第4話 サザンカ2
─5月13日 18:40 倉木邸9号室─
部屋の前まで来ると、和夢はこちらを振り返り手を差し出した。
「ほら、カギは?」
「……しめてない」
ボソボソと吐息のように返答する。
和夢はその答えを聞くなり差し出していた手をなんの感慨もなく引っ込めた。
そのまま流れるようにノブに引っ掛ける。
「ふぅん……あ、ほんとだ」
「……」
ぽつり落ちた呟きと共に扉が開く。
まだ慣れてない、上等な家具たちがサザンカを迎えた。
高級ホテルの一室のようなその空間は今、しっとり柔らかなカーテンに遮られて、強い光を放つ夕日もなりを潜めている。
そのせいで殆ど夜と変わらない。
パチリという音と共にそこを照らしたのは、LEDの機械的な光。
明かりを点けたのは先に部屋に入った和夢だ。
そのまま壁側に身を寄せてサザンカに道を譲る。
サザンカはその開いた道を重い足取りで通り行く。
昨日案内された部屋は、必要な家具のほとんどが揃った、家に余っていた部屋にしては生活感があるところだ。
中はだいぶ綺麗に整頓されていて、掃除も行き届いている。
昨日案内された時もそうだが、「あまり部屋」と呼ぶには多少の疑問が残った。
即席で用意したにしては、一体感があるし。
もともと客を泊めるためのものだったと言うには簡素過ぎる。
しかし、今この時。なんとなくその違和感の正体が掴めた気がした。
昨日までの愚鈍な『亘』にはわからなかったこと。
今のサザンカ。自分が今どんな存在で、この屋敷がどんなにおぞましい場所か、知った今ならわかること。
この部屋は、そう。
『人を住まわせる』そのためだけに用意された場所だったのだ。
頭の中でようやく合点がいった。
『被害妄想』だと、一蹴されてしまえばそれまでだが……。
今のサザンカの脳みそはマイナスの方向に引きずり込まれるように墜落していく。
だから考え出せば止まらない、止められない。
この部屋は、サザンカを。9人目をで迎えるために、用意されていた部屋だったのだ。
部屋の前に下げられていた『9』のプレート。
同じナンバータグの下がった鍵。
男女どちらだったとしても当たり障りのない部屋の装飾。
ああ、そのどれもがそんな『妄想』を裏付けていく。
総司郎は、あといくつ同じ部屋を残しているんだろう。考えるだけで体の芯から震えが湧いて出る。
しかし、その忌まわしい部屋の一角。
ずらりと並ぶ家具たちの中、一際目立つ真っ白なベット。厚みのある下引きの布団と、ふわふわと軽そうな掛け布団がサザンカを甘く誘った。
クタクタに疲れた体が、それに包まれる感覚を想像して僅かに震える。
闇によく映える真っ白なシーツが、柔らかそうな毛布が、サザンカの目を奪ったのだ。
気づけばサザンカの足はふらふらとそちらへ進んで行っていた。
もはや逆らう気力なんて残ってなかったのだ。
サザンカはこの誘惑に完全降伏してその柔らかな縁にに腰を沈める。
「……」
ギシッと軋む音を立てて、深く沈み込むサザンカの体。
同時に体からどっと力が抜けて、和夢さえいなければこのまま倒れ込んでいたところだろう。
しかし和夢はまだ部屋にいて、壁に寄りかかりサザンカを眺めている。
それがぐらぐら揺れるひとつまみばかりの理性を保たせているのだ。
サザンカも和夢を見返した。
ただ意味もなく視線が交わる。
「お前さぁ」
ふいに、腕を組んで入り口のそばに佇む和夢が口を開いた。
それにサザンカは
しかし、視線は外さない。ちゃんと聞いているのだと判断したのだろう、和夢が続ける。
「……これからも似たような事が起きるんだから、この程度でボケてちゃやってけないよ」
ボケ、というのは今のサザンカの事だろうか。サザンカにとっては力が入らないだけなのだけど。
こんなことでボケてちゃ……、か。
サザンカは彼女のセリフを頭の中で繰り返す。
ああなるほど、そうか。
──俺は、落ち込んでんのか。
疲れている、というのも間違いではないのだろうが、どうやらそれだけではないらしい。
それはシジマの現状に? なにもできなかった自分に? 情けなく潰された事? 一度死を経験してしまった事?
