第4話 サザンカ4


 ─5月14日 14:30 倉木邸内庭園─




 サザンカは眉を寄せた。

 訝しげに少年の陰った顔を見上げる。


「神様?」

「そう、神様。上からいつも見ててくれて、たまに助けてくれる」


 トーゴはそう言って頷き、にかっと笑った。

 しかしサザンカはそれでも理解に悩み首を捻ったのだった。


 唐突に何の話なのか。意図も脈絡も全く掴めない。

 わけがわからないままサザンカは大きく肺を膨らませ、肩でそれを潰した。

 神様だとか、そんなの。


「いや急に聞かれてもなぁ」


 ぱっと出てくるものではない。


 いると思えばいる気がするし、いないと思えばいない。

 要はそんな曖昧な『概念』だ。

 人によって『いる』という人がいて、その反対も存在して。その間に立つのがサザンカだ。


 どちらともいえないしどちらともいえる。

 いて欲しい時には信じてそれ以外は知らない。

 念願が断たれた時には、神なんていないと叫ぶ。そういう人間だ。

 今はどちらかといえばいて欲しいと思うから『信じてる』んだろうか?


 ──シジマを助けてくれるなら、なんて。

 他力本願に願うことしか……、サザンカにはできないから。


「オレは信じてるぞ」


 思考を巡らすサザンカにしびれを切らせたのか、トーゴはそう言い切ってみせた。

 その様子があまりに自信満々、と言ったものだったから。

 サザンカはにこりと笑んで、話を聞いてやることにした。


「へえ、なんで?」

「なんでも何も、いるんだからいるんだよ」


 当然のことを言うように。むしろなんでわかんないんだ? と続きそうなほど、自然な声だ。

 とはいえ、そこに馬鹿にするような音は混じらない。

 ただ単純に不思議に思っている、そう言う音だ。


 それもそのはず。


「オレだけじゃないぞ? オレのもともと住んでたとこでは、みんながみんな信じてた」


 トーゴは顎に指を当て、わざとらしい考えるポーズをとる。

 一方でサザンカは「あー……」と感嘆をもらした。

 頭のどこかで合点がいったのだ。


 トーゴの見た目からして、年の頃は小学生の中盤か後半か。

 今時、この歳までカミサマ信じてる子は日本じゃ珍しい。

 サザンカはその無宗教な日本で育ったゆえに、馴染みの薄い存在。信憑性もなにも、その存在の確証は日本史のレベルではなく、漫画やおとぎ話のそれ。

 なにもサザンカが特別なのではない。

 詳しくは知らないが、この国ではなかなかに一般的な考え方だろう。


 しかし、だ。

 他の国なら話はまた別。

 周りの全てが神を肯定する。そんな場所で子供が育ったら?

