第6話 サクライユカナ 2


 ─某月某日 まだ胸に残る記憶─




 春が終わってすぐ春が来た。


 長期休みとは名ばかりの、短い期間をのんびり過ごしているうちにいつの間にか。

 遙香の楽しみだと言った、『入学式』の時期になっていた。


 真新しい制服に身を包み、慣れないが別段違和感もない電車に揺られて通学する。

 たったそれだけで不思議と胸は踊るものだ。

 隣の遙香なんかはそわそわと落ち着きがなく辺りを見渡したり、早いテンポで身じろぎしたりとゆかなの倍それを感じているようだった。

 そんな遙香を叱って、ゆかなはなんとなはやる心臓をなだめることができたのだ。


 なんとなくの緊張はあったのだ。

 新しい生活に、新しい日々に。

 目前に迫る『始まり』に。


 しかし、だ。

 現代日本で普通に生活するゆかなたちだ。

 当たり前のように、当然のように入学式なんて初めてじゃあない。

 さすがに小学の頃のやつは覚えていないにせよ、三年前の記憶ぐらいははっきりとしているのだ。

 だから、……こんなものか。

 そう呆れかえるぐらいの普通すぎるイベントだった。


 なんてことない。

 別段豪華でもない、ありきたりな装飾が飾られているだけの体育館で。

 校長の、から始まり、来賓の、在学生の、代表の……。

 続けさまに長々と淡々と、述べられる祝辞。


 入学式と言われて、想像する通りそのままの、眠気を誘うようなつまらない式典。

 数時間前の胸の高鳴りが、バカバカしくなってくるほどだ。

 そんな、シラけた頭でゆかなは春を迎えたのだった。


 それからだって、他愛のない日々が無闇に続いた。

 中学の時と同じようになんとなくクラスの子と仲良くなって、なんとなくダラダラと過ごす。

 高校に入って勉強に燃える人もいるらしいが。

 ゆかなたちが入ったのは普通科高校。

 だからなにも専門科目があるわけじゃない、中学の時と似たような科目ばかり。

 こんなんじゃ燃えるもなにもない。ゆかなは別にいい大学を狙ってるわけでもなかったから、余計に。


「ゆかな!」


 そんなどうでもいい物思いに耽っていると、がらりと教室のドアが滑る音。

 その後に続いた声に、ゆかなは顔を上げた。

 見れば戸口には見知った妹分の姿があった。


「遙香、……どうしたの?」

「あのねあのね!! さっきね? さっきの授業でね?」


 ゆかなの席の前まで小走りで近づいてきて、遙香は少々興奮気味にまくしたてた。

 姉のような目線で見ればそんな可愛らしい妹分の話を黙って聞いて上げたくもなるのだけど。

 何せここは学校で。そして小学でも中学でもない高校で。

 ゆかなは苦笑いでそれを諌めた。


「ああ、もう。遙香落ち着いて」

「うぅぅ。でもでもゆかなぁ……」


 意味もなくぶんぶんと両手を胸の前で降って、遙香はじれったそうにこちらを見つめた。

 別にゆかなが逃げるわけでもないのだから、もう少し余裕を持って話せばいいのに。

 その落ち着くいとまさえ惜しいのか、遙香はほんのり頰を染めて冷めやらぬ興奮の色を示していた。


 高校生活が始まって、クラスが振り分けられる。

 そんな当たり前の行事でゆかなと遙香のクラスは離れ離れになった。

 だからといってどうということはないのだけど。

 ゆかなと同じクラスになることを前提に考えていたらしい遙香はひどく落ち込んでいたっけか。


 別々のクラスとは言え、同じ学年で。

 同じ学内なのだから、会えないというわけでもないのに。そう呆れて肩をすくめたのは記憶にまだ新しい。

 クラスが違うだけで、何が変わるというのか。

 だってゆかなと遙香はただの友達というわけでもないのだ。

 まるで姉妹のように育った、幼馴染。

 クラスが違ったからといって、疎遠にはならないし、仲が悪くなることもないだろう。


 きっと、『いつも通り』の二人のまま。

 着る制服が変わったぐらいで、他は何も変わらない高校生活と同じだ。


 つまらない授業を受けて。

 つまらない指導を受けて。

 なんとなく周りと打ち解けて。

 なんとなく似たような友達を作って。

 なんとなくの夢を語って。

 そのなかにいつも通りの遙香がいて。


 中学と変わらない。本当にほとんど変わらない高校生活。

 それがずっと続いていくんだ。

 意外性もない、退屈な日々がずっと。


 でも、

 こんな遙香と過ごす生活はなかなかどうして悪くない。

 意外性なら彼女が日々の中で語ってくれることだろう。

 退屈なら彼女が明るい笑顔で吹き飛ばしてくれることだろう。

 そう、思えるから。


