第3話 イチゴ2


 ─5月14日 23:40 倉木邸広間─




 それから、どのくらいの時が過ぎた頃だったろうか。


「いやぁ、悪いな。もう少し早く切り上げるつもりだったんだが……」


 決まりの悪そうな表情で、その男は笑った。


 だいぶ遅れて戸口から顔を出した総司郎。

 そんな粗相をしでかしておいて、当初はやっぱり悪気なんてないような表情だった。

 引きちぎりたいほど肝の太い男だ。

 悪びれるどころか『まあ気にするな』などとのたまい、あっけらかんと笑った始末。

 そんな態度にこちら側がカチンときたのは言うまでもない。

 イチゴなんて割と本気で横っ面をぶん殴ってやろうか など考えた。


 しかし、イチゴがそれを実行するよりも先に、般若も顔負けする鬼の形相と化したフタツミに、総司郎は追い詰められた次第だ。


 長々と罵詈雑言の嵐を見舞われて早十数分。

 先ほどとは打って変わって、現在ここにいるのは胸の前に手のひらを立て謝罪のポーズをとる総司郎そのひとだ。

 彼の必死の弁明も虚しく、なにひとつ耳を傾けることも気もさらさらないフタツミは苛だたしげに詰め寄った。


「っんとに非常識よね。夜中に呼び出しといて普通後から来るかしら? ねえ?」

「すまん……」

「大体、こんなに急に呼び出すからにはまた面倒ごとなんでしょう? そういうのを頼む上での誠意ってものがないの?」

「うう、すまん」


 容赦無く腹の煮え汁を浴びせかけるフタツミだ。

 さすがの総司郎もたじろいで、苦笑の顔で頭を掻く。


「謝って済むなら私だってこんな怒ってないのよ」

「じゃ、じゃあどうしろというんだ……」


 ジロリとそう吐き捨てられて、総司郎は戸惑ったようになった。

 うろうろと視線を彷徨わせ、しばらくして拠り所がないと悟ったのか、最後の頼みである小さなメイドの方にそれを縫い付ける。

 しかし、なんと無情なことか。当のメイドは素知らぬ顔だ。


 イチゴは打つ手もなくなって肩を落とすそんな男を鼻で笑った。

 どうすればいいのか、だなんて。

 当然、『そもそも遅れて来なければよかった』のである。

 もう過ぎたことだから諦めて終わり。そんな理性的な判断を促す言葉はこの女の頭の辞書に存在はしない。

 特に総司郎に対しては容赦しない彼女だ。尚更逃げ場など存在しない。


 とは言え。

 ちらり、秒針を刻む壁掛け時計に目をやって、イチゴはひとつため息をつく。

 大分長い事この部屋に居座っているようだ。

 あのうるさい猛獣と地下に閉じ込められているよりはずっとマシだが、そろそろ待ちあぐねてきた。

 長々と続く説教の傘を着たキーキーと騒がしい罵詈雑言。

 イチゴはとうとう痺れを切らせて口を開いた。


「いつまでグダグダやってんですか、とっとと終わらせてくれません?」


 しかしその声に、フタツミがこちらを振り返ることはない。

 総司郎に向かったままの体制で、拳を胸の前で握り込んだ。


「もう少し待ちなさいよ。まだ半分も……」

「ふざけんな、ただでさえ長いこと待たされてるってのに、これ以上無駄な時間取りたかねえんですよ」


 返ってきた沸騰寸前の声に、イチゴは同じくイライラと不機嫌に応えた。

 これでまだ半分も、だなんて。

 何を考えているのか。これまでの半分以上も待てるものかとイチゴは溜息のような空気を喉から吐き捨てた。


 そんなイチゴを穏やかに窘めたのは倉木だ。


「いいんだ、イチゴ。遅れてきた俺が悪いんだ」


 潔く罪を認め、諦めたように笑む和装の男。

 しかし、どこか儚げですらあるその男にイチゴが放ったのは鋭い眼光だ。


「てめえを庇ってるわけじゃねえ、勘違いしてんじゃねえですよ。そして永遠に喋んな」

「わかってんなら反省しなさいよ。大体あんたはいつもいつも……」


 ギロリ、刃のような視線とともに総司郎に向けたその低い声は、意図せずしてフタツミのそれとちょうど重なり合う。

 双方から挟み撃ちにあい、総司郎がビクリと肩を震わせた。


 この勘違いだけは気に入らない。

 その言い方ではまるでイチゴが総司郎のためにフタツミとの間に入ったようではないか。

 そんなつもりは毛頭ないし、現在のようにイチゴ自身に実害さえなければ勝手にやっていてくれて構わないのだ。

 むしろこの目障りな男が目の前でじっくりじわじわ刃物で痛めつけられていたって全く問題はない。

 イチゴはそれを嘲笑しながら眺めていられるし、いっそ犯人に加担してやったっていいのだ。


 だというのに不愉快な受け取り方をされては困る。

