第3話 フタツミ2


 ─5月22日 14:56 ???─





 ピ────────!!

[警告:NPCへの攻撃はやめてください]


 耳障りな機械音と共に赤い文字が画面一面に表示される。

 ゲームを駆け回るプレイヤーたちの……『ヒーロー』のルール違反を諌めているのだ。


 それはあんまりにヒーローにあるまじき行動であったとき、表示される警告通知だった。

 経験年数の少ないフタツミだって、そんな事は知っている。

 そして、今この時これが表示されることが如何に正常であるかも、知っていた。


「な、に、やってんだよ!」


 しばらく共に絶句していたサザンカであったが、どうやらフタツミより先に我に帰ったらしい。

 つられるようにフタツミも意識を戻し少年の落ちて行った方向を振り返る。


 そこに広がっていたのは……。


 フタツミは思わず表情を歪める。


 広がっていたのは……、言わずもがな。

 憐れ。地面に倒れ臥す少年の姿だ。

 石のタイルがひび割れて無残な砕け散っている。

 そのゴツゴツとした表面に広がるのはむせかえるほどの赤黒い液体。

 ほとんど円状に広がったその液体の中心に無造作に転がるあの少年の……ぱっくりと割れた小さな頭が、み、えて、しまって、だから、ああ。


「馬鹿じゃねえのッ!な、ななな、何でこんなッ!」

「別に」


 サザンカが素っ頓狂な声を上げる。

 その緊迫して高低のバラバラになった声に返ってきたのは、あんまりに冷静すぎる平坦な声音だった。

 それどころかイチゴはしれっとした顔でサザンカの方を向いたではないか。


「なんか文句でもあんですか?」

「────ッ!」


 サザンカはその予想だにしなかった反応に言葉を飲み込む。

 飲み込んだとはいえ、その言葉は早くもその腹の中でグツグツと煮え切ってしまっていることだろう。

 このタイミングで、この仕打ちだ。謝罪なんかされたって許せる違反ではないのに……。

 こんなに平然としているなんて。もう完全に馬鹿にしているとしか思えないのに。


 ああ、いやそんなことよりも……。

 フタツミは吐き気を耐えるように口元に手を寄せた。


 フタツミはこのゲームが嫌いだった。

 ……理由なんて、単純に全てが気に入らない。それで済んでしまう話なのだけど。

 何より、今目の前に広がる『この光景』がそのまま答えだと言えるだろう。

 あのカマキリもしかり、これとは違うのにすっかり同じようである前回の『ゲーム』映像も。

 気持ち悪い、吐き気がする。

 それがフタツミの素直な感想だ。


 視覚情報だけは嫌にリアルで、そのくせどこもかしこもお粗末なこのゲーム。

 ……今だってそんなところ映さなくてもいいのに、少年の血液が、飛び出した眼球が、頭の割れ目が、そこから溢れる脳髄が、離れた場所に立つフタツミにまではっきりと再現されているのがわかる。

 濡れてどこかツルツルと光沢を放つ、中身まで再現する必要がどこにある?


 これを今の時代大人だけではなく子供までもが愛好しているというのだから……、世の中がイカレているとしか思えない。

 フタツミは顔を背けて、その視覚情報を遮断した。


 ぐちゃ、ぐちゃ、ずるるるる。


 なのに、そんな音が聞こえてくるから。


[おに──……ビビビッ──ジジ、おにいビビピピピピ──────、ちゃ、ジジジジちゃん──]


 こんな声が、聞こえてくるから。

 フタツミは瞠目してそちらにもう一度視線を走らせた。

 走らせてしまった。


 そこに広がる光景は、やっぱり彼女を不快にさせるだけだと言うのに。


 先程見えた割れた石のタイルの上。

 赤黒い液体の広がったその中心。

 そこに立つ────少年の姿が。

 死んだはずの少年が佇む光景が、そこにあった。


 もちろんその姿は正常ではない。

 しかし、死んだ状態のまま立っているのとも違った。

 そう、少年はいびつにちぐはぐに、グチャグチャにそこに立っていたのだ。


[おにおにおにいちゃんははははははビビビッ──ジリリちゃんはやっぱりぃぃいいい、い、ひ、ろピピ]


 わけのわからない機械音に混じった声が何かを唱えている。

 幼いあの少年の声のまま。

 にこりと笑った、朗らかな声のまま。


 バグ、なのだろうか?