 きっと信仰心にあふれた人間に育つことだろう。

 流石、外国人。

 偏見極まりない考えだが、そう頭の中で呟いて、サザンカらひとりうんうんと首を縦に振るった。


「なるほどトーゴの故郷かぁ、なんかわかる。古い神様とかまつってそー」


 黒にも見えるその肌は、サザンカの中で浮かぶ宗教国のイメージにぴたりと合致した。

 ──なんとなく、アラブ系の。うおおお〜って感じで礼拝するやつ。

 集団で呪文を唱えながら変な道具片手に儀式をする、そんなカルト的な光景がサザンカの頭の中で再生された。

 その頭上でトーゴが自慢げに笑う。


「そうそう! オレの『こきょう』では当たり前だったんだ!」


 ひと単語だけ拙く発音したトーゴ。

 今までなんの淀みもなく会話をしていたから、こちらも何も気にしていなかったが。

 一応まだ覚束ない言葉があるらしい。

 なるほど、ならば言葉に気を遣ってやらねば。

 そんなことを脳裏で確認するサザンカのかたわら

 トーゴはやや興奮気味に身を乗り出した。


「でなっ、オレのとこではなっ! 毎日朝にお祈りして、夜にもお祈りして、神様にあいさつするんだ」

「へぇー……、なんかすげえね。本格的」


 毎日の礼拝、だなんて。

 多分、さっき想像したアレだ。サザンカは頰をかいた。

 大の大人が列を成してなにか神を崇める呪文みたいなやつを唱える。

 それに子供まで参加するとなると、さぞかし壮観で。


 昔学生時代にやった朝礼なんかを思い出してサザンカはにぃっと口の端を持ち上げた。


「俺なら三日で飽きる自信ある」

「それじゃダメだ。意味がないだろう!」


 生徒を叱る先生さながらにトーゴが眉を釣り上げる。

 びしり上から突きつけられた、細さだけではなく色合い的にも棒切れのような人差し指。


 サザンカをトーゴは軽く横目で見やる。

 ややあって、トーゴはふふんっと鼻を鳴らしてみせた。


「いいか! 毎日お祈りしてこそ、神様は助けてくれるんだぞ」


 それこそ、教鞭をふるうようにませた、というか大人ぶった喋り方になる少年。

 あからさまに背伸びしたその口調が微笑ましいというか、小腹が立つというか。


「つらいーくるしいーってなった時に絶対! ◇ だって神様にお祈りしたから! 神様と仲良くなったから!」

「そーなんだ」

「そーなんだ!!」


 カミサマと仲良くなっちゃうのかよ。

 友達みたいに?