 イチゴはこの男の敵になる可能性はあっても味方になる気はさらさらないのだから。


 今にも縊り殺さんがばかりの二対の目に挟まれて、だらだらと頬に冷や汗を伝せる総司郎。

 それを見て、小さな声が囁いた。


「ダブルパンチ、……いい気味」

「和夢ちゃん、本音漏れてるよー」


 背中で聞こえたその呟きに丁度彼女に並ぶ位置に立つサザンカが苦笑う。

『最後の頼み』がこれだ。

 総司郎へ手を伸べるものなどここには存在しない。

 ……いい気味。全くその通りである。


「まあまあ、二人とも落ち着いて。今日ここに集まってもらったのはこんな言い争いをするためじゃあないんだ」


 狼狽えながらも総司郎はそう切り出して、なんとか二人から逃れようと曖昧に笑んだ。


 しかし、そんな抵抗も虚しいもので。

 口達者な馬鹿女フタツミの方は攻撃の手を緩める気は無いらしい。

 刺々しく鼻を鳴らした。


「ふぅん、あんた私と争ってるつもりだったんだ?」

「え? ……あ。ああ、いや違うんだ。こ、言葉の綾というかなんというか」

「責められてる自覚がないなんて。やっぱり反省なんてする気、さらさらなかったのね」

「うぐっ。……あ、あの、フタツミ。いい加減もうやめないか? こんな不毛なことに意味はないだろう?」


 早口な苦言。

 それにしどろもどろになりながら、総司郎は身を硬くした。


 まあ言ってしまえばこの女の言葉自体は根も葉もない憶測。真実とは異なり、拾い上げたピースを極端に捻じ曲げた荒唐無稽な暴論だ。

 しかし、なまじ正論を盾にして無理矢理にその暴論を押し通してくる。

 幼いやり口ではあるが、その実この上なく厄介なのだ。

 イチゴは面倒くさそうに顎を撫でた。


 話が長くなることが目に見えていたから。

 これ以上の無駄は取りたくないものだ。

 まだ何か言い募ろうとする彼女の背中に抗議の視線を投げかける。

 矢のような、ひどく鋭利なそれだ。


 それに背筋を這い回る寒気を感じたのか、フタツミはブルリと身を震わせた。

 そうしてようやく小さく短息する。


「……、仕方ないわね、確かにもうこんな時間だわ。手短に済ませてちょうだい」

「あ、ああ、もちろんだとも」


 やっと得られた許しと安息。

 ホッと一息ついて、総司郎は糸が切れたように肩の力を抜いた。

 安堵し過ぎて草履を履いた足が一度だけではあるが大きくふらつく始末だ。

 相当おそろしかったとみえる。ざまあみろ。

 イチゴは胸の内でからからと嗤った。


 そんな風にたたらを踏む総司郎を一瞥して、フタツミはくるり踵を返した。

 その目に映るのは、窓際に位置する木目の目立つサイドテーブル。

 まさにイチゴの腰掛けているところだ。


 しかし、そのイチゴのいる場所をスタスタとフタツミは通り過ぎた。

 そして、イチゴとは少し離れた椅子に無造作に腰を沈める。

 窓に一番近い席。

 その濃紺がはめ込まれたような景色を写すガラス戸の外には、屋敷自慢の見事な庭がよく見えることであろう。


 フタツミは、深く暗がりをおとした、しかし色褪せない美しさを保つ和風庭園。

 ──ではなく、素直にその持ち主である総司郎の方を見つめる。


 こほんと軽い咳払いが静寂を取り戻した部屋に響いた。

 時計の秒針とそれぞれの息遣いしか聞こえない。

 その事実に総司郎は満足そうに瞳を閉じた。


「よしよし、みんな静かになったな。良い子だ」


 うんうんと頷いて総司郎はここにいる誰もの口がピタリと閉じていることを確認した。


 せっかく止んだ攻撃を蒸し返したいのか知らないが、そんな風に無自覚に一同を煽って総司郎はふわり微笑む。


「じゃあそろそろ本題に移ろうか」

「……」


 ハラワタが煮えくり返りそうなほどに湯だつがどうにかこうにか押さえつけて、イチゴは沈黙を守った。

 こいつの人を小馬鹿にしたような態度はいつも腹がたつし、それを自覚しているんだかしてないんだかわからない飄々としたところもしゃくに触る。

 言葉もそうだが手も足も出るのが早いイチゴである。本来ならば、問答無用で張り倒しているところなのだが……。


 これ以上無駄に消費される時間を惜しむ心が胸にあって、鋭くそちらを睨むだけにしてここは済ませてやったのだ。


「とりあえず、まずは俺からの提案を聞いてほしい」

「提案?」


 総司郎が切り出したのはそんなセリフだ。

 訝しんで一同がそれぞれで眉を寄せた。


「ああ、そうだ」


 そう確かに頷いて、総司郎は微笑む。

 ぞっと背筋を冷たいものが駆け上がって周りの空気が急速に冷えた。


 一体、何が来る?