ヒーローなんていないんだと、絶望してしまったこと?
どれも落ち込むには、塞ぎ込むには十分な理由のはずだ。少なくとも、サザンカにとってはかなり。
不意に大きくぐらつく頭を片手で抑える。
疲労の理由を自覚した途端、胸に溢れるのはどろりと粘着質な薄暗い闇だった。
体がベットに縫い付けられてもう離れないぐらいだというのと同じぐらいに、胸に張り付いて、取れない。消えない。拭えない。
そんな重石のようなもの。
ずしりと重たいそれは、サザンカの体を押しつぶして布団の上に倒そうとのしかかってきた。
しかし、今は和夢の前だ。どうにかこらえて、重心を定める。
そんな風に悪戦苦闘する様子をじぃっと眺めていたメイド。
サザンカの体の位置が安定したのを見計らってか、丁度その頃に彼女な再度口を開いた。
「ここに残ったってことは、わかってんでしょ? 今日みたいなことは これから何回あるかわかんないよ」
漆黒の瞳がサザンカを捉えている。
俯いているサザンカには確かめようも無いことだが。きっとその声と同じく静かに静かに、ただただ平坦に、サザンカを映していることだろう。
声だけでも機械的な無表情でこの忠告らしき言葉が紡がれているのだとわかる。
「だから、今のうちに休んどくのが賢いやり方かな」
「……」
このセリフもしかり。
セリフ自体は、サザンカの身を案じるような色を含んで、まるで心優しいメイドに気遣われているような。
そんな夢のような絵面を錯覚させる。
しかし、実際のところ言葉とは裏腹に呆れたように息をついて、和夢はひどく冷めた目を向けて立っている。
そこには、あんまり興味はないけど仕方ないから形だけは気遣ってやるよ、みたいな。機械的な優しさを感じた。
サザンカはおもむろに顔を上げて、和夢の方を確認する。
するとやっぱり彼女は無表情で。
どことなくめんどくさそうにこちらを見ていた。
サザンカの若干被害妄想気味な考えも、あながち間違いでは無いのかもしれない。
まぁ、でも車を降りた時のような憐れみの瞳よりはマシだ。
あんなので見つめられてたのでは落ち着かないし、なんとなく情けない。
こんな状況で体裁なんて気にしてどうするんだって自分でも思う。
でも、気になり出したら止まらないのだ。
サザンカは『憐れみ』が欲しいわけじゃ無いのだから。
氷点下でもないが、融点には程遠い閑かな黒曜。
人に情を向けて歪んだそれよりは、こちらの方が彼女にも似合っている気がする。
昨日初めて声をかけた時の冷たい視線が、彼女のイメージとしてインプットされているせいかもしれないが。
そんなことを徒然と思案して、サザンカが何も答えないままでいると、和夢は無造作にくるりと黒いスカートを翻した。
「じゃあね、とっとと寝な」
「……」
どうせこれっきり まともに休ませてなんかくれないんだから。
ノブに絡めた細い指。それがカチャリと小気味のいい軽快な音を鳴らした。
ドアを半分くぐった状態で、黒い侍女服が一度動きを止める。
首だけで振り返った少女。
その口から吐き出されたのはダメ押しとばかりのこんなセリフだ。
「せいぜい死なないようにするんだね」
最後の最後まで、あくまでフラットな感情のない声。
それだけを言い残して、和夢は部屋の外の廊下へと姿を消した。
バタンと閉まるドアの音が、やけに部屋に反響する。
途端グラッと視界が傾いて、気付いた時には真上の天井を見上げていた。
古い作りの家だから、よく見れば手入れの行き届かないくすみやシミが存在する。
しかし揃えてある家財は新品。サザンカの寝転がるベットだって、昨日までは使われた形跡などかけらもなかった。
「あーあ」
『ボケ』ている自分には不釣り合いが過ぎる重厚な家具たちに囲まれて、サザンカはもうため息さえ出ない。
そうじゃなくたってこんなもの似合わなかったのに。
いかに自分がちっぽけかを知らしめられている気分だ。
どうにか気を紛らわそうと、サザンカは首を巡らせて拠り所を探す。しかし、昨日来たばかりで私物の一つも充実していない
