二つ合わせた
第1話 サザンカ3
─5月14日 13:57 倉木邸二階ラウンジ─
正午を過ぎて、シジマを乗せた車が屋敷についた。
秘密裏に動くためか、救急車やその他医療専門の車両ではなく、普通の乗用車。
まぁ、確かに多少大きめではあったけど。それでも、深い眠りにつく人を運ぶには小さすぎる。
そんな軽車両を屋敷の前に止めて、出てきたのは男たち。昨日会場で見たような気がする顔もちらほらとあった。
こそこそと総司郎と何事か交わし、屋敷に入ってくる。
その数名の男たちは車に同じくあまりにラフな格好だった。
友達の家に遊びに来たような、そんな気安さで。
しかし正反対に、総司郎の方へ畏まった態度で接する。その姿に身の毛がよだつような寒気を感じた。
これはそれほどまでに綿密に包み隠される事態なのだ。
サザンカは強く唇を噛んだ。
それでも、シジマの姿を。
シジマの無事を一目でも確認しようと、近くで彼らの足運びを見守っていたわけなのだけど。
結局それが叶うことはなかった。
作業員同様。シジマは何か大きな箱にカムフラージュされて、慎重に部屋に運ばれて行ったからだ。
その後も、長い移動で容態がどーのこーのとか言って面会謝絶状態、立ち入り禁止が続いている。
「まぁ、命に別状はないらしいし。それで良しとしたらどうだ」
サザンカの隣で息をついたのは弥一。
たった数分前までサザンカは、シジマの部屋の近くを所在無げにうろうろしていた。
立ち入ることを許されなくても、それでも会いたかったのだ。
無事だって、確かに生きてるんだって、確かめたかった。
ただ、その証明がほしかった。
しかし、一時の逢瀬さえ叶わず部屋の前に放置されたサザンカ。
私服の医師は、落ち着いたら声をかけると作業的に告げてくれたが、そのまま音沙汰もない。
となれば、もはや無作為に彷徨うしかできず、サザンカは途方にくれていたわけだ。
そんなサザンカを見兼ねて声をかけて来たのがこの執事服の男。
サザンカは微妙な顔をしつつも、彼の言葉にゆっくりと頷いた。
「そう、スね」
サザンカは今、置き所のなかった体をラウンジのソファーに預けて座っている。
やんわりとその場所までサザンカを引きずってきた男はちょうど目の前の相対する席に座っていた。
その間を遮るように横たわったサイドテーブル。
上に置かれているのは、屋敷の内装に似合わないが、朝食時に振る舞われた上質なそれよりずっと馴染みのある銘柄の缶コーヒーとガラスの灰皿。
その二つのうちの一つ。ついこの前まで喫煙するほど裕福ではなかったサザンカがより親しんだ方へと手を伸ばして、それに口をつけた。
薄くてチープな安っぽい味が口の中に広がる。
その味に、どこかほっと息をついてサザンカはちらりと視線を横に移した。
慌ただしくシジマの部屋に出入りする私服の男たちが見える。
このラウンジからはその賑やかなシジマの部屋の扉をを難なく捉えることができるのだ。
先ほどのように医師たちの邪魔にならない程よい距離で。まさにシジマの経過を見守ることが許された場所だ。
そんな場所で弥一がひとつ息をついた。
「……お前の方は? 昨日は相当参ってたろ」
「俺は、大丈夫ス」
「そうか。……まあ深く言うつもりはねえが、無理するなよ」
ボソボソと力なく応えたサザンカ。昨日ほどではないにせよ、血色の薄い肌がその言葉があまり信憑性のないものだと物語っている。
弥一もそれに気づいていたはずだが、軽く忠告をしただけでプツリと無言になった。
サザンカはそんな弥一をちらりと盗み見る。
見れば見るほど本当に不可思議な男だ。
執事の格好は服だけで、彼の立ち振る舞いはそうへりくだったものではなく。
部屋のまえで客人が慌ただしくしていると言うのに、彼はこうして家のラウンジでサザンカと一息入れてだらりとしている。
その手には一本の煙草が添えてあり、ぷかぷかと紫煙を燻らせている始末だ。
その様子はどこぞのサラリーマン……。いや、ガタイのいい体と相まって、工場とか大工とか力仕事を生業にしている人らを連想させた。
まぁ、つまりなにが言いたいかというと、一般的な執事のイメージとはかけ離れているということだ。
妙に鋭い目も、少々猫背気味な姿勢も、服装にちっとも似合ってない。
いや、そもそもどうしてそんな窮屈そう服を着ているのかわからない。
仕事だからなのだろうけど。働いてるところなんて車を運転しているところぐらいしか見ていないから、ただの運転手という可能性もありうるのだ。
でも、コスプレだなんてものをするような人物には見えないし……。
いや、まぁまだ私物も揃わないサザンカも同じ服を着ているのだけど。
ジャケットもベストも身につけないそれは、スーツのようで。
何よりそれらを合わせた時の数倍、動きに自由が効く。
こちらの方が似合いそうでもあるし、弥一も同じ格好をしたほうがよいのではないだろうか?