 笑顔の映像と血にまみれた少年の姿がノイズのように入り混じる。

 嫌な機械音がプツリと途切れ、音声が正常なものとなってなお。

 その映像は変わらずそこにあった。


[……おにいちゃんは、やっぱりヒーローだったんだねっ、僕ははじめから信じてたよ!]


 その幼い唇は先ほどのセリフの、イチゴに殺されて遮られたセリフの続きを紡ぐ。

 血を流したり綺麗に笑んだり、高速で入れ替わる少年の顔。

 イチゴはそれを眉根を寄せて睨む。


 胃液がせり上がるような感覚がフタツミを襲う。

 別にそれは少年のせいだけではない。

 その周りの映像も、少年と同じく歪で残酷であったから。


 どこまでも『あのゲーム』を彷彿とさせる光景であったからだ。


[ありがとうヒーロー]

[ありがとうヒーローたち]

[助かったよありがとう]

[本当にありがとう]

[君たちのおかげだヒーロー]

[本当にありがとう][ありがとうヒーロー]

[助かったよ][ヒーローたち][ヒーロー本当][ありがとう][ヒーロー][ありがとう][ありがとう][ありがとう][ありがとう][ありがとう][ありがとう][ありがとう][あり[ありがとう]がとう][ありがとう][あ[ありがとう]りがとう][ありがとう][ありがと[ありがとう]う][ありが[あり[ありがと[ありがと[ありがとう][ありが[ありがと[ありがとう][ありがとう]う][あり[ありがありりりとう][ありがとう]がとう]とう]う][ありがとう][あ[あ[ありが[ありがととたとたとととがががががとう]とう]りがととととうううがががががとう]りがとううううう]う]がががががががと[ありりりりりがとととととととう]う]とうとうありとうがががが[あ[ありりりりりりりりりりりりがががありありがぎぎぎぎぎう]][ありああああああほんとにがとううううううう]りりりりりりがとありヒーがととととととローとう]がががががとととと]


 そう繰り返すキャンプ客の『映像』たち。

 どれが誰かもわからない、とは少女たちを連れてきた時にもそう思ったものだが……。

 これはまた意味が違う。

 それはどれもこれもが混ざり合って、一つの声であるからだ。

 男とも女とも区別のつかない、音声たちの波がフタツミになだれ込むようであったから。


 さすがNPC。そう言って仕舞えば簡単だが。

 自分の息子を殺された両親でさえも、姉でさえもこの合唱に加わっているのだから胸糞悪い。

 そして非常に気味の悪い、光景だった。


「ああああ、うるせえって言ってんでしょうがクズどもめ。」


 自分で巻き起こした事態であるというのに、イチゴがそう不快感をあらわにする。

 鼻の頭までにしわを寄せたその顔は、憤慨しているのが見て取れた。

 そして、何を思ったか右腕を高く振り上げる。


 彼の行動が視界の端に見えたものの、フタツミには止めに入る余裕がない。

 胸の内を抉るような不快感に耐えるので必死だったのだ。

 だから、今度その行動を諌めたのは……サザンカだった。


「は? おい、やめろって!!」

「……」


 駆け出したサザンカの背中を、フタツミは視線だけで追う。

 もはや得体の知れない輩には言葉は不要。

 そうとでも言うようにサザンカはイチゴの眼前で足を止めず、その細身の体に飛び込んで行った。

 全身全霊を乗せた体当たり。


 だったのだが。

 イチゴはそれをあっさりと躱して、ついでとばかりにサザンカの足を引っ掛け転倒させる始末。

 勢い虚しく倒れふすサザンカ。

 それを横目で確認してイチゴはキャンプ客らに向き直った。

 ……そして、


「 消 え ろ ‼︎ 」


 その時────パチンッ、軽快な『音』が鳴った。

 指先を弾く事で鳴らすことができる、聞き慣れたその音。

 やけにその場に響いたその音は、イチゴの指先からキャンプ客たちへと


 ドォオォオオオオオォオォォォン!!!