 どうせまた碌でもないことに決まっている。

 今までの経験上、それは確信を持って言えることだった。

 だから、イチゴがそう身構えたのは、『提案』とやらを退けるためではない。


 それを受けて、

 この思考に集中できるように、である。


「この3人でチームを組まないか?」


 そう言って総司郎は大きく笑った。

 僅かに紅潮した痩せた白磁の頰。まるで色恋事を語っているかのような、その表情に一同は背筋を震わせた。

 形取っているパーツの一つ一つはそれなりに整っているというのに、そしてその表情自体は清廉で一般的にみて好ましいものだというのに。

 多種多様の虫がぎゅうぎゅうづめに入った薄いガラス瓶を押し付けられたような気分だ。


 そう、顔をしかめたイチゴの背中で、首を傾け僅かに固い声で言葉を返したのはサザンカだった。


「チーム?」

「もちろんゲームの、さ。市販用のヒーロー・バースにだってチーム戦はあるだろう?」

「……タッグじゃなくてパーティー組めってこと?」

「そうそう。こう、仲間と協力してモンスターを倒す感じの……」


 何が楽しいのか知らないが、総司郎はにこにこと陽気に受け答える。

 その笑顔に気押されるように、サザンカはどこか気まずそうに表情を歪めた。


「いや、それはわかるんだけどさぁ」

「急な申し出だからな、戸惑うのぱ仕方ない。でも、当日に伝えるよりはマシだと思ってな」


 ふわりと微笑んだ総司郎。

 その男のセリフにイチゴは微妙な表情になった。

 こんな突飛な話を事後報告にしておいて、更にはその報告が当日である可能性があったらしい。

 笑えもしないドッキリサプライズである。

 是非とも御免被りたい。

 イチゴは頰を引きつらせた。


 その時だ。


「……できるわけないわ。そんなの」


 消え入りそうな声が空気に溶けた。

 口を開いたのは、……フタツミだ。


「ああ、おまえたちは二人ともサザンカとは初対面も同然だし、当人同士でタッグ戦も組んだことがないからな。不安なのはわかるが……」

「そうじゃなくて!」


 ダンッと机を叩く音が部屋に鳴り響いた。

 それに続いて次は彼女の立ち上がった勢いに押されて、椅子が無造作に倒れる音が続く。

 イチゴがそちらに視線をやれば、机に手をついたまま肩を震わせて立つフタツミがいた。


 総司郎が首をかしげる。


「どうしたフタツミ」

「どうしたもこうしたもないわよっ。シジマがあんな状態だってのにあんた……」


 先ほどまでとはまた違った怒気をはらんだ声が空気を震わせた。

 つい昨日、あんなことがあったのにまたあのゲームで遊ぶ気なのか。

 フタツミはそう机と擦りあわせるように拳を握りこんだ。


 しかし、対する総司郎といえば呑気なもので。


「大丈夫さ、言ったろう? 俺はシジマを救ってみせると」


 そ怒りをあらわにする彼女とは正反対に、こんな風にけらけらと陽気に笑ってみせた。

 ギリリ、フタツミが歯を軋ませる。


「だからシジマのことは何も心配いらない。全て俺に任せておけばいい」

「あんたねぇ……!!」


 事態の重さとも話しの筋とも噛み合わない、軽い口調。

 それにフタツミが喰らいつくのを片手で抑えて、総司郎は軽やかに手を叩いた。

 静まった部屋に、いやに響いたその音。

 イチゴはの中でそれを聞いていた。


「だから、もう辛気臭い空気はこれっきりにしよう。いつまでもうじうじしていられないし、お前のそんな顔はシジマだって望んでないはずさ」