「あの、弥一さん」
「なんだ」
そんなことを思いつつも、サザンカが弥一を呼びかけたのは全く別の要件だ。
確かに面と向かってそんなことをきく勇気も何もないし、聞いたところでなんの得にもならない気もする。
なにより、今はそれより大事なことがある。
「シジマはその、大丈夫なんすか」
何よりも優先されるべきはそちらの方だ。
それだけが気がかりで、昨日も今日も生きた心地がしない。
「さっきも言ったろ、『命に別状はない』」
でも……。
ふーと紫煙を吐き出しながら返ってきたのは可でもなく不可でもないそんなセリフ。
弥一は気だるげにあくびをした。
「どんなに待ったってなぁ、今日わかんのはそれぐらいだ」
「……」
だから諦めろ。
そんな言葉が後に続く気がした。
今日一日でシジマはこれからに備えなければならない。
作業員たちがこうも騒がしくするぐらいなのだ。きっと相当深刻なのだろう。
わざわざ言われなくたって、薄々わかっていたことだ。
そんな中サザンカに伝えられることなど一つもない。
たとえ詳しい容態が聞けたとしても、それを伝えられるのはおそらく総司郎。もしくはこの弥一か。
サザンカがそれを耳にするのは明日か、明後日か。
弥一は自らの頭を乱暴にかき回した。
「今は大人しく部屋出て休んでたらどうだ」
「でも」
サザンカは苦々しく俯いた。
顔の中心にシワが寄るのがわかる。強く結んだ拳は痛いほどで、サザンカの膝の上で小刻みに震えていた。
……あのゲームでも、なにもできなかった。
結局なにもできずに、シジマに。それとこの執事服の男に助けてもらった。
もはや現実なんかよりも慣れたはずの世界だったのに何も。
だから、今この現実でサザンカなんてたかが知れていて。彼女の毒ならまだしも薬になんかなれやしないのだ。
ただ体を強張らせ、このロビーに座ったまま無力感に打ちひしがれる。それ以外に許された事などない。
喉の奥が震えて、音にならない息が口から漏れた。
何も考えたくなくて、頭の中に靄がかかる。でも目の前まで暗くするわけにはいかなくて、必死に瞼を支えていた。
その時、そんな非力なサザンカの耳の奥。
こんな声が鼓膜を大振動させた。
「おっ!!!」
ぽこんっと間抜けな音が鳴って、次に響いたそれは、底抜けに明るい子供のもの。
暗がった空気を裂いて、その声は大きく大きく響いた。
「っはよぉおおお!!!」
反射的にサザンカの肩は上下に大きく震えた。
声だけで、その子供が笑みを浮かべていることがわかる、空気に似合わず暗がりのない声。
実際に驚いたサザンカが振り返ってその姿を見たときも少年は朗らかな笑顔でそこに立っていた。
そこに居たのは濃褐色の肌をもつ、小学生ぐらいの男の子。
サザンカはそれを呆然と見つめることしかできなかった。
一瞬呼吸が止まり、鳩が豆鉄砲食らったような顔をして、パチクリと目を瞬かせる。
少年がいきなり大声を出したことに驚いたわけではなく、少年がなぜそこにいるのかわからなかったから。
少年はラウンジの隅に置かれた壺から生えていた。
腹ぐらいまでの丈のある壺のふちから上体をのぞかせた少年。彼はほっそりとした両手を上に掲げ陶器の蓋を支えている。
にこにこと微笑みかける少年だったが、サザンカとの間には微妙な空気が流れている。
「えっと? ……確か昨日の」
「トーゴ」
横で弥一が呆れたように少年の名前を呼んだ。
呼ばれたトーゴという名の少年はキラキラと光るエメラルドの瞳をサザンカに向け にししっと大きく笑った。
「なんでそんなところに……」
「えへへ、びっくりさせようと思って!」
廊下もこのラウンジもを古風に彩る インテリアらしき陶器や絵画。
その中の一つである大ぶりな壺。
見た目からして結構値が張るんじゃなかろうか。
「いきなり出てくるな。あと変なところに隠れるな」
弥一が重々しくため息をついた。
しかし少年の方はそんな彼のことなど無視して、笑顔のままだ。叱られてるというか、呆れられている事に気付いてないのかも知れない。
トーゴは上に掲げていた壺のフタをそのままに、器用に壺の中から出てくる。
「朝から かくれてたんだけど……なんかすごく眠くてな」
