第5話 カズム1
─5月22日 14:47 倉木邸─
ここは屋敷に設けられた1つの部屋の中だ。
やっぱり古めかしいヴィンテージ調のインテリアで纏められた内装。
床も机も棚も天井に至るまで全て。まるで大正あたりにまでタイムスリップしたかのような。そんな少々夢想的な錯覚を覚えるほど。
しかし、ここには『そうではあり得ないもの』が点々としている。
例えば、机の上に。例えば床に。
壁に埋め込まれたものもあるし、天井からぶら下がっているものなど様々だ。
別に隠し立てするわけではない。こうしてそれが何なのか明確に記さぬまま話を進めているがそんな意図は全くあり得ないのだ。だってそんなことする必要もない。
一目見れば何なのか、瞭然であるからだ。
特別なことなどひとつもないし目新しいとも思わないだろう。むしろ古ぼけたインテリアを並べるこの部屋の方がおかしく思えるぐらいだ。
……それは最新機器と呼ばれるもの。つまりは機械、だ。
古めかしさなどカケラもない、新品同然ピカピカのディスプレイやら操作機器やら音響機器などである。
ほらみろ、何もこんなにもったいぶる必要なんてないぐらい口に出して仕舞えば張り合いもクソもない。
まったく普通で平凡なものだ。
しかし、どうにもミスマッチで違和感が拭えないのは事実である。
古風な場所に、ここまで勢揃いした機械たち。
やたらと古いものを好む屋敷の主人のことを思えば尚更だ。
手入れはしてあるが煤けて古ぼけた印象を受ける部屋。
立ち並ぶ最新式の機械。
他にあるものといえば、3つほど設置された簡易的な医療用ベッドのようなものと。
机に片肘をついてぼんやりと何かに見入るメイドぐらいのもの。
このモヤモヤとした違和感を拭い去ってくれるものなど一つもなかった。
さて、そこで椅子に腰掛けた童顔のメイド。
いや童顔もなにも実際にあまり歳を熟していないのだけど……。
とにかく、そんなメイド服をまとった幼さの残る少女、和夢は複数の液晶画面が立ち並ぶ一角にじいっと見入っていた。
熱心に見つめる彼女ではあっだが、別にそれに興味を惹かれているわけではない。
その証にいつも通り、シンプルなメイド服を見にまとった彼女は無表情。口や目元の緩みはもちろん、歪みなどもってのほか。全くと言っていいほど表情を動かさないでそこに座っていた。
まるで飾り物のように短く切り揃えられた黒髪でさえ動かない。そういう人形と言われたら信じてしまえるほどだ。
一瞬ごとに色を変える液晶を見つめる黒曜の瞳。
ボウッと青い光がそれを容赦なく灼いている。
その不快な光にようやく瞼をすぼめて和夢は小さく舌打ちをした。
こんな有害なブルーライトに自分の目を灼かれねばならない事実を口惜しく思ったからだろうか?
でも、和夢がのぞく液晶画面。
そこに映る人物らを見守るのが本日の和夢の仕事だ。
放棄するわけにもいかず、和夢はこうしてここにいるわけだ。
その胸を不本意な気持ちをいっぱいにしながら。
トントン……────。
部屋の中に図々しく入り込んだノック音。
和夢の耳がそれを拾うと同時に、無表情の顔の眉間にシワが寄る。
何故か、など愚問だろう。ドアを挟んだその先にいる影に見当がついたから、だ。
「どうだ、調子は」
「……、ちっ来やがったか」
思った通りだ。ひょっこり、顔を出したのは和装の男。
その顔を見て和夢は先程よりも大きく顔を歪めた。
いつも無表情の彼女が浮かべる嫌なものを見てしまったような顔に、総司郎は困ったものになる。
へにゃりと下げた眉がそこそこ整ったその相貌に翳りを落とした。
「何か言ったかい?」
「いえ、なにも。ご機嫌麗しゅう、総司郎様」
そう主人に問われて、和夢は悪びれる様子もなく席を立ちペコリ頭を下げる。
まるで何事もなかったように。そう言った声に一切の淀みは存在しない。
ほんの数秒前まではあからさまなほどに嫌そうな顔をしていたというのに。
器用にぐるりと態度を一変させてみせる和夢に、倉木はからからと笑った。
「ふふ、自然でいいといつも言ってるのに。君は真面目だなぁ」
「ケッ、お褒め預かり光栄でございます」
「……隠す気もないくせに、取り繕ったって無意味だろう」
君もおかしな子だなあ。
呆れ顔になって総司郎は息をついてみせた。