 なんの根拠もない、奥の見えない、言葉だ。

 こんな絵空事まがいのセリフは冗談はともかく、慰めなんかにはなりっこない。

 空虚なそれは、フタツミの心を逆撫でるだけだ。


「楽しい話だ。楽しいゲームの話でもして気分を明るくしようじゃないか」


 だというのに……。

 総司郎はそう明るく笑ってみせた。


 フタツミは強く歯噛みした。

 軋む音がイチゴの方まで聞こえて来そうなほど、強く、強く。

 その唇からせめて……、かすれた声が這い出る。


「せめてシジマの容態がもう少し落ち着いてから……」

「ゲームの開催は1ヶ月と半分もある。その頃にはシジマだってもう少し回復しているだろうさ」

「そんなの……!」


 また、反論しようとフタツミが声を上げる。

 しかし、その後に言葉が続くことはない。

 表情を歪めたまま、総司郎のほうを睨んだまま、唇を噛む。


 その奥に酷く複雑な感情が渦を巻いている。

 側から見てもそれが手に取るようにわかった。

 しかし、その唇は音を紡がない。


 だって、目の前の男は笑っている。

 それは嘲笑ではない。かと言って憐憫でもない。

 ただ、何事もないように笑っていたから。

 それは、じゃれつく猫を撫でる時のような。

 甘噛みする犬を優しく叱るような。

 そんな笑みだったから。


 ギリッ、何かに耐えるようにきつく結ばれて固く閉ざされた唇。

 やがてフタツミは力なく俯いた。


 おとなしく口を噤んだフタツミを確認して、総司郎が手を打つ。


「そこで、だ」


 フタツミは顔を上げない。

 彼女だけではない。

 サザンカも、彼女の背中ばかりを。和夢は瞳を伏せて。

 イチゴなんかはどこでもない、何も浮かばない空間の方を見つめていた。

 誰の視線も交差しない、部屋の中。

 それでも御構い無しとばかりに微笑んで、総司郎は言葉を続けた。


「その期間を使ってお前たちには親睦を深めてもらおうと思ってな」


 総司郎はそう言って大仰に腕を広げた。

 バサリ、その反動で長い袖がひらひらと宙で踊る。

 屈託ない笑みで、まるで子供に言いつけるように優しく、


 総司郎はこんなことを言った。


「3人で仲良くなってくれ!」


 これが、3人を集めて、長らく待たせて、無駄に苛立たせてまで話したかったことらしい。


 イチゴは明後日の方を見たまま眉間にしわを寄せた。

 喧嘩ばかりする幼子たちに言うならば、全く問題はないのだけど。

 ここに頭を揃えているのはとっくに成人を済ませた男女である。


 仲良く、だなんて。

 小馬鹿にしているとしか思えない。


「難しい話じゃないさ。戦友として、チームメイトとして絆を深めてほしい。ただそれだけなんだから」


 半分に瞳を伏せて、総司郎はゆっくりと一同を見渡した。

 その鈍色に、一人一人が映されて、通り過ぎていく。


「なぁに、時間はたっぷりある。ゆっくり、じっくり。仲良くなっていってくれ!」


 最後にそう付け加えて総司郎はどこか得意げににこにこと笑った。

 あんまりに強引に、自分勝手に話を押し進めて。

 どうやらこちらの意見も聞かぬまま、この話はまとまったらしい。

 全てを話し終えて、満足そうに総司郎はじぃっと一同を眺めている。


 ……何か言う気にもなれない。

 こんなことは今に始まった事ではないのだから。

 いつだってそう、イチゴたちには──。


 秒針が刻む単調なリズム。

 イチゴはそれをただぼんやりと数えていた。

 空虚に時は流れる。