「寝てたのかよ」
弥一が片手で頭を抱える。
少年はからからとイタズラっぽく笑った。
「で、今起きた!」
「……それは、お疲れ?」
「おう!」
そう言った彼の方こそ疲れたような呆れ顔で少年を適当に労った弥一。
そこには『もはや何を言っても、どうせ聞かない』とでも言うかのような小慣れた諦めが感じ取れた。
おそらく、サザンカが来る前からずっとそこで寝ていたであろう少年・トーゴ。
彼は壺にフタを置いて、サザンカの方へと小走りでやって来る。
「よう、サザンカ! 今日は元気か?」
「……」
そのにかっと明るい笑顔を向けられて、サザンカはたじろいだ。
滅入っていた気分にトーゴのそれはうまく噛み合わないのだ。
なんだかしっちゃかめっちゃか掻き回されたようになる胸が、頭の中が。何を問われているのか、それに何と答えたらいいのか、判断を鈍らせる。
結局、サザンカは曖昧に笑った。
「あー……、うん?」
「それならよかった!」
するとトーゴは嬉しそうに顔を綻ばせた。
よかったよかった、何度も頷いてそうつぶやきながら、バンバンと乱暴にサザンカの肩を叩く。
「昨日は死にそうな顔してたからなっ」
「……今も
トーゴと対面した時間は微々たるものだったはずなのだけど。
それでもそう思うくらいに、サザンカは死にそうだったらしい。
しかも弥一の口ぶりでは現在も進行形で。
弥一のその言葉にピタリと動きを止めたトーゴ。
でも次の瞬間、座ったままになるサザンカを覗き込むようにトーゴは詰め寄ってきた。
「えっ、そうなのか? 大丈夫か?」
「大丈夫、だと思うけど……」
「どっちだっ! サザンカ、どこか痛いのか? 風邪か? 風邪なのか?」
「いや別にそんなんじゃ……」
トーゴはそう矢継ぎ早に聞きながら、サザンカをガクガクと揺らす。
子供ながらに切羽詰まった固い声。トーゴは不安そうにサザンカを見つめている。
戸惑って曖昧に笑うサザンカを、トーゴは無理に笑っているのだと判断したのだろう。
大きな目を歪めて更に言い募る。
「風邪じゃないのか? じゃあなんだ、犬にでも噛まれたか? それとも転んだのか? それともトガミにいじめられたか? トガミ怖いもんな? なんかされたなら言え? オレがやっつけてやるからな? それとも、ええっとあとは……、」
「トーゴ。トーゴ、もういい。……あと冤罪だ」
弥一がそう割って入ってトーゴの質問責めは終わった。
しかしまだ心配そうにこちらを伺っている。
サザンカは眦を下げて笑った。
「心配してくれてありがとな。でも大丈夫、だいじょうぶだから」
「ほんとか?」
「ホントホント」
じいっとサザンカを、怪しむような目で舐め回すトーゴ。
それに出来る限りの笑顔作って応えた。
まじまじサザンカを見つめていた少年だったか、サザンカはまっすぐその目を見つめていたから…、うまく騙し切れたのだろう。
息をついて頷いた。
「そうか!」
ふにゃり、固さが抜けてゆるく溶けたその表情は。
安心するようで、何かを喜ぶようで。
その『何か』とは間違いなく、『サザンカの無事』で。
なんの変哲も無い反応のはずだった。
これから共に暮らしていく相手。そんな男がこれだけ憔悴しきった顔をしていたら、内心は逆だったとしてもこういう反応をするのは当然と言えば当然。
一切不適切なところも不思議もない、模範解答だ。
サザンカだってそうする。
たとえ、どんなにめんどくさくても。そのくらいの良心はあるつもりだった。
だというのに、
それでもトーゴのそれにサザンカが息を呑んだのは……。
その目は、昨日から一度だってまともに向けられていなかった ものだったから。
「ならそんなくらい顔してちゃダメだぜ、サザンカ! 今日はこんなに天気がいいのにもったいない!」
能天気で明るく紡がれた言葉たち。
その全く調子外れなセリフが、サザンカの鼻頭にツンとした痛みを走らせた。
その笑顔は屈託なく、無邪気で。
サザンカに無事で良かったとか、よく帰ってきてくれたねとか。
そんな意味を含んでいるかのような錯覚を覚えさせる言葉を吐き出した。
言葉、だけなら昨日も貰えたのだ。
和夢も、弥一も、……総司郎もサザンカに投げかけた。