和夢はそれを黙殺して口を閉ざす。これ以上の問答は無駄でしかないと判断したのであろう。
すんの澄ました顔で微動だにしなくなるメイドの少女。
その機械的な佇まいに、思わず苦笑いして総司郎は和夢から目を逸らした。
総司郎の視線が次に向かった先。それは、和夢が今の今まで見入っていた液晶画だった。
ブルーライトを映しこんだ鈍色がキラリと光る。
「で、どうなんだ? ヒーローたちは」
わずかに首を傾けた総司郎。
どうやらこの主人は彼らの様子を見にここまでやって来たらしい。ありがた迷惑もいいところだ。
チラリと和夢が目を向けたのは、部屋の中に設置された三つの簡易ベッドだ。
その上で、柔らかなバンドにしかししっかりと拘束されている三匹の人影が横たわっている。
何を隠そう彼らは、この倉木総司郎の飼うペットで。
現在液晶の中でまさに奮闘中の『ヒーロー』だ。
「少しばかり時間がかかっているなあと気になって。様子を見にきたんだ」
「左様でございましたか。お忙しいでしょうにそれは大変、」
「いい、そういうのはいいから。状況だけ教えてくれまいか?」
また長々と心にもないセリフを吐こうとする和夢を片手で制し、総司郎は困ったように眉を下げた。
そして、チカチカと点滅する画面を覗き込む。
「……これは、一体なにが起こってるんだ?」
主人につられて視線をやれば、数秒前と大して変わらない映像が映し出されていた。
それは、液晶画面に映り込む
馬鹿で浅はかでどうしようもない、ヒーロー劇。
だが、これを『ヒーロー』と、そう呼ぶにはあまりにも粗悪を極めている。
「概ね予想通りかと」
和夢は短くそう答えて、短息した。
その声にはどこか疲れのような、呆れのようなものが混じっている。
光を反射しない黒曜の瞳にも同じものが浮かんでいた。
そんな中非常に面倒であったが、和夢は渋々と一部始終の事の次第を総司郎に説明する。
上手に無駄を省いたそれは数分を数える前に終わり。
話し終えたあと、彼女は小さく息をついた。
総司郎が穏やかに笑む。
「なるほどな、やっぱりそうなったか」
「はい、こうなりました」
「ははっ、本当に期待を裏切らないなぁ彼は」
にこにこと上機嫌になる和装の男。
和夢は気味悪げにそれを見て、しかし何も言わずに首肯する。
「……そうですね」
「まあこれはただの予行練習だ。なにがあってくれても構わんさ」
サラリとそんなことを言って総司郎はどこか満足げに画面の縁を撫ぜた。
一瞬ごとに目まぐるしく色を変える、液晶。
その一点に目を止めて、総司郎は続けざまに嬉々とした声をあげる。
「なるほど、はははっ! 追加でスキルはつけていないんだな」
「はい、その方がお好きかと思いまして」
「ふふふ、気遣い痛み入る。お前は俺をよく分かっているな」
こちらを一切見ないまま贈られた謝辞。
和夢はその非常に不本意な皮肉を心苦しく受け取った。
子供のようにウキウキとした様子で画面を覗き込む和装の男。
その薄い唇がまた不愉快な次の句を紡ぐのだ。
「脆弱が抗う様は見ていて心地いい。力以前に強い生命力を感じる」
うっとりと酔うように吐き出されたのはそんな言葉だ。
和夢は思わず眉をひそめた。
こんなことをほざいて笑う総司郎であったが、そこには悪意などカケラもありはしない。
和夢はそのことを知っている。
だからこそ主人の望むように舞台を設置することができるのだけど。
あまり喜ばしくはないのが正直なところである。
この男は楽しんでいるだけなのだ。裏も表も全くなく、無様なヒーローを眺めることを。
純粋に、ただ純粋に。
「強敵に立ち向かうヒーローとはやはり強く勇敢で、美しく惨めでなくては。面白くない」
「悪趣味野郎め」
ぺっと小声で吐き捨てて、和夢は眉間にしわを寄せる。
その小さくひそめられた声をどうやら拾ってしまったらしい
「それに付き合うお前だってそうだろう」
「……全く仰る通りでございます」
総司郎が含みのある笑みを浮かべると、嫌そうにしかしすぐさま和夢は腰を折る。
からからと笑い声を立てる総司郎であったが、何を思ったか和夢の方にポツリともう一つ質問を投げる。
「ははは。……和夢、本音は?」
すっと細まった鈍色の目。
ああ、その言葉は和夢のせっかく作った壁を。社交辞令をぶち壊す、いつもの一言だ。
