第5話 ゴゼン1


 ─5月13日 20:14 倉木邸地下室─




 伏せていた瞼を持ち上げる。


 まず目に入ったのは煌々と部屋を照らす電灯。古臭い裸のそれが湿っぽい部屋を照らしていた。


 その文明の利器さえ無ければRPGの世界とも見まごう冷たい空間。

 目の前にあるのは太い鉄格子のはまった牢屋だ。

 強靭な柵と重厚な造りの錠前は人の力でこじ開けるのはまず無理だろう。


 それほどまでに厳重に閉じ込めているのは、猛獣。

 片方は真っ赤な髪の獣。今はめんどくさそうに手のひらで機械を弄んでいる。

 そしてもう一方は蒼い獣。彼は今、鉄格子の向こうであぐらをかいてゴゼンと相対している。


 薄暗い地下室。いや、地下牢といったほうが正しいか。

 同じペット仲間の中でも喧嘩っ早いトラブルメーカーたちの巣窟。

 そこにゴゼンは立っていた。


「ああ、あのチビとうとう死んだのか」


 ぽつりそうこぼしたのは蒼い目の男だ。

 灰黒色の髪を適当に流して、頭にヘッドホンを引っ掛けている。

 赤い猛獣と並べてみると顕著だが、なかなかに整った顔立ち。睨むようにすぅと細めた目に剣気がなければ、大人しそうな好青年にでも見えたことだろう。


 しかし、彼は申し訳程度に敷かれた簡素な絨毯マットの上であぐらをかいて座っており、その膝に行儀悪く片肘をついている。

 眉間に深く寄せた皺も相まって、その姿は好青年など以ての外。育ちの悪いチンピラか若手のヤクザのようだ。

 男はそちらを見つめているゴゼンの視線に気づいたのか、同じものをこちらに寄越した。

 その唇が全く重みのない息を吐く。


 彼が先ほど何事も無げに言ったのはきっと今日のゲームのことだろう。

 ゴゼンはふふふと小さく笑った。


「死んではないみたいよぉ? ただ眠ってるだけだって」


 チビ、とはシジマのことだ。

 そうなんとなく感づいて、ゴゼンは少し前に聞かされた話を思い出す。

 彼女はいま昏睡状態。

 それを笑うなんて不謹慎だと目くじらをたてる人間はすくなくともここにはいない。

 だってあの少女がそうなるまでにやっていたのはゲームだ。

 パーチャルゲームの怪我が現実に作用するわけがない。

 だというのに昏睡するだなんて、笑える話だ。

 おかしくって冗談にしか聞こえない。むしろ笑わずにどう対応しろというのか。


 イチゴは肩をすくめた。


「動かねえなら死んでんのと一緒ですわ」

「あらあらあら」


 それは暴論とも呼べる、あまりに倫理観の薄い返答。

 たとえ医療に携わる人々や、博愛心のつよい善人でなくても、一般的な教養を持つ人はこの意見を良しとしないのではないか。

 まあやっぱりそんな輩はここにはいないわけなのだが。

 これでも一応、一般的で善良な倫理観念を所有するゴゼンは、呆れたように頰に片手を寄せた。

 まぁ、彼女も『有している』だけに過ぎない自覚はあるので、何も咎めることはなかったのだけど。


 そしてふと引っかかった部分を彼に尋ねる。


「とうとう、って言うからには予想はしてたのかしらぁ」

「あのガキがやってけると思う方がおかしいんじゃねえすかね」

「ふふふ、それもそうかもね」


 答えながらゴゼンは柵の外に設置された椅子に足を組んで腰掛けた。

 長く、服の上からでもわかるほど形のいい足が蠱惑的に絡まる。


 そんな情景を見ても眉ひとつ動かさず、イチゴは言葉を続けた。


「ただ、新人を庇ったってのは納得いかねえんすけどね」