 頭上から降ってきたそれは、キャンプ客の一人に当たるなり爆発した。

 その後も次々に降り注ぐ『音』たちがキャンプ客らを爆破する。

 豪快に、しかしどこか調和のとれた……。不自然にリズミカルにその爆発音は鳴り響く。


 ドン──!! ドオォオオオオォン!! ドオォドオォオオオオン!!!


 繰り返し繰り返し爆ぜて爆散していくキャンプ客。

 なかにはまだ立ち上がろうとする者もいたが……。

 イチゴの無情な指の『』にまた地に伏せられる。

 転がされる。──何度でも。


 繰り返すようにぶくぶくと膨らんで、パンッと風船のように破ける人間の映像。

 その弾けた皮膚や肉や骨が、ドロドロに混ざり合い、それこそどれが誰のものだか……わからなくなる。

 それなのに立ち上がって。首のないまま、半分欠けたまま、足だけになっても、頭だけになっても、彼らは笑って、壊されて、笑って、笑って、殺されて……。

 これは完全バーチャルの世界だから。『あのゲーム』のように臭いこそしないものの、その時の記憶が蘇って、フタツミの正気の糸を灼いた。


 そう、これが『あのゲーム』なら……気持ち悪いぐらいの血の匂いと、どろりとねちっこい生肉の匂いがするのだ。

 ──ゲーム、ゲームよこれは。ゲーム。そうゲームでしかないの。

 言い聞かせながらフタツミは片手で己の眼を覆った。


「……またこう言う感じなのね」

「は、……はあ⁉︎」

「ゲームオーバー、よね。これは」


 そのままの体制でフタツミは重々しく息をつく。

 そもそもこのチームが編成されたその時から期待なんてしてなかったが。

 こんなのはあんまりに……あんまりじゃないか。


 いつも通り。予定調和。まさにそんな顔をして屋敷の住人らこいつらは全てを狂わせて破壊していく。

 破壊し尽くして、やっぱり当然のような顔をして去っていくのだ。

 だって言うのにまともにゲームができるわけがないのだ。


[警告:NPCへの攻撃[[GAME OVER…]]はやめてください]