和夢は舌を鳴らした。
「てめえなんぞと一緒にすんじゃねえ、殺すぞ」
「……やっぱり隠す必要はないんだと思うんだがなぁ」
言われるままに本音を吐き出す和夢に総司郎は苦笑いした。
別に構わないのに。穏やかな声音でそう言って総司郎は和夢の頰に節ばった指を伸ばした。
優しく触れられてわずかにたわんだ柔らかい頰。
飼い猫を撫でる時のようにそのまま耳の後ろへと移動していくその手は頭でも撫でようと思っているに違いない。
血の巡りの悪そうな白く長い指と手のひら。
和夢はその優しい手を片手で適当に、無造作に振り払った。
「それでも一応、仕事ですので」
「ははは、真面目だなあ」
メイド姿の少女は主人の手を容易く振り払ってみせた。
少女の相変わらず表情の浮かばない顔には、そのくせありありと嫌悪を浮かんでいる。
流石にこれはまずいんじゃないか? 総司郎と和夢のいつものやり取りを知らない者であればそう思わずにはいられないものだが。
知っていれば、もはやなんの意外性も感じないことだろう。
だってこれは『日常茶飯事』。1日に一度だけでなく見ることができる光景だった。
主人に促されて口の悪いメイドがさらりと本音をこぼす。和装の変人は、快活に笑ってメイドをあっさり許す。
当たり前のように、そこにある景色に今更違和感なんて感じない。やり取りをする本人たちはもちろん、きっと周りのペットたちも。
むしろそうでなかった場合の方が異常であると感じるだろう。
二人の間には主従関係、というにはお粗末な。奇妙すぎる距離感がそこにはあった。
和夢は一人息をついた。
真面目? ちゃんちゃらおかしい見当違いだ。
和夢は極力馴れ合いたくないだけ。本音を言えばそれだけなのだけど。
無礼であること以前にそれを口にする労力を惜しんで、和夢は唇を閉ざしたまま、沈黙を続けた。
だというのに、
彼女が必死に言葉を飲み込んで作り出したその静寂も、いとも簡単に破られることとなる。
それは、ドオオオオン、と遠く響くような轟音。
音につられて
画面に映る映像の音を排出するスピーカーから飛び出た音だと気づくよりも、自然と視線がディスプレイの方へと走る。
再び二人が画面に目を向けたとき、そこに広がっていたのは。
総司郎は笑みを深くした。
「ふはっ、俺もこれは予想してなかった」
「あのクソザルどもめ……」
プッと噴き出すように笑い出した主人の横で、和夢は舌を打つ。
全くどうしてこういうことになるのだろうか。和夢は馬鹿の気持ちも猿の気持ちも、ましてや脳内のことなど全く詳しくない。
だからわかるはずもないのだ。この画面の中で起こっている出来事の次第が。
もちろん横でそれを嗤う、主人のことも。
「うんうん、なかなかよくこじれてくれているね」
コクコクと何度も首を縦に振って、総司郎は愛おしげに画面の中身を眺めていた。
この飼い主はヒーローたちを優しく見守っているのだ。少なくとも、彼の中では確実に。
ふにゃりと緩んだ屈託ない笑顔がそれを物語っている。
「今後が楽しみだ。なあ和夢」
主人がこちらを見る。
無邪気に残酷な自分の意見に賛同を求めて。
吐き気がする。そう思った。
吐いて吐いて吐いて、吐き過ぎて。
いつかその反吐に血が混じるのだ。次第に和夢の喉を胃液がズタズタにする。傷ついたその喉で止まらない嘔吐を繰り返している内にこの体を内側から破り……。
その光景が目に浮かぶようだ。
きっと後には和夢の無残な死体がそこに沈み、吐き出しきれなかった吐瀉物と一部始終を眺めてなお微笑むこの男がいるのだ。
そんな決してあり得なくない妄想が頭をよぎる。
「……」
和夢は目を伏せた。
自分が人並みになにかを考えようなど、愚かなことであったと思い直したのだ。
だって和夢は。
胸の中で問いかける。
自分は何だ? ──侍女、
自分は何だ? ──この男の所有物。
自分は何だ? ──悪魔の手先。
自分は只の。
「『仰る通りでございます、総司郎様』」
数秒沈黙を続けた彼女であったが、結局吐き出したのはおきまりのセリフ。
眉ひとつ動かさずに、ぺこりと腰を折って。
主人の言葉に同意を返すのだ。
作り物のように無表情のまま。
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