第5話 サザンカ7


 ─5月14日 24:36 倉木邸広間─




「あ、なんか次で最後っぽいよ」

「またくっだらない内容なんでしょ?」


 渋々目を向けた半紙に並ぶ箇条書きの文字列。

 その切れ間を見つけてサザンカはほっと息を吐いた。

 やっとこの無意味な課題も終わりになるらしい。


 フタツミが呆れたように息をついて、半眼になる。

 そう、きっと彼女の言葉どおりくだらない内容なのだ。

 さっさと済ませてしまおう。

 サザンカは半紙に目を落とした。


「『自分がかつて求めていたもの、または求めているものについて語らう』」


 書かれていることを、何も考えずに下にのせたサザンカ。

 読み上げた後で口内でもう一度転がし、その内容の意味を咀嚼する。


「もとめている、もの?」


 そうやって噛み砕いてみて、ようやく飲み込みづらいものだと気づく。

 サザンカは首をひねった。

 それは一体どういう意味だ?


「やっぱり、わけわかんない質問ね」

「……本当に」


 何を意図して、何を指しているのか掴めない。サザンカは眉を寄せた。

 この質問が今回のこととどう関わっていると言うのだろう?

 求めているもの、求めていたもの。

 何度繰り返しても、その答えにたどり着けない。

 こんなもの親睦を深めていく途上で知ることはあっても、こんな風に初対面でおしえあうことではないだろう。


「急に聞かれてもなぁ……、なんも出てこないよ」


 サザンカはそう頰をかいた。

 しかし、何か答えねばなるまい。どうにか足りない頭を回して導き出さねば。

 サザンカはそう奮い立った。


 ──たしか、まだ欲しい服とかあったかも。

 ふと浮かんだのは今日届いた衣服や生活具のもろもろ。

 だいぶ悩んで購入したから、あれらでいいだろうか。


 サザンカがそう思い至って口を開く、その前に。

 イチゴがふぅ、と息をつく。


「そうですかね、欲しいもの……なんて。俺は全員一致で間違いなしだと思いますけど」

「え、そうなの?」


 思いもよらないイチゴのその発言に、サザンカは軽く瞠目した。

 訳のわからない質問。それに答えがあることだけでも驚きなのに、この3人で共通することだなんて。


 そもそも共通することがあったのか……。

 サザンカがそんな風に二人を見渡す。

 すると、どうやらフタツミの方も同意見のようで静かに瞳を閉じていた。


「まぁ、十中八九間違いなく、」


 イチゴがそう肩をすくめる。

 サザンカはゴクリ、唾を飲み下した。

 3人が共通して欲しているもの。

 同じ主人に飼われて、同じゲームで遊ばれて、そんなところで同じ境遇で、同じ屋敷に暮らす、同じ『ペット』。

 そして、これから同じチームになる。


 今の今まで。

 これまでの様子からして、正直仲良くなるなんて無理だと、そう諦めていた。

 しかし、もし、

 3人で同じものを求めているとしたら?

 3人で同じもののために戦えるとしたら?

 サザンカはぐっと拳を握りしめた。


 もし、そうだとすれば。


 ──俺たちは……


「「睡眠、ですね」」

「うっは、ホントだ見事に一致」


 再びピタリと重なった声。

 サザンカはブハッと吹き出した。

 互いに距離を取っているが、案外この二人、相性いいんじゃないだろうか。

 二度も三度もこんなことがあるのだから。あながち間違いではないだろう。


 まぁ、確かに眠気がないとはっきり否定はできないのだけど。

 サザンカは頰をひくつかせながら半眼になった。

 否定はできない、しかしサザンカとしてはもっとこう、びっくりするような答えを期待していたわけである。

 ……まあこれにも驚いたといえば驚いたが、こういうのではなくて。もっとこう、バトル漫画のような。なんだかこれからが楽しみになるような、そんな感じの。


 ─ものと思ったんだけどなぁ。


 サザンカはそんなことで一人肩を落とした。

 その横でフタツミが壁掛け時計に目をやった。

 ふう、っとひとつ息をつく。


「あとは各自で1ヶ月半過ごせばいいのよね?」


 フタツミがそう言ってほかの二人を見渡す。

 早速もう切り上げるつもりらしい。

 サザンカは苦笑した。


「そんな話だったと思うけど……。流石にこれは雑すぎねえ?」

「いいのよ、形だけで」

「うわ〜……」


 さらりとそんな一言でサザンカの意見など綺麗サッバリ流されてしまう。

 フタツミはその後のサザンカのことなど完全に無視して腰を浮かせた。

 そして、イチゴの方に是非を問う視線を投げた。


「そうですね、じゃあここらで解散しますか」

「賛成よ」

「……いや、別に俺だって異論はないんだけどさぁ」


 適当に軽く頷いたイチゴ。

 その答えを聞いてフタツミは席を立つ。


 サザンカだって、解散することに異論は全くない。

 ないのだけど。

 どうしたってこのもやもやした気持ちを拭い去れない。

 サザンカはフタツミに続いて立ち上がったはいいものの、どうすることもできずにその場で2人を見比べていた。


「それじゃ、おやすみ」

「……」


 ひらりと軽く手を振ってフタツミは踵を返した。

 イチゴの方はこのままこの部屋にいるつもりらしく、椅子に座ったまま腕を組んで沈黙する。


 ──ホントにこんなテキトーな感じでいいの?