 ゆかなは苦笑った。


「焦らなくたってちゃんと聞いてあげるから」


 ため息交じりのセリフ。

 そんな冷や水を浴びせかけるのだけど、それでもまだまだ遙香の上がりきったテンションを下げるには足りないようで。

 ぐっと口を噤んではいるが、爛々と光る目がゆかなを捉えている。

 ゆかなは低く言いつけた。


「座って」

「はぁい……」

「ちゃんと」

「う゛うぅぅぅ」


 言われるままに、空いているゆかなの前の席に腰を下ろした遙香。

 しかしウズウズとすぐに動き出しそうな気配があったので、ゆかなは念を押すように厳しく言った。


 何か言いたそうにこちらをみる遙香を黙殺すると、遙香の方も降参したのか渋々と体を椅子に落ち着けた。

 じぃっとその様子を眺めて、しっかりと背もたれまで背中をつけ、もうはやる気がおさまっていることを確認する。


 許しの時を今か今かと待っているその姿は、餌を待つ子犬のようだ。

 じぃっとゆかなを見つめて、その時を探っている。

 ぷはっ、思わずゆかなの口から空気が噴き出した。


「で、なあに遙香」

「!!!」


 そう問いかければ、パッと明るくなる表情。

 遙香はまさに餌にありつく犬のようになって、ゆかなの方へと身を乗り出した。


「うんっ! ゆかなあのね!」

「もう、言ったそばから立たない。大きな声出さない。子供じゃないんだから」

「でもでもでもっ」


 言いながらガタッと椅子を蹴飛ばした遙香をゆかなは無理矢理に元の位置に収める。

 しかし、座り直してもまだ上がりっぱなしのテンションにゆかなは呆れてため息をついた。


 そんなゆかなの隣で、クスクスと笑う声があった。

 そちらを見れば、短髪の少女がゆかなに笑いかける。


「ゆかなも大変だねえ」

「……まぁ、ちょっとね」


 その労いにゆかなは苦笑った。

 二人で登下校を共にするものだから、放課後になるたび、こちらの教室に顔を出す遙香。

 毎日毎日、ハイテンションで教室に入って来る遙香はもはや日々の当たり前になりつつあった。


 その都度 遙香をなだめて、落ち着けて。

 話を聞いてやっているゆかなを少女はこの数週間、ずっと見てきたわけなのだ。


 きっと彼女には呆れられてしまっているんじゃないだろうか?

 放課後を毎日煩くさせて申し訳ない限りだ。

 そう、表情に苦味を増やしたゆかなだったが……。

 ゆかなの心痛をよそに、少女が遙香に向けてにっと笑った。


「遙香ちゃん? だっけ」

「そう、藤村ふじむら遙香! よろしくね、……ええっと?」


 遙香がおずおずと言い淀む。

 まだ入学して間もない新入生。

 自分のクラスですらままならないのに離れたクラスの誰かの名前なんて知らなくて当然だ。

 それを察したのか、少女はくすくすと喉を鳴らした。


「私は杉谷すぎや美希みき。美希って呼んで」

「あ、美希ちゃんね。美希ちゃん……美希ちゃん……。うん覚えた!」


 健気にその名を繰り返し、決して重くはなさそうな頭にそれを叩き込む。

 遙香にしては珍しく、どことなく固い表情なのは、少々語意が強いというかハキハキと喋る彼女に押されてしまっているのともう一つ。

 それは、きっと彼女の髪が染められているせいだろう。


 金にも見えるほど色の薄い、茶色の頭髪。

 確かにその髪のせいで、初対面だと少し不良っぽいイメージが浮かんでくる。

 かく言うゆかなもその一人だ。

 でも席が近くて、自然と話すようになって。

 見た目に反してなかなか気さくで優しい少女であることを知ったのだ。

 周りにも慕われる、クラスのリーダー格。

 サバサバとして付き合いやすい美希はきっと遙香とも仲良くなれるだろう。


 美希が快活に笑む。


「遙香ちゃんってなんか天然ぽいね、なんか可愛い」

「え。ふふふふ、そうかなあ。そんなことないと思うけど」

「可愛いよ、可愛い」


 あからさまな おだてにも頰を染めて、素直に照れ笑う遙香。

 そんな遙香をさらにおだてて楽しそうに笑う美希。


 なんだか自然と笑みがこみ上げてくる。

 平凡で平穏な、だけどどこか暖かい空気。


 二人のやりとりを、ゆかなは微笑ましく見て守っていた。

 こんな『意外性』も、悪くない。

 また新たな繋がりを作って、遙香が世界を広げていく。

 美希という新しい刺激を受けて、遙香が嬉しそうに笑っている。


 穏やかな、穏やかな春の日。

 やさしい、あたたかいひとときだった。



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