「……そんな風に言われてもなあ」


 そんな中、ポツリ。静まった部屋に落ちた声。

 唇を噛んで閉ざしているフタツミはもちろん、無口なメイドもイチゴも何も発していない。


 だからその声は、残った一人のものだ。


 総司郎がそちらへ笑みを向ける。


「ん? どうした、サザンカ」

「え、いや、えーと……」

「いいんだ、サザンカ。なんでも言ってみてくれ」


 言われてサザンカは、あたふたと少々取り乱した様子を見せた。

 言葉にする気は無かったというのに、思ったことがそのまま声に出しまった、と言ったところか。


 そんな意図しない発言を拾われて、戸惑っていたサザンカだが、総司郎に促されてもぞもぞと口を開いた。


「いや、なんつーか……。そんな急に言われてもさぁ。そう簡単にぽんっと仲良くなれるもんじゃあねえと思うんだけど……」


 言いにくそうに、口ごもりながらそう言って、曖昧に笑ってみせるサザンカ。

 彼にしてみれば総司郎へ思うところがあるのだろう。それを拭い去れないまま、どう対応したらいいのか、距離感を掴みあぐねているのだ。


 それにしては、全くくだらない発言だ。

 イチゴは片頬を引き上げた。

 サザンカの言葉を受けて総司郎が何か返す、その前に。


「バーカ」


 イチゴはそう鼻で嗤ってみせた。


 肩をすくめるのと同時にため息をついて、後ろを顧みれば、サザンカのそれと目が合った。

 ぱちくり、そんな擬似効果音がピタリと当てはまるように瞬きを繰り返すサザンカ。

 そのアホヅラに、自分の笑みが深くなる感覚がわかった。


「……?」

「俺はお断りですよ」


 そうして吐き出したのは、こんなセリフ。

 サザンカが驚いたように目を剥いた。

 低く響いた声に視線が集まる。それを背中で感じながら、イチゴはすぅっと息を吸い込む。

 肺を膨らませた空気。イチゴはそれによく透る低音を乗せて、吐き出した。


「え、ちょっと??」

「馬鹿馬鹿しい。てめえのお遊戯に付き合ってやる筋合いはねえってんですよ。ままごとじゃあるまいし」

「きゅ、急に何……」

「大体、あのチビの二の舞になるのは御免被りたいんでね」


 一気にまくしたてるようにそう言って、イチゴはピタリと言葉を切る。

 険のある文字列を並べる口であるが、蒼い瞳は、その低い声は、ただただ静寂を保っていた。

 水面をひとつだって波打たせないまま、瞳がすうっと細まる。


「なんて」


 にぃっと釣った唇。

 その割には冷めた表情を顔に貼り付けて、イチゴは机に肘をついた。


「言ったら、降ろしてもらえるんですかね?」


 そう言った彼は真っ直ぐに総司郎の方を向いていたのに、返答など期待していない。投げやりで独り言のようなそれだった。

 だって見え透いていたから。

 いや、それ以前に分かりきっていたことだったから。

『もしも』や『きっと』は尚更。『万が一』も『百歩譲って』もあり得ない。


「そんなのは決まってる」


 そちらに集まる視線のすべてを受け止め、総司郎はそうからりと笑った。

 イチゴには、その一点のくすみもない笑みがいっそ清々しいほどに歪なものにしか見えない。

 禍々しい、奇怪で、醜悪な、笑みだ。


 そう思った。


「敢えて答えるまでもなく【否】、だな」


 事もなげに、当然のようにそう言って、総司郎はイチゴの方へ視線を寄越した。

 その穏やかな鈍色に、鼻を鳴らしてイチゴはギシリと椅子の背もたれを軋ませた。