「同感だわ。……あの臆病な子がねぇ、そんなこと」

「まあそれもありますけど」


 歯切れ悪くそう言って、イチゴは渋い顔になる。

 何か続けようとしたが結局黙り、口を噤んで行儀悪く壁にもたれかかった。

 含みのある言葉だったが、ゴゼンが言及することはない。

 口を閉ざした理由はなんだったか。言葉が見つからないからか、言う必要性をかんじなかったからか。

 なんにせよ、無理に問い詰めるのは無粋だし、そんなこと全くの無意味だ。だって興味がカケラもない。

 シジマのことも。

 彼のことも。全くと言っていいほどに。


 ゴゼンはにこりと薄く笑んで、代わりに別の話題をくれてやろうとわずかに口を開いた。

 そのとき。


「面白みもねえゲームだったぜ」

「ちっ、出てきやがったか」


 隣の檻から聞こえた声にイチゴは更にしかめっ面になる。

 イチゴのそのニノマエへのわかりやす過ぎる嫌悪の念ははたから見ていて笑えてくるほど。もうむしろ爽快なぐらいなのだ。

 ゴゼンは眉尻を下げた。


「そうねぇ、ニノマエ好みの戦績じゃなかったかしらねぇ」

「あの『サザンカ』とか言う奴、あいつが特に気に食わねえ」


 彼は今、今日のゲームの様子を観ていたようで。全く整頓されてない牢屋の中、チカチカとあの光景が四角く映し出されている。


 牢の中に設置されたひび割れたテレビ画面で再生されているそれ。

 四角い液晶が映し出す光景は早送りされていて、コマ割りのように不自然に切り替わる。

 先ほどまで眺めていた相手を失って、ただ無益に流れる映像は、もはや弥一が割って入った場面だ。

 ニノマエは舌を打った。


「ヤラレ役なら誰でもできらぁ」

「あら手厳しいのね。でも、彼は頑張ってたわ」

「始めはな。後が全部ダメだ」


 申し訳とばかりにゴゼンが適当に入れたフォローさえ形にならないまま、ニノマエにバッサリ切り捨てられる。


 機械を丸ごと握りつぶさんが勢いでニノマエはリモコンのスイッチを押しつぶす。

 同時にプツリ、つまらない映像を流す画面を暗転した。

 それを見届けると大きく息をついて、ニノマエはごろりと床に寝転がる。


「とにかく俺ァ弱い奴にや興味ねえんだよ」

「うふふふふ、弱いだなんて」


 別にそう言う訳ではないと思うのだけど。

 コゼンは苦笑した。

 彼は混乱して体が動かなかっただけ。通常の初心者よりはいい働きをしたとゴゼンは評価している。


 ただ、その割には目覚めの悪い結果になってしまったが。

 初回からアレではこの後使い物になるかどうか、むしろそちらの方が心配である。

 

 まぁ、興味がない以前に実のところ弱者を心底嫌う赤い獣にはどうでもいいことなのだろう。

 ニノマエは、サザンカをその弱者と切り捨ててニノマエは舌を打った。


 そんな獣に次の言葉を投げたのはゴゼンではなかった。

 相対する、青い方だ。


「ハッ、まるで自分がそうじゃねえみてえな言い方ですねぇ」

「あ゛あ゛?  んか言ったかよイチゴォ?」


 ふと鼻を鳴らしてイチゴがニノマエを嘲笑った。

 すぐに目くじらを立てて反応するニノマエ。

 それに意地の悪い笑みを返してイチゴは間の壁に目を向ける。


「言いましたね。こんなとこに繋がれて情けねえ醜態晒してるくせに、自分は弱くねえつもりでいるんですかってね」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛! それだよ畜生!」