昨日の夜にも確認したが、壁に面して設置された本棚に並ぶのは気が滅入りそうなミステリ小説。
サザンカの気分を明るくさせるものなんてここには。
「っ……!」
思わず寝返りを打つと背中に鈍痛が駆けた。
『フィッシャーゴート』から少年を庇ったとき負った傷。
それが確かにあった場所だ。
現実に帰ってきて今は存在しない。
当たり前だ。ゲームでどんな目に合おうと実際の体にどんな害があるというのだろう。
どんなに深い傷を負おうと、どんなに血液が漏れ出そうと、全ては演出なのだから。
痛むはずがない。あり得ないことなのだ。こんなこと。
まだ鏡で確認したわけじゃないが傷跡も鬱血もないはずの皮膚。
バーチャルの、仮想空間での、傷なのだ。
現実でのそれとは違う。
こんな風に後を引く方がおかしな話。
だというのに、ひりつく痛みがサザンカを襲うのだ。
もちろんあの時の生傷とは違って、血液が流れ出すことはない。
あの時と同じように声を上げるほどの激痛でもない。
ぼやぼやと どこか
まさしく鈍痛と呼ばれるそれだ。
鈍く、しかし執拗にサザンカの背中を痺れさせる。
サザンカはぎりりと奥歯を鳴らせた。
そのぼやけた脳内で、飄々とした呑気な声が再生される。
『あそこは半バーチャルと呼ばれるところなのさ』
それは車の中、和服の男がサザンカに意気揚々と語ったセリフ。
サザンカはそれを再度胸の内で反芻した。
『半、とは言っても殆どがバーチャルなんだが……』
『NPCやフィールド、攻撃のエフェクトなんかは全部バーチャルだな』
『それでも『半』バーチャルと呼ばれる
『ヒーロー・バース』を超える。その言葉がどこか引っかかりサザンカは唇を噛んだ。
きっと数分前の自分も同じことをしたのだろう。
記憶の中の男は朗らかに笑ってみせた。
『ふはは、待ってくれ。おまえの意見はこの次に聞くから、今は俺の話を聞いてくれまいか』
『……、ありがとう。さて、どこまで話したか。……そうそう半分と呼ばれる所以、だったな』
『空気感、衝撃、どれにおいても現実とさして変わりなかったろう? ……本当に現実だと思ってしまうほどには』
ビクリと肩を揺らすサザンカ。
それを満足げに見て総司郎は早口にまくし立てる。
『特に痛覚には力を入れていてな! 切られたときは痛かっただろう。殴られたときは、踏み潰されたときは、どうだった? どれもリアルに臨場感を感じたはずだ』
『通常版のゲームでは感じ得ないこういう負の一面も、再現したゲームが、おまえが今日体験したものさ』
『ヒーロー・バースの二次創作ゲームだとでも思ってくれ。いや、ここはMOD? 改造データ版? とでもいうべきか……』
『まあなんでもいい。とにかくそういうものなんだ』
『これからも、期待してるぞサザンカ』
どこか興奮したようにそう言って、倉木はふわりと笑んだ。
それが、恐ろしく不気味で。
シジマは彼のことをなんと言っていたか。
確か『悪魔』。……まるでその通りだ。
一度はその背に『
悪魔だ。そうとしか思えないのだ。
人を貶め嘲笑う、地獄の使い。
シジマは、なぜこんな悪魔のところにいたのだろう。
あの臆病な彼女が、この屋敷で『飼われて』いた理由は?
答える相手もいないのに、ふわふわと疑問ばかりが増えていく。
何故、何故、何故、何故?
──シジマは、俺を助けたんだろう。
こんな家具にでさえ及ばないような男を。
一切関わりなんてない、馬鹿な男。
放っておけばよかったのだ。むしろサザンカのことなど無視して、もろとも奴らを一掃すればよかったのだ。
何故 自身を差し置いてまで? 身を呈してまで?
事前にバーチャルだと知っていたから、大怪我ぐらい、死ぬぐらい、大丈夫だと思ったのだろうか?
わからない。そんなことは……彼女以外に知る人はいないのに。
答えてくれる人はいない。深い眠りに落ちた彼女はサザンカの目も手も届かないところで横たわっているはずだ。
煌々と部屋を照らす電灯。それが嫌に鬱陶しくて。
サザンカは瞳を伏せた。
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