 あれだけの言葉を並べ立てて抗議したというのに、反論する気もないらしい。

 口元を釣り上げたまま、軽く息を吐き出しただけで、その瞳はもはや総司郎の方を見ていない。

 かと言って、後ろを振り返るわけでもなく、イチゴは歪めた唇を開いた。


「こういうことですよ、能無しども」


 その言葉は確かに後ろに佇む男に向けられていた。

 椅子を倒したまま立ちすくむ、フタツミにも。


 あえてこんな風に聞くまでもない。

『ペット』どもに拒否権なんてないのだ。

 どんなに無理難題だろうと、理屈にかなってなかろうと。

『ペット』はそれを受け入れるしかない。


 抵抗など愚の骨頂。そんなものするぐらいなら、思考を捨てて従った方がまだ利口だ。

 何もできない馬鹿は馬鹿なりに大人しくしていた方がいい。


 こんな問うに及ばぬ事を抗議してやるための、一芝居。

 それをうってやったのは、皮肉交じりとはいえ彼なりの親切心からだった。


 これから共に盤上に立たされて、面倒を被る仲なのだ。

 それだけでも哀れなのに、果ては自分のものだけではなくイチゴの何割かも押し付けられるとくれば。

 涙なんかでは済まない。

 僅かに残った良心が悲鳴をあげて、抱腹絶倒間違いなしだ。


 多少の警告ぐらいはしてやってもいいか。

 そんな、菩薩も感涙して思わずその場でひれ伏し拝むぐらいの道徳心に溢れた情け深い親切心で。

 イチゴはつまらなそうに天井を仰いだ。


 誰も言葉を発さない。

 重い重い沈黙。それを見て、これ以上の抵抗はないと悟ったらしい。

 総司郎は静かに【命じる】。


「【ゲームが開催されるまでの期間、3人は各自のやり方で親睦を深めること】」


 口元に片手を寄せて、小さなマイク越しに【響く】その声は、ビリリとイチゴの体に電流を走らせた。

 他の二人もそうなのだろう。

 重く張りつめられた空気が、イチゴの背中を刺した。


「そうだな目標としては、【連携技を】、……いや、【チームで連携した行動ができるように】か」


 何を思ったがそう言い直して総司郎は困ったように笑う。

 まぁ、確かに【命令】されたとはいえ、できない事ができるようになるわけじゃない。

 本人の能力以上のことは不可能なのだ。


 イチゴとフタツミだって大分長く一緒にペットをやってきたが、顔見知り以上になれたかといえば答えはNO。

 ひとつ屋根の下で暮らしていても、互いに興味を持たなかった。そんな相手に『仲良くしろ』と言ったところでその進展はたかが知れてる。

 新人が介入してきたところで大した毒にも薬にもならないだろう。


 低すぎてもつまらない。高すぎても不可能とくれば、可能な限りの最大を総司郎は見極めなければならない。

 今までの経験と、それを踏まえた予測。

 そうして導き出された答え。その、『最大』がこれだ。


 もはや失笑さえ湧いてこない。あんまりな評価である。

 これが、実際のところまさしく英断であると言えることが余計に。

 イチゴは無言で瞳を伏せた。


「次のゲームを楽しみにしてるぞ」


 どこかウキウキと興奮を隠しきれない朗らかな声が、そう締めくくる。

 あまりに身勝手で、残酷な要求を。

 楽しそうに、楽しそうに。

 まるで、真綿のような締め具合で。


 後に響く音はなにもない。誰も口を開かない。

 ただただ一方的なその言葉に続くのは、居心地の悪い張り詰めたような冷えた沈黙だけだった。

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