 その言葉に宿敵の顔を思い出したのだろう。寝転がったまま壁を蹴りつけるように地団駄を踏んで、ニノマエが奥歯を噛みしめる。

 ダン、ダン、ダン、と一定の間隔を置いて響く衝撃音。


 よく見てみると、彼の足が踏みつける壁は塗装が剥がれて煤けている。きっとこの行動は今の一度だけという訳ではないのだろう。

 ここに閉じ込められてから何度も同じ光景が繰り広げられてきたのだ。


 総司郎はここの壁を特殊に用意したのだと言っていた。それが少々の凹みを見せるほどに。

 恐ろしい限りである。


「だああああ!!! こんなとこに閉じ込めやがってあのクソがあああああ!!!」


 ニノマエの怒りの矛先は皮肉を言ったイチゴを通り抜け、今どこにいるかも知れない飼い主へと向かって行った。

 いや、まあこんな夜半だ。

 おなじ一つ屋根の下にはいることだとは思うのだが、当然ながらこの部屋にその姿はない。


 何かの病気でも患ってるんじゃないかと勘ぐるほどに突発的に、発作のように荒れ狂うニノマエ。

 それを嗜めて、無理矢理従わせる力を持つ男は今頃自室の布団の中だ。

 こんな地下牢で騒いだところで、屋敷には1デシベルだって伝わることはないのだ。

 だから、この獣を黙らせられるものはどこにもいないわけで。


 そんな辺鄙な場所に彼らが括りつけられるその理由。

 ゴゼンはそれを頭の片隅で思い出して頰をかいた。


「ふふふ屋敷のものを無闇に壊すからよぉ」


 そう言って穏やかに、しかし若干の苦笑いでそうニノマエを嗜める。


 以前このふたりの大喧嘩で屋敷に置かれた決して安値ではない家具や工芸品を壊されて、さすがの総司郎も頭を抱えたのだ。

 そうして罰としてこの地下牢にふたりが繋がれたのが二ヶ月前。

 全く反省を見せないふたりを解放するわけにもいかず、そのまま長々とここに閉じ込めているわけである。


 イチゴがその片方を小馬鹿にするように笑った。


「本当にそれですわ。お前の所為で俺まで割食ってんですけど、どう落とし前つけてくれるつもりなんですかねえ?」

「あ゛あ゛? そもそもテメエが喧嘩売ってきたからだろがよッ!」

「言いがかりつけんのはやめてくれませんかねぇ。誰がサルなんか相手にするかよ」

「ブ ッ 殺 す ぞ オ イ !!!!」


 売り言葉に買い言葉、これであの惨状に発展したのだとゴゼンは深く息をつく。

 そしてじきに同じような事態を起こしかねないふたりの今のやり取り。

 ゴゼンは困ったような表情になった。


「あらあらまぁまぁ」


 しばらくはこのままだと思っていたけれど。

 しばらくどころでなく、一年二年……、果てはここで生涯を終えるのではないかとさえ危ぶまれる。


 もう苦笑いだって浮かばない。

 このふたりを毎日相手にするメイドの少女を思うと、とうに切り捨てたはずの情が胸を突いて痛かった。


「だァー! 邪魔くせえ。こんな、壁ぇッ、ブチ壊してッ、今ッ、すぐッ、殺す!!!!」

「黙れ単細胞! でけえ声で喋んなッ、うるせえんだよクソが」


 声とともにイチゴとの間を隔てる壁に拳を打ち込む。

 ビクともしない壁を殴るだなんて、今はゲームの中でもないのによくできたものだ。

 今までもそうやってきたのだろう、所々が欠けて剥がれ落ちた壁の一角。

 その表面はボコボコと統一性なく細波をたてていた。


 守るものもないむき出しの皮膚はそこに何度も痛めつけられて、紅い色さえ滲ませている。

 それでも構わずに、殴る、殴る。

 ニノマエは拳を叩きつける作業を止めようとしない。

 ただの大馬鹿を通り越して、その行動は狂気的ですらある。

 ゴゼンはわずかに眉をひそめた。


「オイ女ァ!」

「ゴゼン、よ。ニノマエ」


 唐突に向けられた言葉に驚きながらもそう軽く返して、ゴゼンはニノマエに妖艶な笑みを向けた。

 取り繕うような笑み。その事実を隠す気もないのか、適当に口元で作っただけの表情だった。


 しかし全くこちらなど見ずに、壁を殴り続けるニノマエがそんな事気にするはずもなく。

 ニノマエは荒々しく唸る。


「んなこたァどうでもいいんだよ! 俺はあのボケ野郎に言いてぇことが……」

「ああ、飼い主さん倉木ちゃんに? はいはい、なにかしら?」

「首洗って待ってろって言っとけゴルァーーー!!!!」


 そう、言わずもがな。彼の宿敵とはイチゴではなく総司郎のことである。

 先ほど自称していたように、彼は弱者が大嫌いだ。


 この場合の弱者とは地位や金銭面の話ではなく、腕っ節の弱いものを指す。

 同時に強者とは腕っ節の強いもの。つまりは喧嘩の強い人を指しているわけだ。


 当然、この基準で言えばひょろっこい筋肉とは無縁の飼い主総司郎は弱者。彼のペットでさえなければそんな細っこい首なんて簡単にへし折れた猛獣ニノマエは強者だ。

 勝負するまでもなく、隣に並べただけでその勝敗はあきらかだろう。


 だというのに。

 彼は首輪に縛られている。

 もともと誰かに従うような気質は持ち合わせていないニノマエだ。ペットという立場は彼にとって屈辱でしかない。

 そのうえ、飼い主は見てくれからはっきりとわかる弱者ときた。

 そんな奴に手綱を握られて逆らえないでいる現状が腹立たしくてたまらないのだ。


 ニノマエは慟哭する。


「絶対ッ、にッ、こっからァッ、出てぇッ、ぶっ殺す! 死なす! 殺す! 潰す! シメる! かち割る! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ!!!」