 口調とは裏腹に、子供らしい発想だ。サザンカはくつくつと笑った。


 語尾に力を込めてそれを肯定したトーゴはどこか得意げに胸を張っている。

 そんな少年が、木の上でサザンカの方へと視線をよこした。


「で、サザンカは?」

「え、」


 綺麗なエメラルドの瞳がサザンカを見つめている。

 その澄んだ色に

 サザンカは肩を震わせた。


「サザンカはどうだ?」


 にこりと笑んだ少年。

 その目がサザンカをまっすぐ捉えている。

 光を反射してキラキラとまたたく丸みの強い大きなそれ。

 艶やかで、穢れを映さないその瞳がサザンカの答えを待っている。


 サザンカは少し苦笑った。

 ……もしもサザンカが信じてないなんて言ったら? その綺麗な色に陰が落ちるのではいか。

 そんなことが気がかりだったのだ。


 カミサマを信じる幼い少年。

 それに一体どう返すのが正解なのか。サザンカは言葉を濁した。


「俺は」

「神様とか、ヒーロー。信じてるか?」


 サザンカの言葉を遮るタイミングで、トーゴが重ねるように問う。

 その言葉に、その単語に、サザンカはピタリと動きを止めた。

 大きく瞠目して、息を止め。そのままでトーゴを見上げた。


「ヒーロー……」

「似たようなもんだろ? ピンチになったら助けてくれるところとか!」


 ヒーロー。

 昨日全面的に否定された存在だ。

 弥一も言ってた。──『ヒーローなんていない』


 サザンカの唇から酷く乾いた苦笑が漏れた。

 確かに、似たようなものかもしれない。

 信じていたいし、いてくれたらと思うけれど。結局どこまでも幻想でしかない、あの姿。


 サザンカも、トーゴくらいの時までは信じていたかもしれない。

 いや、信じていたかったけど。この頃になったら嫌が応にも現実を突きつけられて。

『いない』のだと思い込もうと必死になっていた時期かもしれない。

 でも、心のどこかではやっぱり信じていて。


 こんな歳になっても、無様に『いてくれたら』と思う。

 今のような、何かしたくてもできない。自分の無力を痛感するればするほどに。ただ、切実に。


 ──あの、広い背中を。


「フタツミはなー、信じられないみたい」


 トーゴはそう言って唇を尖らせた。

 太い幹に手を添えてバランスをとり、片足を所在無げにぶらぶらと揺らしている。


「だからきっと、苦しくて、不安で、泣きたくなっちゃうんだな」

「……」


 どこか寂しそうに目を半分伏せて肩を落とした少年。

 その表情に胸のどこかが居心地悪くなり、サザンカは眉を寄せた。


 そりゃあそうだろう。

 あの人もサザンカに近い、もしくは遠からずの年齢のはず。

 トーゴのところは知らないが、この国ではむしろそれでも信じてる方がおかしいというか、変というか。

 ……さぞかし生きづらい人生だろうと思う。


「神様がいるってわかれば、お祈りするだけでもじゅーぶん変わるってこともわかるのに。もったいないなぁ」


 トーゴがはあああ、とこれ見よがしにため息をついた。

 見た目もそうだが、トーゴはサザンカとは全く違う価値観を持っているんだろう。

 故郷で信仰されたという神様。

 きっと小さい頃から大人たちのその背中をみて育ってきているのだ。サザンカとの間にに大きな差が生じても何もおかしなことなどない。


 一方サザンカといえば、無宗教な日本という国の中。

 これといった信仰も義務付けられず、育ってきた訳だ。

 誰も信じてない世界で生きてきた。

 むしろ信じていれば、周りに幼稚だと揶揄される国。


 ただ祈るだけで変わるだなんて。

 もはや笑える話だ。


 それなのに少年はまるで、当たり前を語るように言う。


「助けてって叫べばいいんだ。……サザンカだってそう思うだろ?」

「俺?」


 急に同意を求められてサザンカはたじろいだ。

 助けを求められることも強さだと、たしかそんなことを言った偉い人がいたはずだが。

 全く名前も思い出せないし、興味もない。


 なにより、

 どうして自分が頷くと思ったのか知らないが、それが当たり前のように問うてくる少年の意図が全く高めなかった。


 しかし、次にトーゴが口に出した名前は、確かに覚えのある『もの』だ。


「だって、『ヒーロー・バース』のせつめーしょにも書いてあったじゃんか」