でも、
それはあまりに作業的で、セリフを読む仕事をするようなものだった。
今、投げかけられたものは温かみに欠けたそれらではない。
トーゴが今吐き出した。サザンカに今向けられた言葉は、むしろその冷たさを排除したかのように柔らかで暖かい。
サザンカはプツリ、どこかで糸が切れるような音がしたのを聞いた。
ははっ、乾いた笑いが口をつく。
「うん、そうかも」
「だろ?」
サザンカの肯定にトーゴはどこか得意げに小さく胸を張ってみせた。
からからと笑って全ての淀みを押し流すように明るく言った。
「やっぱり元気じゃなくちゃな!」
「……」
そこで初めて、今日は快晴なのだと知る。
開けた視界。そこで太陽の光をきちんと拾った目がチカチカと急な光に悲鳴をあげた。
そうか、今日はこんなにも明るかったのか。
もはや昼だというのに、今更が過ぎるくらいだ。
サザンカはおもむろにトーゴの頭を撫でる。
子供特有の柔い毛髪が指に絡んでふわふわとサザンカの手を包む。
トーゴは猫のように目を細めて照れ笑った。
「なんだよー」
「いや、別に」
「えへへへへへ」
トーゴはだらしなく相好を崩してその手を享受する。
きっとこの少年にはそんな深い勘ぐりはなくて。素直に、純粋にサザンカを案じただけなのだろう。
わかってる、わかっているのだけど。
しかし、その事実こそがサザンカの胸を温めた。
暖かな体温が指に伝わって、自然と唇が緩んだ。
ああ、子供ってすげえなぁ。なんてことを思いながらくすくすと笑う。
今まで暗い気分だったから、そのぶんこの雰囲気がどこか神秘的な、有り難いものに思えて身体の芯が震えた。
そんな穏やかな空気の中に、異物が一つ落とされる。
「あの、すみません。ちょっといいですか?」
強張ったというか、どこか緊張したようなそれ。
声のした方を見ると、私服の作業員のひとりだった。
いつの間に近くにまで来ていたのか、彼が立っているのはサザンカの丁度後ろあたり。
まがいなりにも礼服に身を包む弥一をその目に収めて、不安げにそちらを伺っている。
弥一は眉をひそめて立ち上がった。
「……、行ってくる」
「いってらっしゃい!」
机の中央に配置された灰皿に、まだ長く残る吸いかけの煙草を押し付けて、弥一が踵を返す。
その背中は、トーゴやサザンカの視界の端でシジマの部屋に吸い込まれていった。
サザンカは神妙な面持ちでそれを眺めていた。
「どうかしたのかな?」
「……まさかシジマに何かっ」
再び忙しなく乱れる胸。
身につけたワイシャツのその辺りを強く握り込む。
長旅がどうのとか言ってたはずだ。まさかそれで彼女の身体にトラブルが?
「サザンカ」
「……」
トーゴが気遣うように背中をさする。
ああ、ダメだ。考えたって無駄なことなのに。
病気どころか風邪の対処だって覚束ないサザンカだ。一般以上にそちらの知識には疎い。
なんの力にもなれるはずはないのだ。
「なあサザンカ」
「ああ、どーした? えーと、トーゴ?」
ふいにトーゴが名前を呼んだ。
サザンカは一拍遅れてそれに応える。
先程の弥一との会話で確かそう呼ばれてたはず。
そうやってサザンカが言い淀むと、トーゴはにこりと笑んだ。
そしてサザンカに手を差し伸べて。いや、サザンカの手を奪い取って握手をする。
「そうそう、オレはトーゴ。よろしくなサザンカ」
「よ、よろしく」
乱暴に上下に振り回される自分の片手。
サザンカは変に固まってそれを眺めていた。
「で、それでな、サザンカ」
トーゴがサザンカを見上げる。
キラキラと濁りのない無垢な瞳。見慣れないその色にサザンカはすっかり見入ってしまった。
真っ黒な肌も顔の作りも、日本人の平坦なそれとは違っていて。
なんだか妙な感じだ。
そんな真っ黒な肌で覆われた首を一点だけ鮮やかに彩るオレンジ色のネックプレイメーカー。
その色が嫌に浮き出て見えて、サザンカの目は無意識に縫い付けられる。
トーゴは、そんな風に固まってしまったサザンカの手を引いて無邪気に笑った。
「オレと一緒に花でも摘みに行かないか!」
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