 感情のままに全てを壁の一点に向けて、拳を振るい続けるニノマエ。

 ビリビリと空間を揺らし続けるそれは、決して軽いものではないが。

 壁を砕くまででもない。


 その事実に悔しそうに歯噛みしながらニノマエは温度の高い空気を吐き出した。


「ふふふ、閉じ込められるのがそんなに嫌?」

「こんな野郎と一緒にされたんじゃァ胸糞悪いに決まってんだろォがァ!!!」


 びしりと突きつけた指。

 それは間違いなく牢屋の壁を指し示していて。

 奥の青い獣も重たい息を吐いた。


「そりゃこっちのセリフだっつの、こんな騒音公害野郎と殆ど同じ空間とか、耐えられねぇんですけど」


 確かに総司郎の悪質な嫌がらせとしか思えない処置だ。

 壁越しにでも睨み合い、火花を散らすこのふたりを同室だなんて。高価なものを壊されたことを意外と根に持っていたりするんだろうか。


 それともただの愛らしいペット危険生物たちのじゃれ合う姿見たさか。

 どちらも考えられるし、どちらにせよ底冷えする冷凍室にでも入れられたような寒気が背筋を這った。


「じゃあしばらく大人しくしてることねぇ」

「あああああ! 腹立つ! お前も絶対殺す!」

「あら怖い」


 ギラギラと鋭い熱を放つ灼熱の瞳がゴゼンを捉える。

 それをつるりと難なく受け流して、ゴゼンは含みのある笑みを作った。


「ふふふふふ、でも、」


 うっそりと柵の向こうのニノマエを見つめた、ゴゼンの艶やかな双眸。

 否応なく引き込まれてしまう情欲的なそれに、ニノマエが眉を顰める。

 蠱惑的な曲線を描いた唇が薄く開いた。


「怖い、けど。そこから遠吠えしかできないあなたは、とっても可愛いわぁ」

「……!!!」

「逃げられないものねぇ、出られないものねぇ、うふふふふ」


 ギリッと奥歯を鳴らして鼻筋にしわを寄せるニノマエ。

 先ほどのイチゴの言葉と同じだ。彼女はここにいるニノマエを無様だと揶揄している。


 まぁ事実であるし、それを指摘したに過ぎないのだけど。

 短気なニノマエに怒りを覚えさせるには充分だろう。


 ゴゼンはニノマエに魅惑的な含みのある笑みを向けた。

 轟々と大荒れの風を吹かせて喚き散らす獣はさぞかし滑稽だろう。

 そう思ったから。


「……、それはお前もだろ」


 しかし、返されたのは唸るような低い声。

 その言葉にゴゼンは軽く目を見張った。


 現在、ここにいるのはゴゼンといつも怒鳴り散らす赤い獣。

 そんなやかましい彼ををいつも蹴散らしている、やっぱり荒っぽい青い獣。

 この3人きり。


 今吐き出された声は、後者のものだ。


倉木あいつから逃げられない。屋敷この檻から出られない。……同じじゃねえですか」

「……」


 イチゴがゴゼンを冷めた目で見つめている。


 閑かな青い瞳。

 それに囚われてゴゼンは息を詰めた。

 彼の横の檻の中のニノマエも同じく。

 イチゴがニノマエと同じ側に回ることは珍しい。

 『アリエナイ』そう言ってもいいほどに珍しいことだ。

 だから、ゴゼンもニノマエも訝しげに動きを止めて、柵の、壁の向こうの獣へ目を向けたのだ。


「『まるで、自分はそうじゃないみたいな言い方ですねえ』」


 先ほどの言葉。

 ニノマエに投げたそれと全く同じものがゴゼンへと向けられる。

 イチゴは嘲笑するように笑みを深くした。


「自分の立ち位置をよく確認してから言葉は吐くもんじゃねえすかね?」