 サザンカは置き場所のない手を宙に浮かべたまま、硬直を続けた。

 後で怒られたりしないだろうか?

 好き勝手やられて頭にくるのはわかるが、それでもこれは。


「なにぼさっとしてんの、ここにいるとイチゴに殺されるわよ」

「こ、ころ……」


 困ったように立ちすくむサザンカにフタツミはつんけんどんに言葉を投げた。


 あんまりに物騒な話である。

 軽いジョークとも受け取れるが、先ほどまでの鋭い眼光が脳裏をよぎり、否定しきれないところがあるのだ。

 フタツミがちらり、イチゴの方を顧みる。


「さっきも言ったでしょ。あいつ、神経質なの。痛い目みないうちに出てくことね」

「……ウィス」


 そう促されるままにサザンカはフタツミに続いて両開き戸をくぐった。

 最後に一度振り返ってみるが、イチゴは目を伏せたまま、こちらを見ようともしなかった。


 バタン、そう音を立てて扉が閉まり、サザンカたちは明かりのない闇夜に放り出された。

 急な暗さに視神経が追いつかず、チカチカと視界を変な光が舞った。

 たまらず目をすぼめて数秒、次第に慣れ始めた目が辺りを映し出す。


 真っ暗になった古風な造りの廊下。

 長く続く細い一本道。これは突き当たりの階段に繋がる作りになっている。

 ……そのはずなのだけど。

 こんな時間だ。そちらの電灯も灯っていないのだろう。

 廊下の先に続くのは、墨を垂らしたような黒ばかりだ。


 造りが造りなだけあって、その光景はホラー映画なんかに出てきそうな仰々しさで。

 サザンカは年甲斐もなく背筋が冷えるのを感じた。


 その独特の湿り気を含んだ空気が。

 闇夜を映し出すガラス戸が。

 煤けた壁が、天井が。

 ここにあるすべてのものが、それを顕著に引き立てる。


 ──俺は今、ここに立ってるんだなぁ。


 そんなことをしみじみと考えて、サザンカはふと口角を吊り上げた。

 途方も無いほど真っ暗。

 ここが、現在地点だ。


 これから先なんて見えない。後ろを振り返る気にもなれない。

 ずるずるふらふら、歩くしか無い闇の中。


「どーなんのかなこれ……」


 頭に浮かぶのはそんな言葉ばかりだ。

 だって不安しかない。

 1ヶ月と少しにあの地獄のようなゲームが待っていることも。

 チームメイトが友好を築くことに消極的すぎる二人であることも。

 ……シジマが、目覚めるのかどうか。その問題にも。

 どれもこれもサザンカを安堵させてくれる事柄はあり得なかった。


 暗闇にポツリと落ちた弱音のようなそれにフタツミが振り返る。


「少なくともいい方向にはならないでしょうね」


 そう、ため息混じりに吐き捨てて、フタツミは瞳を伏せた。

 いい方向にはならない。

 今この時、言えることとしてはこれほど確かな言葉は他にないだろう。

 お先真っ暗。まさにその通りだ。

 その中でもより良い闇を探して、そこに飛び込むしか方法はないのだ。


 こんな、どうしようもない事実。

 それにサザンカは空笑った。


「力を合わせてー、とかマンガっぽい展開にする気もないわけね」

「そういうことよ」


 フタツミはサザンカの馬鹿げたセリフを一蹴して、肩をすくめた。

 そしてなんの迷いもなく薄暗い廊下に足を踏み出して、サザンカの横をすり抜ける。

 サザンカの目のちょうど真横を彼女の長い黒髪が通り過ぎた。


 フタツミは古びてもはやおどろおどろしいとさえ感じる暗い廊下を、月明かりだけを頼りに道をたどっていく。


「じゃ。これから面倒なことになるけど、せめて今日だけでもいい夢を」


 そんな皮肉だけ残して。

 スタスタと歩みを早めたフタツミ。


 その強気な背中が、ツンツンと跳ねるチョコレート色が、長い暗がりに吸い込まれていく。

 ゆらり、ゆらり、どろり。

 溶けていく。

 そのシルエットが、暗がりになる。

 まるで誘われるように奥へ奥へと……。


 サザンカは思わずそちらに手を伸ばしかけて。

 ───結局伸ばしきらずに中途半端に止めた。

 変に手を宙に浮かせた形になったまま、何も言えずに軽く硬直した。


 自分がなぜそうしたのかわからなかったからだ。

 ただ、これから自室に戻るだけ。そのために歩いていく背中を、なぜ引き止めなければまならないのか。


 何かきになることがあったか?

 何もない、だって自室に帰るのは至極普通のことだ。

 じゃあ何か話したいことがあったのか?

 何もない、だってサザンカは彼女にそもそも大した好印象を抱いていない。和気藹々と話ができるとは思わないし、口説く気なんてさらさらだ。


 じゃあ、なぜ?


 チラリ、脳裏に浮かんだのは真昼の庭。

 そこを燦々と照らす太陽。

 それを背に大きく笑ってみせた、肌の黒い無邪気な少年の顔だ。








「あの……、ちょっと待ってっ!」










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