第3話 フタツミ1
─5月22日 14:05 ???─
さらさらと流れていく風に、チョコレート色の長い髪が拐われて流れた。
ツンツンと逆毛だったその硬い髪は流れたところで美しい曲線を描くことはない。
細っこい鋼の糸が揺れて震えるぐらいのものだ。
フタツミはその流され顔にかかったひと房を搔きあげて、重苦しいため息をついた。
「ほら、ここよ」
[こ、こ?]
それまで彼女の足に縋って邪魔っけだった幼子が、ひょっこり顔を上げる。
泣きじゃくっていたせいだろう、大きな目に震えるほど大粒の涙を浮かばせて、少年は瞬きをした。
ほろほろとこぼれ落ちる雫。しかし、それだけでは落ち切らなかったらしい。
少年はぽってりとした小さな手で目をこすり、もう一度瞬きをしてフタツミの指す方向へと目を向けた。
[あっ! パパ、ママぁ!!]
[ゆうすけ! ゆうすけぇ!]
[無事だったのね! ■よかったぁ……]
ぱあっと明るくなる表情。
その少年に応えたのは30だか40だかの男女二人だ。
身を寄せ合っていた場所から立ち上がり、こちらに近づいてくる。
走ってきた男女にぎゅうぎゅうに抱きしめられて、少年は大きく泣き声をあげた。
ワンワンと泣く少年と、その暖かさを腕と胸で確かめる両親。
まさに感動の親子の再会……、と言ったところだろう。
こんな光景を目にしたら思わず両手を叩いて祝福してやりたくなるものだが、フタツミは気怠げに息をついたのみ。
たったそれだけで親子から視線を逸らした。
そして、それまで男女がいた方向に目をやる。
生い茂った森の中。その少々ひらけた場所にコテージらしき建物が建っていた。
らしき、と曖昧な表現をしたのには理由がある。
おそらく客を泊めるために建てられたであろう建物は、その目的にはもうおそらく使えないであろうほどに半壊していた。
ただの瓦礫の山。まあ、それほどでも無いにせよ廃墟と言えるほどまでに倒壊した建物。
その影に数人の人影が見えた。
蹲って動かないもの、必死に携帯端末をいじくりまわすもの、ただただ身を寄せ合って震えるもの。と、そこにいる人たちは老若男女様々でそれだけに
ただ誰一人として笑顔を見せることはなかった。
たしかに親子の再開を見てほっと胸をなでおろしたような者はいるが、まあ当然のことといえよう。
今まさに化け物に襲われ、命の危機に晒されているのだから。
「13人目、か」
一人一人指をさして確認して、もう一度ため息をつくフタツミ。
何人だったかよく覚えていないが、確か『タイムリミットまでに逃げ遅れた客を保護する』のがフタツミたちに課せられた任務であったはずだ。
適当に見つけたNPCたちを拾ってはここに集めているわけなのだが……。
後何人だったか忘れているのでは、数えても意味がない。
そうやっている間にも左下あたりに表示された数字の羅列は数を減らしていくのだ。
これが0になった瞬間に、フタツミたちの敗北が決定する。
ならばさっさと動くのが吉であろう。
そうあたりをつけたのかフタツミはコキコキと首の骨を鳴らした。
そして両耳にかけた桃色のドリームスコープを軽く押し上げ、程よい位置に定まったのを確認して、身を翻す。
そんなフタツミの背中に。
[あ、あの……]
幼い声がかかった。
振り返ってみれば先ほどの少年が男女に縋りつきながらこちらを見ている。
フタツミは眉をひそめた。
「なによ」
[あのね、ぼくら家族みんなでここにきてて……、まだ、お姉ちゃんが……、]
おずおずといった様子で少年が語り始めたのはそんなこと。
どうやらこのNPCたちはそういう設定らしい。
だだっ広いキャンプ場。
空を見上げれば青々とした空、肌に感じる温度もあって、おそらくこのステージの季節は夏かそれに近いぐらいだろう。
そんな頃合いであればこの娯楽施設は大層賑わっていたことだろうと思う。
たしかに、冒頭に流れたムービーでは数十人ぐらいの人々が、カマキリのような化け物から逃げ回っていたっけ?