 画面の正面に二重に重なった赤い文字が浮かぶ。

 無情にも表示されたそれはこれまでの攻防が全てオシャカになったという知らせ。


 まあフタツミにしてみればゲーム結果はどうでもいいのだが……。

 負けようが勝とうが、フタツミの知った事ではない。

 それよりも目の前の……グロテスクな光景を見せられたことに怒り出しそうになってるぐらいだ。

 全てが水の泡になったとはいえ、今更怒る気にもなれなかった。


 ……とは言えやっぱり腹は立つのだけど。

 正直キャンプ客と同じ目に合わせてやりたいぐらいには腹が立っている。

 しかし、それでも。……これ以上の面倒ごとはもっと嫌だったから。


「おまっ、お前なァ!」

「あ゛? なんか文句でもあるんですか?」


 でも、サザンカの方は違うらしい。

 無様にコケた状態から身を起こし、イチゴにつっかかっていくではないか。

 頭に血が上ってしまったらしいサザンカはイチゴの胸ぐらを掴んで引き寄せた。


「あるに決まってんだろ! 人がせっかくここまでッ!!」

「だからなんだってんですか」

「何って……!」


 ゲームオタクであるサザンカだ。

 特にこの『ヒーロー・バース』に至っては思い入れが違うのだとフタツミも聞いた。

 だから今回のイチゴのサボりにはなんとか目を瞑ることができたとしても……。これだけは許せずに頭にキてしまったのだろう。

 平然と返すイチゴに殴りかからんばかりの勢いだ。


 しかし、サザンカがそうであるように。

 イチゴだって今は堪忍袋の尾は断ち切れてしまっているのだ。


 ……理由はわからないけれど。、

 ああいや、わからないわけじゃないか。

 だって彼がイライラする理由なんて……。


「うるせえんですよ、そもそもお前らが遅いから、」


 胸ぐらを掴んだサザンカの片手。

 それの繋がる手首を握りしめて、イチゴは軽く捻り引き剥がす。


「この有象無象らがうるさくて五月蠅くて煩くてうざってえことになってんでしょうがよっ!」

「……っ!!」


 あまりにあっさりと手を離してしまうサザンカ。

 拘束するものがなくなり、自由の身となったイチゴがその体を背負い投げの要領で地面に叩きつける。


「……っ」

「サザンカッ!」


 フタツミはそのままなすすべもなく地に沈むサザンカの姿を想像していたのだけど……。

 どうやら杞憂だったらしい。

 サザンカは空中でイチゴの手を振り切り、くるりと一回転。

 少々危なげではあったが、イチゴとちゃんと間合いを取った位置に無事着地したではないか。


 フタツミは目を見張る。


「……にキレてんだよっ、ブチギレてんのはこっちだっつの!」


 そんな言葉まで吐き捨てて。

 サザンカは着地と同時に身構えて、イチゴを睨む。

 一方のイチゴはその様子を面白くもなさそうに見ていた。

 見ている、のだけど……。なにやらその蒼い瞳に一瞬だけ剣気が宿ったその瞬間をフタツミは目撃してしまった。


 どうにも嫌な予感がする……。

 それを感じ取ったフタツミは慌てて声を張り上げる。


「ちょっと! やめなさいって……!」

「お前こそ何もしなかったくせにグチャグチャ言いやがってっ! 早く終わらせたいならなぁっ……!」


 しかし、サザンカが止まる事はなく。

 イチゴがフタツミの声を聞き入れるはずもなく。


 サザンカは拳を振り上げる。


「自分でどうにかしやがれっ!」

「……ハッ」


 力一杯に放たれた弾丸のような拳。

 風さえ纏って迫り来るそれをイチゴは片手でいなし、受け流した。

 それを見咎めてチッと軽いサザンカの舌打ちが鳴る。


 サザンカのその軌道のずれた片腕。

 故に現在ガラ空きになっている上半身。

 そのまん中を、今度は自分の番だとでも言うようにイチゴが足の裏で踏みつける要領で蹴り下ろした。


 細身の体に似合わないあまりに強い衝撃がサザンカを襲う。

 サザンカはギリリと歯を食いしばった。

 この程度で根をあげるような事は『ヒーロー』とやらの矜持が許さないのだろう。


 サザンカはその痛みに呻くよりも先に、軌道の逸れた方とは別のもう片方の腕を動持ち上げて……、

 しかし、それをイチゴが、

 でも、やっぱりサザンカは、

 そして次は腕が足が指が腹が頭が殴り蹴り刺し突き打ち切り斬り避け逃げ躱し受けそしてそしてそしてそして──────────。


「あーもう、どうしてこうなるのかしら……」


 唐突に……。いや始まるべくして、と言うべきだろうか?

 なんにせよ今始まってしまったチームメイトの小競り合い壮絶な戦いにフタツミはただ頭を抱えるしかない。

 はあ、と思わず重々しく息をついてしまう。


「ゲーム荒らしやがって! ゼッテー許さねえッ」

「雑音が。喚くんじゃねえんですよ」


 ゲームオタクと猛獣のどちらも一歩も引かぬ騒乱。

 どちらが勝とうと不毛。

 どちらが負けようと不毛。

 そうでしかあり得ないのに。


 爛々とした戦意を鳶色の目に浮かべて、サザンカが高らかに宣言する。


「そのイカレた頭にちったあ礼儀って文字を叩き込んでやらぁ」

「……まあ憂さ晴らしぐらいにはなるか。付き合ってやってもいいですよ」


 多少苛立ったようであったが、イチゴもそう返し……。

 くだらない内輪揉めの火蓋は切って落とされた。





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