 サザンカはあれが大好きって聞いたぞ。

 そう言いながら、トーゴが偉そうに腕を組んで仁王立ちになる。

 唐突に出てきたその名前に興味を惹かれるも、サザンカはそれどころではない。

 得意げに胸を張る少年だが、それはつまり両手を離していると言うこと……。


「と、トーゴっ! おちるっ落ちる!!」


 サザンカはサァッと血の気が引いて身構える。トーゴの真下でヒヤヒヤとその時を待った。

 もはや会話なんてしてられない。

 大好きな『ヒーロー・バース』の話題なのに全くその全てが吹っ飛んでしまった。


 説明書に書いてあったこと? そんなの知るものか。

 説明書なんて読まなくたって操作方法がわかれば遊べるのだ。

 要は慣れ。考えるより覚えろだ。

 実際にサザンカはそうやって覚えた。


 だからトーゴの言葉に何も返さなかったのだけど。

 それをむしろ嬉しそうに上から眺めて、トーゴは高らかにこう言った。


「『ヒーローは絶対負けない』んだからさ」


 ──それは、『ヒーロー・バース』のキャッチコピーでもある、言葉だった。

 サザンカは動きを止める。

 ピタリと固まって、そのまま動けなくなった。


 昨日まで、うわべでは否定しつつもずっと心のどこかで信じていた言葉。

 昨日で、すっかり信じられなくなった言葉。


 でも、まだどこかで『信じたい』と……叫んでいた言葉だ。


「だから、安心してたよっていいんだよ。神様にさ」


 トーゴが明るく笑んでいる。

 サザンカとは違い、一切の疑いも持たずに信じているのだ。

 そう、彼の目が、声が、態度が、語っている。


「信じてれば、変わるからさ」

「……変わる」


 呆然と唇がその形を作った。

 少年の言葉を反復するように絞り出した声。

 それは思いの外ひどく固かった。

 内心その事実に、サザンカは肩は大きく跳ねる。


 そんなはずないだろ、ありえない。

 そう思うのに、セリフだけが舌の上でからぶって、サザンカは空気を食んだ。

 続く言葉はない。言葉にならない。


 音にできなかった。


 頭の中を、少年の言葉が巡る。

『お祈りするだけでもじゅーぶん変わる』

『助けてって叫べばいいんだ』

『ヒーローは絶対負けない』


 いやいやいやいや、違う違うあり得ない。

 そんなのはただの幻想で、馬鹿馬鹿しい夢物語で。

 だって神様なんて。……ヒーローなんて。いないのに。

 変わるはずない。変わるわけが……。

 祈るだけではなんの力にもなるはずが。


 ああ、でも。


 でも、そんなサザンカの視界の端で、木の上のトーゴが大きく笑みを浮かべた。

 ちょうど真上に立った少年。

 サザンカは彼を見上げているはずなのに、はっきりとその姿を捉えきれずにいた。

 それは木に陰っていたからではない。


 トーゴの周りにあるのは、ほとんど遮光しない松の葉と、眩しすぎる昼の日差し。

 その眩しさにめをすぼめる。輝きが目を焼いて視界を霞のように白く塗りつぶした。

 視神経が限界を訴えているのだ。チカチカと色を変える景色が、それを証明している。

 なのに。


 だというのに。


 少年の姿は、サザンカの視線と呼吸を奪って。


「そう、変わるんだよサザンカ」


 そう繰り返した、柔らかな笑みが。

 キラキラと光る、宝石をはめ込んだようなエメラルドの瞳が。

 ドクン、心臓を大きく一度跳ねさせて。

 まるで血液に混ざり込んだようにじんわりとサザンカの体に染み渡った。


「神様はちゃんといてくれてる」

「……」

「ちゃんと見ててくれて、ちゃんと助けてくれる。それがわかれば、苦しいのも泣きたいのも全部なくなるんだ」


 語りかけるような、諭すような、落ち着いた口調。それなのにその言葉にはこの少年らしい明るい、無邪気さも器用に内包している。

 そんな幼い彼の放つ言葉に、確かな確信を感じた。

 ガラガラとサザンカの頭の中で何かが崩れていく感覚があった。


 それは今までの常識か、必死に否定して奥底にしまった幻想か。

 それとも昨日1日でぐるりと精神の中にぐろを巻いて居座った絶望か。


「だから、ぜんぶ大丈夫だよ」


 トーゴが笑う。

 これまで周りの全てが否定してきたもの。

 自然とサザンカもそうであるふりをしてきて、そう生きてきたのだけど。

 トーゴは笑顔ひとつでそれをひっ切り返した。