それらはきっと、……いやなんのひねりも、思い違いの可能性も全くなく、確実にこの場所に遊びにきた客なのだろう。
この家族も、そのグループの1つといった具合か。
はぐれてしまった家族を心配する少年。キャンプ場のどこぞにきっといるその姉。彼女の帰りを待ち望む家族……。
……とはまた安っぽい演出だ。
まあ、それだけにマニアどもには効果があるのかもしれないけれど。
「大丈夫よ、たぶん」
[たぶんっ……!]
さらりと適当に言葉を返したフタツミ。
それに少年や少年の両親が噛み付くように食いついた。
[娘は、娘は助からないんですか?]
「そんなこと言ってないでしょ! うまくいけば助かるわよ!」
[うまくいけば? じゃあうまくいかなかったら……!]
[うわああああん、おねえちゃああああああん]
青ざめる父親。涙を浮かべ震え始める母親。
それにつられて再びしゃくりあげ始めた少年。
フタツミはぐしゃぐしゃと頭を掻いた。
こういった面倒なところまでリアルに再現しなくたっていいだろうに邪魔くさい。
そんなことを思いながら、陰気なこげ茶色の目の間にしわを寄せた。
「ああああ、もううるさいわねえ!」
声を荒げたフタツミに、三人は驚いたようにプツリとおし黙る。
頼みの綱であるヒーローに一喝されたからか、しんと静まったそこには嫌な空気が流れ始める。
フタツミは息を詰めた。
少年の目に? 母親の目に? 父親の目に?
いやそのどれもに。
明らかに、怯えるような色がそこにはあった。
──ああもうっ、苦手なのよこういうのは!!
性に合わないというかなんというか……。
とにかくフタツミはこういう状況にうまく対応できるようにできていないのだ。
ついつい声を荒げてしまうものだから、シジマもよく震えていたっけか。
……。
……まあ今は関係のない話だったかもしれない。
フタツミは頭を抱えた。
さらりと安心させられるような言葉を言えたらいいのだけど。
「なんとかなるって言ってんでしょ!」
[ひぃっ!]
[い、言ってないっ!]
「今言ったでしょうがいちいちつっかかってくんじゃないわよっ」
器用さに大いに欠けるフタツミではこんな風に、逆効果なセリフしか言うことはできない。
そんな自分の不甲斐なさにフタツミは爪を噛んだ。
いくら幻影だからと言ってこんな幼い子を泣かせるのはフタツミだって本意じゃない。
なんとか落ち着かせて、できることなら安心させてやりたいものである。
ならば言うセリフなんて1つしか見当たらない。
ここは『ヒーロー・バース』の世界。
ヒーローが、全ての人を、助ける。こんな幻想が当たり前にまかり通る世界なのだ。
「いいからっ、……ヒーローとやらを信じなさいよ」
[ヒーロー?]
フタツミが必死に探し当てて音にした、その言葉にパチクリと少年が目を瞬かせる。
……勢いに任せてとはいえ恥ずかしいことを言ってしまった。
その一方でフタツミはカァっと赤面した。
どうして自分がこんなこっぱずかしいセリフを言わなければならないのか。
こういうのはあのヒーローオタク野郎にでも任せておけばいいのに。あいつなら喜んでクッサいセリフをべらべら吐き出すだろうというのに。
ギリリと一人羞恥に歯噛みしていると、少年がフタツミの袖を引いた。
まんまるの大きな瞳が、フタツミを見上げている。
[おねえさんも、ヒーロー……なの?]
少年は真っ直ぐに、濡れた瞳でフタツミを捉えた。
どこか不安そうに?