「……」


 おまえだってペットのくせに。

 そんなイチゴの皮肉を、ゴゼンは目を伏せて聞いていた。

 深く思案する必要はない。返す言葉だってない。

 それほどに分かりきった事だった。

 彼の言葉はある意味で的を射た正論。

 確証ある事実をそのまま言葉に表した時、きっと一言一句違わず彼の言葉になるのだろう。


「うふふ、そうねぇ、全くその通りよ。ふふふ」


 ゴゼンはひとりくつくつと喉を鳴らした。

 全く状況がつかめないまま、何がおかしいのかわからずにニノマエが眉を顰める。

 その隣でイチゴがふんっと鼻を鳴らした。


 赤い獣とまさに『犬猿の中の犬猿の仲』とも称することができる、喧嘩ばかりの二匹。

 そのうちの一匹が、もう片方を詰る言葉を聞けば、乗っかってくると踏んだのだけど。

 どうやら的外れだったようだ。いや、今日はそんな気分だっただけで、というのもあり得るか。


 そこまで考えて、ゴゼンは はたと一つのことに気がついた。

 なんとまぁ、『イチゴにしては』珍しく同じ側に立って共闘しているかと思えば、全く『イチゴらしい』ことこの上ない。

 ああ、つまりはそういうこと。

 そうゴゼンは喉を鳴らして笑った。


 彼はきちんと『自分の立ち位置』を知っているからこそ。ニノマエを庇うような真似をしたと言うわけだ。


 ニノマエを詰ることは同じ境遇で、同じ牢屋に閉じ込められた同属、同等、同格のを詰ることに変わりはない。

 なるほど、行き着いてみれば単純な話。

 結局のところ、彼はそれが気に入らなかっただけなのだ。


 片方だけならまだしも二匹まとめて相手できる気は流石のゴゼンだってしない。

 ゴゼンはあっさりすぎるほどあっさりと白旗を上げてその顔に笑みを貼った。


「気に障ったならごめんなさいねぇ。悪口を言ったつもりはないのよ? ただ本当に可愛いって思ったからふふふ」

「んだとッふざけんなこのアマァ!!」

「このクソザルがそう見えたなら眼科行った方がいいすよ。ぜってー腐ってっから」


 気を取り直したように、ぎゃんぎゃんと声を上げるニノマエ。

 その横の檻でイチゴも、いつも通りに肩をすくめた。


 その様子にゴゼンは喉を鳴らす。

 ふふふふふ、そう艶めいた笑い声が冷たい部屋の中に反響した。

 騒ぎ立てる声にも負けずに響き渡ったそれ。

 それに、二匹が揃って目をむけた。

 二対の目に映された妖艶なそのひと。

 ゴゼンは更にもう一度、イチゴの言葉を肯定した。


「そうね、私たちは似た者同士」


 笑い声とは反対に、ポツリと落としたつぶやくようなそれ。

 細く伏せた目がどこかここにはない別の何かを捉えている。

 するりと自らの腰を撫でた指が、甘い媚を含んで艶美に視線を誘った。


 ニノマエもイチゴも総じて怪訝そうに彼女を見つめる。


「おんなじ愛玩動物ぺット晒し者ヒーローですものね」


 溢れ落ちたのは皮肉か自虐か。

 どこの誰に向けられたのかさえわからない、そんな言葉をつぶやいた。

 ポツリと落としたにしてははっきりとしていて、誰かに告げるにしては的を射ない。

 まぁどちらにせよ、それは決してふわりと空気に溶ける独り言などではなかった。


 彼女のその言葉は湿っぽい地下の牢には殊の外よく響いたから。

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