 この少年は『信じていい』とサザンカに許可しているのではない。

 むしろ、


『信じろ』、そう言っているのだ。

 カミサマの、ヒーローの、……その存在を。


「はやく、フタツミもそれがわかればいいんだけど」


 それは幼いながらにどこか深い思いをしみじみと噛みしめるような声だ。


 シジマと仲が良かったというが、トーゴもだいぶそのフタツミといい関係を築いているようだ。

 もちろんよくは知らないが、こんなにも思いやっているのだから。

 きっとそうに違いないと思うのだ。


 この少年にそこまで慕われているのだから。

 悪い人間、ではないのだろう。多分。おそらく。きっと。

 サザンカ個人の評価としては険しい目つきと金切り声でだいぶ底辺なのだけど。

 トーゴを信用して、……いやどうかな。


 ああ、でも。

 今も、シジマのことを想っているんだろうか。


「悪かった、と思ってるよ」


 サザンカはため息をついた。


「あのひとにも、事情があるだろうに」


 そう言って目を伏せた。

 瞼の裏に再生されるのは昨日の自分のこと。


 シジマの事で頭がいっぱいだったんだ。

 他のことを考えられなかった。

 脳裏を何度も何度も繰り返し乱す、あの確かな『痛み』も、ずっと。


 だから、不可抗力といえば、そうなんだけど。

 それにしたって顔じゃなくても良かったはずだ。


「頭に血が上って、周りなんて見えてなかったから」


 言い訳のような言葉になってしまったが、これは弁解ではなかった。

 ただの状況の確認、整理。それを言語に変換した時に、こういう形になっただけだ。


 それでも、その事実が後ろ髪を引いて。

 違うんだと弁解するためサザンカは口を開いた。

 ちょうどその時だ。


「ぶっ……、ははははははっ!!」

「……っ???」


 トーゴが、けらけらと笑いだしたのは。


「え、え? なになに?」


 そんな戸惑ったサザンカの声になど耳を貸す気もないようで。

 トーゴはけらけらと笑う。何が面白いのか知らないが、大きな声でむしろげらげらと。

 サザンカはといえば、目を白黒させてその様子を眺めていることしかできない。


「えっと? どうしたトーゴ」


 もう一度曖昧な笑みでそう問えば、ようやくトーゴから反応らしい反応が返ってくる。


「あははははっ、だってさ、だってさ」

「??」


 とは言ってもこんなもの。

 笑い声で途切れ途切れになる聞き取りづらい声だ。

 まだ声変わりしていない少年のそれは耳に痛い。

 そんな返答が確かな意味を持ってサザンカに届いたのは数十秒経ったあとだ。


「フタツミもおんなじこと言ってた!」

「え」


 それにサザンカはキョトンと固まった。

 あの高慢ちき女が? などと若干失礼なことが頭をよぎる。

 あり得ないだろう。だってあの女はサザンカに『─ねば良かった』とすら。

 しかし、サザンカはすぐにブンブンと頭を振ってそれを振り払った。


 トーゴの言葉通りだとすれば、彼女だって先日はただ取り乱していただけなのかもしれない。

 なぜなら彼女はシジマと『仲が良かった』のだから。

 もしかしたら、そのことで気が動転して、ココロニモナイ言葉を吐いてしまったのかも。


 ──まぁ、半分は本気だろうけどさ。

 サザンカは頭の中でため息をつく。

 何処の馬の骨ともわからない男の身より、仲のいいシジマを選ぶのは当然といえば当然。

 しかし、そのことを踏まえたとしても。


 彼女にとっては、本意ではなかったのかもしれない。

 あの時眠っていたのが別の誰かなら、サザンカを労ってくれたかもしれないのだ。


 サザンカは苦く笑った。


「そうなんだ」

「そう! 昨日の夜、フタツミはそのことも気にしてたんだと思うぜ」


 その言葉のすぐ後によっと掛け声をかけて、トーゴが木から地面へと飛び降りた。

 軽やかな動き。全く慣れた動作。

 姿勢を低くして地面に降り立ち、トーゴがこちらを振り返る。


「大丈夫だよ、ちゃんとなか直りできるよ」

「……」


 励ますように腹の前でガッツポーズをして、にししっと大きく笑んだ少年。

 その浅黒い唇が言葉を続ける。


「おたがいに悪いって思ってるんだからさ!」

「……、別に直るわけでもないけどね」


 だって初対面だし。原型に戻るものがそもそもない。

