 その軽快な音が気に入ったから?

 もちろん、そうではない。


 サザンカを確実に仕留めるため、だ。


 意識を集中させた、その瞬間──。

『音』はイチゴの力となり──。

 蹴飛ばされて吹き飛んだサザンカのそばで。


『爆発音』に変わった。


 無情にもサザンカの顎の下で鳴り響いたその『音』を、サザンカが回避できるはずもなく。

 わずかなタイムラグでさえ、我を失ったサザンカに活用できるはずもなく。

 サザンカはその爆発を全面的モロに受ける形となった。


 その盛大な重低音ともに、視界の端っこに文字が浮かび上がる。

 これはイチゴがこのゲームをやらされ始めてから何度も見た。

 見飽きるぐらいに見てしまった、自ら生み出した『音』を起爆剤として爆発する……、この能力スキルの名だった。






[残響]


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