いや、何かを期待するように。
「私は……」
言うべきセリフは先ほどと同じようなものだと知っている。
でも、フタツミは一瞬だけそれを躊躇った。
だってその言葉は、フタツミにとって、
フタツミにとってそれはあまりにも、
ああ、だけどうじうじと悩んでいる時間はない。
「そーよ、だから任せとけばいいの」
振り切るようにそう言ってフタツミは少年から目を逸らした。
嘘をついているようでチクリ、どこか胸が痛んだが気づかないふりをする。
こういう時に都合のいい嘘をつくのは、当然のことなのだと自分に言い聞かせた。
「いいからあんたはそこで待ってなさい。ほらっ!」
[うぅ……、あぅ、えぐっ]
「なんか文句でもあんのっ!」
[な、ないですぅ! ごめんなさぁい]
ギロリと大人げもなく睨み付けると、びくりと肩を震わせて少年は母親に抱きついた。
警戒でもするようにグッと身を硬くする男女を、鋭い視線で黙らせ辺りを見渡す。
大声をだしてしまったせいだろう。廃墟化したコテージの下にいた人々も驚いたようにこちらを見ている。
大衆の目にさらされて、いたたまれない気分だ。
フタツミは頰をひくつかせると、もう一度踵を返した。
好奇に似た目にさらされて、落ち着かない。こんな場所に一秒だって長居したくはないしする必要性もありはしなかった。
フタツミは先を急いでいるのだ。
この少年の姉とやらを、きちんと助けてやらねばならないから。
それは何も良心がうずいたわけでも、少年に同情したからでもなく。
ただ、そういう『ゲーム』だから。
[あの、]
「まだなんかあるの⁉︎ 急いでるんだけど?」
[ふぇ、……あ、いやあの。その]
去ろうとしたフタツミの背を再びこの場に留めたのはやはり少年の声。
今度ばかりは嫌気がさして、フタツミは首だけでそちらを顧みた。
じとりと湿気のある焦げ茶がドリームスコープの向こうから少年を睨んだ。
萎縮したようになる少年だったが、おどおどと何度か口を開閉させた後、フタツミを呼び止めた理由を口にする。
それは、フタツミには答えようがないというのに。
[……あの人も、ヒーロー?]
少年の丸っこい手が指差した先。
それは人々が身を寄せる廃墟の、上の方。
一等高い場所にある1つの影だった。
コテージの真っ赤な屋根の上。
その影は一人腰掛けていた。
夏に似合わないハイネックの窮屈そうな白地の服で細身の体を包んだその影はどうやら男のようだ。
それにしては、風に吹かれて揺れる灰黒色の髪が少々長く、1房だけ顔に垂れている。
ドリームスコープやネックプレイメーカーの他に大ぶりのヘッドホンを装着し、瞳を伏せてそこに居座っている、中背ぐらいの男……。
フタツミは彼をよく知っていた。
知っているからこそ、少年の質問にどう応えたものかと悩んだのだ。
彼をどう表現すれば良いかなど明白。それ故に少年の思いとは遠くかけ離れているから。
あの伏せられた目蓋の裏に隠している青は、温かみのカケラもない、酷く冷たいものだ。
……だからフタツミは渋い表情になる。
しかしそれをこの幼い少年にどう説明したものか。ああいや、その辺りは言わないでいた方がいいのかもしれない。いやしかしそれでこの少年が安易にアレに近づいたりしたら……?
言葉を探して悶々とするフタツミだったが……、
その耳に、1つ轟音が鳴り響く。
ドオオオオン……! とかゴオオオォォオン……! とかそんな、大きな何かが倒れるような音だ。
緊張を走らせた人々を尻目にそちらに視線をやる。
もう何かが倒れてしまった後なのだろう。不自然にガサガサと揺れる木々がいくらかあるが、そのぐらいのもので。
音のした場所まではハッキリと掴めなかった。
フタツミにわかったのは方向とその原因だけ。
どうやら向こうであっちのバカがバカをやっているらしい、
フタツミは額に手を当てた。
そして心底疲れた表情で肩を落とす。
どうやらこんなところでのんびりしている場合ではないらしい。
フタツミは息をついて、少年を振り返った。
跳ねるようにピクリと肩を震わせる少年。
フタツミは少し悩んだ後、息をついてその少年の頭を撫でた。
「……あいつには近づかないことね」
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