 そんな斜めに構えた皮肉っぽい回答をそのまま直に受け止めて。

 実際のところまともに理解もできてないだろうに、トーゴは慌てた様子で弁解した。


「じゃ、じゃあ、そのっ……あれだ! 友だちから始めよう!」

「それなんか違う」


 友達から何になるっていうんだ。

 ははっとサザンカが苦笑いを返すと、それをなにと勘違いしたのかトーゴがさらに取り乱す。

 口をパクパクと震わせながら意味もなく腕を大きく上下させた。


「だから! えっとな、友だちになるとこから始めてな? それから……」

「あーはいはい、わかったわかった」


 必死に身振り手振りを付け加えてあれこれと言い募る幼い少年。

 その姿にサザンカ両手を挙げて降参の意を示した。


 どこか遠くを見るような目で、ため息に似た息とともに吐き出す。


「……話はしてみるよ」

「そうか! じゃあよかった」


 その言葉になぜかトーゴの方が嬉しそうににこにこと笑んだ。


「うまくいくようにお祈りしといてやるからな! 安心しろサザンカ」

「はいはい、ありがとなー」


 軽くそう流したが、トーゴはその答えに満足したのか、えっへんと得意げに踏ん反り返ってみせる。

 その様子を微笑ましく思い、サザンカはからからと笑った。


 そして、はたとを思い出す。


「……で、そういや花はどうすんの?」


 すっかり忘れていた。

 これも全部へんな話題に脱線したせいだ。


 トーゴの方もそうなのか、ビクリと肩を強張らせた。

 しかも、何も考えてなかったらしい。

 キョロキョロと挙動不審に辺りにめまぐるしく視線を泳がせている。


 ──じゃあなんで木に登ったんだよ。

 なんだか『視点を変える』だとか大きなことを言っていたが……。

 結局は全くの無駄だったわけである。


 内心ため息をつきつつ、サザンカがトーゴの不自然な様子を眺めていると。

 しばらくしてトーゴはぎぎぎ、と軋む音でも聞こえてきそうな動きでこちらに首をひねって顔をよこした。


「く、……クラキがいいって言ってたし、やっぱりこの花持ってこうと思うんだ」


 ぎこちなく笑んで、鉢植え植物の並んだ棚から先ほど選んだ一つを持ち上げた。

 気まずそうに瞬きを繰り返すその目がダメかな、と問うている。


「あ、いやだから」

「……いや、あの。引っこ抜かないでこのまま持ってけばいいだろう?」


 恐る恐る伺うようにこちらを見上げた少年。

 願うような、祈るようなその瞳に気圧されるが、サザンカはハハハと苦笑いを返した。

 そうは言われたって問屋は降りない。

 だってほら、そんな。

 ──植わったまま持ってくなんて、


「……その手があったか」


 サザンカはぽんっと手を打つ。

 引っこ抜くのは流石に気がひけるが、栽培場所を変えるぐらいなら?

 大したことはないだろう。大したことがなさすぎて全くOKだろう。そうだろう。

 サザンカはウンウンと頷いてその事実が間違いないことを確かめた。


 引っこ抜かずに、鉢のまま持っていく。

 なんでそんなナナメ上の天才的な発想ができるのか。

 ──やっぱり子供ってすげえな。


「ほら、ほらっ、窓とかにこう……かざってさ!」

「おおおおお、いいんじゃねえ?」


 ぱっと明るくなったトーゴの表情。

 それに同じものを返して、サザンカはトーゴに拍手を送った。


「いやぁ、すげーね! トーゴおまえ頭いいなぁ!!」

「そうか? お、オレあたまいいっ?」

「あたまいー、ちょーいい。さすがトーゴ。よっ、天才少年っ」

「へへ……えへへへ。そうだろ? そうだろ?」


 サザンカはトーゴの頭をかき回した。

 軽い言葉で調子よく持ち上げてやれば、トーゴは顔を赤くしてふにゃふにゃとだらしなく笑んだ。

 毛質の柔らかいトーゴの頭をさらに力を入れてかき回してやると「やめろよぉー、えへへへへ」と言葉とは裏腹な。いや、言葉通りのふぬけた笑顔が返ってきた。


 その姿に一度もいたことのない弟の姿なんかを重ねて。

 サザンカは穏やかに笑った。

 くつくつと、喉から笑いがこみ上げてきて、少年と一緒に笑った。

 たったそれだけのことで、なんの緊張も強張りもなく。


 ──サザンカは笑えた。


「シジマもきっと喜ぶよ」

「そうだな!」

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